ミゼラブル・決別篇4

ミゼラブル・決別篇4



ヒフミは、細い息を荒くなんども繰り返していた。誰もが息を飲んで話を聞き、ビルの閉塞感のある冷たい空気の中に、彼女の息づかいだけが何度も反響する。涙は既に流していないが、暗い顔で話すその様は、抱える苦しみに押し潰されそうな弱った少女そのものであった。


「…それからしばらくはトリニティを二人で転々と移りながら過ごしました。落ち着ける居場所はどんどんなくなっていって、色んな思い出の場所にもアビドスの影が侵食してきて。…そんな時に、コレを見つけたんです。」


ヒフミが手に持っているのは、例の偽物であると断定したモモフレンズ風のキャンディのパッケージであった。


「私から学校も、お友達も奪ったのに今度はモモフレンズまで奪おうとするだなんて…本当に、許せません…。」


小さく震えるヒフミにアズサが近寄り、ゆっくりと背を撫でる。彼女の顔もまた、やるせのない失意に満ちていた。


「…ありがとうございます。ヒフミ、アズサ。とても辛いことを、真剣にアリスたちに話してくれて。」


二人に向かってアリスは深々と頭を下げた。


「出会ったばかりの見習い勇者のアリスを、ヒフミは信じて、心からの体験を話してくれました。この信頼にきっと応えて見せます。」


共感でも、哀れみでもない。まっすぐに受けとめて、進むという意思。この生徒に嘘も照れもないということは明らかで、少し驚き、焦ったようにヒフミは口を動かす。


「いっ、いえ。そんな、…やっぱり私、話したかったんだと思います。ずっと辛くって、苦しくって、だから、話してほしいって言われたら溢れちゃったみたいなもので…背負わせるようなつもりは…。」


「たしかに、自分勝手かもしれません。ですが、勇者は背負いたいと思ったものを例え迷惑でも、勝手に背負っていくものだとアリスは思います。」

「辛くて、苦しくて、悲しんでいる人がいることに改めて向き合えました。」

「だから、そんな人にこそ信じられる勇者でアリスはありたいです!キヴォトスを救い、助けたいという心を持ち、諦めていない勇者達が、ハッピーエンドを目指している人たちが、確かにいるということが、勇者が希望である理由ですから!」


キラキラと、アリスの瞳は輝いていた。


「…あははっ。」


ヒフミの口から、照れくさそうな笑顔がこぼれた。それは思い返せば少し恥ずかしく、だが、後悔のない輝かしい過去を思いだしたような笑いだった。


「アリスちゃんは、ハッピーエンドを目指しているんですか?」


「はいっ!後味の悪いエンディングが素晴らしい良ゲーはありますが…無数のバッドエンドを乗り越えた先にきっとハッピーエンドがあり…そして、アリスはそこを目指せると信じていますから!」


「はい…ええ、きっとそうですね!ハッピーエンドが、あるはずです!」


ビルのなかにあった塞ぎ混んでいた空気を、吹き込んできた風が流していく。アリスとヒフミのやり取りを見る周囲の仲間達も、その緩やかな風に心地よく身を委ねるように、目元を少し緩ませていた。


緩んだ雰囲気に合わせるように、ヒフミとアリスは互いに打ち解けるようにお互いのことを話し始めた。ヒフミはカバンからモモフレンズのグッズを取り出し、その魅力を熱弁しているようだが、アリスはニコニコといい笑顔のまま『あんまり可愛くないですね!』『ゲームのマスコットとしてはイマイチだと思います!』とズケズケとものを言っているらしく、先ほどとは別方向にヒフミの顔が引きつっていっていた。

アズサとミネはそんな様子を見ながら、トリニティのことについて改めて話しているようだ。

一人浮いてしまったのはカヤである。


(あのヒフミとかいう生徒。ずいぶんと浮かれた頭のようですね。まあ、できもしなくとも美しい理想をさもできるように語れば、弱った心にはすうっと効くものですか。)


そんな風に傲慢に他者を見下す性根はいまだ健在のため、浮くのは仕方ないといえば仕方ないのであるが。


(しかし、アリスさんはここに来た目的を覚えているのでしょうか?…例の新商品は明らかに危険です。このブラックマーケットを通して無秩序にバラまかれていくような事態は、支配者としては絶対に避けなくてはいけません。)


