ヒトで、なし(後・帳)

ヒトで、なし(後・帳)

ななしのだれか


 だして。

 だしてよ。

 ここからだして。

 かえりたいよ。

 おねがい、かえして。

 みんなのところに、かえりたい。

 ここはやだよ。

 だして、おねがい。

 ここからだして。

 だれか、たすけて。


 なんだろう。なんで宝箱なんか抱っこしてるんだろう? どうして? わからないや?

 宝箱から声がする。だして、ってずっと言ってる。でもダメ。出てきちゃダメだよ。

 ……あれ、なんでダメなんだろう?

 わかんないや。でもいいや。わかんないなら、きっとどうでもいいものだから。

 

 とうさま。

 かあさま。

 こらさん。

 たすけて、だして。

 もうやだよ。

 ここはやだよ。


 とうさま? かあさま? こらさん? ねえ、それってなあに? なんなのかな? おれ知らない。わかんないや。

 宝箱がかたん、かたんってうごいてる。ダメだよ、出ようとしないでよ。中にいなきゃダメだよ。

 わるいことを、しないでよ。


「なんでだ? 出てェなら出してやりゃいいじゃねーか」


 …………だれ?

 うしろから、声がした。そっちを見たら、知らないひとがいた。

 ひまわりのお洋服に、麦わら帽子をかぶったひと。だれだろう? 知らないひとだ。


「そんな狭くて暗くてさびしい所、いたくねぇんだろ? なら出してやろうぜ! こんな所に居たってつまんねーぞ!」


 ねえ、なんで、そんなこというの。

 だって、これは外に出ちゃいけないんだよ。だから宝箱に閉じこめたのに、そんなこと言わないでよ。ねえ。


 出して。

 出せ。

 出してくれ。

 出たい。

 出なきゃ。


 

 …………麦わら、屋?



 宝箱の中身が、知らないひとを呼んだ。

「ひっ」

 こわい、こわい! おれ知らない、あんなひと知らない! なのになんで!? なんで中身は知ってるの!?

 どん、と、宝箱を突き飛ばした。蓋が開いて、がらがら、がらがら、中に入ってたものが飛び出す。

 きらきらのハート。色とりどりのハート。たくさんころころ転がっていく。きれいなのに、そのハートが、とてもこわい。

 ころん。おれの胸から、何かが落ちた。まっ黒で、小さくて、ボロボロの、へんな形の、これ、なあに?


「キレーだな、トラ男のこころ」


 とらお?

 麦わら帽子のひとが、ハートをひろう。あちこちにちらばったハートを全部ひろって、あつめて、からっぽのおれの胸に、ぐい、って押し込んだ。

 いたい! いたい、やめて!


