ヒトで、なし(中)
ななしのだれかオペをしよう。
俺は改造自在人間だから。
オペをしよう。
大丈夫だ、俺は医者だ。
オペをしよう。
これが最後の俺の愛。
オペをしよう。
宝物を守る為に。
オペをしよう。
最初の手術は、生きる為に。
オペを、しよう。
最後の手術は、生かす為に。
執刀、開始。
「いっそ、あの世界の奴らを殺しておきゃ良かったな」
そう吐き捨てて、ドフラミンゴは部屋から出ていった。ローが聞いていたことに、気付いているのか、いないのか。
痛くて痛くて、息が苦しい。それ以上に心が苦しい。
無理矢理連れ戻された世界は、冷たくて、寒くて、ローとドフラミンゴ以外は誰もいなくて。
あの黄色の潜水艦に帰りたくて泣くローを、ドフラミンゴは何度も嬲った。綺麗に治してもらった肌は、見る影もない程傷に埋め尽くされた。鳥籠の中で枷と鎖と糸に絡め取られたローは、一ミリだって動けない。
こんな日が、もう何日続いているんだろうか。帰りたい。ここにいたくない。出して。そうずっと泣いていたローは、ドフラミンゴの言葉で冷静さを取り戻した。
一人きり、鳥籠の中。
一度頭が落ち着けば、最悪の未来が見えてきた。
ドフラミンゴが使ったヘルメスは、まだ壊れることなく残っている。まだ、幾度かの再使用に耐えられる。
一方で、ローが飛ばされたあの世界のヘルメスは壊れたままだ。あちらの世界の麦わらの一味が発見し、考古学者ニコ・ロビンが封印されていた遺跡を紐解き、船大工フランキーが手探りで修理を始めたばかりだった。
つまり、こちらからあちらへの道はあるが、あちらからこちらへの道はない。
(……ドフラミンゴは、やろうと思えば、あの世界のあいつらを、殺しに行ける)
心臓を握り潰されかけた時よりも、恐怖と痛みが胸を掴んだ。
悪辣なドフラミンゴのことだ。ローが帰りたいと泣き続ければ、ならその帰りたい場所を消してやろう、とあの世界で殺戮を引き起こす。それをするだろうと裏付けするだけの信頼を、ドフラミンゴは実績として多く積み重ねすぎていた。
麦わらの一味。
ドレスローザ。
ハートの海賊団。
ローの世話を担当していた使用人達。
ドンキホーテファミリーの最高幹部達。
振り返れば、ローの後ろには数え切れないほどの、ローのせいでドフラミンゴに殺された者達の血と骸が広がっている。その中にあの世界の彼らが加わる可能性を、どうして見落とし続けていたのだろうか。
この世界の人間に飽き足らず、ローが少しでも心を傾けるなら、別世界の人間だろうと皆殺しにする。あの男はそういう男だ。それをローは、嫌になるほど知っていた。
(まもらなきゃ)
湧いた感情は、ごく当たり前のものだった。
(守らなきゃ。ドフラミンゴから。もう、誰も、あいつに殺させはしねえ。何を犠牲にしてでも、今度こそ、俺が、守るんだ……)
夢を見ているような、ひとときだった。
世界の異物でしかない、何も成せなかった、全てを死なせてしまったローに、あまりにも優しい世界だった。
もう二度と会えないはずの、違うけれど同じ、大切な人達。
差し伸べられた手のあたたかさに、ローは報いたかった。いや、報いなければならなかった。
なら、何をすればいい。
簡単だ、ドフラミンゴの目が、永遠にローに釘付けになっていればいい。よそ見なんてさせない、ローだけを見ていれば、あの世界を気にすることなんてない。
(……オペが、必要だ)
今の自分では、ドフラミンゴに見続けられればすぐに壊れてしまう。
なら、壊れない自分に、改造してしまえばいい。
俺はオペオペの実の能力者。改造自在人間。ドフラミンゴの為の俺に、改造し調整してしまえばいい。
例えそれが、人間として、トラファルガー・ローという個としての終わりであろうとも構わない。
差し伸べられる手など一つもない、ローがローであることになんの意味もないこの世界で、これ以上ローがトラファルガー・ローのままである意味なんて、これっぽっちもないのだから。
最初のオペが、自分が生き残る為に、自分に施したものならば。
最後のオペは、大切な人達を生かす為、自分に施すものにする。
鳥になろうと、決めた。
ドフラミンゴはローを鳥籠に幽閉する。なら、鳥籠に相応しい鳥になればいい。
やり方は知っている。昔、モネにやったから。手を翼に、足も鳥に。
たった一人、ドフラミンゴの為だけの愛玩鳥になろう。
その為には、改造が必要だ。
体の改造、その前に。
先にやるべきことをやろう。
真っ白なシーツが敷かれた手術台の上に、真っ黒なハートが一つ置かれている。
ローの左胸から取り出した、ローのこころ。ローのハート。
左手に握ったメスで、黒いハートを切開した。
ぶしゃあ。
吹き出した鮮血が、ローの顔に、手に、体にかかる。白いシーツが真っ赤に染まる。
あああああ!!!
