バギーx夢主(2話)
少年バギーはその日も秘密の砂浜でお宝を選別していた。あれでもないこれでもないとルーペを翳して確認しているその姿を見て少女イゾラはため息をつく。
「またそんなことしてるの? 早く遊ぼうよ~、紫イカの群れも見れるよ」
「そんなお宝でも何でもないモンに時間かけてられっかよ。こいつァな、おれが独立するときに必要になるんだ、今から慎重にだな……」
「へェ。でも独立ってだいぶ先なんじゃないの?」
「だから今から準備するんだろうが」
僅か二つしか違わない少年と少女は小さな秘密の砂浜で背中合わせに口論をしていた。少女は水の中を除くことのできるゴーグルを二人分持ってきていたが少年はそんなものどうでもいいのか少女を見ることすらしない。
少年の目は小さな宝箱に釘付けになっていた。敵船から奪ってきた宝石を船長から譲り受けたのでその選別作業に忙しいらしい。
朝から実に三時間、イゾラがこの砂浜に来てからでも一時間以上はずっと同じ姿勢で作業をしている。父親が帳簿を付けているときと雰囲気が似ていて、あまり話しかけるべきではない気がした。
けれどまだ七つの子供に退屈は毒にも等しい。次第に少年の後ろで大人しく待っていたイゾラは砂の城を作り始めた。
没頭すること三十分ほど。大きな土台を水でぬらして固めてを繰り返していると、後ろから声がかかった。
「なァにやってんだおめェ」
「わっ! なに、もう終わったの?」
「おう。小ぶりなもんばっかりだったからな、結構早めに終わった。で? それはなんなんだよ」
「砂のお城……」
バギーに笑われるのが分かっていたのであまり言いたくなかったが、少年の有無を言わせない視線にたじろいでしまい、つい白状する。まだ土台しか出来上がっていないそれを見てバギーはやはり大笑いした。
「それが城ォ!? どう見てもただの土の山じゃねェか!」
「お城になるの! まだ土台しか作ってないだけだもん!」
この島に定期的に滞在するようになったロジャー海賊団の船員、バギー。島の中では同じ年頃のシャンクスという少年とよく一緒にいるが、この砂浜に来るときはいつも一人だった。理由を聞いたことはない。
砂浜に入り浸るようになって最近はやっと軽口を叩く仲となった。バギーがイゾラのことをどう思っているのか聞いたことはないので、相手からの印象はわからないけれど。
「ほォ~? じゃ、さっさと上の部分も作っちまえよ」
「……バギーが遊んでくれるなら別にもう良いもん」
「ああ? 誰が遊ぶって言ったよ」
バギーが、心底不機嫌そうに言うからイゾラは思わず顔を逸らした。少女はバギーのことを友人のように思っているが、正直心の底ではほんの少しだけ恐ろしいとも感じている。
以前ロジャー海賊団がこの島に入り浸っていることを良く思わない島民が一度だけ、バギーに殴りかかったことがあった。その時周りに大人たちはいなかった。ロジャー海賊団が仲間を傷つけられたら国一つ滅ぼす恐ろしい集団だと聞いていたイゾラは止めなければいけないと走ったが、それよりも島民が酒瓶を持ったバギーに躊躇いのないフルスイングで頭を殴られ、昏倒し床に倒れ伏す方が速かった。
砂浜で喋っている少年がこんな面を持っていると思わず、イゾラは腰を抜かした。
「あっぶね~! ったく、船長はこの島気に入ってるんだから変なことするなよ! おいイゾラァ! おめェもこれ船長にチクるんじゃねェぞ! 島を焼け野原にしたくなかったらなァ!」
恐怖で腰を抜かしていたイゾラは、かけられた言葉を聞いてやっと現実に帰ってきた。大きく何度も頷いてこのことを二人の秘密にする約束をした。
いつも通りで喋る友達のバギーと、息をするように暴力を振るう海賊のバギー。両方が頭の中で混在して、結局どちらを選ぶことも出来ず、今日もイゾラは砂浜へとやってきている。
「……遊んでくれないの?」
「紫イカの群れの観察だろ? そんなん外に出たら腐るほど見れるから却下」
「じゃあお城一緒に作ってよ」
「はァ!? なんでそうなるんだよ!」
「バギー手先器用だから絶対大きくて格好良くてハデなお城が出来そうなんだもん」