「なんでだよ。トラ男の大事なもんだろ? 無くさねーようにしねぇとな!」


 ざくざく。胸の穴が、ハートを押し込まれていたい。あちこち切れて、真っ赤な血が止まらない。

 きれいなハートが、とてもいたい。

 胸をおさえて、うずくまる。

 いたい、いたくて、いたいのに。


 ――――ああもう、涙があふれて止まらねぇじゃねえか。

 痛いのに、あったけぇ。

 苦しい。辛い。

 いやだ、やめてくれよ麦わら屋。

 何の為に、ハートを、こころを、切り刻んで摘出したと思ってんだよ。

 やめてくれ。

 このままじゃ、ドフィの為のとりでいられねぇ。

 にんげんに、戻っちまう。

 ダメだ、それだけはダメなんだ。

 大事な奴らを守りてえんだ。

 その為には、俺は、にんげんでいちゃダメなんだよ。


「でもよ! それじゃトラ男はトラ男じゃねえだろ!!! こんな所にひとりぼっちで、にんげんをやめて鳥になってたら、お前は全然自由じゃねえ!!!」


 自由。


『もう放っといてやれ!!! あいつは自由だ!!!』


 自由。

 コラさんがくれた大事なもの。

 でも、でも、俺はもう望んじゃいけねぇんだよ、麦わら屋。

 今更遅え、もう手遅れなんだよ。


「遅くねえよ、トラ男。

 自由になりてえって思ってるなら、手遅れなんかじゃねえよ」


 麦わら屋が、俺に真っ赤なハートを差し出した。

 コラさんがくれた果実。

 オペオペの実。

 俺の、ちから。

 ……ああそうだよ、俺は自由を諦めきれやしなかった。諦められるなら、元より切除なんかせず、メスを刺してこころを壊しちまえば良かったんだ。

 それができなかったのは、俺が弱かったからだ。

 大事な奴らを守りてえと思ってるくせに、大切なこころを、ハートを、思い出を壊すのは怖くて、切除して隠すことしかできなかった弱虫だからだ。

 結局俺は、どんな無様でみすぼらしい姿に落ちぶれようと、トラファルガー・ローであることを、最後まで捨てきれやしなかったんだ。

 諦めの悪い、みっともねえ奴。

 こんな馬鹿で愚かな奴でも、自由を望んでいいと、お前は言ってくれるのか。

 まだ、望んで取り戻そうとすることは、手遅れじゃねえと、言ってくれるのか。

 なあ、俺のせいで自分も仲間も殺された、俺の世界の、麦わら屋。


「当たり前だ!!! 友達の自由を望んで何が悪い!!!」


 ……ともだち、か。

 ああそうだ、お前はそういう奴だよな。

 うつむいていた、顔をあげる。

 お前はにしし、と嬉しそうに笑ってる。

 差し出しされたオペオペの実を、左の翼で、受け取った。

 後戻りは、もうできねえ。

 ドフラミンゴと、戦うことになる。

 また、誰かを犠牲にするかもしれない。

 それでも俺は、自由が欲しい。

 俺は、俺でいたいんだ。


「麦わら屋」

「ん?」

「……ありがと、な、ともだち」

「……にしし、おう!」


 麦わら屋、ありがとう。友達ができて、嬉しかったよ。

 真っ赤な果実に、俺は歯を立てた。






「ってえ!!」

「ぐあっ!!」

 シャンデリアのように天井から吊り下げられた鳥籠の中で、鳥は、否、ローは自分を取り戻した。

 三十メートルはあろう高さから見下ろせば、あちらの世界のルフィと、もう一人の自分が、ドフラミンゴと戦っていた。

 来てくれた。

 ローの為に、彼らは助けに来てくれた。

「あ……あ……」

 もう二度と会えないと思っていた、大切な人達が、そこにいる。

 また、会えた。

 遥か眼下で、彼らは戦っている。

 ルフィは、あのドレスローザの時と変わらぬ姿形をした、ドフラミンゴの糸人形と。

 もう一人の自分は「化けの皮」を着た、コラさんを殺した二十八歳の頃と変わらない姿をした、黒いストライプスーツにピンクのファーコートを着たドフラミンゴと、戦っていた。

 あの素晴らしき日々をもう一度、とでも言いたいのだろうか。ローを連れ戻した時は醜悪な素の姿を晒していたのに、ローが鳥になってから、あの男は在りし日の姿に化けるようになった。あんな気が触れた奴に愛玩されていたのかと思うと、改めて気持ち悪さで吐きたくなる。

 けど、愛玩のお陰で、ローの体に海楼石の枷はない。

 ローは、今なら、戦える。

 側に置かれて愛玩されていたから、ドフラミンゴの「化けの皮」が強靭な装甲でもあると、ローは知っている。あの姿形のドフラミンゴは、何体もの影騎糸を衣服のように纏っているようなものだ。外皮は非常に硬い。

 奴が「化けの皮」を着込む姿を鳥として見続けていたから、ローには分かるのだ。あれは内部に、直接ダメージを与えなければ倒せない、と。

(なら……俺のやることは……!)

「……“るー、む”」

 掠れる声で、左の羽先を動かして、己の領域を展開する。真下で激戦を繰り広げる彼らは、ローが正気を取り戻したと気付いてないようだ。

「“す、きゃん”」

 監獄の如き空の古城を、見聞色の覇気を併用しながら走査する。城内から脱出しようと駆ける者達に、ローは目当てのものを見つけ出した。

(あいつら……俺の手足を、見つけてくれたのか……!)

