バギーx夢主(3話)
ならず者たちが屯するようになり、カライ・バリ島の治安は悪化の一途をたど……らなかった。
彼らがこの島を占拠してから二カ月ほど。島の雰囲気は驚くほど良好だった、寧ろ人手が増えて以前より活気づいている風にすら思える。
学も教養も無いように思えた海賊たちは、存外島民との共存がどれほど重要かと言うことを知っているらしく、必要以上に刺激しなければ争いに発展することもない。また、彼らは一般的な海賊とはまた違う雰囲気を持っていた。
元が囚人というからイゾラも身構えていたが、人々の罪状は様々だった。情報伝達に秀ですぎたあまり機密文書を手に入れてしまい投獄された者、本を作る業務に携わっていたら国に反逆者の汚名を着せられ逃げるように海に出て捕まった者、非加盟国であるにも関わらず事業を拡大し過ぎて目をつけられた者、他にも「ただ海賊だったから」以外の理由で囚人となっていた者は大勢いた。
彼らは一様にバギーを神か何かのように崇めていた。バギーがいかに素晴らしいかと言う自慢話を聞かされるという難点はあるものの彼らは良く働いた。各島との折衝に始まり市民との交流、新しい事業の提案など、今までイゾラが一人でやっていたことをより高レベルで彼らはこなし続けた。
「女将さん! 唐揚げ持ち帰り三つ!」
「はい、ただいまー!」
結果としてイゾラは本業である大衆食堂の経営に集中することが出来るようになった。
元々は父の経営していた酒場だった場所だが、イゾラが経営を引き継ぐときに大衆食堂へと店を変えた。店を継いだ時は島内でご飯を食べられる場所は壊滅しており、まともな飯を提供できる場所がここしか残っていなかったからだ。
カライ・バリ島に居る海賊たちは今が稼ぎ時なのか一所にとどまってご飯を食べる余裕もない。唐揚げを揚げるだけ揚げてパックに詰め、店頭で手渡した。
「助かるよ女将さん、まだおれ達のことを遠巻きに見てる人が多いから飯を食うのも一苦労だからさ。さすがバギー船長の幼馴染、肝が据わってるね」
「……あんたはキャプテン・バギーって言わないんだね」
「おれは昔からの古参だから……まァ新しい奴らのほうが強いし近いうちにそっちに合わせるつもりだよ。おれはカバジさんやモージさんみたくなれないし」
「そう。……ご飯を食べられる場所が少ないって言うのは問題だね、あたしの方でも動いてみるよ」
「本当か!?」
「ああ、周りの島の連中もあんた達の働きには感謝してるはずさ。それなのに飯ひとつ寄越さないのは不義理だろう」
「助かるぜ! ……あ、そうだ。あのさ、女将」
「なんだい?」
「……あー、いや、良いや。気にしないでくれ! じゃ、楽しみにしてる!」
バギー海賊団の古参という男は笑顔で唐揚げの入った袋を片手に笑顔を見せると早口にそう言って逃げるように去っていった。組織の大部分を占める元囚人という奴らとは雰囲気が違う気がする。
昼時のピークを過ぎて店の中に戻る。電伝虫を取り出し、近くの島で飲食店を経営している夫婦の番号を確認していた時だった。
「随分と”姐さん”って雰囲気が板についいてるもんだな」
後ろから聞こえてきた声に驚いて振り向くと、そこには相変わらず目立つ帽子を被った男が勝手に客用のコップを使って座っていた。冷蔵庫を開ければ飲料用の水が減っており、舌打ちをする。
「ちょっと! そんな盗人みたいなことしないでよ!」
「うるせェ。こちとら囚人どもを撒いて来て喉が渇いて仕方ねェんだ、少しは休ませろ」
「そんなのあたしの知ったことじゃないでしょ」
「おめェの店の事情もおれ様の知ったことじゃねェなァ」
「っ……ああいえばこう言う」
水を飲みほしたバギーは「なんか食うもんねェか?」と言って来た。一瞬無視しようかとも思ったが腹が減っているという客……それも一応は島を支配している大海賊の意見を無視するわけにはいかない。
「唐揚げ定食でいい?」
「おー、おやっさん直伝のか。頼むぜ」
唐揚げ定食はこの店の看板商品だ。午後の分にとっておいた下味のついた若鶏の肉を取り出し、衣をつけて揚げていく。
バギーは、この島に来てから時折こうして店に来る。それも決まって、人目を忍んで。