カヤはアリスがこの後とりそうな行動を思考してみる。自分はこの少女から離れられない。何をするつもりかは把握しておかなくては丸め込めないだろう。

抱える苦痛を聞きとどけた存在が目の前にいて、打ち解けてさえいる。ならば当然…


(彼女を助ける、と言い出すのでしょうね。…ヒフミさんが服用者の様子に言及しなかったあたり、おそらくは同じものではないでしょうが…まあ、商品をおってブラックマーケットの流通網の一つでも把握できれば万々歳と言った所ですかね。)


「ヒフミさん、アリスちゃん、少しよろしいですか?」


「あ、カヤ!アリス、やりたいことが…」


「わかっていますよ。ヒフミさんを助けるのでしょう?そのことでお聞きしたいことがあるんです。」


「うぅ…はいっ、なんでしょうか?」


モモフレンズの布教が失敗したのか、ヒフミは少し落ち込んだ様子で崩れ落ち、アリスは不細工なカバ…いや一応トリ?の人形を興味深そうにもてあそんでいた。声をかけられたアリスが言おうとした内容は、やはりカヤの予想通りであったらしく、アリスの顔はぱあっと嬉しそうにはなやいでいる。


「その偽物のキャンディ、中身はもうないですよね。」


「そうですね、一応証拠としてパッケージだけとっておいて、中身は捨てちゃいました。何かに使うんですか?」


「アリスちゃんが旅の目的を説明した時に言っていましたが、私たちの調査はミレニアムの実地調査としての目的も兼ねています。砂糖への対抗薬の開発のため、様々な砂糖商品のデータ収集も行っているのです。新商品というのなら、念のため、採取しておいた方がいいかと思いまして。」


「…はっ!そういえばそうでした。ヒフミの過去回想に夢中になっていました…。」


「まあ、持っていないのなら構いません。そろそろ騒ぎも落ち着いたころでしょう。先ほどの露店街に戻ってあの店主を探しましょう。今度は私がお話します。なに、超人にお任せください、あのような大人の扱いは手慣れていますから。」


「あ!カヤが悪い顔をしています!…なんだか不安なのでいっかい殴った方がいいですか師匠!!」


「救護の疑いがありということですか?ふむ、確かにカヤさんはかつて収監されていた要救護者…定期的な検診と治療は必要かもしれませんね…?」


「ちょっと……?私なりにアリスちゃんの意図を組んだ提案をしてあげたのですよ!?あんまりではないですか…!?」


「あう、ごめんなさいカヤ。でもなんだかカヤのそういう言動を効くとアリスの中の失敗フラグレーダーがよく作動するんです…!このレーダーは足元をすくわれてあっさり失敗するタイプの悪役が言動をとった際、その後逆転されそうだな…と思うと作動します!!」


「私に失敗してほしいのですか!?!?流石の私でも一発殴りたくなることはあるのですよ……!?」


「あはは……。あのぉ、その、さっきの所にはもうないと思います…というか、たぶんまだ騒ぎはおさまっていないと思うというか……」


カヤとアリスがバタバタと埃を立てて掴みあいかける様を見て、そんなことをどこかいいづらそうに口にしたヒフミに勇者パーティ三人の視線がじっと突き刺さった。


「うん。さっき来た露店街の方から立ち上がっている煙はまだ消えていないな。あそこ、燃えやすいものも多かっただろうし、消火には時間がかかるんじゃないか。」


アズサもそんなことを言う。いわれてみればどこか遠くの煙くささが流れ込んでいるような気もした。


「……あの、ヒフミさん、何か、しました??」


その煙の原因を知っていそうなヒフミに対して、カヤはどこか不安な気分で問い掛けた。その胸中にはなんともいえないザワつきがある。それは悪い予感というより、プレッシャーに近いものであった。まさかそんなわけはない。その予感が仮に的中していたなら、その恐ろしさに震えるようなそんなプレッシャーである。