 シーツに包んで、ローの腕をペンギンが、足をシャチが運んでいる。二人を守ってジャンバール達が道を切り拓き、ベポが行き先を先導している。

 切り捨てられて動かない手足の、見苦しさに、おそましさに、あいつらはさぞや驚いたことだろう。それでも大切にローの手足を抱えて守る姿に、嬉しくて涙がこみ上げそうになる。

 だが、泣いてる暇はない。

 ペンギンを大いに驚かせてしまうだろう。すまないとは思うが緊急事態だ、許してくれ。

(戻れ……戻れ……戻ってこい……!)

 強く、強く念じる。

 左の翼が動かせなかったのは、上手くオペが、改造ができなくて、繋ぎが弱かったからだ。繋ぎが弱いということは、繋ぎやすいということでもある。

(戻れ……戻れ!!!)

「っ、あああ゛ああっ、ああぁあ゛!!!」

 激痛と、弾けるような音。

 能力を使ったからだろうか。全身の皮膚が、骨が、内臓が、翼が、もう一人の自分と共鳴し、傷を、痛みを共有する。裂けて砕けて軋んで折れて、白に変えられた体が、着させられた白い着物が、真っ赤な血に染まる。

 痛い、痛い!

 だが、それでも――――!

「“レシピ、エント”……!」

 白い十字が、ドフラミンゴの頭上に浮く。

「“ドナー”!」

 赤い十字が、二人のローと、ルフィの頭上に、合わせて三つ。

「ロー!!!」

 悲鳴を聞きつけたのだろう、飛んできたドフラミンゴが、鳥籠の間からローに向かって手を伸ばす。

 その右手を、ローは、「左手で握り返した」。

「は――――!」

「っ、“移植(トランスプラント)”!!!」

 赤い十字が、白くなる。

 白い十字が、赤くなる。

 そして。

「ガッ、ゴ、ア、アガアアァアアア゛ァア!!!」

 ドフラミンゴが血を吐いて、のたうち回って、転落していく。

 やった、成功した。

 疲労が激しくて左腕をついて、何とか上体を起こすのがやっとだ。

 それでも、成功したのだ。

 ローに覚醒めた、もう一人の自分とは違う、オペオペの実の、覚醒技が。

 他人の傷を、痛みを、別の人間に押し付け肩代わりさせる技。

 “移植(トランスプラント)”。

 自分が肩代わりすることしかできなかった矮小な力は、今、ドフラミンゴが負わせた三人分の傷と痛みを、そっくりドフラミンゴに返してやった。

 外装を、「化けの皮」を無視して、直接ダメージを叩き込めたのだ。

 ドフラミンゴが、大理石の床に叩きつけられた。黒いストライプスーツのあちこちが裂けて、ピンクのコートが赤くなる。

 ローは、一矢報いたのだ。

「あ、ロー!!!」

「お前、元に戻ったのか!!!」

「う、俺は、いいから、ドフラミンゴを倒せ! っ、けほ、こいつの“化けの皮”は、硬い! 内部破壊を狙え!!」

 傷が消えた二人がローを見上げる。その顔があんまりにも嬉しそうで、ついローも笑ってしまう。だがまだ戦いは終わってない。掠れた声でむせながら、ローは二人に向かって叫んだ。


「――フッフッフ、可愛い鳥のままでいりゃあ良かったのになあ、愚かなロー」

 

 ――――あ、あ。

 糸が幾重にも織られて編まれ、真っ黒な布となって、ローの体を磔のように、鳥籠の中で雁字搦めにする。

「ロー!! っ、うおっ!」

「テメエ、ドフラミンゴオオォ!!!」

 とっさに叫ぼうとした口も、黒い布で塞がれる。

 がく、がくんと、操り人形のように、ドフラミンゴが立ち上がる。

「んー! んんーー!!!」

「アァ、わるいこだなぁ、ロー。にんげんに戻って、俺に楯突くたァなぁ。

 仕置きだ。“帳”の中で反省しろ」

 “帳”。

(ああ、あ、やだ、やめろ、あれはいやだやだやめてくれいやだやだやだこわいいやだやめてくれやだいやだ)

