ハナコショックの話・後編

ハナコショックの話・後編


 ハナコも、アズサも、コハルも。目まぐるしく変わる状況がさっぱりわからず咄嗟に動くことが出来なかった。

 確かに気絶させた筈のナギサがゆらりと身体を起こしてこちらに向かって銃を構えてから、少し離れた場所で待機してもらっていたはずのヒフミとコハルが室内に突入してきて。

 そのヒフミが声をかけた瞬間に目に見えて狼狽したナギサが、突然持っていた拳銃を自分の喉元に向けて。

 明らかに自らを害しようとするナギサに、弾かれたように駆け出したヒフミと、扉の向こうから遅れて飛び出してきた先生が慌ててその銃口を逸らそうと体当たりして―――銃声。


 一連の大騒ぎの末、壊れた家具と硝煙とで無残な有様を見せる室内に倒れ伏したヒフミと先生、そしてナギサの姿に、ハナコたち三人は全身の血の気が引く気配を感じながら駆け寄った。

 特に、『銀の銃弾』の存在をシスターフッド所属の知人から聞いていたハナコはことさらに顔を青くして倒れた者達の容態を確認する。ただでさえ特大の危険物である『銀の銃弾』が暴発した挙句、その場にはキヴォトス人よりもはるかに脆弱な“外”の人間である先生が居る。下手を打てばセーフハウスが惨劇の館になるところだ。


「みんな大丈夫か!?」

「怪我してない!? 弾は、弾は当たってないわよね!?」

「先生! ヒフミちゃん、ナギサさん!!」


 幸いにも倒れ込んだ三人に目立った外傷はなく、よろけながらもその場に座り込んだヒフミに続いて先生も上体を起こして体勢を整える。


“私は大丈夫。ヒフミが銃口を上に向けてくれたからね”

「ぐすっ……鼻のあたま、ちょっと当たりましたぁ……」


 先生の言葉に一同がヒフミを見れば、鼻先を発砲の煤で黒くしたヒフミがぐずぐずと鼻を啜りながらナギサの拳銃をしっかりと両手で押さえつけていた。

 倒れ伏すナギサから拳銃を取り上げようと手を伸ばしたアズサだったが、ヒフミとハナコがそれぞれにアズサを制する。


「意識のあるターゲットに火器を持たせたままというのは……」

「いいえ、もうその銃に弾は込められていません……シスターフッドから提供された『銀の銃弾』は一発だけ。そうですよね、ナギサさん」


 ハナコの問いに応えず、ナギサは空っぽになった銀色の拳銃を抱きしめるように身体を縮こめる。

 わざわざ普段使いのものとは別に用意した銃に特別な銃弾を装填していたのに、その数はただの一発のみ。その意味を悟ったアズサが、あまりの痛ましさに眉をしかめた。


「……自決用か」

「自決、って……そんな」


 遅れて理解したコハルが絶句する。

 一つの学園を統治する責任ある立場とは言え、自分とさして年齢の変わらない少女が自らの命を絶とうとした。純粋なコハルがショックを受けるには十分だ。


「エデン条約そのものが、これまでのトリニティを変える一大改革です。反対派に危害を加えられることも覚悟の上……ましてセイアちゃんの事件があった以上は、いつ何時必要になるか、気が気ではなかったことでしょう」

「……冥途の土産のつもりですか。知った風な口で、しゃあしゃあと……そこまで見透かしていたのならさぞかし滑稽に見えていたことでしょうね」


 ゆっくりと身体を起こしながら、ハナコに憎々し気な視線を向けるナギサ。その言葉に込められていたのは、諦めと自嘲。


「馬鹿げた理想の為に足掻く馬鹿な女を何の責任もない場所から観るのは、楽しかったですか?」

「……っ」

「ちょ、ちょっと! ハナコはそんな……」

「―――楽しめるわけ、ないじゃないですか!!」


 押し黙ったハナコとそれを擁護するコハルを遮って叫んだのは、ヒフミだった。


「そんなに辛いなら、苦しいのなら! なんで他の人の助けを借りなかったんですか!? ナギサ様の周りの人たちが、困ってるナギサ様を見て喜ぶなんて本気で考えてたんですか!?」


 阿慈谷ヒフミは善良な少女だ。少なくとも入学以来何かと世話を焼いてくれたナギサから助けを求められたなら、一も二もなく恩返しと言って駆け付けるくらいには。

 だからこそ、ナギサが自分を本当は頼ってなどいなかったと知れば情けない思いをしたし、まして自分も疑いをかけられていると知れば悲しかった。


「私たちがここまで来れたのは、四人で力を合わせて、先生の助けも借りたからです! それでもたった四人ですよ!? フィリウス分派の人たちが一致団結して私たちを邪魔しに来たならきっとかないっこなかった! 周りにあんなにたくさんの人がいるのに、どうして誰も頼ろうとしなかったんですか!?」


