プロムナード
空色胡椒「そういえば拓海、今年はどうするの?」
「どうするって、何を?」
「ほら、拓海の学校ってクリスマス近くにあるでしょ、イベント。去年もこのくらいの時に案内出てたし、そろそろかな~って」
「ああ~、あれな」
そう言いながら拓海はカバンから一枚のチラシを取り出す。学校側からのイベント実施に関する案内のそれには、去年と同じイベントの開催について書かれている。ここねももらっていたそれには、きらびやかなドレスとタキシードを着た男女がイルミネーションをバックに踊っている写真が載せられている。
「ほぉ、クリスマスプロム、か。料理に関することに力を入れている学校だからいろんな行事が行われているとは知っていたが、まさかそんなイベントまでやっているとは」
「そういえば去年はみんな集まってた時にこの話はしてなかったもんね」
「まぁ、別にわざわざするような話でもないしな」
プロム、正式にはプロムナード。日本の学校ではあまり馴染みのないイベントではあるが、海外の高校ではメジャーなイベントである。平たく言えば学校主催のダンスパーティーである。男子も女子も着飾り、ダンスと音楽、食事をともに楽しむというもの。通常は卒業生を対象にするイベントではあるものの、拓海とここねの通う学校ではそういった制限は設けられていないため、全校生が参加可能なのだ。
「へぇ~すっごいイベントみたいだね。でも、なんで学校行事でパーティー?別に学生がお料理作る側じゃないんだよね?」
「まぁ、一見料理とか関係なさそうだけどこれも大事な経験ってことらしい。ホテルの立食パーティーとかフォーマルな場で提供される料理や飲み物、演奏を含めたパーティー自体の運営。そういったものを体験するため、ってことだとさ」
「なるほど。確かにホテルや結婚式場、大きなイベントホールであればそういった機会に携わることもなくはないだろう。こうした行事に参加する中には羽目を外す者が出ることが一番の懸念事項ではあるが、君たちが通う学校は成績面でも優秀な学生が多いからな。そうそう間違いも起こらないと信頼されているのだろうな」
「こういうパーティーのお料理は実際学生の間だとなかなか食べられる機会ってないもんね~。あたしも食べてみたかったな~」
「あれ?でも拓海先輩去年は参加してないんだよね?らんらんたちも今日初めてそういうイベントがあるって知ったし。なんで?パーティーとか嫌いだっけ?」
「んなことはないけど。まぁ、問題はここなんだよ、ここ」
「はにゃ?」
らんの方へチラシを向けながらトントンと拓海がその一部分を指さす。そこを覗き込むように見るらん、ゆい、あまね。
「『参加は原則本学在校生による男女のペアとする』、と。なるほど、これが君が参加しなかった理由か。在校生のみとなると、そう気軽に相手を見つけられるものでもないだろうからな」
「え~と、どういうこと?」
「クラスの誰かと一緒に行くってことじゃダメなの?」
「ゆい、これはそういうことではないんだ」
首を横に振るあまねに対して首をかしげるゆいとらん。一方あまねの方はこのチラシから得られた情報だけで料理に関して勉強熱心な拓海が学校行事に参加しなかった理由、そして─
「どおりで最近またここねへの告白や呼び出しの数が増えてきたわけだ」
このプロムがまた、ここねを悩ませる要因であることについても察した。
「?このイベントとここねちゃんへの告白が関係あるの?」
「そうだな…通常こういったパーティーに男女で行くとき、それはそれなりに親密な相手ということになるんだ」
「それなりに親密?」
「そうだな。ゆい、ちょっと立ってもらえるか?」
「へ、うん」
あまねの言葉に戸惑いながらも素直に従うゆい。頭にはてなマークを浮かべているゆいに近づいたあまねは右手でゆいの左手を取り、もう片方の手はゆいの腰に回すように添えた。
「あ、あまねちゃん!?」
「ひょえ!?あまねん何してるの!?」
突然の密着具合に戸惑うゆいとその光景に顔を真っ赤にするらん。対して拓海とここねはあ~とやや苦笑気味のわかり顔でその様子を眺めている。このこと自体に驚いていないわけではなく、単純にあまねのこの行動はプロムについてゆい達に説明するにあたっては、最もわかりやすいものだったからである。
「プロムというのは、男女がこのように近い距離で踊るもの、らしい。私もあくまで知識として知っているだけだがな」