バギーが子供のようなことをしていると安心する。
自分の安心の為に彼の行動を制御するのは幼いながらに良心が痛んだが、それでもなんだかんだと面等を見てくれる彼に甘えてしまった。
彼が喜んでくれる言葉を言ってみると、ついさっきまで子供のお守りなど、と言いたげだった視線が泳ぎ始めた。
バギーの手先が器用なのは本当。
格好いい物を作るセンスがあるのも本当。
ハデな物が出来そうな予感も本当。
ただ、それらは本当は砂の城を作るためにあるわけではないことも、イゾラは分かっていた。
「しっかたねェな! このバギー様がいっちょ砂の城作り手伝ってやるか!」
「ありがと」
友達のバギー。
恐ろしい海賊などであってほしくないという祈りがどれほど無粋な物かということを、イゾラはそのころまだ知らなかった。
◆
イゾラを先頭にして何名かの海賊たちが島内を歩く。その光景は三十年ほど前のロジャー海賊団上陸を思わせるもので、島民たちは恐れながら家へと入りドアを閉めた。
「歓迎されてねェなァ」と半笑いのバギーを引き連れて歩く足は重い。今にも震えてしまいそうな足を虚勢で奮い立たせてイゾラは自分の家と一体になっている食堂へと案内した。
「……水、いる?」
「ああ頼む。喉がカラカラだぜ」
「わかった」
テーブル席にバギーたちを案内してから、自分は厨房へと入る。人数分のコップを用意している最中、バギーが「そう言えば」と切り出した。
「本当にお前がこの島を取り仕切ってるのか?」
「そうだよ」
上陸したのはバギーと他数名の幹部たち、そして数名の『腕利き』と呼ばれる男たちだけだった。船に乗っていたほかの船員たちは積み荷の確認と島周辺の哨戒をしているらしい。
バギーの質問に頷きを返すと、彼は首をかしげる。子供のころから変わらない仕草に胸の奥がざわついた。
「てめェそんなこと率先してやるタイプじゃなかったろ」「事情が事情だったの。今はこの島の運営と他周辺島とのやり取りも全部私がやってる」
「へェ……人は変わるもんだな。っていうかおやっさんたちはどうした? 島も随分寂れちまってるし……」
「……本当に知らないの?」
「新世界のことは情報が回ってこねェんだよ。おれ様はずっと東の海に潜伏してたからな」
東の海。
この島から殆ど出たことのないイゾラからしてみればおとぎ話のような場所だ。数刻ごとに季節が変わる海も、季節が固定されている島も存在しない、争いの少ない平和な海だと聞いたことがある。
小さく「そう」と返答すると、後ろに控えていた『腕利き』の男たちはとても不機嫌そうな顔をした。どうやら、バギーはこの男たちにはとても好かれているらしい。幹部連中から感じる視線とは全く違う敵意を感じた。
「パパとママは死んだ。もう二十年も前の話だよ」
「おやっさんたちが? 海賊にでもやられたのか?」
思わず、氷を削る指に力が入りそうになった。それをどうにか堪えて引き出しから取り出したものを腰のポケットの中へと隠す。氷を割って水を注ぎ、テーブル席へと運んだ。
「……海賊、そうだね、海賊、だよ」
「そりゃ災難だったな。まァでもこれからは七武海であるおれ様たちが」
「ロジャー海賊団っていう、海賊だよ」
まるで「自分たちは何にも関係ありません」と言う男の顔が心底憎らしくて、そこまで我慢していた気持ちが途切れてしまった。口から出た言葉を撤回することはできず、激情のままバギーの胸倉をつかみ、腰に仕込んでいた銃を取り出して眉間に突き付ける。
「キャプテン・バギー!」
「船長!」
「動かないで!」
すぐに『腕利き』の男が武器を構える。だが、それを制したのは意外にもバギー本人だった。周りが手を出そうとする中、バギーの落ち着いた声が店内へと響いた。
「……そいつァどういうことだ? イゾラ」
感情の含まない声は恐ろしい。
回答一つミスを許さない緊迫感。言葉の中には様々な意味が含まれている気がした。
ここに居るのは友達のバギーではない、今自分が友達の彼を捨てたのだから。海賊のバギーにイゾラは目を見て立ち向かう。
