ハッピーエンドのその先も
「もうすっかり春だな…お前の弟くんたちにとっては進級と卒業の時期か?」
「ええ、今年はエピデムが卒業ですね。ツララの元に就くので顔を合わせる機会は増えそうですが」
イノセント・ゼロを倒した後の後処理や新体制への準備もひと段落した春のひと時、魔法局内警備隊隊長室。
そこでは警備隊長である神覚者、光の神杖ライオ・グランツと副隊長であるドゥウム・バーンデッドが休憩をとっていた。
「三男くんか。また男前が増えるな…!」
「男前かは分かりませんが……アイツも奔放な奴なので、ツララにはまた迷惑をかけるかもしれません。
イノセント・ゼロのときも私に説教が回ってきましたし強く言っておかないと」
「あの件に関してはお前も相当無茶しただろうに」
「………」
ライオの苦笑交じりの忠言にドゥウムは気まずげに顔を逸らす。
誰も彼もが死力を尽くした戦いであったとはいえ、その中でもドゥウムたち兄弟は文字通り命を削る無茶を行った。
その事で彼らの周りの人間に散々叱られ心配され、特に彼らの養父に泣きながら懇々と説教されたのは効いているらしく、この話題を出されれば気まずげな様子を見せるのは事情が事情とはいえ少々微笑ましい。
「まぁこうしてお前が茶飲み話に付き合ってくれているんだ。二度目の説教は控えておくさ」
「…痛み入ります。」
「考えてみれば、こうして二人で話をする機会が出来たのもありがたい。
イノセント・ゼロの一件の前は中々深い話はしてくれなかったからな」
思い返せば、ドゥウムはいつもライオたちとは違う方を向いていたように思う。
ドゥウムの魔法警備隊での働きに不満を覚えたことはない。ライオ自身の性格もあり、普通の上司と部下よりもコミュニケーションを取ってはいたが─上司であるライオに対しても他の隊員に対しても、同期で親しい間柄であるツララに対してもどこか薄い壁を作っている節があった。
ポツポツとこぼされる家族の話によく含まれていた「今の世界では自分の家族は生きにくい」という言葉に察するところはあったものの、どこまで踏み込んでいいものか悩んでいるうちにマッシュ・バーンデッドの魔法不全が分かり、そのままあれよあれよと状況が進んでいったわけだが、まぁそれにしても
「一言あっても良かったと思うんだよな~……」
「説教は控えるのでは?」
「言質取った途端!」
「…まぁ反省はしています。ツララにも「信用してなかったのか」と散々怒られました」
「そこはオレも言いたかった事だな。お前の責任感の強さは男前だが、必要なときに誰かの手を取れるのも男前の条件だ」
お前の境遇を考えれば仕方ないのかもしれないが、と付け加えるライオの言葉を聞きながら、ドゥウムは少し前の自分を思い返す。
─自分たちはこの世界にとって異物なのだと、分かっていた。
偶然が重なった事故で遺伝子上の父親の元から離れ、今の父に拾われた。
父は男手ひとつながら自分を正しく育ててくれた。弟たちはそれぞれに個性的だが自分と父のことをよく慕ってくれた。
あの森の中の家で、家族七人だけで、一生平穏に暮らせると、そう思っていた。
だが、スカウトされ父に勧められ入学したヴァルキスで教わった「常識」は自分たちの異質さをまざまざと感じさせるものだった。
遺伝子上の父が魔法界史上最悪の犯罪者 イノセント・ゼロと呼ばれる存在であること
父であるレグロのように魔力の少ない人間はこの世界では虐げていい存在とされること
そして末弟のマッシュは魔法不全者であり─この世界で生きることが許されない存在であること。
それらを知り、自分たち家族の平穏の不確かさを認識し、ドゥウムは家族以外の全てを切り捨てることを決意した。
自分の手に届くものを死んでも守ろうと思った。父と弟たちが安心して笑って生きていくこと以外に優先すべきことはないと思考を固めた。
神杖を託した同期であっても、信を置いてくれる上司であっても、いざとなれば剣を向けられるつもりであったし、実際にあの頃に思想が対立すれば迷いなく敵対しただろう。
だが、現実では同期と上司はこちらを見放さずに叱り、弟たちの友人たちも出自が分かってなお自分たちとの関係を手放さないものばかりで。