 実際問題として補習授業部はそれぞれに秀でた技術や得意分野こそあるが、それでも寡兵であることに変わりはない。最大戦力であるアズサが正義実現委員会との小競り合いになった際、数の暴力で封殺されたのはつい先日のことだ。

 今回の襲撃だってそうだ。ティーパーティー、せめてフィリウス分派を警護として総動員していたならば、きっと補習授業部はこの場にたどり着く前に捕縛されていたことだろう。

 ヒフミはそれが、尊敬するナギサが疑心暗鬼にからめとられて自分のような普通の生徒にしてやられたことが、あまりにも悲しく思えたのだ。


「―――そんな簡単にうまくいくなら、何も苦労はしなかったわよ!!」


 しかし普通に考えれば至極真っ当なその叫びをナギサは受け入れることが出来ない。彼女にとって、他に方法など無かった。


「ゲヘナの奴らを恨んでやり返したって何も変わらない、あの人は戻ってこないってわかってた! それでもあいつらを許さなきゃ、あの人の願いを叶えられはしないって……! せめて、せめてあの人の夢を叶えられたらこの恨みを忘れられるかもしれないって信じてやってきたのに、みんながその邪魔をする! だったら誰も頼らない! 誰にも負けないくらい頑張って、私一人でやり遂げてやるって決めたの!」


 ナギサが思い返すのは、トリニティに入学して以来ことあるごとに思い知らされた決定的な周囲との断絶。かつての母達と同じように参加したフィリウス分派は財界の令嬢たちが家同士の代理戦争をする社交の場に成り下がり、あえて武闘派であるパテル分派に参加したミカとの仲はこじれるばかり。サンクトゥス分派は停滞しつつも保たれたトリニティ内の平和を維持することに固執して学園共通の仮想敵であるゲヘナとの友好に反対し、ミハルの夢は学園内に於いてイカロスが目指した天の光としか扱われず。

 いつしかナギサの心はゲヘナのみならず、トリニティにも向けられる怒りと憎しみに塗り潰されていた―――ミハルの想いとは裏腹に。


「平気な顔で好き勝手する悪魔どもだけじゃない! こんな狭い自治区の頂点に立つことしか頭にない三大派閥も! 綺麗ごとしか言わない救護騎士団も! 澄ました顔で祈るだけのシスターフッドも! 全部出し抜いて、表舞台に引きずり出して、あの人の目指したものをみんなに認めさせてやるって……!」


 心の奥底にくすぶり続けていた不満を吐き出すナギサの姿は常の貞淑な姿とは程遠く、その場にいた一同を圧倒する。ただ一人……胸の裡に渦巻く罪悪感によってナギサから目を逸らすハナコを除いて。

 しかし、その気迫はほどなく霧散する。他ならぬナギサの瞳から、大粒の涙があふれだしたことによって。


「そうやって―――私こそが、誰よりあの人の夢を踏みにじった」


 図らずもハナコの言葉をきっかけに、ナギサは自覚してしまったのだ。いつしか手段と目的を見失っていたことに。


「頑張っても頑張っても、みんなわかってくれない。このままじゃ私の卒業に間に合わない。私の手であの人の夢を叶えられない……そう思ったら、あとは私に従わない生徒たちを排除するしかなかった」


 条約締結の障害になり得ると判断されて日陰に追いやられた生徒は、補習授業部に限った話ではない。そもそもナギサは自分の意にそぐわぬ者たちを排除することでフィリウス分派の長となったのだ。

 派閥を追われた者の大半はナギサへの恨みからパテルをはじめとした他派閥に合流したが、中にはトリニティを去った生徒もいる。事情はどうあれ―――ナギサが策謀を巡らせるようなことをしなければ表面上は、キヴォトスでは珍しくない程度の平和な学生生活を送ることができた者たちだ。


「平和を望んだあの人の理想を免罪符に、私は学園にいくつも争いの火種を撒いた。私こそが本当の『裏切り者』だったの……!」




“それは違うよ”

“誰かのためにがむしゃらに頑張ったことが、その誰かへの裏切りな筈がない”




 ナギサの懺悔を受け止めたのは、この場における特異点。トリニティの生徒でもなく、子どもですらない人物……すなわち、シャーレの先生その人だった。

 今の今まで蚊帳の外にいた大人が急に口を挟んできたことに、ナギサはわずかに狼狽える。


「先生に……何がわかるっていうんですか。その子たちと一緒に、私を始末しに来たんでしょう? この期に及んでお説教なんて……」

“私は先生として、生徒たちを守るためにここにいる。それはもちろんナギサ、君のことも含まれている”

“言ったはずだよ、私は私のやり方でこの問題に対処するって”

“補習授業部の問題を解決するために、この場でナギサの暗殺を防ぐことが必要だった”