 あちらの世界に逃げる前、何度も何度もされた“帳”の仕置き。一瞬で恐怖が蘇る。

「ん゛んーっ! んー! ゔー!! ん゛ーーー!!!」

「無駄だ、ロー。お前が一番よぉーく知ってるだろ?」

 ああ、知ってる。知っているから、怖くて仕方ないんだ。

 身をよじって暴れても、ローを縛る布はびくともしない。首を戒める布の締め付けが強くなって、息苦しさに目がくらむ。

 ああ、ダメだった。ローの力は、存在は、やっぱり無意味でしかなかった。

 ローは、自由になれはしない。

 そうしてる内に、鳥籠の上から、黒い布が降りてくる。

 光も音も遮る暗幕。無明を作り出す、ドフラミンゴの“帳”。

(やだ、いやだ、だして)

「やめろドフラミンゴ!!!」

「ロー!!!」

 ルフィの手が、ローに向かって伸びる。

 だが、届く前に、無情にも“帳”は降りた。






 暗い。

 何も見えない、何も聞こえない。

 身動きもできない。

 ギッ、ギッ。

 鳥籠が“帳”に圧されて軋む。

(ああ……やだ……やめてくれ……)

 ギッ、ギッ。

 音を立てて、鳥籠が“帳”に圧し潰されていく。

 中にいるローも、圧し潰されていく。

 ギッ、ギッ。

 広げられた右の羽先に、迫ってきた“帳”が触れて押し付けられる。

(いやだ……やだぁ……)

 ギッ、ギッ。

 動かせない羽先が、圧し潰されていく。

 少しずつ、痛みとともに潰れていく。

 ギッ、ギッ。

(たすけて……とうさま……かあさま……こらさん……)

 ギッ、ギッ。

 鉤爪の先にも“帳”が触れる。

 圧し潰される。

 痛い。

 怖い。

 ギッ、ギッ。

 ギッ、ギッ。

 いやだ。誰か助けて。ここから出して。

 ギッ、ギッ。

 ギッ、ギッ。

 ギッ、ギッ。

 あの日のように、真っ暗な部屋を破壊するように。

 ギッ、ギッ。

 ギッ、ギッ。

 ギッ、ギッ。

 ギッ、ギッ。

 ギッ、ギッ。

 お願い、この暗闇から、出して。

(…………あの、日?)

 ごぽり。

 ぽっかり空いていた、ローの中の違和感の穴。そこから何かが、記憶が、湧き出すようにこみ上げて――――――






「――――X狩場!!!」


 





 “帳”が、黒い戒めが、千々に裂けて、体が自由になる。

 ローの視界に光が飛び込んできた。眩しくて、それでも目を開ければ、黒い両腕が、ローにまっすぐ伸ばされた。

 逆立ったオレンジの髪。青い瞳。目元を覆うマスク。

 包帯とガーゼにまみれた、その男は。

「ドレーク!!!」

「トラファルガー、来い!!!」

 左腕を必死に伸ばす。手を取って、ローを抱きとめたドレークが、鳥籠の残骸を蹴って飛ぶ。

 いつの間にか、壁にぽっかり穴が空いていた。そこに、人獣型に姿を変えたドレークが飛び込む。

 浮遊感、そして落下する。夜空に半月が浮かぶ、忌まわしい古城の外。

 宙に浮かぶ幾つもの巨石の一つに、ドレークがどん、と着地した。砂埃が舞って、着地の衝撃が伝わる。

「っ……ドレーク……ドレーク!!」

 人間の左腕の、鳥の右の翼で、無我夢中でしがみついて、ボロボロと涙を落とす。あの日の見るに堪えないローを優しく包んでくれた、記憶を奪われたローをいつも安心させてくれた、黒いマントが涙を吸う。

「よがっ、よっ、いぎでる、よがっだ、ドレーク……!!!」

「……すまない、トラファルガー。助け出すのに一年もかかってしまって。そのせいで、そんな姿にさせてしまった。

 長い間、辛い思いをさせて本当にすまない」

「いい……ぞんなごど……いい……! あ゛、ありがど、う、あの日、助げでぐれで……!!

