ホビウタ裁縫事情
--ビリィッ
「あっ!」「ギッ!?」
横腹の辺りから聞こえてきたイヤな音に、思わず体が硬直する。動けないままの私を覗き込んで、ルフィは顔をしかめた。
「あー……、ウタ、お前お腹ン所破けちゃったぞ」
「ギィ……」
やっぱり……。恐る恐る見下ろしてみると、わき道に生えていた低木の枝が私のお腹の辺りの布を引き裂いたまま刺さっていた。
シャンクス達と離ればなれになってから大分経ち、私も少しは立ち直って、前のようにルフィと勝負したり村の外れに探検へ行くようになった。
遊びまわって無茶をすれば当然あちこち汚れやほつれも増え、その度マキノさんのお世話になっていた。今回のこれもその一例。
「ギィ、キィキィ……!」
「分かってるって。よっ……と」
ルフィは私をゆっくり持ち上げ、これ以上裂け目が広がらないよう枝から引き抜く。
改めて見ると、結構パックリいったなぁ……。走ってた勢いも相まって、人間でいえば脇腹から外ももの辺りまで大きな裂け目が入り、綿が少し飛び出していた。これだけ切れてて痛みは無いのは、人形の身体の数少ない利得かもしれない。
「今日はもうここまでだな。帰ってまたマキノに縫ってもらうぞ!」
飛び出た綿を押し込めていると、そう言ってルフィは私を持ち上げようと手を伸ばした。いつもだったらそれに甘えてその手を掴むのだが、私は待ったを掛ける。
「? どうしたんだ?」
「キィ」
こういう時の為後ろに背負ったオルゴールの中に入れておいた物がある。おもむろにオルゴールを下ろし、ガサゴソと手探る私を、ルフィは不思議そうに見つめている。
「キィ!」
「さいほー道具? いつの間にそんなの持ってきたんだ?」
汚れたり壊れたりする度にマキノさんに頼ってばかりで、このままじゃいけないとずっと思っていた。マキノさんは気にしなくてもいいって言ってくれたけど、お店の仕事もあるし、いちいち頼んでいたら迷惑だろう。
とりあえずその辺りの岩に腰掛けて待つように促した後、針と糸を用意する姿を見て察したのか、ルフィが前のめりになりながら期待の眼差しを向けてきた。
「もしかしてお前、自分で縫うのか?! すっげェな!」
「キィ~ッ」
こんな姿になっちゃったけど、私だって9歳になるんだ。自分の事くらい自分でやらなくては。
大人のようにはいかないけど、レッドフォース号での航海中暇潰しも兼ねて簡単な裁縫なら教わった事がある。破れた所を縫うくらいなら訳無いはず。
--と、思っていたのだけど現実は上手くいかなかった。
「ギ……ッ! ギ……ッ!」
「……」
「ギギ……ッ!」
「…………」
「ギギィ~……ッ!」
「……なーウタ、やっぱマキノに頼んだ方が早ぇんじゃねえのk」
「 ギ ッ ! ! 」
「すみません……」
期待から一転、諭すような懇願するような顔で声を掛けてきたルフィを「気が散るから話し掛けないで」と一喝し、私は手元のそれらを睨み付けた。
裁縫の技術だとかそれ以前に、この指どころか凹凸のほぼ無い手では、そもそも針の穴に糸を通す事すら出来なかった。
両方を近付けようとすると手を滑らせ、糸を落とし、針を落とし、やっと穴から糸が頭を出したと思えば、引っ張ろうしたつもりが押し返してしまいまた振り出しに戻る。
今は無いはずの眉間の神経がむずむずしてきた。こんな初歩的な事で躓くなんて……!
