フウカとミカの特別な夜の話

フウカとミカの特別な夜の話


ミカさんと先生と初めての夕飯をともにした日から時間が経ち、何度かシャーレで顔を合わせるころには季節が変わり始めていた。いま、困った表情のミカさんの手にあるものを通じて、そのたった数ヶ月前なのに懐かしい情景を何度でも思い出せた。

初めて会ったときどこか当たりが強かったミカさんの、先生から聞いた話を合わせてもほとんど虚勢を張っていただけのその姿は、捨てられるじゃないかと怯えているように見えた。空調で適温に保たれているはずのシャーレで氷で出来た服を着込んで一人凍えているようだった。

私は料理を作るのが好きで、これでも一端の料理人だ。彼女の心の隙間風を埋められるのは私じゃなくて先生なのかなとなんとなく思っていたけど、それでも料理人(わたし)の出来ることは最大限してあげたかった。

正直私個人で言えば給食部として手一杯というところもあるのだけど、でも先生が引き合わせてくれたこの怯えたお姫様に温かいご飯と、その時間が必要だと思った。いつもは、手早くご飯を作って忙しくもなんとか先生と一緒にご飯を食べ、足りない分は一緒に作ったおにぎりを、はしたないと思いながらも帰りの道すがらかっ込む。そして給食部によって仕込みやらなにやらをして帰宅する。でも、今日だけは目の前の人に出来ることをしてあげたい気分だった。

形だけ見ればゲヘナを目の敵にして私もやや邪険に扱ってくる人になんでそんなことを思ったのか、私の冷静な部分が疑問をあげる。でも私の今日の賢さはすべて料理に捧げてしまったし、料理人(わたし)はパンは振るえても弁は振るえない。ミカさんと先生のための温かい夕飯だけが私の考えるべきことだと思い直すまでは一瞬だった。

そして私が作ったのはなんの変哲もない焼き鮭定食。今日の仕入れでまけてもらった、給食に出すには質がよく分配も難しい脂ののった銀鮭だ。トリニティのお嬢様の口に合うかは全くわからないがハルナが素材の悪さについて微妙な顔をしないラインは超えている。残念ながら給食分は微妙な顔をされたが、それでもハルナは決して残さないし私の給食の提供能力での精一杯だってわかってくれているから爆破はされなかった。ほかの生徒は、いいや、やめよう。とにかくミカさんの口に合うことだけを祈る。

結局ミカさんは先生が美味しそうに食べているのを見て、嫉妬か好奇心かそういう感じの微妙な表情を浮かべて箸を手に取った。私も味噌汁に手をつけて喉をほどよく潤しつつ、鮭をほぐしていく。正直期待と不安に振り回されながら調理したので完璧な仕上がりになったか自信はなかったが、口にした瞬間、ここ最近では上位の仕上がりであることがわかり少し安心する。

ちらちらとミカさんを見ると味噌汁、鮭、ご飯、ほうれん草のおひたし、鮭の付け合わせの大根おろしまで満遍なく手をつけて、口にするたびに少し目を見開いてはゆっくりと咀嚼していた。お嬢様らしい所作にゆっくりだからか強調して感じられる口の動きがなんだかコミカルに見えて少し私の頬も緩んだ。気づいたらじっと見つめている私にも気づかずに十分時間をかけて飲み込んでいく。

そこで初めてミカさんがとても美人さんだと気づいた。顔が良いというとどうしてもハルナを思い出す。無意識にハルナと比べていたのはそういうところも有ったかもしれない。ともかく、ミカさんは美人さんで、なんで今更そんなことに気づいたんだろうか。思えば来たときに比べるとずっと顔色が良い。頬にほんのり健康的な赤みが差して、ずっといい顔になっていた。これで美味しくないと言われたら全く信じられないかポッキリ折れて失踪するかもしれないとさえ思う。

どうでしたか?と声をかけようと思った瞬間だった。ミカさんの、元々温かい木漏れ日のような色をしていて健康そうな頬色とマッチした、その目から透き通った涙が溢れていた。

この時はまだミカさんの身に何があったのか、何をしてしまったのか知らなかったけど、私がしたいことは一つだけだ。立ち上がって、お茶碗と箸を持ったままのミカさんの隣に座り直す。

「不快だったら振りほどいてかまいません。ただ私はあなたに、こうしてあげたいだけなんです。」

そう言って背中をゆっくりとさする。ミカさんはすごくすごく、寂しかったんだとわかってしまった。あの日の私そのものだったから。

ジュリが給食部に入ってきて初めて一緒にご飯を食べた日、追いつかない調理と積み上がる苦情となにもかもに私は心をすり減らして、でも自分で決めたことを曲げたくなくて、もう少しで後戻りできないくらいおかしくなりそうだったとき、ジュリは給食部の戸を叩いた。

そのときの私は、いや正直今もそうかもしれないけど、心身ともめちゃくちゃだったし、そのときの食事は正直全然良い仕上がりじゃなくて、でもジュリと2人で給食部の今後について少し話して、冷める前に食べましょうって言ってくれて、一口目を飲み込んだとき、感情が戻ってきた。喉や涙腺蓋をしていたしがらみも飲み込んで流れて、びっくりするぐらい涙が出た。

