フレバンスの花嫁に

フレバンスの花嫁に


これは老い耄れた仕立屋と貴方様との、ささやかな内緒話でございます。


私と妻は新世界のとある島、海軍G-5の基地がある町の片隅で、曾祖父の代から仕立屋をやっております。

一口に仕立屋と申しましても、手掛ける服の種類は職人次第で千差万別。私の店につきましては、大規模な工場でお針子をするお嬢さんがたの若さと勢いには負け、今は私が得意としております婚礼衣装、特にウエディングドレスを中心に仕立ててございます。

店の戸をくぐる初々しい花嫁の照れたような、嬉しそうな笑顔を思い出しながら純白の生地に型紙を当て、鋏を入れて、刺繍をするそのときは、職人としての私の一番の歓喜の瞬間と言えるでしょう。


話を戻して、あれはまだ冬の名残が深い、ある春の日の午後のことです。

その日、私の店には海軍G-5より“白猟”の異名を持つ中将様がいらっしゃいました。


なに、中将様が結婚をしようという話ではございません。彼の部下のひとりが近く挙式するそうで、忙しい花婿に代わり、上官である中将様が花嫁のドレス選びに付き添っておられたのです。

何故この中将様が部下に慕われているか、もうおわかりでしょう?

G-5というのは荒くれ者揃いの部署ですが、親兄妹を海賊や戦争に奪われた兵も多いところ。中将様は海兵さまがたの良き上司であり、理解者であり、親代わりでもあるのです。


さて、そんな中将様と新たな花嫁とがドレスを選び終え、私がおふたりを店先まで送ったときでした。ふと顔を上げた中将様が「ひとりで帰れるな?」と花嫁の背中を押し、真っ白な煙となってあっという間に飛び去って行ったのです。


花嫁が帰路につきしばらくすると、正義のコートを煙にはためかせ、中将様は戻って来られました。腕には子猫のように中将様を威嚇して唸る細身のお嬢さん。おや、と思っていると、中将様は何枚かの金貨を私に握らせ、こう仰いました。


「この女にドレスを見繕ってやってくれ」


私は目を疑いました。何故なら中将様が連れて来られたお嬢さんに見覚えがあったからです。それも街中ではなく、その首に高い懸賞金が懸けられた海賊たちの手配書の中で。“死の外科医”などと物騒な異名で世間を騒がせる、残忍、冷酷で知られる海賊。その細首には何十億という額が懸けられていると伺います。


しかし仕事は仕事、私とてプロ。余計な詮索はするまいとお嬢さんを店に招き入れると、お嬢さんは真っ赤な顔を斑模様の帽子に隠して店内の様子を警戒していました。やっと絞り出された一言は、「こんな店に縁がある人生とは思っていなかった」というようなもの。化粧や髪結いを担当する妻が「わたしたちは全ての女の子がウエディングドレスを着られるようにと祈っているのよ」とお嬢さんの背中を撫でると、お嬢さんは不思議そうに首を傾げました。


ああ、そうそう。

中将様に抱きかかえられたお嬢さんが不機嫌だったのは、中将様がウエディングドレスの店から女性を伴って出て来られたのを偶然ご覧になり、やきもちを焼いてしまったようです。

あまりに可愛らしい誤解はすぐに解けましたが、羞恥心から「勘違いするのはしょうがねェだろ!」と勇ましく叫ぶお嬢さんの顔を覗き込む中将様は、なんともいえぬ悪い男の表情で──おっと失礼。


それから、私はお嬢さんに似合うドレスを探しはじめたのですが、ひとつ困ったことがございました。

それはお嬢さんの美しい肌に黒々と刻み込まれた刺青。胸を覆い肩にも張り出し、腕や背中をも埋めつくす海賊らしい豪勢な刺青は、とても純白のドレスと似合いません。


ですから最初、私は繊細なレースが顎から下の肌のほとんどを覆う貞淑なデザインのドレスをお嬢さんに着せました。

神様が気まぐれを起こして完璧に作り落としたかの如き四肢がレースの裏に隠れれば、年老いた私と妻でもため息をついてしまうほどの美しい花嫁が鏡の中にひとり。

「お綺麗ですよ」と何度も褒めちぎり、私たち夫婦はそれはもう自信満々で、お嬢さんを中将様の待つ部屋へと送り出しました。

──お嬢さんの表情が暗く沈んでいることにも気付かずに。


待合室で珈琲を飲みながら待っておられた中将様は、花嫁衣裳を身に纏うお嬢さんを見て、確かに一瞬、堪らないという顔をしておりました。

ですが中将様はすぐに表情を引き締め、私を呼んでこう言ったのです。


「彼女のタトゥーは、彼女の両親に次いで、この世界でいちばん彼女の花嫁姿を見たいと願っていた、今は亡き男の象徴だ。全てのタトゥーを見せられる意匠のドレスはあるか」


その言葉を聞いて、私は顔から火が出る思いでした。お嬢さんのことを残忍な海賊とばかり思って、若いお嬢さんが生涯消えぬ紋様を肌に刻むその意味を、軽く考えすぎていたのです。これでは職人失格です。


私はお嬢さんに何度も謝罪し、今度は胸元と背中が大きく開いたドレスをお勧めしました。柔らかな乳房に刻まれる黒い線は、やはりドレスの純白とは似合いません。それでも胸の隙間に歪む笑顔の刺青にそっと触れ、「コラさん。私、こんなドレスを着れる日がくるなんて……」と呟くお嬢さんの微笑みを見ていると、私は天にも昇る心地となったのです。


お召し変えの途中、私はついお嬢さんに「刺青のお方は海賊ですか?」と訊ねました。するとお嬢さんははにかんで、「海兵だ」と言いました。

コルセットを締める間、私はお嬢さんが海賊になった理由をあれこれ妄想し、涙を落としそうになりました。


新たなドレスと柔らかいマリアベールを身に纏い、妻の手によって淑やかな化粧を施されたお嬢さんは、淡く頬を染め、中将様の待つ部屋へ自ら歩いて行かれました。

中将様はお嬢さんが扉を開けるなり立ち上がり、刺青が覆う手を取って指先へ軽く口づけ、午後の光が差し込む窓辺へお嬢さんを導きます。

それはさながら婚礼の行進のようでございました。中将様が背負う“正義”の制服は、今日ばかりは花婿の白い衣装のように見えました。


「……白に包まれていると、今でも足が竦んでしまう。情けないと笑って」

「白はおれの色だ。不満か?」

「ふふ……父様や母様が見たら何て言うだろう」

「きっと今も見守っている。式はおまえの故郷で挙げよう」

「灰と消毒剤に閉ざされた、帰れない故郷で?」

「汚れた土地に花を植え、きっとすぐに帰してやる。きっとだ。その日のために──」


中将様の武骨な両手が、お嬢さんの華奢な両手を包みます。おふたりの間には睦言も、誓いの口づけも、称賛の言葉もありませんでした。

それでも光の中で絡み合う指は、何よりも雄弁に、おふたりの心を物語ってございました。


さて、あの日から早数年。

私はいま、新しい花嫁衣裳を仕立てております。老いた手がレースを編むことには大変な時間がかかりますが、不思議と苦にはなりません。

この胸元と背中とが大きく開いたドレスは、白い花咲く廃墟となった教会の中で、“正義”の白い外套の横に立つのが最も美しく映えることでしょう。


フレバンスの花嫁に、どうか世界からの限りない祝福があらんことを。

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