ノーダメージなわけなくない?
本誌の学パロ直義先生に置いて行かれた尊氏の話※↓「元漫研の石塔君が軽音部入部に至るまで」の尊氏視点
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※オリジナル清子(尊氏と直義の母君)がめっちゃ出張ってる
※尊氏のメンがヘラってる
※直義はほとんど出ない
※高兄弟が気の毒
「師直はよく頑張っているな」と尊氏はぽつりとこぼした。
こんなことを副社長である師直に言えるのは社長である尊氏くらいのものだ。実際師直はよくやっていた。尊氏の弟で会社の中核を担っていた直義や、直義を慕って社を去っていった者たちの穴を埋めるべく、有能な人材を見つけてはヘッドハンティングし、採算が取れない事業は是正、場合によっては廃止し、今後の経営戦略の提案まで執り行う。尊氏はそれに頷くだけだ。師直の剛腕により、この3年間、年商は堅調に推移していた。
「大したものだ。もはやお前の会社といっても過言ではないなあ」
「なんということを。過ぎたお言葉です。尊氏様あっての我が社。どうかこれからも我らをお導きくださいますよう」
師直のその言葉に対し、尊氏は曖昧に笑みを返した。
師直も気が付いている。尊氏がとっくにこの会社への興味を失っていることを。原因は間違いなく先代副社長の直義の出奔だった。
直義は優秀な男だった。大学在学中から兄の起業を助け、データに基づく巧みなプレゼン能力で数々の融資を勝ち取り、実直な人柄と相手の要望に沿った振る舞いで取引先や部下たちとの強固な信頼関係を築き上げた。…優秀すぎたのだ。尊氏よりも直義を社長に、と望む声はいつしか無視できぬほど大きくなり、会社を二分するまでになった。直義は無欲な男だった。本人がそれを望めば、師直たちどころか尊氏すら追い出すことも可能だったろうに、退任を望む師直たちの言葉に従い、育てた会社も部下たちも何もかも捨て、いずこかへ消えた。師直はこれでひとまず平和になると考えたが、想像よりもはるかに直義の影響は大きかった。直義の何よりも恐るべき能力は人を鼓舞し発奮させる力だった。直義の部下にも、師直たちの硬軟織り交ぜた慰留で尊氏に忠誠を誓いなおしたものは大勢いる。しかし、直義の居た頃のパフォーマンスには到底及ばなかった。「直義副社長のご期待にそうために」と一時は社から表彰を受けるような働きを見せていた男も、今はノルマギリギリを行き来するようになっている。一人頭のパフォーマンスが下がるのであれば人数を増やすしかない。即戦力の採用には費用がかかる。年商は伸びつつも、利益率の観点で見ると現状芳しくはない。そして誰よりも直義から鼓舞され発奮し続けていた男――兄尊氏は、会社に居つかずよくいずこかへ抜け出すようになっていた。
「宝塚はいいなあ。星組の公演を見てきたがトップスターが抜群に良かった。見ろ師直、ブロマイドだ」
細面に切れ上がった目。誰かさんの面影がある。ああ、と師直は嘆息する。尊氏も最初はこうではなかった。師直の弟師泰が直義の辞表を手渡したとき、激昂することは二人とも想定していた。直義自身が望んだことであり慰留は難しかった、こうなることが会社にとってもよかった、と言い募ったが、激昂どころか師直になど目もくれず電話を掛けだした。ややあって電話が通じないことを悟ると「火急の用ができた」と詳細を告げずに会社を飛び出し、帰ってきたのはその翌々日だった。その後しばらく直義がいたころよりも勤勉に働いていたが、ある日まるで糸が切れたようにやる気を失い、今に至る。こちらが手を変え品を変え、あるいは御舎弟の物言いを真似、どうにかしてやる気を取り戻させようとしたが、効果は一向に得られなかった。こんなはずではなかった、と師直は思う。昔寝た人妻から「今の旦那はよその奥さんから寝取ってやったけど奥さんから離れたら途端にだらしなくなった。元の奥さんに返品したい」などという愚痴を聞いた時は内心せせら笑った―ついでに貞淑さのかけらもなくて萎えた―ものだったが、今まさしく同じ轍を踏んでいるのではないだろうか。カリスマ性で力強く社員を牽引し、神懸かり的な鼻の良さで次々当たる商品を予見し世に出した、師直が惚れ込んだ天才はもう見る影もない。
