ネル調教前振り
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そこはミレニアムの廃墟の一角であった。人が訪れることはよほどの物好きでなくてはめったになく、また訪れたとしても、ただの生徒では徘徊するドローンや機械兵たちにあしらわれて終わる。
故にここを探索できるのは、的確な作戦行動を取ることができる人物のみということになる。
その廃墟の一角から呻くような声と、やたらと明るいカラカラとした笑い声が聞こえてきた。
「はぁ~っ…あぁ”っ~ぅt……!」
「部長ぅ~もうよくない?」
故に、その場に相応しいとは言えない恰好をした少女たちの戦闘力は疑うべくもない。
彼女たちはC&C。ミレニアムの誇る最強のエージェント集団。隊員全員が卓越した実力を持ち、ミレニアムのため、困難なミッションを見事に連携し、こなしてみせる部隊である。
だが、廃墟にたたずむその様子は普段の彼女たちとは明らかにことなっていた。
コールサイン01、一之瀬アスナはいつぞやの潜入任務のために着用したバニースーツに再び袖を通していた。廃墟のさびれた雰囲気と合わない派手で色気を売るその服装のアンマッチさを、彼女が気にしている様子はない。
そも、普段の朗らかで快活な様子とはそこにいる彼女はどこか違っていた。トロリと溶け落ちたような暗い光を讃えた瞳に、うっすらと浮かべた蠱惑的な笑み。まるで、夢に囚われてしまったような表情をして、目の前にいる自分の同僚を見据えているのである。
「どうしてそこまでがんばってるのかな~?よくわかんないな~?」
アスナから見下され、掛けられる煽るような言葉の先にいるC&Cのエージェント。
コールサイン00、美甘ネル。勝利の象徴であったはずの彼女は、無様に椅子に拘束されていた。鋼を切り出したような無骨な椅子は、ネルであっても抜け出すことは簡単ではない。その格好はアスナとは違い、普段のメイド衣装にスカジャンである。だが、衣装にはところどころが破れ、前部には何か液体がこぼされたような濡れた跡さえあった。
「…はっ!それもわかんなくなっちまったかよ、アスナ!おつむがますますゆるくなっちまったか?あぁ!?」
だが、その表情は普段と変わりない。否、むしろ普段より尚獰猛に、こちらを見下す己の仲間に噛みついていた。
「はぁ…手こずるだろうなぁとは思ってたけど、さっすが部長、かっこいい~!」
ネルのアスナに向けている目は、僅かな憐みがありつつも、明らかな敵対心と殺意を向けたものであった。しかし、アスナはとろんとした表情で笑うばかりでそれを気にも留めていない。
異常。そうとしか言いようのない空気が、廃墟にいる二人の間には流れていた。
「アカネちゃんもカリンちゃんもぉ、『コレ』今の部長と同じぐらいあげた後に取り上げたら、すぐに協力するって言ってくれたんだよ?ちなみにアタシも~!でもでもぉ、部長はまだがんばれてる!スゴイ!流石!勝利のコールサイン!!」
「……けっ…」
心の底から感動したとでも言いたげにくねくねとおちゃらけてしなを作るアスナを、ネルは心底くだらないとでも言いたげに地に唾を吐いた。
ネルの目線の先にあったのは、アスナの手に握られた『コレ』。まるでラムネ菓子のように、タブレットがセロハンに包まれたものが小袋の中にいくつも入っている。
「それじゃ、次は五粒いってみよっか~。」
「うぐっっ。てめっ…ふぁなせっ…」
にっこりと笑って細めた目のまま、がしりとアスナはネルの頬を片手でつかんだ。
