こぼれ話(ポッキーの日)

こぼれ話(ポッキーの日)


後半ほんの少しだけ閲覧注意です




 今日は11月11日。スレッタは朝からソワソワしていた。

 買い物袋の中身を見て、カレンダーを見て、最後に端末を熱心に読んで、そうしてまたソワソワする。

 もうすぐ彼が帰ってくる。そうしたら、自然な感じで声をかけよう。

 心の中で意気込んでいると、「ただいま、スレッタ」何も知らないエランが仕事から帰ってきた。

 その声にぴゃっ!と椅子から立ち上がり、いそいそと玄関まで迎えにいく。

「おおッ、お、おかえりなさいっ!エランさん!」

「うん、ただいま。今日も大変だったよ」

 エランが汚れた作業着をつまみながらのんびりと笑う。大変だと口では言っていても仕事は楽しかったらしく、とても満足そうな様子だ。

 スレッタはついついジィっと、彼の唇を凝視してしまった。「あの、エランさん」心臓をドキドキと高鳴らせつつ、さきほどまで考えていた自然な会話を試みようとする。

「なに、スレッタ?」

「はわ…」

 でも自分の名前を呼ぶ唇を目にした途端、頭が真っ白になってしまい。

「ポポ、『ポッキーゲーム』!!やりませんか!?」

 何もかもをすっとばして、最後に言おうとしていた言葉を口にしていた。



 今日は11月11日。

 すなわちポッキーの日であり、ポッキーゲームの日である。

 …という事を、お風呂に入ってご飯も食べてリフレッシュしたエランを前に、スレッタはお菓子のパッケージを見せながら一生懸命説明していた。

「このお菓子を2人で両端から食べて、お互いにどこまで食べ進められるか競うゲームですっ!本来はパーティゲームですがっ、こ、こ、恋人がするゲームとしても有名で…!えっと、11月11日はポッキーの日で、ポッキーゲームをする日なんです!せっかくなので、ど、どうですかッ!」

 多少は支離滅裂になりながらも、なんとか最後まで言い終えることができた。スレッタは大きな達成感と小さな不安を胸に、ちらりとエランの様子を伺ってみる。

 エランは終始キョトンとした顔をしていたが、スレッタの説明を聞き終わるとふわりと笑ってくれた。

「ようはお菓子を使ったチキンゲームってことでしょ。それで、スレッタはそのゲームがしたい。それで合ってる?」

「そ、そうです!やりたいです!」

「じゃあしようか」

 そうして、あっさりと了承してくれた。


 ポッキーゲーム。

 スレッタがその存在を初めて知ったのは、地球に降りてきたあと、アプリで色々なコミックを読むようになってからだ。

 読んでいたコミックのひとつに、このゲームが切っ掛けになって始まる恋物語があったのだ。

 初めてそれを読んだ時は大胆過ぎるゲームにビックリして、思わずアプリを閉じてしまった。でもドキドキして、続きが気になって、結局次の日には読むのを再開していた。

 好きな人としたらどうなるんだろう…、と想像したこともある。スレッタにとってはちょっとした憧れのゲームだ。

 それが、今日できる。

 思わずポーっとしていると、エランが更に詳しく話を聞こうとしてきた。

「それって、勝敗はどうやって決めるの?」

「あ、えっと、えっと。先に口を離したり、途中でポッキーを折ったりしたらその人の負けです」

「…口を離さなかったら勝ちって事?」

「そうです!度胸試しなので!」

「……ふうん」

 分類的にはエランも言っていた通りチキンレースと似たようなものになる。でも危険度的にはポッキーゲームの方が遥かに安全だ。なにせ命がかからない。

「じゃ、じゃあ、さっそくやってみましょう!」

 ずっと持っていたお菓子のパッケージをいそいそと開ける。中には小分けになった袋が2つ入っていて、更に片方の袋を開けると焼いた小麦とチョコの美味しそうな匂いが漂ってくる。