こちらが追い出した意地もある。どうにかして会社がよくなったと証明したかったが、もはやそんなことを言っている状況ではない。少なくともこの社長のことだけでもなんとか鼓舞してもらわなくては。
「…師泰」
尊氏が席を立った隙に唯一直義とのパイプを持つ弟を促すと、スマホを構えながら、「いいけど兄者、直義様ほとんど返事くれないぜ」といった。
その瞬間、気温が20度くらい下がったような感覚を覚え、後ろを振り向くと目を見開いた尊氏がいつの間にやら戻ってきていた。
「今直義といったのか」
* * *
3年前のあの日、尊氏にとって忘れもしない10月11日。2週間の出張―思い返せば、スケジュールを組んだのは当時秘書だった師直だ―を終え、弟への土産を両手に社に戻ると、いつも整理された弟の机に何一つ物がないことに違和感を覚えた。尊氏を出迎えた師泰が胸元から白い封筒を取り出すと、心臓が口から飛び出すのではないかと思うくらい大きくはねた。弟の性格が出た几帳面な文字で「辞表」との表書きがあった。
「私は自らの不手際に端を発する騒動の責任を取るため、平成28年9月30日をもって貴社の副社長を辞任いたします。本件について全ての責は私にあり、騒動へ巻き込まれた者たちへの寛大な措置を何卒お願い申し上げます。
平成28年9月26日
副社長 足利直義」
ところどころ文字が震え、名前に至っては何らかの水分で滲んでしまっている。弟のものとは思えない無様な出来の書類だった。
すぐに弟に電話をしたが出ない。そうだ、出張中も10月に入ってからは弟と通話ができなかった。寂しくはあれど忙しい身の上なのは知っていたのでそんなものかと思っていた。ふと弟の車にGPSを付けていたことに思い至り位置情報を確認するとマンションの車庫にあるままだ。望みは薄いかもしれないが、まずは弟のマンションに行ってみよう。そこにいなければ母親に連絡し、直義の戸籍の附表を取ってもらう。それに、真面目な直義のこと、年老いた母親相手に何の挨拶もなしに失踪するとは思えない。何か言い置いているかもしれない。
まず訪れた弟のマンションには、案の定弟はいなかった。尊氏が来ることを予測したように、小さめのダンボール2箱とその上に「お返しできるものはお返しいたします」というメモ書きが添えてあった。中身は今まで弟にやったもの。成人式の時に買ってやったブランドものの腕時計、車のキー、起業した時に仕立ててやったスーツ一式、果ては名刺入れやカードケースといった小物や、いつ描いたんだかわからないような似顔絵のようなもの、預金通帳と印鑑、解約の委任状一式まであった。何やら言葉にならない衝動を覚え、気づけば片方のダンボールが1/2に圧縮されていた。金目のものばっかり入っている方だ。危ない。自分の描いたものとはいえ直義がぐしゃぐしゃになったらかわいそうだ。尊氏はこれ以上やたら物を壊さぬようにマンションを後にし、やむを得ず長らく会っていない母親に電話をかけた。
「ああ母上、お久しぶりです。お願いがあるのですが、直義の現住所を知りたいので戸籍の附表を取ってもらえませんか。なるべく急ぎで。っていうか直義からなんか聞いてます?そういえば母上の方はお変わりありませんか?」
『ご挨拶ですね尊氏。……お前らしいですが。頼みごとがあるならば直接来なさい。それが礼儀というものでしょう』
母親と会話すると、直義は母似なのだなと思う。来いというなら母のところへとりあえず行ってみよう。実家は栃木にある。少し遠いが目的達成のためにはやむを得ない。
母親似の弟のことは心から愛している尊氏だが、母親自体のことはそれほどでもなかった。男児としては珍しいかもしれないが、心から愛しているわけでもなければ憎んでいるわけでもない。育ててもらったしそれなりの敬意は払おう、とその程度である。大学進学のため京都に出てからは電話ですらほとんど会話した覚えがない。4時間以上かけてここまで来たが、勿論涙の歓待など受けず、淡々と玄関脇の和室に通され、淡々と恨み言をこぼされる。これで収穫がなかったらやるせない。
「直義はもっとまめに顔を出してくれていましたが」
「申し訳ない。社長業などやってるとなかなか時間が作れぬのです」