「えっと…あのモモフレンズキャンディの存在はやっぱり許せないので…」

「ちょっと燃料をかけて火をつけてきただけです。」

「他にも同じのを売っていたお店があったので、そこにも火をつけたのでちょっと火事は大きくなっちゃったみたいですけど…」

「というか、そのためにブラックマーケットに来たので…他にも焼き討ち用の道具はたくさんもって来ましたし……。ほら、火炎瓶とか…」


カヤは絶句した。

目の前のこの女、いくら違法製品とはいえ、放火したことに一切のうしろめたさが感じられない。否、ごく当たり前のことをしたようにしか明らかに思っていない。なんならこの後も、ガンガン火をつけてまわる気である。

カヤは、ヒフミのことを知っており、おそらく正しさをといてくれるはずであるミネに少し小走りでかけより、同意を得ようとした。


「……あの、ミネさん、ヒフミさんってこういう人なんですか…?浮かれているどころか、頭のネジ1,2本抜けてるのでは……?」


「ヒフミさんはとても決断力と実行力のあるかたです。決断的な救護への措置の速さは、流石ですね。」


カヤは忘れていた。ミネの初見にあった時の印象ははどちらかといえば狂人側であった。


「うーん困りましたね、そうなるとどこでニセモモフレキャンディを見つけましょう。あそこ以外で売っている場所を探すために地道に聞き込みでしょうか。」


「まああれぐらいならもうすぐ納まるだろう。ブラックマーケットの住民は逃げ足も速いだろうしな。それよりは、次どうするかを考えよう。アリスの案は悪くないとおもう。」


「そうですね、うーんせめて工場の場所ぐらいは知りたいんですけど…。」


「だ、ダメですっ…この場に私以外まともなツッコミがいませんっ、ボケと天然ボケばかりッ……!!放火は普通に凶悪犯罪ですよっ……!!!」


他二人もごく当たり前のことのようにスルーしたため、カヤは頭を掻きむしる。そんな彼女を見てなぜか、少しドヤ顔したアズサが声をかけてくる。


「まあこれぐらいはヒフミにとってはジャブみたいなものだ。」


「流石にそんなことはないよアズサちゃん!?やらないとなと思ったからやっただけで…。」


「ふっ…教えよう。アズサのトリニティの一生徒としての顔は世をしのぶ表の顔…かつて、欲するもののためなら、一学園の勢力全てを動かすことすら戸惑わなかった彼女は、ただの生徒ではないんだ。」


「アズサちゃん、流石に語弊があるよ!?!?」


「そう、彼女こそは……」



「覆面水着団のリーダー、名をファウスト。それだけじゃない。風の噂で、正義実現委員会から戦車を強奪した上に、壊滅的な被害を与え、そのまま逃走したって聞いている。」


「なんとまぁ。心が躍りますね。胸のすくような暴虐の話、尻尾がうずいてくるというものです。」


「流石はキヴォトス。七囚人のように収監されていなくとも、凶悪なお嬢さんたちにはことかかないというわけですか。」


一方その頃ブラックマーケットを歩く影が三つあった。否3匹。狼、狐、猫。

シロコ、ワカモ、アキラである。ここがブラックマーケットということもあってか、とくにワカモとアキラは馴染んだ様子でのびのびと歩いている感じがあった。その二人に負けず劣らずの馴染みっぷりのシロコもまた、どこか緩やかな雰囲気でブラックマーケットに関する昔話をしていたらしい。


「ここは変わらない。あまりいい場所じゃないけど。…今のキヴォトスでは悪い光景じゃないと思う。」


「…ですが、なんだか今日のここは騒がし気な様子、…ふふ、疼きのままに暴れだしたい所です。」


「ほどほどにすることですね。例のブツがあなたの壊滅に巻き込まれて焼け落ちたら元も子もありません。」


本来ならブレーキ役にカンナがいた方がいい面子である。が、流石にブラックマーケットに堂々とヴァルキューレが入ることはできなかった。まあ、仮にいても、これから彼女たちがしようとしていることには当然参加できないため、来なくてよかったともいえる。


「候補はいくつかある。順番に、手早く、銀行を襲う。」


ブラックマーケットはその混沌をますます深めていく。



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