バーボンセイアはお茶会の夢を見るか?
色彩。
本質を歪める理解不能な光。
ゲマトリアの黒服ですらその存在を忌避し、接触すれば即ち死を意味する概念。
キヴォトスは一度、色彩によって滅びが約束されていたが……2人の「先生」の奮闘によってそれは退けられた。
そして、今から語る話の主役、百合園セイアもまた、色彩の被害者になりかけた生徒の一人である。
「?……夢か……」
トリニティのサンクトゥス派が有する寮の一室。
豪奢ではないが一目で高級品だと分かる白いベッドの上で、セイアは目を覚ます。
「……百鬼夜行の預言者との邂逅以来、私の予知夢は失われたはず……それでも妙にリアルな夢を見るのは直感によるものかな」
ベッドサイドの時計に目をやる。
短針は2と3の中間あたりを指しており、白い文字盤が月明りを反射していた。
「……慌ただしい日が続いていたから変な夢を見たのかな」
そう呟いて再び布団に横たわる。
セイアの意識は再び深い眠りに沈んでいった。
夢というのは、いわば現実と非現実の狭間。実在も不在も確定しない空間。逆にいえば、どのようなあり得ざる事象も実現しうる場所である。
大抵の人は、そんなあやふやな世界を認識できず、目覚めたときにはただ「夢を見た」程度に思うだけだが、百合園セイアはそうではない。何故なら彼女の本質と深く結びついているからである。
夢の世界でゲマトリアと接触したり、キヴォトスの「外」に踏み出しかけたり、「黄昏」に迷い込んだり──とにかく、彼女は夢を通じて別の次元に接触できる。それはいつどのような次元においても、彼女が「百合園セイア」である限り、変わらない事実である。
セイアは夢を見ていた。
夢──というにはあまりにも不明瞭であったが、しかし彼女には「夢を見ている」という自覚があった。いわゆる明晰夢というやつだ。
無限に広がる闇。視点を変えても自分の身体すら見えないほど濃い闇の中。
「夢にしては殺風景というか……夢と呼べるのかも怪しい景色だ。初めての経験だよ」
方向の概念すら怪しい状態で周囲を見回していると、セイアはその中に1つ、僅かに光る点を見つけた。
「夢の世界で迂闊に動くべきではないが……ここは余りにも情報が不足しすぎている。ここはひとつ、あの光を目指してみようじゃないか」
今にも見失いそうなほどだったその光は、近づくと輝きを増し、最終的に扉ほどの大きさの板になった。
「ここがこの夢の出口か否かは現状確かめる術はないが……他に出来ることもないんだ。偶にはミカのように危険を冒してみるのも悪くない、か……」
セイアは光に飛び込んだ。
「いらっしゃい。ようこそ、バーボンセイアへ。このドリンクはサービスだから、まずはこれを飲んで落ち着いて欲しい」
光の向こうは、落ち着いた雰囲気の酒場だった。
そして、カウンターの向こうで出迎えてくれたのは、誰あろうセイア自身で。
「私が……?」
「うん、『私』なんだ。すまない。でも、闇の中でここの光を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない『希望』みたいなものを感じてくれたと思う」
「いや、別にそんなことは思っていないが……」
同じ姿形の者がカウンター席を隔てて2人存在する、奇妙な光景。
しかし、客として訪れた方のセイアは何故か驚くことなく受け入れることができていた。
「店主らしき私……さっきは『バーボンセイア』と名乗っていたようだが……君は一体……」
「ああ、その名前で合っているよ。そうだね、どこから話したものか……」
バーボンセイアは暫し逡巡したあと、訥々と話し始めた。
──まず、私は平行世界の百合園セイアだ。
私の世界と君の世界が分岐したのは恐らく夢の世界でベアトリーチェと遭遇したときだ。あの時点で私は夢に捕らえられ、そのままキヴォトスの「外」から色彩を呼び寄せる誘蛾灯のような役割を果たし──
──反転、したんだ。