「育て方を間違えました」
「これは手厳しい」
「……直義の、話です」
「はあ?」
それは聞き捨てならなかった。あの宇宙一よくできた弟の教育を間違えた?何を言っているのか。自分のことならばまだしも。尊氏の怪訝な顔を意にも介さず還暦を過ぎた母―清子が続ける。
「私がお前になんといって育てたか覚えていますか」
「『お前は兄なのだから、弟をかわいがって守ってやるように』でしたっけ?その通りに育ったつもりですが」
「……直義にも同じように言っていたのです。『お前は弟なのだから、出しゃばらず、兄上を立て尽くすように』と。」
「おっしゃるように育ったと思いますが。育て方を間違えたとは?」
現代の時流から考えるとかなり古めかしい考え方であることは否定しないが、尊氏と直義の兄弟はそれでうまくいっていた。尊氏は槍がふろうがミサイルがふろうが直義を守ってやるつもりだし、直義はいつも3歩下がって後ろをついてくるような慎ましい弟だった。あまりに尊氏がだらしないとズケズケと正論を述べてくるような面もあったが。尊氏はこの教育について何の文句もない。この上なく素晴らしい弟だと思っているし、清子にもそう伝えた。すると、清子は沈痛な面持ちでうつむいた。古びた湯飲みが震えている。
「……直義は、先週来た時家には上がりませんでした。そこの土間に所在なさげに立っていたのです。あの背筋のピンと伸びた子が、小さくなって俯いて…『言いつけの通りできませんでした。不出来な息子で、弟で、面目次第もございません』と」
「は?」
「……頭を深々と下げ、震える声で『最早私の存在はご迷惑になるだけ。母上にも兄上にも、もう二度とお目にかからぬようにいたします』と。……お前も直義も35を過ぎてからできた子だったから甘やかしすぎないようにと思っていたけど……こんなことなら、もっと甘えさせてやればよかった。昔はお前と同じくらい天真爛漫な子だったのに、あんな、あんな……」
ぼろぼろと清子が涙をこぼしたのを見て尊氏は驚嘆した。いつも気丈で厳しい母が泣いた顔など見たこともなかった。それよりなにより、弟が、直義がそこまで精神的に追い込まれていたなどということが信じられなかった。言いつけ通りの出来のいい弟が、何故そうまで萎れる必要があるのか?最近確かに、なんだかのぼせ上ったもの共が我らを割こうとしており、それに苦慮しているのは気付いていた。だがその程度のことが何だというのだろう。母が不義理な自分を責めるために一芝居打っているのではないかとすら思う。
「理解できかねます。直義は我が半身。いてくれなければ我が困ることは直義も承知のはず」
「…………お前がどう思おうとも、お前の弟で、私のかわいい息子だった直義はもういません」
おや?と思った。いかにもひっかけ染みた言い回しだ。やがて、尊氏は思い至りニヤリと笑みを浮かべた。
「………だまされませんよ母上。今の言い回しでピンときました。養子に出しましたね?養子縁組なら法律的にも問題なくスムーズに苗字を変えられる。苗字が変わるだけで段違いに探しにくい」
「……おや。もうバレましたか」
清子は涙を止め口角を上げた。こんなところは本当に弟と似ている。いや、弟が似たのだろうが。しかし、母親とじゃれているような時間は惜しい。一刻も早く自分の片割れを取り戻さなくてはならない。
「母上。からかわないでください。そうまで我から直義を隠さなくてもよいでしょう。どこに養子に出したのですか」
「お前には教えません」
「……なぜです?我と直義は一心同体ですよ。傍にいないなんておかしい。我々を引き離すようなら、母上とて…」
「直義自身がお前から離れたがっているからです」
「………?」
タダヨシジシンガオマエカラハナレタガッテイル?尊氏には理解できない日本語だった。本当に文章として頭に入らなかった。よくわからないが多分母は急に韓国語か何かで話したのだろう。理由はわからないが。
「お前は私が嘘を吐いていると疑っているようですが、今までの話に嘘はありません。養子の話を持ち出したのは直義からです。そうまでして離れようとしているあの子をお前のもとに戻したら、今度こそ死なせてしまう。そうなればお前も耐えられないでしょう。少なくとも私は……耐えられない」