 わぁ、と思わず感嘆の声をあげながら、袋から一本のポッキーを取り出してエランにもよく見えるように掲げてみた。

「すごい、本当にポッキーですよ」

「有名なお菓子なの?」

「すごく有名です。お菓子コーナーに行くとほとんどの店で置いてあります」

「そうなんだ。お菓子コーナー、あんまり見ないから」

「わたしも買い物途中に見るだけで、実際に買うのは初めてです」

 普段スナック菓子はほとんど買わないので、今回の買い物はちょっとした冒険だった。

 ポッキーゲームも楽しみだが、ポッキーを食べること自体も楽しみだ。

 スレッタはウキウキとしたまま、手に持っているポッキーをジィっと見た。そのまま口に近づけて、思わず食べてしまいそうになる。

「……ッは、ガマンしないと!」

「たくさんあるし、1本くらいなら食べてもいいんじゃない?」

「そ、そうですか?本当にいいですか?」

「遠慮なく、どうぞ」

「で、では。いただきます」

 エランの言葉に甘えて、ポリポリとポッキーを齧ってみる。細い棒を齧るごとにチョコレートの甘さとプリッツェルの小麦の味が口の中で合わさって、口の中が幸福で満たされていく。食感も楽しくて、いくらでも食べられそうだった。

 ポリポリとチョコが掛かっていない部分まで食べきると、スレッタはほうっとため息を吐いた。

「美味しいです…」

「それは良かった」

「こほん。お待たせしました。じゃあ、ポッキーゲームの開始です!」

 改めて宣言する。

 そうすると不思議なもので、勝ちたいという意識がむくむくと大きくなっていく。

 エランは甘いものが苦手なので、今回の勝負はスレッタが断然有利だ。正直なところ負ける要素は見当たらない。

 スレッタは自信満々で2本目のポッキーを手に取ると、まずはチョコの部分を噛まないように口に挟み、唇に力を入れて水平に保ってみた。そのまま、んっとエランの方に突き出してみる。

「ふりゅんしゃん、ろうろ」

 唇を動かせないので気の抜けた声になる。でもエランはきちんと分かったようで、パチパチと目を瞬いた後に、顔をポッキーの端に寄せてきた。目を伏せてそっと唇を開き、チョコの掛かっていない部分を口に咥えようと近寄ってくる。

 スレッタはその様子を間近で見て、何だかドキドキしてきてしまった。

 思えばポッキーの長さは15センチもない。両端をそれぞれが口に咥えるなら、実際はもっと短い。せいぜい10センチくらいだろう。

 その10センチ先のエランは、ゆっくりと棒の端を咥え込んできた。彼の背に釣られてポッキーが上向きになり、スレッタの上唇を圧迫する。

 視覚と触覚によって、ドキドキと、ますます心臓が高鳴っていく。

 エランとはキスをした事もあるし、もっとすごいことをした事もある。それもけっこう頻繁に。

 けれど、ある意味正気のまま、こんなに近くでマジマジとお互いの顔を見たことはなかったかもしれない。

 伏せていたエランのまつ毛が上がり、ばちっと緑の目と合ってしまう。

「~~~っ」

 スレッタは何だか異様に恥ずかしくなって、すぐにポッキーを折ってしまった。

「っ!ふぁっ!」

「………」

 無言のまま、エランがポリポリとポッキーを食べていく。チョコの部分もすべて口に入れると「…僕の勝ち?」と戸惑いがちに聞いてきた。

「そ、そうですね。えっと、ちょっと意気込んでしまったみたいです」

「細いから、力を入れるとすぐ折れちゃうのかな?」

「そ、そうですね。意外とテクニックがいるようです」

「………」

「………」

「もう一回やる?」

「や、やりますっ!」

 せっかくのポッキーゲームだ。1回だけ、しかも負けたままで終わりたくはない。

 2回目なら恥ずかしさも慣れるだろうと、果敢に挑戦してみる。チョコの部分を口に咥えて、いざ再戦だ。

 けれど結果は、2回目も、3回目も、4回目ですら…。

 ポキッ。

 ポキッ…。

 ポキィッ…。

「………」

「ま、待ってください!そんな、こんなはずじゃあ…!」

 スレッタは慌てた。何故かエランの目と合った瞬間に猛烈に恥ずかしさが湧いてきて、気が付いたらポッキーを折っているのだ。

 その度にエランは苦手な甘いチョコレート部分を食べてくれている。本来の予定なら美味しいチョコレート効果でどんどんスレッタが食べ進められたはずなのに、どうしてか上手くいかない。

