ハッピーエンドを目指しましょう。
□
先生が差し出した手。
小鳥遊ホシノにとって、あまりに眩しすぎる甘い希望。
罪悪、後悔、慚愧が胸のうちに駆け巡り、幻覚が彼女の胸を攻めさいなむ。
甘い絶望を選んだのは自分だと、先生へと伸ばしかけた手の反対。ポケットに伸びていた手を、彼女はポケットに突っ込んだ。
カサリ。
「…あれ?」
飴玉に触れる前に、手に当たったその感触。
そのポケットはいつからか飴玉専用にしていて、他のものが入っていることなどないはずだ。
思わず先生から目をそらして、手に当たった軽い感触のそれを引っ張り出す。
それは、随分とシワのよった一枚の小さな紙。まるで一度捨てた紙をもう一度ゴミ箱の底から拾い上げたような紙。
震える手で、私はソレを開いた。
『ホシノ先輩へ。
代表して私、アヤネが書いています。
この手紙を読んでいるということは、ミヤコさんは上手くやってくれたということでしょうか。彼女にはとてもお世話になっています。では、紙の幅もないので簡潔に。
私達は先輩とまた話がしたいです。
一度、逃げ出した時にアビドスの様子が変わっていることは目にしました。
三人でずっと何が起きたのか考えて、心配をしています。
先輩。校舎は無事ですか?シロコ先輩と仲直りできましたか?また対策委員会を開けますか?先生に相談してみましたか?
先輩ならきっと、私達のアビドスを
守ってくれていますよね?
先輩を信じています。
私達は待っています。』
"!、 ホシノ!!"
がくりと崩れ落ちた私に、先生がかけよってきた。
痛い。
痛いイタイイタイ。
頭が痛い。われそうにイタい。
痛くてイタくて、何か、なにか、この、痛みを止めてくれるモノヲ。
違う、ワタシは、いたい。
「ぅ”…ぅぅ””…ぅ”ぅ”ぅ”…あ、ぁ、ぁ””ぁぁ”…」
”ホシノ…!”
先生が私の肩に手を置く。心配そうにこちらを見つめる目を、白む目で必死に見つめ返す。
先生は、私が手に握っているしわくちゃの紙をちらりと見て、そして、言った。
”ホシノが、本当にしたいことは、なんだったの。”
ブチッと、脳の中で何かが破断したような感覚がした。
どろりと鼻から血液が垂れ下がりだす。
頭の痛みはどんどんひどくなっていく。
思考が痛みで切り裂かれて、私がバラバラになる。
私は/違う・誰が。・いつ間違えて/
違う、違う違う地がう/救わなかったせかいなんてほろびてしまえなんて/
お前たちも/砂の海に沈んでしまえ/ばいい/
違う/私・ホシノちゃん/苦しまない甘い夢を/先輩・
先輩/ここにいた/どこにもいない
もうしんで・わたしが悪い
私が
わた、しは
わたしで
わたしの、したい。ことは
しわの入った手紙は、所々へんしょくしている。
ちょうどいま、わたしのひとみからあふれた水滴が、そこに落ちた跡のように。
「っっぅtああああああっっ!!!!」
ドンッッ!と凄まじく鈍い音がたつ。私は自分の胸を強く叩いた。骨が折れることすらいとわない、自爆にすら近い一撃だった。
全身に強い衝撃が走ると同時に、まるで身体の中から大きな何かが抜け出ていくように、急激に力が抜けていく。
胸を叩いた以外の痛みは引いていき、思考は明瞭になっていくと同時に、抜けていく力で意識そのものは薄れていく。
それでも、それでも、これだけは、これだけは答えなくちゃいけない。
「先生…私、…『みんなのいるアビドス』を、守りたかったよ。」
苦しむ私の肩から手を離さず、どこか抱きしめるように私に寄り添っていてくれた先生は、私の答えに、少し驚いた後、はっきりと、強い意志を込めて言った。
”今からでも…できるよ。”
”私が、そうしてみせる。”
ああ、本当に。
先生は、生徒の味方でいつづけようとしてくれるんだね。
その言葉を聞いて、私は、抜け出る力と共に、そっと意識を手放した。
□
「さ、先生。ついてきて。なんなら先生たちを持つわよ。」
「砂嵐が近づいているわ。もうすぐアビドスから出ることすら難しくなる。最近はめったに起きなかったのに…」
「大丈夫。私なら一番早くあなた達を送れるから。」
「…先生。」
「ホシノを、きっと助けてあげてね。」
□
「ハナコ。先生たちは無事アビドスから脱出したわ。紙一重、ね。」
「はい、ありがとうございますヒナさん。」
夜。日中に吹きすさんでいた砂嵐は校舎の周りからは嘘のように無くなって、からりと晴れた、澄んだ空気の夜である。校舎の屋上にドラム缶を持ち出して、焚き火をするのなど、中々に風情があっていいものだろう。
