マコトを見つけた日/ヒナの心に火が灯った日
「マコ、ト……?」
それは余りにも突然の邂逅だった。
マコトが消えたあの日から、私の日課が一つ増えた。
激務の合間を縫って、睡眠時間を減らして、マコトの姿を探し回る日々。
とはいえ、何の成果も得られてはいない。それはそうだ、何の当ても無く、ただ無軌道に散策するだけで見つかるようなら苦労はしない。
結局これは、日に日に心の中で重量を増していく正体不明の不安と焦燥感を誤魔化す為の、私の自己満足。自分への言い訳。
実際の所、本当にマコトを見つけられるとは思っていなかった。そもそも、彼女が本気で私の目から逃れようとすれば、それを私は発見できない。そういう情報隠蔽はアイツの得意分野なのだから。
だからその日も、自分を慰めるためだけに行う捜索活動は無為に終わる筈だった。
それなのに。
散策中、ふと目に入った道端の質素で小さな喫茶店。
何故自分がその店に惹かれたのか分からない。しかし、「この喫茶店に入らねばならない」と私の本能が叫んでいた。
吸い寄せられるかのようにふらりと近付き、入り口から中に入った瞬間、心臓がドキリと跳ねて時が止まった。
己の瞳に映った人物の名を、呆然と、途切れ途切れに、呟いた気がする。
そこに居たのは、カウンターの向こう側に立ってコーヒーを淹れる羽沼マコト。
ここで何をしているのか、いや一人でカウンターに立っているからにはきっとこの喫茶店のマスターなのだろう、パッと見は男装のようにも見える喫茶店の制服が、彼女の黙っていれば端正な顔立ちによく似合っていて、いや違う、そうじゃない。
彼女が、なんで、こんな所に。
立地としてはあまり繁盛するような場所ではないとはいえ、ゲヘナの中心からそこまで遠くない街中だ。探そうと思って探せるものでは無いが、偶然ばったり出くわすくらいの事は十分起こり得る範囲。まして、隠れ潜むでも無く普通に働いている。
……潜伏には向いていない、どころの話じゃない。隠れるつもりが無い、としか考えられない。本気で私から逃げ隠れるつもりなら、彼女なら他に幾らでもやりようがあるはずなのだから。
でも何故? あんな事があって、あんな去り方をして。私達はもう二度と会う事も無いと、本人すらそう言っていたのに。私が彼女の立場だったら、絶対に私と遭遇しないように、私に影も形も見せぬように、強く意識する筈なのに。
こんな、どうでもいいみたいな。見つかってもいい、というより、何の意識もしていない、みたいな。まるで……まるで、私の事を、何とも――――
ここまで一瞬の思考。
現実では入り口のドアに付いていたベルがカランカランと音を立てた間の出来事。
淹れているコーヒーカップに集中していたマコトはふっと目線を入り口に向ける。
「いらっしゃいませ……おお、"空崎さん"か? アレ以来だな、元気にしてたか?」
なんで。なんでそんな気軽に挨拶ができる。なんでそんな風に微笑む事ができる。なんで私の事を『ただの顔見知り』を見るような目で見る。なんで。なんで。なんで。なんで――
「良いだろう、この店? 私の秘密のセーフハウスの一つだったのを改築したんだ。小さく質素な店だが、私にはこれくらいがお似合いだろう? キキキ!」
違うでしょう。貴女と私は、そんな世間話みたいな会話を交わす間柄じゃ無かったでしょう。貴女にとっての私は不倶戴天の、それこそあの日あの時、全身全霊で乗り越えようとした、打ち倒そうとした、唯一無二の、特別な宿敵だった筈でしょう。
それなのにこんな、まるで、私が、あなたにとって、何者でも無い、意識する事も無いようなただのその他大勢の中の一人のような――
「まぁ立ち話も何だ、座ってくれ。……安心しろ、妙な事はせん。私はもう議長でも何でもないからな、無用な心配だ」
そんな無感動な眼差しで私を見ないで。そんな無感情な愛想笑いを私に向けないで。貴女はマコトなんだから、貴女は私を。私は貴女にとって――
「あれから私も自省してな。漸く自分の心に一区切り付いたところだ」
違う。違う。違う。違う。違う。こんなのマコトじゃない。マコトは私に誰より執着してた。マコトは私を誰より憎悪していた。マコトは私を情念のこもった眼光で睨んでいた。マコトはいつだって私を強く深く意識し続けていた。マコトにとって私は、そう、誰よりも何よりも特別な――
「安心しろ。もう"お前に対して何も思うところは無い"からな」
その言葉を理解した瞬間、頭が真っ白になった。
気付けば私の銃は目の前の女を撃ち抜いていた。
痛みに悶えるマコトが立ち上がるより早く、銃口はカウンターの上のコーヒーメーカーにも向けられ、撃ち砕いた。
