パラレルワールド
一二一開いた扉から光が差し込んでくる。
ローがいる部屋は暗いため中からでは扉を開けた人物は逆光になってよくわからなかった。
だが、それが誰だろうと今の状況はマズイ。
これが夢じゃないのならローは不法侵入をしてしまった事になる。逃げなければ、と未だ回らない頭でローが考えた時だった。
「どうすか、キャプテン」
「あァ……どうやら当たりらしい」
「………暗いから灯り付けますね」
声が、響いた。
知った声だった。先程、目の前から逃げた相手であるペンギン。そして二人目の声は、聞き覚えはなかったがわかる。クルーにキャプテンと呼ばれる存在はたった一人だ。
つまり、あの声の主は────。
「よォ」
コツコツと近付いてくる音に何もできないまま、その人物はローの目の前に来ていた。
明るくなった視界の中ゆっくりと顔を上にあげれば、やはり予想通りの顔があった。
ハートの海賊団船長トラファルガー・ロー。帽子も、髪も、表情も変わらず五体満足のその容貌。かつての自分と全く同じ姿をした男がそこには立っていた。
「一応、聞いておく。……名前は?」
「………………トラファルガー・D・ワーテル・ロー」
ローは絞り出すように己の名前を口にする。
こちらを見る“ロー”の表情は険しい。眉間には深い皺が刻まれ、何かを堪えるような顔をしている。突然同じ顔の人間が現れたのだから警戒しているのだろうとローは思った。
「隠し名と忌み名まで同じか……お前は、おれなんだな。おそらく……違う世界の」
自らの右腕を左腕で摩りながら、その目はとうの昔に切り落とされたローの右腕を見ていた。
「その腕、は……ドレスローザでか?」
小さく頷く。息を呑む声が聞こえた。
一度は小人族の能力者によって繋がったローの右腕。だがそれは、同盟相手だった麦わらのルフィが負けたその時に再び切断されてしまった。血も流れ始めていたのに。せっかく繋げてくれたのに。再び失って、二度と戻ってこなかった。
「おれが………おれのせいで、負けた。たくさんの奴らを、利用して…巻き込んで!! それなのに、アイツに勝てなかったッ…!」
慟哭するように、あの時言えなかった言葉が溢れ出す。一度口に出したらもう止まらなかった。
「麦わら屋は……」
「──ッ!!麦わ、ら屋は………覇気が、戻る前に……時間切れで…殺された……。おれは見てることしか、出来なかった。見ていること、しか……!」
左手で顔を覆う。ローは全てを見ていた。
ドフラミンゴに強制的に見せられた。麦わら帽子を被った同盟相手が死ぬところを、彼の仲間とコロシアムにいた強者達がひとりひとり殺されていくのを。片脚の剣闘士が娘の前で倒れ伏すのを。
ドレスローザの国民達が死にたくないと叫びながらこんな状況に追いやった全てを憎みながら鳥カゴに刻まれていく光景を、全て。
ローは殺されなかった。同盟相手の彼が負けたのだから、共に殺されるべきだったのに。気を失って、気付けば鳥カゴの被害を受けなかった地下に拘束されていた。
生命維持に必要な治療を無理矢理されて、再び海楼石の枷で戒められる。失った右腕は酷く痛み、ただでさえ海楼石の枷のせいで身体に力も入らないというのにドフラミンゴはローを自身の能力で作り出した狭い鳥籠に閉じ込めたのだ。
「最初の、数日間は何も、なかった。ただ……ずっと放置されて、奴も来なくて…。しばらくして、上機嫌なドフラミンゴが…戻ってきた……。沢山の、荷物を抱えて。その時にようやく、おれはビブルカードが盗まれてることに気付いた」
「………ビブル、カード?」
その単語を聞いて、すぐさまどういう事なのか思い至ったのだろう。“ロー”の顔から血の気が引いていき、背後で話を聞いていた自らのクルーを振り返った。突如振り向いてきた船長の姿をベポ達は涙を浮かべた目で不思議そうに見ている。
「ウゥ…キャプテン……? ど、どうしたの……キャプテン?」
「ゾウが………見つかったのか」
「……………そう、だ」
ヒュッという誰かの引き攣った声が聞こえる。
そう、安全だと思っていた場所は安全ではなかった。守りたかったクルー達は、全員ドフラミンゴによって殺された。先に着いていた麦わらの一味も壊滅し、彼らの船と共にポーラータング号は沈められた。