とはいっても、そこで燃やしているのは紙束であり、証拠隠滅の現場なのだが。
「ふふ、先生ってば、私がアビドスから出る電車に乗らなかったら、最後まで必死に扉を叩いて、電車から飛びでる勢いだったわ。…もう、しょうがないんだから。」
「あら、情熱的ですね~。私もついていけばよかったでしょうか?」
「…先生とのあのお別れの記憶は私だけのものよ。ハナコにはあげないわ。」
「もう。ヒナさんは時々いじわるになりますよね。」
パチパチとドラム缶の中で薪がはぜる音がする。紙束たちはあっという間に燃えていき、宙へとふわりふわりと火の粉を舞い散らせていっていた。存外、悪くない光景だ。
「ねぇ、よかったの?」
「ん~?なんのことですか?」
「あの手紙、入れたのはハナコでしょ?」
「…ええ。先生がアビドスに来る前。向かっているという情報を得た段階で、眠っているホシノさんのポケットにこっそり。」
パチンと大きく薪がはぜた。
「あの手紙は、ミヤコさんが何かを隠していると勘づいて、私が没収していたものです。最初は拒んでいましたが、RABIT小隊の皆さんにどんな『お砂糖』をあげるかは私達次第であることをチラつかせたら、とても絶望した表情で渡してくださいました。」
「結局、ホシノには渡さなかった。でも、処分もしなかった。…できなかった、かしら。」
「…はい。中身を見ただけで、わかってしまいましたから。コレを渡したら、ホシノさんはきっと…出ていってしまうって。」
「私、それはイヤだったんです。」
「けれど、どうしても処分は…ホシノさんにとってきっと大切なものを、こっそり捨ててしまえるほど…私は強くないですから。」
傍にいて欲しい、けどあなたの望みを消したくない。そんなワガママ。
けれど、そんな気持ちがヒナにはよくわかった。
そして、今彼女がどう思っているのかも。
「私も多分、そうしたわ。…でも、こうして先生とホシノを見送ったら、存外悪い気はしないのよね。」
「…はい。」
焚き火の煙越しにアビドスの地平を、二人は眺めた。きっとその先で、今頃ホシノは治療を受けていることだろう。
この寂しいような、すがすがしいような心地はなんだろうか。火を囲む人数が一人足りなくなったことからくる、喪失感から来ているにしては、妙に優しく穏やかだ。
「ヒナさん。私、ホシノさんにしあわせになってほしいです。」
「うん。」
「私達といて、砂糖を舐めていても、ホシノさんはいつもどこか、物足りないような、こらえているような様子がありました。」
「…きっと、私達では、ホシノさんをしあわせにはできなかったんでしょう。」
「…そうね。」
「だから、ホシノさんが、また『アビドス』に戻ってこられるようにしようと思うんです。」
ハナコは紙の最後の一束を火の中へと突っ込んだ。
焼かれていく書類は、小鳥遊ホシノが、新生アビドスの首魁として、命令を出したという証拠たちである。
これとまったく同じ形式で、しかし一部が違うものが、いまのアビドスには存在する。
「ハッピーエンドを目指しましょう。」
「お姫様を騙して呪い、王国を乗っ取った悪い魔女がいました。」
「しかし、お姫様は他国の王子様の言葉と妹達の手紙で呪いから解放されたのです。」
「魔女はお姫様を取られたことに怒り狂い、他国へ手下達を差し向けます。」
「お姫様は王国を魔女から取り戻すために、王国に王子様達と共に戻ってくるのです。」
「なら、私は魔女に付き従う恐ろしいドラゴンかしら?」
「ふふふ、期待していますよ?素敵な勇者様達もいるみたいですし。」
冷たく静かな砂漠の夜。焚き火に照らされた二つの影が、静かに物語を描いている。
それは素敵なハッピーエンド。
悪い魔女と恐ろしいドラゴンが、愛と勇気で打ち倒されて、お姫様は大切な妹達と再開を果たす。そんなお話。
彼女達は気づいているのでしょうか。
お姫様の言う『みんな』にはもうとっくの昔にあなた達がいることを。
他国の王子様にとっては、あなた達も素敵なお姫様であることを。
火に当たっている二人がどうしようもなく寒そうで、暖かい何かを求めていることを。
けれど。
あぁ、気づいているから。
二人は禁じた筈のあまりに白すぎる砂糖をもてあそんでいるのでしょう。
必ず終わりが訪れるように。
ハッピーエンドを目指せるように。
それが、甘くない、苦い終わりだとしても。