目の前の男が憎くて仕方がない。死んでほしくてたまらない。銃を持つ手は震えていなかった。
もしかしたら差し違えることになるかもしれないが、イゾラが武器を引く理由にはならない。
「ロジャーが処刑された後、この島でロジャーを匿っていたと世界政府から目を付けられた。パパとママは、その時……世界政府に殺された!」
「……それで?」
「っ……ロジャーと懇意にしていたと噂を立てられて、島の取引は全滅! 観光業に力を入れていた島では毎日のように餓死者が出たのよ!」
当時のことを思い出して吐き気がこみ上げる。けれど見下ろすバギーの表情は一切変わることがない。こんな寂れた島のことなどどうでもいいのだろう。
この男は少年のころからずっと、自分本位な生き方ばかりしていた。
「十五年前『他の海賊にロジャーの聖地を渡してはいけない』と言い出した世界政府の庇護下に入れてようやく……ようやく! まともな生活ができるようになったのに!」
この十五年、イゾラはそれこそ死に物狂いで働いた。失った信頼を取り戻すために何度も危ない航海をして周辺の島々を訪ね、業務提携を結んだ。足元を見られることもあったけれど、島内で固有の産業を確率できてからはそれなりに不自由のない生活ができるようになった。
そして今、その努力がすべて消え去ろうとしている。この男のせいで。
「この島がほかの島にも相手にされているのは、世界政府の庇護下にあるから! それを……また、またあんたたち海賊が……!」
「お前、それは本気で言ってんのか?」
急にバケツで水を浴びせられた気分だった。ほかの幹部たちは一体何を言っているのかと首をかしげていたが、イゾラは言っている意味を正確に理解していた。
そして、それに対し反論できることが無いことも、わかっていた。
バギーの腕が分離する。昔見た悪魔の実の力だ。すぐにこうして動けばイゾラの攻撃など躱せただろうに彼はそうしなかった。最初から、相手にもされていなかった。
分離した腕がイゾラの腕を捻って銃を落とさせる。幹部たちがイゾラを拘束しようとするが、またもバギーはそれを片手で制した。
「ま、てめェがおれ達を恨む理由ってのもわからなくはねェ。それがどんな逆恨みだろうとな。だからこそ、今おれたちがこの島にやってきたってわけなんだが」
「……どういうこと?」
「この島がこんな状況だったのは……知っていた。だがお前の口からどうしても現状を聞きたくて煽っちまった、悪かったな」
バギーの声はらしくないほどしおらしい。
本当に目の前にいる人はバギーなのだろうか、ちらりと『腕利き』の人たちを見ると、彼らは感動しているのか涙を流していた。どうやらこれは彼らにとって日常のようだ。
イゾラの知っているバギーという男は自分本位で、他人のことなんか興味なくて、けれどロジャーという男のことだけは底なしに慕っている、そんな歪で矛盾に溢れた男だったはずだ。
自分の記憶に自信がなくなり始めた頃、分離した腕がイゾラの頭を撫でる。
「この島は今日から七武海、千両道化のバギーが庇護下に置く!」
「しちぶ……かい?」
「知らねェのかクソガキ、政府公認の海賊ってやつだよ。これからはおれ様がこの島を取り仕切る、安心しろ、二度とこの島に悲劇は起こさせねェ!」
七武海。
聞いたことはある、だがいつもそれは不安をあおるようなことばかりだった。七武海の海賊が頻繁に略奪を行って商船が破産したという報告も聞いたことがある。
だが、政府公認というのは間違いない立場の保証されたものだ。
「おれァその為にこの島に戻ってきた。ロジャー船長が気に入ったこの場所を、みすみす政府なんぞに渡したままにはしてられねェからなァ!」
「バ、バギー……」
これが本心なのかはわからない。
相変わらず『腕利き』たちは泣いているし、幹部たちは呆れたような顔をしている。もしかしたらイゾラを騙す噓なのかもしれない。
けれど、目の前に降ってわいたあの頃の懐かしい記憶と、海賊の顔をしているのに友達のように接してくれる彼の温かさに、彼女の頭は首を上下に揺らしてしまった。