フェリジット、飲んだくれる

フェリジット、飲んだくれる


 荒野の夜は寒い。


 簡素な仮説の小屋が並ぶ新しい集落、その食堂からは、深夜だというのに灯りが漏れていた。

 その中から、カラン、と氷の音。それはささやかすぎて、耳のいい獣人にしか聞き取れなかっただろう。


「はあーーあ……」

 そこそこの広さを持つ食堂の、細い大机。その真ん中を陣取って、女がひとり飲んだくれている。

 桃色の艶やかな髪。長い耳。スラリと伸びた四肢にはいくつか包帯の巻かれた箇所がある。女―――フェリジットは上半身を机に預け、だらりと突っ伏してグラスに注がれた酒を眺めていた。


 長い戦いが終わったのはつい先日。…多分。

 エクレシアとアルバスを見送ったのもほんの数日前。…恐らく。

 負傷した仲間の看病、戦線の解散、支援者支援団体への挨拶回り、力仕事の復興作業、書類書類書類…。以前にも増した目の回るような忙しさに、流石の彼女もクタクタになっていた。

 

「ま、命のやり取りがないからいいけどねー…」

 本当は飲んでいる場合ではない。早く休んで、明日に備えなくてはいけない。

 しかし今日ばっかりは。昼間のモヤモヤを忘れたいと、彼女はまたグラスを呷る。


「寒くないか」

 その背中に、ふわりと上着が掛けられた。

「あー、そういえばちょっと寒いかもね。ありがと、シュライグ」

 フェリジットは背を向けたまま、いつの間にか入ってきていた男に礼を述べた。丹精な顔立ちの、片翼の青年だ。


 ちょっと前まで、その青年、シュライグの左腕はアームホルダーで吊り下げられていた。バカでかい兵装を、あろうことか片腕で扱った―――その代償として骨にヒビが入ったのだ。

 そして、そのケガも数日で治った。嘘ではない。数日である。私の幼馴染はちょっとおかしい……。そう思うのも、フェリジットは慣れっこであった。


「あんたも飲まない?」

「そうだな、少しだけなら」

 酒の匂いを強烈に発するフェリジットに対して、シュライグは「飲み過ぎだぞ」とも「控えろ」とも言わない。なんだかんだいって節度は守るという信頼もあったし、こういう時は好きなだけ飲ませて発散させてやるのが一番いい、という経験則もあった。


「なにかあったのか?」

 更に言えば、こういった場合は大抵なにかしらの事情があるので、愚痴でも聞いてやるとなお良い。

「うーん…」

「……言いたくないならいいぞ」

 が、今回の彼女は口が重いようだ。普段なら遠慮なくぶち撒けてくるのだが…、少し不思議に思いながらグラスに酒を注いでいると、なんとも言いにくそうにフェリジットが口を開いた。

「昼間さあ……、シュライグ、モズの部族の長とお話ししてたじゃん?」

「ああ」


 日中のことである。シュライグ、ルガル、フェリジットの3人は、獣人の部族長達と会談をしていた。戦線解体にあたって部族に帰還する仲間達の今後についてや、復興計画の話し合い、ドラグマ国民に対する差別や報復の防止に向けた取組みについて…。

 最初の3人をはじめ、部族との軋轢を抱えている仲間は多かったが、既に和解済である。問題は山積みだったものの、わりと和やかに話し合いはできていた。少なくとも表面上は。


『流石は誇り高き百舌鳥の戦士!』

 会談が終わり、それぞれ自由に歓談している中、フェリジットはシュライグがモズの部族の長に握手を求められているのを見た。

『我々は貴方を誇りに思う。いつでも帰ってきてくれたまえ』

 初老の長は、いかにも人の良さそうな笑顔で彼の手を固く握っている。シュライグもにこやかに応じていた。隣にいたルガルは踵を返してさっさと出口へ。『ケッ』という小さな悪態を、フェリジットは聞き逃さなかった。


「モズの部族さあ…。戦ってるとき、結局最後まで私達に協力してくれなかったじゃん?」

「それがどうかしたか?」

「邪推なのはわかってるんだけどさー…。あいつら、私達が勝つの、嫌だったんじゃないの?」

「…なんでそうなるんだ?」

「だって……」


 獣人は、誇りと武勇を重んじる。

 シュライグは、まだ年端も行かぬ子供の頃に部族から排斥された。理由は、翼が片方なかったから。それだけ。本人にはなんの非もない。

 そんな彼は血の滲むような努力の末、獣人戦士の誰よりも強くなり、バラバラだった多部族を見事に纏め上げ、強大な敵に果敢に立ち向かった。


「シュライグが勝ったらさあ…、あいつらの面目丸潰れじゃん? 追い出した子供が英雄になったなんて」


 戦線が大きくなっていく中、モズ部族の者達は恐れた筈だ。子供を捨てた恥知らずだと糾弾されることを。人を見る目がないと嗤われることを。シュライグからの復讐を。

 戦線が敗れればそんな心配もなくなる。やっぱりあいつは役立たずだった、で済む。対抗戦力がいなくなってドラグマ、そしてデスピアに殺されるよりも、誇りを失う方が恐ろしい―――頭の固い老獣人ならそんなことも考えかねない。