「我の居ぬ間に部下が勝手をしたのです。もうさせない。常に我といれば有象無象から傷つけられることはないですし、我が絶対に死なせない」
「いい加減になさい。弟に首輪でもつけて飼うつもりですか。ああまでボロボロになるような場所に戻したいというのはお前のわがまま以外の何物でもありません」
「かわいそうに。そこまでボロボロになってるのなら急いで慰めてやらないと。どうせこの足利市周辺か鎌倉でしょう。あなたが教えてくださらないならしょうがない。自力で探します」
「話の通じない……もう勝手になさい。お前につける薬はありません。直義を見つけても無理を強いぬように」
勝手にせよとのお許しを頂いたので、喜んで勝手にすることにする。もう母に用はないが、この家は直義探しの拠点としよう。鎌倉は母の実家である上杉家がある。母か直義の伝手なら、どうせどちらかの近くだろう。尊氏は勘がいい。直義とのかくれんぼで負けたことはない。すぐに見つけられる確信があった。今日はとりあえずこの周辺を見て回ろう。続きは次の休みでもいい。尊氏は次の対応に興味が移っていたので、清子の「お前は直義のことばかり考えているのに、直義の気持ちは考えてやらないのですね……」という言葉は耳に入らなかった。
その後、今までの人生何もかも尊氏の思い通りに行っていたのが嘘のようにうまくいかなかった。仕事の勘だけは変わらず好調だったが、取引先に「弟さん抜きでも貴社の勢いは止まらないようで何よりです」と言われ一気にやる気をなくした。弟の足取りも3年かけても杳としてつかめない。尊氏が知る限りの母の親戚や知り合いに当たったが、誰一人尊氏に有力な情報を与える者はいなかった。念のため戸籍謄本も当たったが、分籍のため除籍とあり、その後の戸籍情報は追えず、母も口を割らない。興信所で探偵も雇ってみたが音を上げられた。ネットの情報もかなりさらってみたが、直義らしき情報は見つけられていない。日本中をぶらついてみたが、弟の姿を見つけることはなかった。最初の1年は必ず見つけられるはずだと確信していたが、3年たった今はもう弟には会えないのではないか、とぼんやり思うようになった。このような弱気は尊氏には初めてだった。
弟の居ない世界は尊氏にとっては茫漠としており、誰に対しても興味が持てず、何を食べてもうまいと思えなかった。せめてもの慰みになればと昔からの趣味である観劇に走ってみたりしたが、それも今一つ熱中できずに気が付けば弟の面影を追ってしまっていた。
起業準備中の兄弟での会話を思い出す。社名の決定の時のことだ。呆れたようにため息を吐く弟の姿が思い浮かぶ。今の尊氏でも、弟の姿だけはしっかりと思いだすことができた。
「これでは何の会社かわかりません。もっと業務内容が伝わるものの方がいいですよ」
定石を述べる直義に尊氏が笑って反論する。
「いいんだ。やりたいことをやる会社なのだから社名で業務内容を縛られたくない。大体今日び足利産業(株)みたいなのダサいだろ」
「いや、わかりやすくていいと思いますが」
「とにかく、社名は『Sol et Luna』で。お前にもこれは譲らん」
いいよな?と改めて満面の笑みを浮かべると、直義も困ったように笑った。
「…まあ、ロゴも入れれば朝から晩まで我が社の商品をご愛顧ください、という意図は取れるか」
「そうではない。我が太陽でお前が月、我の行き届かぬところはお前が照らしてほしいと願いを込めた」
「そのような個人的な内容、会社概要に載せられません。余所ではおっしゃらぬよう。フフ。そんなにお可愛らしい膨れ面をされても、ダメですよ」
「むう」
「そんな公表なんてしなくても、直義は兄上をお支えしますから」
感極まって力いっぱい抱きしめたら背骨が折れると文句を言われた。
――ずっと仲の良い兄弟だったろう、直義。お前には捨ててしまえるようなものだったのか?たかだか会社や従業員を守ることの方が我の傍にいることより大事だと、お前は……?……それとも、実は、養子の話こそ我の目をそらさせるための嘘で、本当の本当にお前はもうこの世にはいないのだろうか。それならば我もこんなつまらない世は捨てていっそそちらに行ってしまおうか?