 よがっだぁ……生ぎででぐれ、で、よがっだぁ……!!!」

 あの日のように、ドレークがローを抱きとめる。優しく頭を、背を撫でられて、ローの涙は止まらない。

 ずっと、忘れてしまっていた。

 この世界には、ローの自由と幸福を祈って、手を差し伸べてくれる人が、たった一人でもいてくれたことを。

 血まみれで、穴だらけで、ドフラミンゴに殺されそうになっても、ローをあの世界へ逃してくれた。

 オモチャにされても、愚かな鳥に成り果てたローを、助けようとしてくれた。

 この優しい男を、ホビホビの能力のせいとは言え、ずっと忘れていたことが、申し訳なくて、自分が許せなくて。

 生きていてくれたことが、嬉しくて。

「お二人さん、ご無事ですかい」

「ええ、藤虎さん」

「……藤、虎?」

 巨石の一つに佇む、紫の着物に、白い「正義」のコートを着た男。

 ああ、思い出した。海軍大将“藤虎”、イッショウ。彼もそうだ、大将を殺すのはまずいからと、オモチャにされたのだった。

 そうか、シュガーは、再び倒されたのだ。

「よう、無事かトラ男2号。なんだ、ブリ男も一緒か」

「おいロロノア、ブリ男はよせ」

「ロー! ドレーク! ナミさん達とハートの奴らが南西の湖に集まってる所だ! そこまで避難しろ!」

「こちらはワシらに任せておけ! 赤旗は早う行け!」

 ローとドレークを庇うように、麦わらの一味の強者達が並ぶ。

 三本の刀が煌く。黒足は炎を纏い、青い巨躯が水を操る。“移植”のダメージが尾を引いてるのか、粗雑な作りの糸人形を、彼らは事もなく打ち砕く。

「ゾロ屋、黒足屋、海侠まで……!」

「道はあっしが作りやす」

 ゴゴゴ、と宙に浮く巨石たちが一列に並ぶ。城下の森にぽっかり空いた湖まで、藤虎が浮かせた巨石が道を作る。

「これでよろしいでござんしょう、ささ、お早めに」

「藤虎さん、道をありがとうございます!