 結局、彼らが恐れたであろうことは一切起こらなかった。シュライグは部族からの仕打ちを言いふらすようなことはしなかった―――フェリジットですら、彼の口から聞いたことはほとんどない―――し、そもそももうあまり過去を気にしていないようにも見える。


 そして今日の、あの擦り寄るような握手である。


「だいたい虫がよすぎるっての! あんたが怒ってないってわかるや否や寄ってきて。『ワシが育てました〜』みたいにさ。『帰ってきてくれ』って、シュライグの故郷はお前らのとこじゃねーっつの!」

 そう捲し立てたフェリジットは、グラスに残っていた酒を一気に飲み干す。

「シュライグ、もう一杯!」

「流石にこれで最後だぞ」

 シュライグは彼女のグラスに琥珀色の液体を注いでやった。話を聞きながら飲んでいたが、この酒は結構度数が強いようだ。体が温まり、頭も少しクラクラする。

「そうか。それで飲んでたんだな」

「あんたは怒んないけどさあ〜、ルガルも私もむかっ腹立ってしゃーなかったわよ。あいつらと今後もナカヨクしなきゃいけないと思うと…」

「いや、正直俺もむっとしたぞ」

「ええ?」

 突っ伏していたフェリジットが顔を上げる。彼をよく知っている彼女だからこそ、とても意外な一言だった。

「フェリジットの言う通りだ。俺の故郷はもう、あの部族じゃない。俺の帰る場所は、お前達のいるところだ」

「……ひょー」

 恥ずかしげもなく言う。

 そんなところはいつものシュライグと変わらなかったが、よくよく見ると顔が少し赤い。

「嬉しいこと言ってくれるねえ。赤いじゃん。照れてんの?」

「酒のせいで顔が赤いんだ」

「照れてんでしょ〜」

「フェリジット、」

 怒ってくれて、ありがとうな。

 そう真正面から言われて、今度はフェリジットが顔に熱を帯びるのを感じた。慌てて机に突っ伏す。

「フェリジットも酔ってるな。もうお開きだ。歩けるか?」

「よゆーよゆ〜〜」

「これは厳しそうだ」

 食器を洗う音、片付ける音がフェリジットの耳に届く。シュライグが後始末をしてくれているようだ。悪いなあ、と思いつつ、意識はどんどん重力に従っていく。ちょっと冷めた酔いが、また脳を覆っていくのだ。

 そうして眠りに落ちる直前、彼女はふわりと体が浮くのを感じた。


 
















 

「フェリジット」



「ううーー……ん」



「フェリジット、起きられるか」




 シュライグの声と、甘くやさしい香りでフェリジットは目を覚ます。

 目に入ったのは、自分の部屋のものではないが、見覚えのある天井。ここはシュライグの部屋のようだ。

 痛む頭を抑えて起き上がると、目の前にカップが差し出された。ミルクたっぷりのポタージュが入っている。

「飲めそうか?」

「うん…、ありがと」

「二日酔いがありそうだな。今日は休むか?」

「大丈夫よ。酔ったのも自業自得だし。ベッド奪っちゃってごめん」

 昨晩、シュライグはフェリジットを抱えて彼女の小屋―――キットと姉妹で使っている仮の家を訪ねたが、熟睡中の妹は出なかった。放っておくわけにもいかず、自身の小屋へ連れ帰ったのだ。

 気心の知れた、年頃の男女。一晩同じ空間で過ごして、当然………なにも起こらず。シュライグはフェリジットにベッドを譲って椅子で寝た。

 シュライグとはそんな仲じゃないんだから当たり前。という気持ちと、自分って女として見られていないんじゃなかろうか…。という気持ちで複雑でもあったが、変わりない関係性というのは安心感も与えてくれる。

 外はもう明るい。また、忙しい時間がやってくる。フェリジットはしかし、昨日より前向きな心持ちだった。




















「シュライグがフェリジットをお持ち帰りした」という話はすぐに広まった。

 シュライグは「? それがどうかしたのか?」と平然と肯定し、

 フェリジットは頭痛を抑えてその『誤解』を解いたとか解かなかったとか。

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