 補習授業部の四人こそが自身を狙う刺客であるとすっかり思い込んでいたナギサが大きく目を瞬かせると同時、あ゛、と素っ頓狂な声を上げるヒフミ。


「そ、そうでした!? アズサちゃん、刺客がここにたどり着く時間ってあとどれぐらいでしたっけ!?」

「もうそんなにない! 急いでここを離れないと、部屋の外で伸びてるほかの生徒まで巻き込んでしまうぞ!」

「と、とにかく気絶させた人たちを起こしましょう! コハルちゃんとハナコちゃんも一緒に!」

「任された!」

「ハッテ……じゃなかった、合点承知です♡」

「あーんーたーはー! こんな時ぐらいまじめにやりなさいよ!」

“みんな、慌てず着実にね”


 ヒフミが言うが早いか、三人は部屋の外に駆けて行く。てっきり自分がこれから今際の際を迎えるものだと思って覚悟を決めていたナギサは混乱しきりである。


「どういうことですか……?」

「えぇっと……詳しくは後から説明することになっちゃうんですけど」


 何から説明したものかと頬を掻いたヒフミは、一拍おいて表情を引き締める。そして、ナギサの手を取って立ち上がらせるとしっかりとその両手を握った。


「私たちは誰一人として、誓ってトリニティを裏切ってなんかいません。怪しまれるようなことをしたのは確かですけど、事情があったんです」

「そんな……だったらどうして、こんなことを」

「乱暴なやりかたになっちゃったのは、その。本当にごめんなさい。私たちもナギサ様に、どうしてこんなことをしたのか聞かなきゃいけなかったから……」


 心底申し訳なさそうに頭を下げるヒフミに、ナギサは信じられないような視線を向ける。


「……だったら猶更、どうして私を助けるんですか。あなたを大切な友達だなんて言いながら、その友達ごっこの裏で私が何をしたか忘れたわけではないでしょう……」

「友達だったら、喧嘩や意地悪なんて一度や二度は珍しくないですよ。友達になったら仲良くし続けないといけないなんてこともないですし」


 それに、と言ってヒフミは照れ臭そうに笑う。


「これでも私、それなりに楽しかったんですよ? ナギサ様の言う、『お友達ごっこ』……さ、行きましょう!」


 言って、ヒフミは愛銃のコッキングレバーを半ばまで引き、チャンバーチェックを済ませた視線を予断なく周囲へと向ける。

 促されるままヒフミの後に続くナギサは、何とはなしに隣を歩く大人に問いかけた。


「先生……私はどうすれば間違えることなく、本当の意味であの人に報いることができたのでしょうか」


 絞りだされたその問いは、先生がトリニティを訪れてから初めてナギサから聞く、子どもから大人への質問。


“私は本人じゃないから、ナギサの大切な人がどう思ったのか完全にはわからない”

“それでもこれだけは言える。ナギサが今も想う人が心を痛めるとしたら、自分のためにナギサが苦しみ続けることだ”


「生者は死者にかかずらうべきではない、と?」


“想いを受け継いで次へとつなぐのは大切なことだよ”

“それでも……そうだね、もしも私の生徒たちの中に、将来私のような先生になりたいという子がいたとしても”

“私はその子に、自分のように生徒のためなら何でもやれとは言えないよ”

“だってその子が大人に、先生になったとしても。私にとっては幸せになってほしいと願った生徒なんだから”

“その時は大人として、先生として……そして仲間として、喜んで力を貸すよ”


「仲間…………」



「二人とも、はーやーくーーーーーっ!!」


“おっと、いけない”


「あ……す、すぐ行きます!」


 激動の夜は始まったばかり。しかしナギサは確かに―――夜明けに向かって、最初の一歩を踏み出した。







☆今回の被害まとめ



ナギサ:大層なお題目を掲げていた自分自身が一番恨みを捨てきれていなかったことを暴かれた上に死んで逃げようとしたけど逃げられなかった。かわいそう。

ハナコ:頭に血が上った結果それまで自分が嫌っていた「陰湿な茶会から得た情報で無責任に他人を追い詰める」を完璧に遂行したとやらかしてから気付いた。曇った。

アズサ:「大切な人との幸せな日々の象徴を命を奪う手段として使おうとした結果」をまざまざと見せつけられた上でこの後ペロロ爆弾作戦を実行する。曇った。

コハル:自分を散々に苦しめてきたいけ好かない上司が歯を食いしばって借り物の正義を貫き通そうとした人だったと知る。後々持ち直すがもれなく曇った。

ヒフミ:頼れる先輩の本性やら本音やら叩き付けられたが「うるせぇ知らねぇ俺たちもう友達だろ( ド ン ! )」で全部受け止め切った。つよい。

マリー:後日教会を訪れたハナコがお祈りでなく懺悔に来ましたとか死んだ目で言い出したのでちょっとビビった。

セーフハウス建屋:らめえええええええそんなにナカでパンパン(銃声)されたらスプラッターハウスになっちゃうのほおおおおおおおお!!

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