「その事を、おれは…血に染まった沢山のツナギや帽子…ベポからッ剥がした…毛皮を見せられて、教えられた。音貝で録音された…あいつらの断末魔や、おれにたす…助けを、求める声だって……聞かせられて………!」
ローは当時のことを思い出しながら、思わず肩を震わせしゃくり上げていた。ボロボロと零れ落ちてくる涙を止められない。
音声を聞いた瞬間、今すぐにでも助けに行きたかった。だけどもうそれは終わった事で、既に守りたかったクルー達はこの世にはいない。囚われたローには出来ることは何一つなかった。仲間も、船も、目的も。ローが13年で得たものは、全てなくなってしまった。
「何度も殺そうと、思った。死のうと……思った」
「───ッ!!」
「でも殺せなくて…死にたくても、死ねなかった……あの男が、死なせて…くれなかった。ふふ…傑作、だろう?おれが弱ェから……弱かったから、死に方すら選べないんだ………」
殺そうと思っても枷を嵌められ右腕を失い、武器も取り上げられたローではドフラミンゴに敵うわけもなく。隙を見て死のうと思ってもすぐに見つかって治るまで見張られた。
それから暴力が日常となった。あの人を思って入れたタトゥーと誇りだった背中のジョリーロジャーは奴のシンボルのように斜めの傷を何度も入れられた。治るたびに何度も何度も切り裂かれて。少しの衝撃で血が滲み、今も治っていない。
「もうずっと……ずっと、寒くて…逃げたかった。もう終わりにしたかった。そしたら………ここに、来てて。は、はは……! こんな、不快でしかない……話を聞かせて、わるかった………すぐに、消える、からッ……」
ゆっくりと、荷物を支えに立ちあがろうとする。アキレス腱を傷付けられた脚はガクガクと震えて、中々思い通りにはいかなかった。普通に立つことすら、今のローには苦痛でしかない。
ドフラミンゴによって、ローは全て壊された。失った。反抗心も、自尊心も、プライドも、限界まで擦り潰された。もうかつての”トラファルガー・ロー“とは何もかも変わってしまった自覚がある。そんな姿を、これ以上晒すのは忍びなかった。ただでさえローはいきなり船に現れた侵入者でしかないのに、こんな話を聞かされるなんて迷惑だったに違いない。
この時のローは世界を渡ることが出来る装置『ヘルメス』のことを朧げに思い出していた。それを使ってこの世界に来たことも、目の前の彼らが別世界の同一人物だというのも話をしている最中にだが気付いていた。だからこそ、ここにいてはいけないと思ったのだ。
それなのに──────。
「ギャブデン゛ン゛!!!」
「ウ゛ッ!!………………ベ、ベポ……?」
気付けばローの体はベポの巨体に抱き締められていた。ボロボロと涙を流して、優しく包まれている。
「不快なわけないだろなんでそんな風に言うんだよ!?」
「消えるなんて言わないでここにいてくれよローさん!!!」
「ペンギン……シャチ………」
ペンギンとシャチも目を泣き腫らしながら叫んでいた。ローは三人がどうしてこんなにも泣いてくれるのかわからなかった。
「おれは、違う世界の人間…なんだぞ……? お前らのキャプテンでも、ない……ただの異物で、」
「違う世界とかよくわかんねェけどローさんに変わりはねェだろ!ここで生きてるだろ!?」
「さっきの話聞いて、おれ達がそんな怪我のローさんを放り出すとか出来るわけねェって気付けよ!!!」
しまいには、まるで崩れ落ちるかのように二人は床にしゃがみ込んで顔を覆ってしまった。そんな姿を信じられない様子でローは見ていた。ペンギンとシャチがこんな風になるのを初めて見たのだ。
どうすればいいか分からなくて、ローはずっと黙ったままであるもう一人の”ロー“を見た。彼はただ静かに四人の様子を見ていた。口を真一文字に結び、何かに耐えるようにただ静かに。ローの視線に気付いて、口を開く。
「……不思議そうなツラだな」
「………………」
「お前は……おれにも、あり得たかもしれない可能性だ。………黙って治療を受けろ、拒否権はねェ」
そう言って“ロー”は歩き出す。しゃがみ込むペンギンとシャチに向かって何事か呟くと、部屋から出て行ってしまった。泣いているベポに抱き締められながら、ローは強張っていた身体の力を抜いた。こんな風に優しく誰かに触れられるのは一体いつぶりだろう。
「………………あったけェなあ」
ずっと寒かった。寒くて寒くて、心まで凍って砕けてしまいそうで。だけど今はもう寒くはなかった。