「そ、そういえばチラシの写真もこんな感じだったね」
「これってそうやって踊る人を見るだけじゃなくて、自分たちでも踊るんだね」
「そういうことだ。で、どうだゆい?」
「へ?ど、どうって」
「君はクラスメートや先輩の男子と先ほどの距離まで近づくことはできるか?それこそ品田やご家族は含めずにだ」
「拓海以外の男の子と…」
一瞬それを想像してみようとするゆいだったが、どうしてもそのことがイメージできない。そもそも以前踊ったときは両手をつないでいたわけで、拓海とだってこういう密着の仕方はしたことがないのだから。それ以外の人となんて─
「全然想像もできないや」
「う~ん、らんらんもさっきみたいなのはマリっぺくらいなら大丈夫かもだけど」
「そうだろう?一定以上の親しい相手、それもかなり親密な間柄でもなければできないことだ。私だって兄さんたちくらいかな?いや、よく考えたら品田が相手でも許容できるかもしれないが。やってみるか?」
「せんでいい」
「おや、振られてしまったようだ。あー傷ついたぞ、品田ー、よよよ」
「棒読みやめろや」
「んんっ!とまぁ、プロムのパートナーになることのハードルの高さがわかっただろう?」
咳払いをしてからゆいとらんの方に視線を戻すあまねに対して、2人は首を縦に振るのだった。
「でも、それがどうしてここねちゃんの告白がまた増えたのにつながるの?」
「なに、単純な話だ。ここねと親しくなりたい、将来的にはお付き合いをしたいと考えている男子諸君が、イベントにかこつけてその話をしているのだろう。イベントという言い訳があった方が、一歩を踏み出しやすいからな。そうだろう、品田?」
「俺に振るなよ。まぁ大体は菓彩の考えで大体合ってるんじゃねぇの?」
「え~と、つまりここぴーと一緒にプロムに行って、そこから仲良くなって、彼氏になりたい人がたくさんいるってこと?」
「まぁ、簡単に言えばそうなるな。全く、言い訳がないと行動できないとは嘆かわしい。男ならそんなまどろっこしいことせずに真っすぐぶつかるべきだろう。なぁ、品田」
「だから俺に振るな」
あはは、と苦笑気味な表情を浮かべながらここねはその様子を見ていた。あまねの説明は大体が正しい。最近の呼び出しは告白とプロムへの誘いが半分ずつくらいであるが、最終的には同じようなものだろう。
中学の時にはここまで沢山のアプローチはなく、クラスメート以外は遠巻きに見てくることがほとんどだった。それが良かったかはわからないけれども、今よりは気が楽だったのは確かである。ゆいがいて、らんがいて、あまねがいて、拓海がいる。ここに他の誰かが加わる余地なんて、ここねが考えうる限りないのだ。
ただ─
「でもここねちゃんってこういうパーティーに参加したことはもうあるんじゃない?お父さんのお仕事の関係とかで」
「ううん。こういうお仕事の時はいつも留守番していたから。だからパーティー用のドレスを着たのも、みんなと一緒に行ったときくらい…」
「あ~あったね!メンメン達も一緒にマナーのお勉強とかもしたっけ」
「う、そのことはまぁいいだろう。とにかく、ここねにしても品田にしても、あの距離感を許容できる相手が学校で見つからないことには始まらないだろう。まぁそれも、2人がプロムに参加することに意欲的だったら、という話ではあるが」
「俺はいいかな。ダンスも経験ないからよくわかんねぇし」
「私も…いいかな」
(本当はプロム自体には興味があるのだけれど…流石にそれで誰かの誘いを受けるのもね)
幼いころから読書が好きで、可愛いものやおしゃれなものが好きなここねにとって、いくつかの物語で登場するダンスパーティーもまた興味と憧れの対象だった。まだ両親が家にいる期間が多い頃には、2人に踊り方を習っていたこともある。中学の時にみんなと一緒にドレスを着られた時も、マリちゃんの提案でダンスができた時も、すごく楽しくて、嬉しかった。だから学校説明会でプロムがあると聞いたときは、ひそかに楽しみにしていたのだ。物語の中でしか見たことのない経験ができるんじゃないかと。でも─
(私にはみんながいる。これ以上に誰かを大切に想うなんて、想像できない)
そう思うがゆえに、ここねは誰にも気づかれないようにひっそりと、自分の憧れをあきらめることに決めていたのだった。