しょっちゅう、髪型で『3』を描いたMr.3がここにバギーが来ていないか確認をしに来るくらいだ。そして大体、そういう時彼はここに居る。理由は分からない、久しぶりに再会したとき怒りのまま武器を向けたせいで囚人たちから不信の目で見られているイゾラを心配したと思った時もあった。
実際彼が人目を忍びながらも通ってくれているおかげで元囚人たちからも最近は歓迎されるようになった。バギー海賊団に元々所属していた船員たちは、バギーに武器を向けたと聞いたとき大笑いしていたので温度差があるようだ。
きつね色に揚げあがった唐揚げから余分な油を取り、キャベツとレモンを合わせる。奇麗な出来栄えに胸を張り、箸をもって行儀悪く待つバギーの前に置いてやる。
「はい。ホットドッグじゃなくて悪いね」
「覚えてんのかよ、おれの好物」
「あんだけ毎日ここにないのかって騒がれてたらね、覚えてない方がおかしいでしょ」
思い返すのは三十年近い昔の話。
バギーもイゾラもあの頃は小さくて、今よりももっと我儘だった。バギーは特に我儘坊主で島に来るたびに「ホットドッグが食べたい」と言っていたのを覚えている。
「パパが仕方なく一回だけ作ってくれたら、あんた涙流すほど大喜びしたんだよね」
「そうだったか? 忘れちまったぜ」
「都合のいいことばっかり忘れる。それ食べたら仕事戻りなよ、またスリーさんが探しに来るよ」
「あいつの話長いし難しいからわからねェんだよな……」
あの頃に戻ったわけではないのに、あの頃のバギーはもういないのに、話しているとそれを忘れてしまいそうになる。
相手は海賊で、七武海で、この島の支配者だ。
けれど。
ちらりと横目で見たけだるげな顔のバギーは昔副船長に怒られて不機嫌そうにしていた時と同じ顔をしていて。不意に胸がきゅうと締め付けられる。
「……そういやよ、お前、覚えてるか?」
「え?」
「この島を出る時、おれのお宝を守ってくれるって言ってただろ」
急に、頭が沸騰しそうになった。
かァ、と脳に血が昇り顔全体が真っ赤になっていく。思わず首元を掴んでしまう。だがバギーはその動作に気付くことなく完食した皿に箸をおいてイゾラの表情一つ逃さないように注意深く見ていた。
「お、覚えて、ない」
「その様子で覚えてねェってことはないだろ、やっぱりどっか隠して世界政府から匿ってくれてたんじゃねェのか?」
「……知らない、な、無くしちゃったから」
「はァ!? あ~オイ、マジかよォ~、まあここら辺嵐とか頻繁に来るし無くなっててもおかしくないと思ってたけどよ~」
露骨に残念がるバギーを見て胸が痛む。だが、本当のことを言うわけにもいかず目を伏せた。
「は~、ま、この辺りは海流のせいで手つかずになってる資源も豊富だし、経営さえ波に乗ればどうにかなるか……」
「ご、ごめん」
「あー、いい、いい。そんな昔の、しかもガキの約束期待してたおれ様の方がおかしい」
言い捨てられて、また胸が痛む。今度は差し込むようなずきりとした痛みだった。けれどやはり口は閉ざしたままで、開くことすらできない。
イゾラが申し訳なさに口を開けていないのだと勘違いしたのか、バギーは居心地悪そうにすると定食代金だけを机に置いて「仕事に戻らァ」と体をばらけさせて小さな小窓から出ていった。なるほどああして入ってくれば見つからないわけだ。
バギーが出ていった室内でイゾラはずるずると机に凭れ掛かり、そのまま座り込む。そしてシャツの襟もとに手を入れ、首にかかったネックレスを取り出した。
細くて上品なチェーンは母の形見の品だ。これくらいしかまともな物がなかった。
ペンダントトップになっているのは指輪だ。大粒のダイヤがついているように見えるが、実際それはただのイミテーションだ。子供のおもちゃのようなそれを大切に握りしめてイゾラは真っ赤になった頭を落ち着かせるように俯いた。
『お前は本当に目利きがなってねェな、これやるから偽物ってのがなんなのかしっかり見極められるようになれよ!』
日差しに照り付けられながら、意地悪な笑顔で渡されたそれに思い出と今が重なる。
『バギーが帰ってくるまで! バギーのお宝はあたしが守るから!』
「……覚えてるよ、無くしてないよ」
誰に言うわけでもなく呟く。