次はカウンターのテーブルそのものを蜂の巣にした。その次は並んでいた椅子を片っ端から撃ち壊した。その次は天井からぶら下がる照明を撃ち落とした。その次は店内の調度品。その次は。その次は。その次は。
とにかく、目に付く物全てを破壊した。こんな、万魔殿の議長には全く相応しくない、見窄らしく窮屈な喫茶店を否定したくて堪らなかった。今のマコトの全てを否定したくて堪らなかった。
私を見ようとしないマコトを、私を見ないように努めるマコトを、否定したかった。
「空、崎……何故……」
困惑交じりの悲痛な震え声。
気付けば、店はグチャグチャになっていた。美食研究会の連中だって、ここまではしないだろう。奴らは気に入らなければ爆破するだけだ。こんな風に執拗に念入りに、店内のあらゆる物を悪意を持って徹底的に壊し尽くすような真似はしない。
これを、私がやったのか。やったんだ。風紀委員長の、私が。
どこかスッキリとした、爽快感すら感じられた。
「何故……何故こんな事を……! お前が、なんで、こんな……」
――この時点の空崎ヒナには知り得ない事であるが。マコトにとってのヒナのイメージは『自分に何の興味も抱かない存在』『自分がどこで何をしていようと一切の関心を持たない存在』であった。あの雨の日、ヒナを倒して全てを失った日に、そう定義されていた。
だからこそ、マコトには何故ヒナがこんな暴挙に出たのか、完全に意味不明だった。万魔殿議長として風紀委員長の職務の邪魔をしたならともかく、風紀委員に対し何の不利益も与えていない、ただのしがない喫茶店の店長を襲撃する意図が全く読めなかった。
「何故、ですって? 分からないの?」
……マコトの言葉にそう答えながらも、その実、私自身ですらその答えは分かっていなかった。ただ気付けば心のままに体が動いていただけ。
とはいえ、それらしい理由は幾らでもこじつけられる。例えば積年の恨みとか。風紀委員を、というか私個人を目の敵にして、万魔殿議長の立場を使い行った妨害・嫌がらせの数々。こんな報復に及ぶ理由としては十分過ぎる。
だから、とりあえずそのように答えようとして、
「――決まっているでしょう。愉しいからよ」
――自分自身ですら認識できていなかった無意識下の本心が口をついて出た。
凍り付く空気。信じられない物を見る目で私を見てくるが、私自身もまた驚いていた。自分の中に湧き出るこの感情に。
……しかし、自分の気持ちに嘘は吐けない。だってしょうがないじゃない、マコトがやっと『私』を見てくれたんだから。
マコトの瞳から少しずつ驚愕の色が薄れていき、代わりに現れる憤怒の色。その熱のこもった視線に、背筋がゾクゾクする。
自覚する。私はただ、マコトの目に空崎ヒナという存在をもう一度映してやりたかったのだと。その為にこんな蛮行に及んだのだと。
自然と口角が上がる。ふつふつと湧き上がる、仄暗く狂おしい欲求。興奮して荒くなりそうな息を鎮めながら、今度は自分でちゃんと意識してマコトを煽る。
「ねえマコト、どんな気分? 悔しい? 私が憎い? 怒ってるの? マコト、貴女は私にどんな――」
「黙れ」
私の言葉を遮ったマコトは、銃を取り出し怒りに震える瞳でまっすぐ私を射貫いてきた。
「……やっと……やっと、諦める事ができたのに……できた、ハズだったのに……! ヒナ……貴様ァァァァ……!!」
憤怒は憎悪へと昇華され、マコトが捨て去った筈の重い感情が少しずつ戻って来る。
何しろ青春の全てを賭けたと言っても過言では無い程の執着だ。完全に振り払ったと思っていても、そう簡単に洗い流せるものでは無かった。心の奥底、深層心理の最下層にこびりつき燻っていた想念は、漸く踏み出した新しい人生を他でもないヒナに否定された事で、再び燃え上がろうとしていた。
「ああ……その目、その感情……それでこそマコトよ……♡」
激情を叩きつけられて、思わず身震いしたのは恐怖ではなく悦楽の為。腹の奥がキュンキュンと疼く。どこかで何かが濡れたような気もする。
でも、まだ足りない。あの頃のマコトはまだこんなものじゃ無かった。もっともっともっともっと、ずっと重く激しく粘ついた執着を私に向けてくれていた。今にして思えば、あれだけの想いを無視していた自分が信じられない。そんな勿体ないこと。
だから、マコトを元に戻さなきゃ。それはあの日マコトを壊してしまった私の義務。そして私が心から望む願望、欲望でもある。
私の心に宿ったこの想いが一体何なのか、まだよく分からないけど。それでも、きっとこれは私にとってとても大切な想いだから、今はただマコトとの再戦に身を委ねようと思う。
だって、この暗い炎はきっと、マコトの心で燻る火と同じ色をしているだろうから。
――それが負の情念に覆い隠された埋め火のような愛慕の炎だと気付くのは、もう少しだけ先の話。