「ちょ、ちょっと作戦会議です!」

 エランがポリポリとポッキーを食べている隙に、勝ち筋を考える。

 まず思ったのは、キスをする時は平気な時が多いのに、なぜ今はこんなに恥ずかしいんだろう?という疑問だった。

 最初は勝とうと意気込んでいるのに、エランと目を合わせるたびにものすごい恥ずかしさが襲ってくる。そして気付いたらポッキーが折れている。

 目を合わすたびに…。

「あっ」

 スレッタはキスをする時、いつも自分は目を瞑っている事に気がついた。

 ポッキーをどれくらい食べたか確認するために目を開けていたが、それが敗因だったのだ。ポッキー以外───この場合はエランの顔も、必ず目に入って来るのだから。

 なら、いつも通り目を瞑れば…。

「今度こそ大丈夫です!」

 自信を取り戻したスレッタは、6本目のポッキーを準備していた。

 根気強く付き合ってくれるエランが、大人しくポッキーの端を咥えてくれる。スレッタはそれを確認したあと、すぐにしっかりと目を瞑った。

 そのままポリポリと齧る。先ほどまでは一口分しか食べられなかったが、今回は違う。ポリポリポリ…!と食べ進めていく。

 やがてチョコの部分を過ぎ、プリッツェルだけの部分になった。小麦の素朴な味が口の中のチョコの甘さを洗い流していく。

 そうやってどんどん食べ進めていって、はたと気付いた。こんなに食べて、エランとぶつからないだろうか。

 思わず目を開けると、まつ毛が触れるくらいの至近距離にエランがいた。緑の目にビックリして、そのまま口を離してしまう。

 同時に、唇の先が何かに触れた。

 エランの口だ。彼の上唇に、自分の上唇が触れてしまった。羽のように軽い感触だったにも関わらず、またもや恥ずかしさが襲ってきた。

「~~~っ」

 顔を離すと、エランの咥えている棒の先が濡れている事に気付いてしまった。自分の唾液だ、と分かった瞬間、猛烈に顔が熱くなってくる。

「あっあのッ!」

 焦って反射的に声を出す。このまま食べさせるのはどうかと思ったのだ。

 でもエランはスレッタの言葉が続く前に、平気な顔で残りのポッキーを口に入れてしまった。

 丁寧にすべてを咀嚼したあとに、「なに?」と首を傾げてくる。

「はわ…」

 顔が熱い。まるで火が出そうなくらいに。

「あああ、あの、エランさん…。あの…」

 自分でも何が言いたいのか分からない。先ほどまで勝てると思って自信満々だったのに、今はただ混乱していた。

「……今回はスレッタが食べ進めるのを待ってたんだけど、この場合も僕の勝ちになるのかな?」

 平気な顔をしたままのエランが、小首を傾げて聞いてくる。

 勝ち。何をもって勝ちと言うのか。混乱したままのスレッタは何も考えられなくなっていた。

 けれど、確かに今のエランは勝者そのものだった。

「か、勝ち…。エランさんの勝ちです」

 スレッタの言葉を受けて、エランがにこっと笑う。そうして封を開けた袋に手を伸ばすと、最後のポッキーを手に持った。

「せっかくだから、もう一戦勝負しよう?」

「は、はひ…」

 今のスレッタには勝てるビジョンがまったくと言っていいほど浮かばなかった。


 及び腰になっていると、エランがポッキーをこちらに差し出してきた。唇をちょんと突かれ、反射的に口を開けるとチョコの部分をそっと差し込まれる。

 いつゲームが始まってしまうんだろう。ドキドキしながらエランを見ていると、彼は自由になった手でそっと両目を塞いできた。

「…目を瞑ったままの方がいいよ。折ったり離したりしないように気を付けながら、ただ咥えてるだけでいい。たぶん、それで今度は勝てると思う」

「ほうれふか?」

 あまりに勝てないスレッタを哀れに思ったのだろうか。もしかしたら、彼はわざと負けてくれるつもりなのかもしれない。

 少々ムッとしてしまう。けれどエランの言う通り目を瞑ることは有効な戦法だった。その証拠に、先程のゲームだって目を開けてしまうまでは上手くいっていた。