いたい!!! いたい!!!
やめろ、やめて!!!
おれのこころをさかないで!!!
黒いハートが絶叫する。何度も聞いた、自分の声。泣き叫んで乞うそれを無視して、ハートの中身を切除する。
最初に摘出するのは、白いハート。二度とは帰れない故郷の記憶。とおいとおいフレバンス。
このこころを抱えたままでは、ドフラミンゴのためのローになれないから。
だから、最初に摘出した。
親指と人差し指でつまめるくらい、小さな小さな白いハート。ぶちぶちと筋繊維も神経も千切って、ローはこころを摘出した。
白い町の少年としての、こころを。
やだやだやだ、やめて、かえして!!!
おれの故郷をとらないで!!!
いやだ、やだよぉ!!
とうさまぁ!! かあさまぁ!! ラミ!! シスター!!
かえして……おねがい、かえして……!
泣き叫ぶ声は、十歳のローの声だ。
その声に、ローはピシャリと言い聞かせた。
「だめだ、もう、遅い」
摘出した白いハートを、トレーに置く。
カタン、と冷たい音が響く。
白いハートは、珀鉛に似ていた。
次のハートは、真っ赤なハート。
大好きだったあの人が、俺に食べさせたオペオペの実のよう。
たった半年分のハートは、指先に乗るくらい小さくて、軽くて。
でも、きらきら輝いている。
ああああああああああ!!!
つれてかないで!! コラさんを返せ!!
やだ、いやだ、やめろ、やめて!!
コラさんをつれていかないで!!!
おねがいだから、コラさんをかえして!!
十三歳のローが叫ぶ。
大好きだった、いいや、今でも大好きな、コラさんとの思い出。雪に消えた大切な日々。
でも、駄目だ。
コラさんがローの原動力だった。あの人の本懐を果たしたいから、ローはドフラミンゴと戦った。
だからこそ、このハートを、残しておくことはできない。だって、ドフラミンゴだけのローになれないから。
ぽた、ぽたり。
ローの左胸の、くり抜いた穴から、血がしたたり落ちた。
それはローの胸の穴から流れた血か、黒いハートの返り血か、どちらなのかは分からない。
白いハートと赤いハート。
それより大きな、黄色のハートを摘出する。
小さな手のような筋繊維が、神経が、離すまいと黄色のハートに纏わりつく。
それをメスで、一つ一つ切り落とす。
いくな、いかないでくれ。
俺の仲間達をとらないでくれ。
大好きなんだ、忘れたくないんだ。
やめてくれ……かえしてくれ……
嘆く声は、二十六歳のロー。
もう叫ぶ気力もない、力のない弱い声。
そんな弱くて無力だから、誰も守れなかったんだ。
十三年分のきらめく思い出は、最後に赤と黒で真っ暗になる。
ごめんな、みんな。
俺のせいで、お前らを地獄に落とした。
こんなキャプテンで、ごめんな。
きっと、出会わなければ良かったんだ。
仲間を作らなきゃ良かった。
怖かったよな。辛かったよな。苦しかったよな。痛かったよな。
俺の仲間にして、ごめんな。
もし、もし、生まれ変わりがあるのなら。
次は絶対出会わないから。
どうか、俺のいない所で、みんな幸せになってくれ。
黒いハートが、嘆きの血を流す。
黄色のハートに口付けて、ローはゆっくりトレーに置いた。
紅と紫の熱いハート。
虹色に輝く太陽みたいなハート。
透明で薄くて軽いハート。
ローのせいで、死なせてしまった人々。ほとんどは名前も知らない、けれど、ローのせいでドフラミンゴに殺されてしまった人達の、短くも重い、思い出のハート。
お前のせいだ、と怨嗟の声があった。
共に戦おうと、励ましの声があった。
感情を押し殺した、震える手があった。
労るように差し伸べられた手もあった。
全部、全部が、ローのせいで切り刻まれて殺されてしまった。
ごめんなさい。
俺のせいで、死んでしまった罪のない人達。
ごめんなさい、ごめんなさい。
どうか、俺を許さないで。
二十六歳と二十七歳のローが泣く。
ことんと、三つのハートをトレーに置いた。
胸の穴から、もう血は出ない。
淡いピンクのハート。
思い出すのは、ローの眼の前で粛清された、ドンキホーテファミリーの最高幹部達。
敵だった。でも、かつては居場所だった。
彼らがローを殺そうとしたのも当然だ。ローを囚えて鳥籠で飼い殺しにするようになってから、ドフラミンゴは狂っていった。
