ノンシュガー・サマー
「もっと!」
「ううう……!」
「もっと!!」
「うおおっ……!」
「もっとぉっ!!!」
「うおおおおおおおおっ!!」
ヨシミに急かされるままに、遅いリズムだったドラムが徐々にペースを上げる。
ダン、ダンとコマ切れだったものがダダダダと切れ目なく連続するようになり、ヨシミは満足げに頷いた。
「やればできるじゃない」
「ふう、ふう……ドラムというのはこんなに疲れるものだったんだな」
「ドラムいなくちゃバンドにならないから当たり前でしょ」
「そのようだ……これもまた、ロックという訳か」
肩を回しながら頓珍漢なことを言うナツにいつものことか、とヨシミは呆れつつも、グループ練習をしていたもう一組に声を掛ける。
「アイリ、カズサ、そっちはどう?」
「大丈夫だよヨシミちゃん。絶好調」
「悪くないね」
返事をした2人はそれぞれのベースとキーボードをかき鳴らす。
詰まるところもミスをするところもない、よどみなく動くその指先が修練の証だ。
「私もギターはだいぶ上達したし、後は合わせてズレを矯正していきましょ」
「人前で演奏する、なんてガラじゃないけど。だって」
「……なんだい、怖気付いたのかキャスパリーグ。セムラのときはあんなにやる気だったというのに?」
「……あ゛?」
「もうナツちゃん、カズサちゃん、2人とも喧嘩しないの」
少し気後れした様子のカズサに、ナツがからかうように声を上げる。
青筋を立てたカズサとの間にアイリが割って入り仲裁をした。
そう、仲違いしている余裕などはないのだ。
「私たちの晴れ舞台を折角ホシノ様が用意してくれたんだよ。失礼のないようにしないと」
「……」
「そうね。なんてったってヒナ様とのセッションだってあるんだから。私たちがヒナ様の顔に泥を塗らないように、もっと技術向上しないとね」
「……」
「私はホシノにあっと言わせないと気が済まないし。あいつアビドスに来た私のこと見て『うげっ』て嫌な顔したし」
「……そ、そうかそうか。うん、それもまたロックだね」
「ナ~ツ~! あんたが一番リズム遅れがちなんだから、もっと頑張んなさいよ!」
「おお、アナタヒドイヒト、私に厳しいネ」
声を上げたヨシミに、ナツは似非外国人のような口調で悲鳴を上げる。
「あんなビートを刻み続けたら手足が死んでしまう。時には休むこともロックだと思わないかね?」
「はあ? そのくらいお菓子食べてたら問題ないでしょ。アビドスシュガーなんだから」
「……そう、だったね」
「あ、ナツ。そういえばさっきセムラがどうとか言ってたけど何の話?」
「……いや、私の記憶違いだ。いっそ笑うといいさ、この哀れな私を」
「あはははははっ!」
「だっさ」
「もうナツちゃん、そんな自分を卑下しちゃだめだよ。私たちみんなナツちゃんのこと大好きなんだから」
「ああ、アイリ……」
顔を落として自虐するナツ。
またやってるよ、とヨシミとカズサが笑う。
虐めなどではなく仲が良いからこその遠慮のないプロレスだった。
だがそれでも心を痛めるのがアイリという少女だ。
アイリが寄り添い肩に手を掛けてうつむいた顔を上げさせる。
「ありがとうアイリ。やっぱりアイリは優しいね」
「そんなことないよ。それより、もうひと頑張りしよう?」
「良いとも。元から喧嘩なんてしていない。なんてったって私たちは甘味の下に集った同志だ。アイリが結成したね」
「そうだよ。やっぱり皆がいないとスイーツも美味しくないしね」
「ああ。私たちは『放課後――」
「4人揃って『アビドスイーツ団』だもんね」
「……」
「どうしたの、ナツちゃん?」
こてん、と首を傾げたアイリに対し、ナツは明後日の方向を向いて答えた。
「さっきからスイーツの話が飛び交ってるし、お腹もすいた。どうだい? ここはスイーツ休憩というのは」
「あ、賛成。私も食べたい」
「そうだろうそうだろう、集中すると脳が糖分を欲するのは人の欲求として正しい」
「ナツ、あんた前に獣呼ばわりしてなかったっけ?」