 スレッタは霧散していた気合を入れ直し、とにかく絶対に目を開けないことにした。咥えたポッキーに歯を立てないように気を付けながら、むむっと口元を引き締める。

「じゃあ、始めるね」

 合図のすぐあとに、ポッキーの反対側からエランが咥えた時の振動が伝わってきた。

 最後のゲームスタートだ。

 とりあえず、スレッタは少しずつポッキーを食べ進めることにした。

 先程のエランのように待ちの戦法でもよかったが、それだと完全に彼のマネっこになってしまう。それは何だか格好悪いので、できるかぎり全力で迎え撃とうと思っていた。

 ポリポリ。

 ポリポリ…。

 リスにでもなった気分で、ほんの少しずつ齧り取る。エランの方も少しずつ齧っているらしい。ポッキーで繋がっているので、何となく彼の挙動が分かってしまう。

 いつ折るんだろう。いつ離すんだろう。でも、本当は手加減なんてして欲しくない。

 そんな事を思いながら、今までの不甲斐なさを払拭するように食べ進める。

 そうしていると、だんだんとエランの顔が近づいてくるのが振動で分かった。プリッツェルを齧る音が、少しずつ近づいてくる。…彼の熱が、すぐそばにある。

「………」

 スレッタは一瞬目を開きたくなって、どうにかその衝動を治めようとした。口の中のポッキーはまだ無事だ。折ったり離したりはしていない。

 まだ負けていない。

 いつの間にかエランからの振動が無くなっていた。彼はもう齧るのをやめて、今まさに折ろうか離そうか考えているのかもしれない。

 何だか嫌だな、と考える。

 これだけ頑張ったのに、不戦勝のように勝っても嬉しくない。だからスレッタは齧るのを再開して、大きく前に進んでみた。

 すると、ふっと笑ったような息がかかり、自分の唇が相手の呼気で温かく湿る感覚があった。

 いつもキスをする直前に感じているものだ。

 思い至った次の瞬間、スレッタの唇が相手の唇に到達した。

「ん…っ」

 離れようとは考えなかった。スレッタはごく自然に唇を開き、エランの唇にピッタリと寄り添った。チョコの匂いがふわりと香る。

 バレンタインデーを思い出す。その後のホワイトデーも。思えば、あれも食べ物をお互いの唇でやりとりしていた。

 …なんだ、全然変じゃない。こうするのが自然だったんだ。

 安心したスレッタは力を抜いて、より大きくエランの舌を迎え入れた。

「ん、ん…」

 残ったポッキーの欠片を、お互いの舌でコロコロと転がす。そうやって遊んでいるうちに、いつの間にかポッキーの欠片は無くなっていた。

 どちらが飲み込んだのかは分からない。もしかしたら、長く遊んでいるうちに溶けて消えてしまったのかもしれない。

「ん、ふぁ…」

 唇を離して、エランの顔をそっと伺ってみる。彼はほんの少し顔を赤くして微笑んでいた。

「僕らの勝ちだね」

 エランの言葉にパチパチと目を瞬く。

「『僕らの』…ですか?」

「だって、お互いにポッキーを折ったり離したりしてないでしょう?だから、2人とも勝利者ってこと」

「………」

 …確かに。敗北の条件であるポッキーを折ったり離したりしていないのだから、ゲームの勝利条件に2人は合致している事になる。

 ビックリしているスレッタを余所に、エランは嬉しそうにニコニコしている。

「勝負事なのに2人が一緒に勝てるって、何だかすごくいいね。せっかくだからもう一袋分ゲームしてみる?必勝法も分かった事だし」

 珍しくエランが積極的だ。けれどスレッタはあと一袋分もゲームを出来そうになかった。

 必勝法は分かっても、気力や体力が持つのかは別の話だ。だって、ポッキーはあと7本もある。

「~~~ッ!」


 スレッタはエランにぎゅっと抱き着くと、「もう!ポッキーゲームはおしまいです!」と真っ赤な顔で宣言した。







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