「お前もまだ20だしな、これから存分に頼ってくれればいい。手始めにオレのブロマイドをやろう!」
「間に合ってます。……先ほど私が無茶をしたと言われましたが」
「ん?」
「私も、私たちも…貴方がたの「無茶」を見て思うところが無かったわけではない、ということは申し上げておきます。」
確かに、先の戦いで身を削る戦い方をした。
だがそれ以外の人間が、特に神覚者の面々が自分の身を顧みるような戦い方をしたかと言えば、そんな事は全くない。
レナトス、アギト、ソフィナ、ツララの先遣隊は敵の情報を得た代わりに見せしめとして民衆の目に晒されるように痛めつけられ、残りの四人も兄弟のクローンやイノセント・ゼロの戦いで文字通りの死力を尽くした。
イノセント・ゼロの魔法で全ては巻き戻ったとはいえ─親しい人間が痛めつけられる光景を、目を背けたくなるような傷を、耳をふさぎたくなるような苦痛の声を、忘れたわけではないのだ。
…ドゥウムたちが言えたことではないと言われれば、その通りなのだけれど。
「…フッ、お互い様というわけか。」
「ええ……正直、そう思うことに自分で驚いていますが」
例えば、傷ついた姿が頭にこびりついて消えないこと。
例えば、元気な姿を見て安堵すること。
例えば、休憩時間に他愛のない大切な話をすること。
─そんなことをしている時点で、その人たちのことを大切に思っているなんて、ドゥウムはとっくに気づいていた。
「弟たちも最近「友だちと遊んでくる」と出掛けることが多いんです。」
「そうか、友人が増えるのは良い事だな!…それとも、兄としては寂しいか?」
「まさか、弟離れはとっくに済ませてます。むしろ安心してますよ。
……まぁ懸念事項はありますが」
「懸念?」
ドゥウムの口から出た言葉にライオは軽く首をかしげる。
話し込んで冷め始めている紅茶に口をつけながら、ドゥウムはその懸念事項を語った。
「私たち兄弟は「世界と大事な人どっちを選ぶ?」というような状況で躊躇いなく大事な人を選ぶタイプです。」
「そうだな?」
「はい。そして今回の件でその「大事な人」の範囲が広がった、もしくは広がっていたことを自覚しました。」
「…なるほど」
「つまり、私たちが周りの「大事な人」を優先して世界を切り捨てる可能性が家族だけを庇護していた時期よりも高まりました。」
「真顔でめちゃくちゃ言うじゃん」
要は地雷が増えたとも言える。
大事な人が増えたとはいえ、兄弟たちに共通する自分の手の届かない範囲にはそれなりに冷淡な気質は変わったわけではないのだ。
もしも何らかの理由で兄弟の友人や恩人が世界から排斥されそうになれば、兄弟たちは躊躇いなく世界に反旗を翻すだろう。
今回の件でそれぞれパワーアップした兄弟たちが敵に回る可能性の示唆はある意味脅しとも言えるのだが─一瞬ツッコミを入れたもののライオはすぐにいつも通りの自信に満ち溢れた笑顔でドゥウムを見据えた。
「確かに今のお前たちにとってはこの世界の優先順位は低いだろうな」
「…そうですね。この世界の後ろ暗いところも、気に入らないところも、それなりに知っています。」
「ならば、お前たちにこの世界をまるごと好きになってもらえるよう、俺たちがより良くしていくまでだ。
おっと、急に全部好きになってもらうなんてのは難しいのは分かっている。まずは、こんな世界も悪くない、滅ぼすには惜しいって思わせてみせるさ。
この俺、人類最高傑作ライオ・グランツの名にかけて!」
ライオは笑う。いつも通り、自身に満ち溢れた顔で。
ドゥウムには見えない笑顔だった。それでも、そういう顔をしているのだと確信できる。
「期待しています。ライオさん」
ライオが、ツララが、他の神覚者たちが、命を賭しても守ろうとした世界だ。
そして、自分たちが父に育てられた世界だ。
ならば、これから先に望みを託していいだろうと、今の自分は笑って言える。
だって、自分は家族以外のことも大事に思えるようになったのだから。
誰も死なないご都合主義のハッピーエンドのその先に、もっと幸せになれる未来を垣間見た気がして、ドゥウムは笑った。