「記憶にないな。記憶にないということは些細なことだから気にしなくていいんだキャスパリーグ」
「また屁理屈こねて……」
都合のいい記憶能力だ、と呆れるカズサ。
その隣でヨシミがスイーツの言葉に声を弾ませる。
「ねぇねぇ何食べる?」
「抜かりはない。ミルクプリンを用意してある」
「またぁ? ナツあんた前にもプリン作って失敗してたじゃないの。よくもまああそこまで味気ないプリン作れたと感心したくらいよ」
「ふっ……味見していなかったことがあんなことになるとは思っても見なかったよ」
「『砂糖』と『塩』を間違えるなんて古典的なミスよね。ナツ、あんたメシマズヒロインやれるかもよ?」
「願い下げだ。それに失敗は成功の母ともいうだろう? 私はもう失敗しない」
「その心は?」
「作れる人に作ってもらえばいい。そもそも私は食べる専門だからな」
「……まあ道理よね」
釈然としない感じだが、そもそもスイーツを食べるのが目的なので、作ることは重視していないから間違いではないとヨシミは納得する。
「さて、では持ってくるから待っていたまえ」
「ナツちゃん、手伝うよ」
「バケツプリンというわけじゃないし、一人で大丈夫だよアイリ」
「そう? なら楽しみに待ってるね」
「ああ……ついでに少しお花を摘んでくる」
「うおぇっ……うぐぅ……ううううううう!」
喉からせり上がって来た胃酸を容赦なく便器へとぶちまける。
吐き気がしそうなほどの甘ったるい空気の中を過ごし、限界が来たからだ。
「あぶなかった」
アビドスイーツ団の名前が出た瞬間、奇声を上げて逃げ出してもおかしくはなかった。
柚鳥ナツは放課後スイーツ部なのだ。断じてアビドスイーツ団などではない。
ヨシミの指摘は正しい。
作ったプリンが不味い?
当然だ、味見などできなかったのだから。
砂糖と塩を間違える?
当然だ、『砂糖』以外に『塩』なんてものが流通しているなんて知らなかったのだから。
「……もういいのですか?」
「ああうん」
トイレから出て来たナツに、横から声が掛かる。
予想していた声に、ナツは安堵したように息を吐いた。
「問題ない。大丈夫だ。私はまだまだ戦える」
「そうですか。ではこれを」
「いつもすまないね、ミヤコ」
「それは言わない約束ですよ」
ミヤコから渡されたお盆の上には、ミルクプリンが4つ載っていた。
冷やし固められているというのに、甘い香りが隠しきれていない。
「一つだけ『砂糖』なしです。見た目は同じですが、カップの底に細工があるのでそれで区別して下さい」
「分かった」
「……別に、抵抗しなくてもいいんですよ?」
「……ミヤコ?」
無表情のミヤコが続けた言葉に、ナツは首を傾げる。
「ナツさん、貴女は特殊訓練を受けた兵士などではない、ただの一生徒です。貴女一人が誘惑に負けたとしても、それが戦況に影響を与えることなどないのです。このまま苦しんだところで、せいぜい小さな虫のひとかみにしからなない。だから―ー」
「心配してくれてありがとう、ミヤコ。でもいいんだ」
ミヤコの提案を、ナツは首を振って断った。
「私までこの甘味の暴力に負けてしまったら、放課後スイーツ部は無くなってしまう。それは、それだけは許せない」
「ナツさん……」
「それに……大きな城は、取るに足りない小さな虫のひとかみで崩れることもある。それもまた、ロックだと思わないか?」
「……そう、ですね」
「ではもう行くよ。アイリ達が心配して見に来るといけないから」
踵を返して戻っていくナツ。
ナツはこの先のアビドスと反アビドス連合との戦争で活躍することはないだろう。
多少腕に自信がある程度ではどうにもならない。
それでも微かな可能性に賭けて、ナツは足掻いている。
狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり。
仲間にすら同じ砂糖中毒者と言われる振る舞いを続ける、自分とはまた別の孤軍奮闘する彼女に向けて、ミヤコは静かに敬礼を返した。