ふらふらと事務の引き出しに向かい、衝動的に業務用のごついカッターに手を伸ばした時、確かに師泰から「直義様」という言葉を聞いた。
* * *
尊氏は狼狽する師泰からスマホを取り上げ「直義様」とのメールのやり取りを確認する。受信トレイにはほとんどその連絡先からの受信はなかったが、2か月前に「苦労を掛けてすまないな」という簡素なメールがあった。「尊氏様が宝塚だかにはまって帰ってこなくて困ってます」というしょうもない告げ口に対する返信だ。
――直義だ。直義がいるのだ。
すぐに師泰の携帯から連絡先を転送し、自分の携帯から連絡しようとするのを師直が諌める。
「いけません」
「なぜ我が弟に連絡するのにお前の許可が必要なのだ」
「直義様はしがらみの少ない師泰だからこそ気安く連絡をよこしたのです。尊氏様から連絡しては、この連絡先すら閉ざされるでしょう」
「なぜ直義は我ではなく師泰などと連絡を取るのだ?なぜ…」
ぶつぶつと呟く尊氏はだれがどう見ても病的だと言うだろう。ここまでか、と師直は思った。どうあっても直義様に戻ってもらわねば、尊氏様は押さえられない。要は会社の実権さえなければよいのだ。相談役か何かに収めて、尊氏様の機嫌を取るだけの役目についてもらおう。
「失礼いたします」
師直は素早く尊氏の手から師泰のスマホを奪い返し、師泰に投げてよこす。完全に目がきまっている尊氏と対峙すると、さしもの師直も肝が冷えるが、やりたくなくてもやらねばならないときはある。
「師泰。直義様に連絡しろ。社に戻るように頼め」
「兄者、そりゃ無理だ。直義様、会社関係のことはマジでタブーになってる。絶対返信が来ない」
「なら直義様が恋しくて尊氏様が半狂乱になっているとでも言え!とにかく居場所を聞き出せ、嫌でも帰って来て頂く」
「じゃあとりあえず住所聞いてみるけど…どわっ!!」
「うおおっ!!!」
師泰がメールを打とうとすると、師直が凄まじい勢いで師泰に突っ込んできた。尊氏に投げ飛ばされたのだ、と気づくのに数秒かかった。
「そもそも。そもそもの話だ。お前たちは直義から辞表を預かった際慰留したが止められなかったとか言っていたが、なぜその時点で我に連絡しなかった」
「………直義様たっての「お前たちがそそのかしたのではないのか?そうでなければ直義が我から離れるなど考えられない。そもそも直義が望んで書いた辞表なら、あんなボロボロの状態では提出すまい。引継ぎに際しても準備が良すぎる。お前たちのせいだろうそうに違いない。我と直義を引き離しておきながらお前たちは兄弟で共に居れるのか」
師直も師泰も戦慄した。尊氏は普段笑顔の絶えない爽やかな男だが、今はマグマのようなドロドロの怒りに包まれている。カリスマ性からくる底知れなさへの畏怖は今までも感じていたが、そんなものよりもっと原初的な恐怖を二人は感じていた。
「直義を取り戻せなかったらお前たち二人ともどうなるかわかっていような」
師泰は祈るような気持ちで何度も直義にメールを送った。本当に仏にすがるような思いだった。2時間くらい経って尊氏の業が煮えかけたとき、不審に思ったのか、あまりの必死さに哀れを覚えたか、気まぐれか、とにかく直義からの返信があった。
件名:Re: Re28: バレました
本文:命の危険などと大げさな。兄上はお優しい方。そんな蛮行をなさるはずがあるまい。何があったか知らぬが、お前や師直がしっかり兄上をお支えしてくれねば困るぞ。兄上の会社が今も堅調に年商を伸ばしていることは把握しているし、お前たちのおかげだと感謝している。これからもよろしく頼む。
こちらの状況など知らぬ呑気なお優しい内容だが、相変わらず居場所の情報などは一切ない。これは終わったか、と師泰は死を覚悟したが、恐ろしいほど上がっていた気温が落ち着いたことに気が付いた。
「ただよしぃ~~~」
先ほどまで地獄の鬼のような表情をしていた男が、子供のようにめそめそと声を上げ泣いていた。
「お前の兄は蛮行などせんぞ~~せんから、戻って来てくれェ~~」
師直と師泰は互いに顔を見合わせ、どうやら命拾いしたらしいことを悟った。多分、3年間欠乏していた直義分が接種できたので多少なり落ち着いたのだろうと結論付けた。これならちょこちょこ兄を立て、美化するメールを送ってもらうだけで何とかなるかもしれない。会社のことも気に留めてることが分かったので、直義の目がある、と言えばもう少しやる気を出してくれよう。尊氏からの蛮行に体中が痛んだが、とにかく、今回ばかりは二人とも、素直に直義に感謝したのだった。
* * *
直義は仕事を終え、帰途についていた。帰りの電車内で、恐らく入るであろう時期外れの新入部員や明日の授業内容について考えていたが、ふと、フリーメールの着信をミュートにしていたことを思いだし、ミュート設定を切ろうと携帯を見ると、師泰から30件ほどメールが来ていた。最初は「住所かせめて電話番号を教えてほしい」という依頼が、最終的には「このままじゃ殺される」「助けて」のような悲鳴に変わっていた。
そんなことでは困る、という内容のメールを直義は送り、また業務についての思索に戻った。
その後、あと一駅で自宅の最寄り駅に到着するというところでまたも師泰からメールが来た。
件名:マジで感謝
本文:命拾いしました
メールには、ボロボロになった懐かしい役員室で、生傷だらけの師直と師泰がサムズアップし、その前で尊氏が満面の泣き笑いを浮かべている写真が添付されていた。(なお、師泰は笑顔だったが、師直はいつもの無表情だった)直義は思わず声をあげて笑い、その後電車内であったことを思い出し赤面した。