君も私ならきっと百鬼夜行の大預言者から聞いたのだろう。色彩に接触した者を救う術はない、と。一方で、本質を手放せば助かる、とも。
私はそこで助かる道を選ばなかった。あの頃はティーパーティの皆に対する後悔でいっぱいで、悲観的になりすぎていた。その結果、自らの身を滅ぼすと分かりつつ、成り行きに任せて自分の存在を消してしまおうとした。
その結果が私なんだ。この「バーボンセイア」という名前もその時に。
私の本質は要するに「夢を通じた他時間軸との接触」──つまり、非実在と実在の間を行き来する力。永遠の微睡みの中で、存在しないものを幻視する……そんな「酔っ払った」ような力を、私の瞳の色と同じ、黄金色の酒に準えたわけだね。
しかし、私の身体は弱く、肉体は色彩のもたらす捻れに耐えられなかった。一方で私の精神は夢という別次元に存在することができる。
……私も、心のどこかでまたミカやナギサと茶会がしたかったのかな。とにかく、私の肉体は滅び、夢の世界で私は存在し続けた。まったく変な話だ。自分を消そうとして選んだ反転の道の果てが、夢の世界に永遠に存在することだなんて。
その結果が今このバーを象った空間だ。私はこの空間を通じてあらゆる人の夢に介入し、色彩のもたらした力で夢越しになら別の次元にも行ける。そうして私は「そっちの世界」の私を見つけ、客として呼び寄せた。
お分かりいただけたかな?
「随分のスケールの大きな話だが……私が私に嘘をついて得があるとも思えないね。して、君の目的はなんだい?ただ話し相手が欲しかった、なんて言うんじゃないだろう?」
バーボンセイアは口角を僅かに上げた。
「ああ、やはり私は予知夢を失っても直感は残っているみたいだね……そう、私はね、もう一度ミカとナギサに会いたい。うちの分派の部下たちに会いたい。そして……先生に、謝りたい……」
不敵な笑みを浮かべたかと思うと、バーボンセイアの顔が一瞬にして曇る。
「私のいた世界にはもう戻る術がない。だって肉体がないのだから。そして、私は先生にキヴォトスの終焉を伝えられず、私の世界は崩壊してしまった。ああ、君の世界と私の世界は違うことは分かっている!だが、それでも、あの終焉を乗り越えた君の世界の先生に、一言感謝を伝えたい!ただ、それだけなんだ!!」
堰を切ったような感情の吐露。
それが落ち着くと、バーボンセイアはひと呼吸置いてから顔を上げた。
「どうか、君の身体を1日だけ貸してくれないか」
その金色の目は涙で潤んでいた。
朝、目覚ましの音で目を覚ます。
久しぶりに感じる「本物の」布団の感触。朝のひやりとした空気。どこかから漂うパンの焼ける香り。
「……ありがとう、百合園セイア。今日は少し身体を貸してもらうよ」
(「自分」にあそこまで真摯に頼まれて断れる人間はいないよ……憂いを晴らしておいで、バーボンセイア)
脳内から別の声が響く。
トリニティの見慣れた街並みが今はとても懐かしい。
いつもティーパーティが開かれていたバルコニー。
セイアはそこでせっせとお茶会の用意をする。サンクトゥス派の部下が手伝うと言っているが、今日は自分でやりたいと優しく断る。
「やっほーセイアちゃん☆ちょっと早かったかな?珍しいね、セイアちゃんがただのお茶会を主催するなんて!なんか悪いものでも食べちゃったとか?」
「……ミカさん。久しぶりにこうして3人揃ったのですからもう少し発言には気を付けていただいて……」
「いや、いいよ、ナギサ。今の私はミカが能天気にお喋りしてくれるだけでも嬉しいんだ」
「……?やっぱセイアちゃんちょっと変だよ?大丈夫?救護騎士団行く?」
「はぁ……」
そんな具合に、お茶会の準備は談笑している間に終わり、3人は席についた。
そしてセイアは、このお茶会のホストとして、開始の挨拶をした。
「ようこそ、バーボ……コホン、百合園セイアのお茶会へ。この紅茶はサービスだから、まずは飲んで落ち着いてほしい」