三十年以上も前に憎しみで封をしたはずの感情が溢れそうになる。もし覚えていると言ったら、彼はどんな顔をしてくれるだろう。
喜んでくれるだろうか、呆れるだろうか、怒るだろうか。いいや、そのどれでも良かった。ただ、聞いてきたくせに無関心な反応を示されることが、何よりも恐ろしかった。
ほんの少しだけ、あんなにも残念そうな顔をしてくれるなら自信満々に「ある」と言うべきだったのではと心の中に後悔が過る。
憎いロジャー海賊団の船員だった男であることを必死に思い出して、イゾラは立ち上がり午後の仕込みを始めた。
夕方、仕事を終えた海賊たちが店に溢れかえる。「いつか観光地だったころの賑わいが取り戻せますように」と祈りを込めて大きめに作った店内は人でごった返していた。
「女将! 三番テーブルオーダー入りました!」
「ありがとうこれ七番テーブルに持って行って!」
「女将! こちら盛り付け確認お願いします!」
「ありがとうさすが! じゃあこれ九番テーブルに!」
一か月が過ぎたあたりから元囚人たちからの警戒も解けてきたのか、彼らはいたって真面目に仕事を手伝ってくれるようになった。元飲食店勤務だという者も少なくはなく、料理にバリエーションが増えて一人で切り盛りしていた頃よりずっとメニューは華やかだ。
店内は注文と談笑の声であふれている。悔しいが、こんなにもにぎやかだと海賊の経済効果を誉めざるを得ない。
「女将、昼のあれありがとう。飯が食えるところが結構増えて助かったよ」
「えっ、ああ。良いよ気にしないで。世話になってんのはあたしらの方なんだからさ」
昼間に唐揚げを買ってきてくれたバギー海賊団古参の男は照れ気味に笑っていた。バギーが店を出た後、複数の馴染みにしている飲食店に電伝虫で脅しの電話を入れておいたことをすっかりと忘れていた。
きっと小腹がすいた海賊たちが大勢押し寄せたのだろう。見たことのある飲食物が持ち込まれているのを見て思わず苦笑いする。
微笑ましくも映る店内を見ていると、古参の男がそわそわしだした。そういえば、昼の時から様子がおかしかったようにも思う。
「どうしたんだい?」
「女将ってバギー船長の幼馴染なんだよな?」
「ん? えー……ああ、まあね」
「じゃあ昔のことも知ってる?」
昔のこと。
どれくらい昔だろうかと思ったが、確かに記憶の中にいるバギーは二十歳に行かない幼い少年の姿をしている。あまりバギー……というよりも海賊の話をしたくはなかったが、ここに居るのは怒らせてはいけない海賊たちだ。
知っていることは肯定しつつ、癪だがバギーの名前を出して回避するしかなかった。
「……知ってるよ、でもそういうのは」
「じゃあ、ロジャー海賊団のことも知ってるのか!?」
店内のざわめきが消えた。
そして突き刺さる、痛いほどの視線。屈強な男たち……それももし本気で殺しに来られたら一瞬で終わる力を持っている者たちからの無言の圧力は、一瞬でイゾラから余裕を剝ぎ取った。
視線をさ迷わせるが古参連中はいるものの幹部は誰一人としていない。
イゾラは一度冷静になる。この島で一番怒らせてはいけないのは一体誰か、それはバギーだ、間違いない。ロジャー海賊団はあの男にとってとても大切な物だった、昔と感性が変わっていないのであればそれは間違いないだろう。
で、あれば。
不必要にロジャー海賊団の話をするべきではない。いったい何があの男の地雷になるかわからないのだから。
だが同時に、今この状況の危機を整理する。この場でもし男たちの機嫌を損ねたらどうなるか。殺されることはなくとも海賊基準の『じゃれあい』はされるだろう。怖気が走る。
二つを天秤にかけた結果、『現状の身の安全』の秤が重みで頭を垂れた。
「ああ、知っているさ」
「うおおっ! マジか!」
「なァなんか聞かせてくれよ!」
「キャプテン・バギーはあんまり話してくれねェんだ!」
「やっぱりロジャーは偉大だったのか!?」
沸き立つオーディエンス。
どうやらイゾラの人生はここまでだったようだ、エンドロールが流れる音がする、エンディングテーマはビンクスの酒だろうか。
いや、生きることをまだあきらめられない。
どうにか記憶の中から一番ロジャーが格好良くて、それでいてバギーの地雷を踏まない話題を探す。それが一番生存率の高い方法だった。