「ギィ~~……」
「ウタァ、そろそろ……あっ!!」
「ギ……ッ!?」
半ばむきになってぐりぐりと押し付けていたせいか、誤って左手に深く針を刺してしまった。勢い余ったせいで半分近く沈んでしまっている。
マズい……! 引き抜こうとするも焦って手元が狂い、木材に打たれた釘のように、針は私の手の中に吸い込まれていく。
「待てウタ! おれがやる!」
「……あれェ、どこだ、結構入っちまった……いってェ~~~~っ!! 刺さったァ~~~~っ!!」
「ギィ~~ッ!!」
「--はい取れたっ。じゃあ次は、お腹の方も直しましょ」
「ギ……」
結局あの後どうしようもなくなった私達は泣く泣くマキノさんのお店に駆け込んだ。
自分の力で解決してみせると意気込んだクセに、何も出来ないどころか周りに迷惑を掛けてしまった。私、もう9歳なのに。ルフィより2つも年上なのに。何もかも人頼りで、これじゃあ赤ちゃんみたい。情けなくて、恥ずかしくて、自分が嫌になる。
「……ウタちゃんは優しいわね。でも、前にも言ったけど、困った時は頼ってくれて構わないのよ」
「…………」
「私にとってウタちゃんとルフィは可愛い家族みたいなものなんだから。遠慮されちゃうと、逆に寂しいわ」
「……ギ」
「……ウタ……」
俯いたままの姿を見て何か察してくれたのか、マキノさんが励ましてくれるけど、私は生返事しか返せず、すすり泣くようにギィギィとオルゴールを鳴らしていた。
ふいに、隣で様子を見ていたルフィが両手をテーブルにつき立ち上がる。
「なぁマキノ! おれに裁縫教えてくれよ!」
「……キッ?」
「どうしたの突然?」
「考えてたんだ! 俺、いつもウタに色々やってもらうからさ。俺が何かウタにしてやれる事無いのかって」
「ウタはおれがいつか船出をする時の最初の仲間だからよ、おれが縫えればマキノが居ない時も安心だろ!」
そう言ってルフィはテーブルについていた両手を頭の後ろで組んだ。
いつもやってもらう代わりって、私は大した事出来ていないのに……。疑問に思いながらルフィの方を見つめていると、にししと笑いながら私の頭をぐりぐり強く撫でてきた。
そんな様子を見て、マキノさんは口元をおさえながら小さく笑うと、私を少し持ち上げ、ルフィに補修中の箇所が見える位置に置き直した。
「それじゃ少しずつ覚えていきましょ。まずは糸をここの場所から--」
「--て事もあったなァ」
「キィー」
次の目的地に向けて航海中のゴーイングメリー号で、私達は思い出話をしながら、ほつれ箇所を直していた。
「初めの頃はホント酷かったよなーおれ……なははははっ!」
「ギィギィギィ!」
やってもらっておいてなんだが、教わって最初はホントに酷いものだった。腕に糸をぐるぐる巻きにされボンレスハムみたいになったり、誤って手と体を縫い付けられて取れなくなったり……。思い出すだけで頭が痛くなる。あくまで比喩だけど。
細かい事が苦手なルフィが、あれからよくここまで進歩したなと、珍しく集中した眼差しの彼を眺めながらしみじみ思う。
「でもよ、なんで急におれに頼むんだ? ナミの方が全然速ェだろ」
「キーー……。キィキィッ」
「んー?」
子供の頃や海に出たばかりの頃はルフィにやってもらっていたけど、ナミが仲間になってからは、丁寧で手際も良い事から殆どナミにお願いしていた。
何故、と聞かれると、具体的な理由を答えるのが難しい。本当にただ何となく、今はルフィにやってもらいたい気分だっただけだ。
「……ま、別に良いけどな! おれで良ければいつでも直してやるよ。ほら、終わったぞ!」
終わりの合図に後頭部をぽんと叩かれ、私は立ち上がる。直してもらった右腕をぱたぱたと振り、体で感謝の気持ちを表すとルフィは再び私の頭を2、3度軽く叩き、ごろんと横になった。
「久々に集中したら疲れたな、寝るっ!」
「キィ~」
「ZZZ……」
「キッ?!」
昼寝を宣言した瞬間爆速で夢の中に入ってしまったルフィに呆れつつ私もその体に寄りかかった。まだまだ時間は沢山あるし、日向ぼっこでもするとしよう。
ちらりと右腕に目をやる。マキノさんやナミがやってくれたように縫い目が均一という訳ではないし、結び目だってちょっと大きい。端から見れば完璧とは言い難いだろうが、私にとっては100点満点の出来だった。
お母さんのようなお姉さんのようなマキノさんの優しい手に包まれていた穏やかな時間も。
海に出てはじめて出来た同性の仲間であるナミと他愛ないおしゃべりをする楽しい時間も。
昔は頼りなかったのに日に日に逞しくなっていく幼馴染みの成長を見つめている特別な時間も。
カタチとしてこの布の身体に刻まれている、大事な思い出。皆から受けた優しさの証。
「……キキィッ……」
ちょっとポエミーだったかな、なんて自嘲めいた考えが浮かぶ。
眠っているルフィを起こさないよう、小さく、歌とは言い難い調子外れの金属音を奏でながら、新たな冒険に想いを馳せた。