ドフィを、若を、元に戻すために。
留守を狙った彼らに、ローは珀鉛を大量に接種させられた。
珀鉛の溶けた水を無理矢理飲まされた。
静脈注射で、点滴で投与された。
声を封じる口枷も珀鉛でできていた。
もう一度あの病を患う恐怖は、暴力と強制的な投与の前に無力だった。
そうして血を吐き肌を白くしたローを見て、コートでローを包んだドフラミンゴは、ローの眼の前で彼らを粛清した。
『ああ、怖かったろう、可哀想なロー。ほうら、お前をいじめる悪い奴らは、みぃんな殺してやるからな』
糸に操られる、最高幹部達。
ある者は自らの剣で体を解体させられ。
ある者達は殺し合い。
ある者は珀鉛のオーバードーズ。
敵だった、かつては居場所だった彼ら。
あんな死に方をさせられて、それでも自業自得だと、せせら笑うことのできるローなら、苦しむことは無かっただろう。
ディアマンテ。
トレーボル。
ピーカ。
ラオG。
ジョーラ。
マッハ・バイス。
……すまなかった。
二十七歳の、ローが嘆く。
黒いハートから、血が落ちた。
最後に摘出したのは、黄色のハートと、虹色に輝く太陽みたいなハート。
先に摘出したものよりも、小さな小さな、もう一つのハート達。
たった、三ヶ月の幸福だった。
それでも今、ローの最後の原動力だ。
泣き出すくらい、幸せだった。
そのあたたかさに救われた。
違う世界の、やさしい人達。
ローに残った宝物。
ありがとう、たすけてくれて。
こんどはおれが、おまえたちをまもるから。
二十八歳のローの声は、静かな決意に満ちていた。
手術台に残った黒いハートは、もう中身が空っぽで、とても小さくなっていた。その形を整える。
モデルは、いつか幼子に戻った時の自分。弱くて、無知で、愚かで、誰かがいなければ生きられない、はかないいきもの。
そういう風になるように、鳥らしい形になるように、黒いハートを整えて、自分の穴に戻してやる。
くるしくない。
かなしくない。
こわくなんか、ない。
とてもかるくて、いまならなんだってできるようなきぶん。
ああ、すてき。
これでもう、ドフィだけの、ローになれる。
おれはもう、にんげんじゃない。
ドフィだけの、とりになる。
取り出したハートを、小さな空の宝箱に入れる。きらきら光る、にんげんだった証。もう、とりにはいらないもの。
まだ蓋はしない。
もう一つ、いれなきゃいけないものがあるから。
それを入れたら、蓋を閉じて。
本当に、本当に、トラファルガー・ローというにんげんは、終わるのだ。
さあ、終わる時がきたぞ。
「ああっ、あ、ぐ、ああああ゛っ!!!」
ごとん。
左腕が、最後に落ちて。ローの体はにんげんからとりになった。
両手、両脚、とりになった。
いたい。いたい。からだがいたい。
でも、こころは、いたくない。
だって、にんげんのこころは切り離したから。
足を動かして、海楼石の枷を嵌める。先に右、次いで左。
荒い息を、整えたら、体をずりずり這わせて、ドフィのとこまでいく。
小さな宝箱。
その中で、きらきら光る小さなハート。ローのにんげんのこころ。
その一番上に、ローは最後の宝物を置いた。
真っ赤なハートの、オペオペの実。
体を改造する為に、最後まで必要だった医術の象徴。
もう、とりにはいらないから。
左の翼で、宝箱を閉じた。
内側から開かないように、体を乗せて重しにする。
だして。
だしてよ。
たすけて、だして。
とうさま、かあさま、こらさん。
こわいよ、やだよお。
ここからだして。
ここは、いやだよ。
宝箱の中から声がする。
にんげんのローが、だして、って言ってる。
「だめだよ、ロー。ここから出たらみんなしんじゃう。
ローはみんながしんでもいいの?」
そう言えば、にんげんのローは口を閉ざした。
代わりに聞こえる、すすりなき。
ほんとうはわかってるくせに。
これでよかったんだ、って。
もうおれは、ここまでだから。
どこにもいけないおれの、ローの、にんげんとしての最後のたたかい。
ああ、これでよかったんだ。
これでみんなを、まもれるから。
だからドフィ、おれだけみててね。
よそみなんてしないでね。
ドフィのためのおれになったから。
ほかのだれも、みないで、ねえ。
ひとりのとりが、自分を抱きしめるおおきな悪魔に、心のなかでそう願った。