そうしたらジュリは背中をゆっくりとさすって、どんどん泣いてください。すっきりするで泣くんです。って。涙にどんどんなんて言われるのが初めてで、半ば笑いながらジュリの言うとおりどんどん泣いて、心と体の中で淀んでいたなにかも流れていって、少し、いやずっとよくなった。

私はジュリみたいに明るくバシバシいけるタイプじゃないけど、ミカさんにもジュリにしてもらったみたいに気が済むまで涙を流して、どこか気持ちが整理されてほしかった。

その気持ちが通じたのか、ミカさんは少しうなずくと涙を流すままに食事を続けて、私は背中をさすったりハンカチで涙を拭ったりして、少しでも安心できるように微笑みかけたりして。先生も微笑ましい表情で見守ってくれて、そして、私たちはただの顔見知りではなくなった。そんな思い出。

あのときのミカさんの「美味しかったよ。」を思い出すだけで少し頬に熱を帯びる。この時はまだ、まさかミカさんがこんな古風な告白をしてくるとは思わなかった。

いつものように、ただ今日は先生は出張でいないが、夕飯を食べて、ミカさんの美味しかったよをいただいた。食べ終わって食器を片付けた頃には外はすっかり暗くなり雪がチラチラと電灯やビルの明かりを照り返していた。

「ねえ、フウカのツノ、触っても良い?」

「えっ……、はい、いいですよ。」

夕飯後の余韻でハーブティーを淹れていた私の心臓は跳ねた。故意じゃないのかもしれないけど、私のツノを触れせてなんて思わせぶりなことを言うミカさんが悪いと思う。二人分のティーカップをテーブルに置いてミカさんの隣に座ると、予告されていたとおり、私に手が伸ばされる。優しい手つきで表面の感触を確かめるミカさんに心拍数は上がるばかりだが、まだそのときではないと自分を律する。

「へぇーフウカのツノ意外と触り心地いいじゃんね⋯」

心の中の悪魔はもうミカさんに服従する気持ちしかないのに、触り心地が良いなんて殺し文句も恋愛小説にだってないくらいの大胆さだ。つまむように触ったりもして、なんだか本当に変な気分になる。でもその次の瞬間、それまでのドキドキをさらに上回る音がした。

「あっ!」

ポキッという音とミカさんのあっけにとられた声が同時に耳に届く。私の驚きはこの状況に耐えるためにきゅっと結んでいた口から漏れなかったが、もうほとんどおしまいだった。

「⋯⋯聞きたいんだけどツノって再生する?」

かわいらしい質問に至って平静だという顔で、答える。ツノの形は魂の形といわれることもあるくらいだが、同時に再生力も高く、よほどのことがないと綺麗に再生する。

「普通は再生しますよ。元々折れてたり、長いこと不調だったり、折れてることを気に入ってなければ、ですが。」

「ふーん⋯ごめんね⋯せめてあなたのために祈るね⋯」

やっぱり故意じゃなかったんだ。少し落胆したところもあったけど、でも私はもう、伴侶と決めてしまったから、悪魔らしいやり方でもいい。ミカさん、ごめんなさい。その優しい祈りには応えられないです。私の一部を持つあなたが隣にいる限り、私に手折られたツノが戻る必要はないんですから。

「ミカさん、こういうツノはアクセサリーにするんです。そうしたら勿体なくないでしょう?そして、出来上がったらミカさんに贈りたいです。」

ミカさんの本気度が私と差があるのはわかってしまったけど、好意を持ってくれているのは確か。でもでも、とられたくないから、マーキングみたいだし、籍も入れてないのに少しはしたないかもしれないけど、私のツノをアクセサリーにして贈ろう。

ゲヘナ生や古典を嗜むトリニティ生ならよく効く牽制になるし、私を持ち歩くミカさんをイメージしたら、ちょっとぞくぞくする。

「もらって良いの?」

「はい、私が贈りたいんです。」

そう言ってミカさんから私、私のツノを回収して、また明日会う約束をする。夜のD.U.に消えるミカさんの背中を見送りながら、もらって良いの?なんて言う姿を思い出しては心臓が主張するように鼓動する。

ハルナが友達、先生が助けてあげたい人だとすると、ミカさんは……供に居てほしい人。ちょっとわがままで感情的で、頭は悪くないけど、うん、でも私のご飯を美味しく食べてくれて、戦闘でも頼りになって、素敵なところもたくさんある、そんな人。

そんな大切なパートナーに贈るツノや羽根のアクセサリー作りは花嫁の最初の仕事だ。たくさんの感情と祈りを込めて1日かけて作る。こういう祝いの日は店を閉めたって誰も怒らない。そんなことを思いながら、来たときよりずっと軽い足取りで私は自宅に向かっていた。

そんな私が、多分一生でも二度とないくらい浮かれすぎてジュリに心配されたり、聖園フウカなんて口から漏れたのが噂になって一騒動になるのはまた別の話。




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