ハートの海賊団

ハートの海賊団


スパイダーマイルズのアジトを引き払ったドフラミンゴは、ヤーナムを"掃除"するまでの間、おれを北のスワローという島で療養させた。とはいえ、軽くなった体は誰が見たって健康体だ。手持ち無沙汰に能力の練習を続けていたおれは、そこでひょんなことから年の近い連中を助けることになった。

おれは悪魔であることを選んだ人間だ。

誰かの手を引いたりなんてするべきじゃない。

そう思うのに、おれを慕う三人をどうしても無下にはできなかった。目論見も目的もなくただ命を拾われるということが、どれほどの想いを生むものか知っていたから。

ガラクタ屋の黄色い潜水艦に、解散されたとある海賊団のものに似た海賊旗。黒い旗を掲げるその時に、おれたちは心臓と、心とを表す名と共にあることを決めた。

海を自由に渡りたいあいつらと、医師団では手の届かない探求と探索を望むおれと。

歪な組み合わせで生まれた関係に、単なる利害の一致なんて言葉で片付けたくないという我侭が熱を吹き込んだ結果だった。

おれが本格的にヤーナムに居を移し数年が経ってもなお、あいつらは海を生きるなら船長はおれがいいと言ってくれた。秘密だらけのこのおれを、それでもいいと選んでくれた。

あれこれと理由を挙げ連ねても、決め手なんてきっと、たったそれだけのことだ。

コラさんがおれにくれた"自由"が、麦わら帽子のあいつに似た形をしているのなら。こいつらがそれを受け取り継いでくれるとさえ、ほとんど名ばかりの船長になったおれはどこかで考えていたのかもしれない。

確かな温かさを帯びた場所から船出したおれ達の海賊団は、おれのよく知り馴染んだそれとは全く違ったものになるだろうという予感があった。

ベポもシャチもペンギンも、様子を見に来たドフラミンゴと鉢合わせしてひっくり返っていたのが懐かしい。まあシャチとペンギンは、27、8になった今でも"ハートのガキ共"と一括りで呼ばれることに不平を漏らしたりしているんだが。

船出までの数年間をあいつらが過ごしたスワローにはもう、お節介焼のガラクタ屋が残るだけだ。

あの目立つ船を焼いたドフラミンゴのお下がりの本と格闘していたベポも、何かと稽古をつけたがるラオGに追い回されていたシャチも、ジョーラにやたらヒラヒラした服を着せられかけて真っ青になっていたペンギンも、今は皆無法者の看板を背負って海を渡っている。


「よお、久しぶりだなガキ共」

「オヒサシブリデス…」

隣でおもわず噴き出したおれを、ガチガチに緊張したシャチとペンギンが恨めしげに睨め付けてきた。ルフィたちを送り届けた女ヶ島での浮かれっぷりとの落差を見てしまえば、これでもそう責められねえ反応だろ。

頂上戦争も終結してしばらく、おれ達は初めて船員全員でヤーナムを訪れていた。

「あっ、そうだ狩長さん!おれちゃんとマリンフォードの行き帰り航行できたよ!!」

「じゃなきゃ全員ここには居ねェだろう。…随分腕を上げたな」

居心地の悪そうな二人をよそに、航海の腕を褒められたベポはにこにこと嬉しそうにドフラミンゴの傍に歩み寄る。なにかと打たれ弱い所のあるベポだが、話の分かる相手と見れば案外強い言葉を使わないこの人とは、昔から相性が良かった。

「で、そいつが新入りだな?」

「そうそう!今はおれの下についてんの!」

胸を張ったベポに、ドフラミンゴはいつもの笑い声を返した。おれ達がわざわざ紹介などしなくとも、この人には一目で分かっただろう。

「なっ!ジャンバール!」

笑顔のまま振り返った航海士を、蹄をその背に刻まれた新入りは愕然と眺めていた。

極度の緊張状態による精神性発汗、心拍数の上昇、貧血症状、筋緊張の亢進といったところか。船長を務めていたというだけはあり耐性は高い方のようだが、概ね正常な反応だな。

悪いがウチでやっていくつもりがあるなら、一度はここを通ってもらう必要がある。おれ達と、なにより当人のために。

「…天竜人」

喉を踏みつけられたように潰れて掠れた声に、ヤーナムに"来たことのない"クルーが息を吞んだ。元より鼻の利くベポだけが、きょとりと目を瞬かせている。

聖堂街上層、居住区の一室に、ドフラミンゴの靴音だけがこだまする。ジャンバールは、ゆったりと近付いてくる男から目を離すことも、ましてや距離を取ることもできずにただ立ち竦んでいた。

「命令だ」

頭蓋に意志をそのままねじ込まれるような、思考を丸ごと書き変えられるような声に、元奴隷のクルーたちが身を固くする。意識を鬼哭に集中させ冷静たらんと努めても、首筋を汗が伝った。こいつらも、そしておれも、過去に"これ"に相対したことがあるのだ。

「"この先全ての天竜人の、全ての命令への服従を禁じる"」

単純かつ、命じる側にも効果の及ぶ契約。この人の血が発するそれは、恐ろしく強力な作用を発揮する。

「フッフ!ただの保険だ。蹄はこの街で消していけよ」

ドフラミンゴはそう言い残して踵を返し、鉛の如く重く圧し掛かっていた不可視の力が霧散した。蹄を身に宿したことのない船員も、揃って安堵の息を吐き出している。

「マ…マジか…おっかねえ…」

「…おれの下に付くということは、ドフラミンゴと関りを持つということだ。耐えられねえ奴は好きに船を降りろ」

これは賭けだ。

普段なら蹄を能力で消してやる必要のある船員だけを、個別に教会に連れて来てそれだけで済ませていた。だが、おれが七武海の椅子に座るとなれば話は別だ。

実情がどうあれ王下七武海は、黒い旗を掲げる多くの者たちが揶揄するように、あのクソッタレの政府に下った者たちの席。手を引くなら、今しかない。

「おれ達キャプテンについてくよ」

ドフラミンゴの背中を心配そうに見送っていたベポは、すぐに調子を取り戻してふんわりとした声で言った。

特別なことなんて何もないみたいに、ぴったりと閉じられた扉に目を向けたまま。

「そうそうキャプテン!」

「水臭いっすよ!」

続くペンギンとシャチの声に、わっと、いつものポーラータングの、おれ達の船の賑やかな空気が場を満たした。

「船長の故郷の医療は世界一だぞ!しっかり治してもらえよ!」

「大丈夫大丈夫!私のもちゃんと消えたし!」

かつて天竜人の奴隷だった、もう蹄の消えた船員達に囲まれて、ジャンバールは信じられないものを見る目でおれ達を眺めていた。

「ドフラミンゴがアレをやるのはこの時だけだ。貴重なデータの提供…感謝する」

ニヤリと笑ってやれば、新入りの肩から力が抜ける。

人を支配し竜の血に隷属させる蹄の刻印も、おれ達にとってはたかだか契約カレルの一種でしかない。

「新入りには悪いが…おれはもう自分で実験ができないからな」

おれの時はブチギレられて大変だったと零した言葉で蜂の巣をつついたようになったこの部屋にドフラミンゴがすっ飛んでくるまで、あと数秒。






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