 行くぞトラファルガー! しっかり捕まっていろ!!」

「うわっ!」

 頭を一つ下げて、ローを抱えたドレークが、再び飛び跳ねた。







「ローさん!!!」

 湖のほとりに着地したドレークが、ローを地面に下ろす。

 間髪入れずに、駆け寄ってきたベポがローに抱きついた。

「わぷっ、ベポ!」

「ローさん、ローさん!! ごめんね、ローさん!!」

 ぎゅむぎゅむとローを抱きしめるベポは、大粒の涙を流していた。

「ごめんなさいローさん! おれ、あの時一緒にいたのに、ローさんを守れなくて、おれの、せいで、ごめん、ごめんねローさん、ごめん、ごめんなさい……!!」

 ああ、そうだ。連れ戻されたあの日、ローの側にはベポがいた。

 一緒に買い物に出て、楽しいね、と笑っていたら、ドフラミンゴに見つかった。

 糸の鞭に吹き飛ばされて、いけない方向に折れ曲がった手足を引きずって、それでも捕まったローを取り戻そうとして、海に放り捨てられたのを、ローはしっかり覚えている。

 鳥もどきの歪な体で、ベポを抱きしめる。

 今は涙でしっとりとして、煤に汚れたふわふわの白い毛皮。慣れ親しんだベポの体は、やわらかくて、大きくて。

「あったけえなあ……」

 ああ、生きてる。

 ベポは死んでない。生きていてくれた。

 ローのせいで、死なないでくれた。

「ベポ、謝らないでくれ。

 お前が生きていてくれただけで俺ァもう十分だ。十分すぎるくらいだ」

「っ……うぅ、でもぉ」

「それに」

 ベポの肩越しに見れば、ずらりと並んだハートのクルー達に、麦わらの一味の六人。

 もう、二度と会えないと思っていた。

 こんな所に、違う世界に、来るはずがないと、信じていた。

 ローの大切な宝物。

 人でなくなっても、それでも、守りたいと思った人達。

「お前達にもう一度会えた。俺なんかの為にここまで来てくれた。俺は、それだけで幸せだ。

 ありがとな、みんな」

「うっ、ローさあぁーん!!」

「ローさーん!!!」

 駆け寄ってきたクルー達が、ベポごとぎゅうぎゅうにローを抱きしめる。

 ああ、とても、あったかい。

「帰ろう、帰りましょうローさん! 俺たちのポーラータング号に!!」

「ローさんの手足、ちゃんと取り戻しましたから! キャプテンが絶対にくっつけてくれますからね!!」

「一緒にたくさん旅しましょう! もう離さないですよ!!」

「おかえりなさい、ローさん!!」

 ぐずぐずに泣きじゃくるクルー達に、ローもポロポロと涙が止まらない。

 こんな醜い姿なのに、人間を捨てた人でなしなのに、側にいてくれて、躊躇いもせず抱きしめてくれて、ああ、幸せすぎて、バチが当たってしまいそうだ。

「ブリ男さん、アナタが言っていた大量のメモ、全て海軍に渡しておきましたよ」

「いやすげえ量だったなあのメモ。海軍も感謝してたぜ。

 オモチャにされたのにあんだけ情報集めたとか、お前すげーよブリ男」

「渡してくれてありがとう。それはそれとしてブリ男はよせ」

「そーだなー。もうブリキのオモチャじゃねーからブリ男じゃねーもんなー」

「じゃあどう呼ぶ?」

「バツ男くん、かしら?」

「おう、改めてよろしくなバツ男。イカした名前じゃねえか」

「いや普通にディエスなり赤旗なりで良いだろう、なんでわざわざ妙なあだ名にするんだ」

 ローやクルー達を見守りながら、ドレークと麦わらの一味がコントのようなやり取りをしている。昔の自分のように、彼らに振り回されるドレークに、つい笑ってしまう。

 帰ってこれた。ローは、帰りたかった場所に、戻れたのだ。



『ローォー?』



 天上から、声が響いた。

 おぞましい、夜叉の声が。

 

 皆が即座に得物を構える。ローを庇うように、ベポがぎゅうと抱きしめる。

『逃さねえ、逃さねえぞ、ロー。俺のかわいい愛玩鳥。お前は俺のものだ。俺無しでは生きられねえ。そうだろう?

 ……違うと言うなら、躾け直しだ。お前はここから出られやしねえよ』

 鳥カゴが、かつて、ドレスローザを切り刻んだ殺戮の檻が、空島を覆っていく。

 その中央に、ゆらり蠢く巨大な影。

「なっなっ、なっ……」

「なによ、あれ……」

 ウソップとナミが、呆然と零す。

 目をいっぱいに見開いて、誰もがそれを見上げていた。

 いったい何百メートルあるのだろうか。巨人族よりは遥かに小さい、けれど大きな人型のそれは、「化けの皮」を着たドフラミンゴの姿をしていた。

 恐怖に、ローの喉が引き攣る。

 赤い舌をチロチロと出して、サングラスに隠された目が、ロー達を、いや、鳥カゴに囚われた全ての命を、虫を見る目で、つまらなそうに見下ろした。

 巨大なドフラミンゴが、嗤う。

『切り刻むのは、ドレスローザでもうやったからなァ。今度は潰してやろうじゃねえか、フッフッフ。

 タイムリミットまで、とくと味わって堪能してくれよ、ロー。

 フッフッフッ、フッフッフッフッフッフッフッフッフッ!!!』

 潰す。

「……まさか」

 ローが呟いた刹那、鳥カゴの天辺から、黒い布が降りてくる。

「そんな……あれはさっきの!」

 愕然と、ドレークが叫ぶ。

 間違いない。あれは、ローを何度も折檻した“帳”だ。

 ドフラミンゴは、空島に“帳”を落とし、全てを圧し潰そうとしているのだ。

「一体何がどうなってんたよ!?」

「なんなんだありゃあ! ドレスローザじゃ見なかったぞ!!」

「なんだあれ、“帳”ってなんだよ!?」

「ねえロビン、ドレスローザで起きたのは鳥カゴだったって、あれは違うもの!?」

「ええ。でも分かるわ。良くない、ろくでもないものよ……!」

「キャプテン……なぁキャプテンは!?」

「なんなんだよ、あの超巨大なドフラミンゴは!?」

 皆が目を見開いて混乱する。

 そんな中、ローの心は絶望に引き裂かれていた。

 ああ、ああ。

 終わりだ。

 あんなおぞましい、狂ったいきもの、勝てるわけがない。

 もう、ダメだ。

(麦わら屋……)

 掻きむしるように、ローは胸元を握った。






 “帳”が落ちて、空島は、世界は、無明の闇に落とされた。

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