その瞬間、ネルの両頬に万力のような力がかかり無理矢理口がこじ開けられていく。本来ならば彼女が持ちえないはずの怪力は、強く噛み締めていたはずのネルの口を徐々に開いていく。その片手には小袋から取り出されたタブレットが5粒つままれていた。
「はいっ、ごっくんしてね。」
「んぐぅ、むぐっんぐぅっっ……」
わずかにあいた口にタブレットがすかさずほおり込まれた。すぐさまネルは吐き出そうとするものの、再びアスナの手で無理矢理その口が閉じられて、開けることができず、椅子の上でバタバタともがくことしかできない。
「っつ…!!」
舌の上でタブレットが溶け出し、甘い匂いが鼻腔を駆け抜け、ゴクリとネルの喉が口内にあったものを自然と呑み込んでしまう。
バタバタと縛られたまま、必死にもがこうとしていた足や身体が、だらりとたちまち脱力していった。
「んぁっ、へっ”……」
先ほどまでこちらをギロギロと睨んでいた目が途端に今の自分とよく似たとろりとしたものになっていく様を、アスナはニヤニヤとひどく楽しそうに眺めていた。
だが、こうしてネルに砂糖を投与して、脱力する様を眺めるのは、あくまでいたぶることによって、中毒者になってからわきあがり続ける加虐的な欲求を満たしているに過ぎないと、アスナは悟っている。
なぜならば。
「ぅぅぅt…ふぅぅっ!!んぁぁっっ……!!!!」
美甘ネルがこの程度のことで、気をやることはないと、仲間としてよく理解しているからだ。
雄叫びと共に、だらりとネルの口の端から血を流れる。ぐるぐると回る目にわずかに理性を取り戻しながら、再びネルはアスナを睨みつけた。
「はぁ…はぁっっ…どうだよ、こんな、もんで、私が折れるわけ、ねぇだろ!…テメェもだ、お前らはそんなヤワじゃねぇはずだっ!!さっさと正気に戻れよ!!アスナ!!」
まだ頭に甘い陶酔感が残っているはずにも関わらず、その眼は再び燃えている。
正に不撓、真に不屈。
12時間にわたる砂糖(アッパー)と塩(ダウナー)を織り交ぜた拷問に等しい勧誘をアスナが行っても、ネルは折れなかった。
その様に、アスナが思う所がないわけではない。
「やっぱりすごいなぁ部長は。でも、さ。」
ネルの叫びを受け、アスナが何か答えようとする。その表情を見て、ネルは思わずまゆねを寄せた。
それは、廃墟へと派遣された任務で、自分たちが罠へとハマり、彼女が自分に勧誘を始めてから初めてみせた表情。
「アタシは…ムリだったんだぁ……」
それは恐れ。何か、何かをひどく恐れている敗者の顔。
ちらり、とアスナは廃墟にかかっているひび割れた時計を見た。そして一つため息をつく。
「あ~あ。時間切れか~。…ごめんね、部長。」
「…おい、どういう意味だ。」
イヤな予感が、ネルの心中に訪れる。一瞬恐れを見せていたアスナの表情が消え、こちらにかけた言葉にはどこか憐みがあった。
「あは。すぐにわかるよ。」
ひどくいやらしい歪んだ笑みをこちらに投げかけて、カツンカツンとヒールの音を響かせて、アスナは廃墟の暗闇に消えていった。
ぽつんと一人取り残されたネルは、少し呆気にとられていたが、慌てて拘束から抜けようと暴れだす。最悪腕一本、足一つやっても構わない。そんな勢いのガタガタとした揺れには、どこか焦りがあった。
ダララララッ!!
「…!」
銃声が、アスナが消えた方向の暗闇から聞こえていた。その銃声音をネルは知っている。少しばかりその口元に笑みが浮かんだ。
そういえば、先ほどアスナがあげた名前の中に、彼女の名が無かった。
「…よお、遅かったじゃねぇか。」
影から現れた少女。彼女はかつては秘匿されていたC&Cのエージェント。リオの懐刀であった実力者。かつては敵対し、そして、今では仲間の一員である少女。
コールサイン04、飛鳥馬トキ。
だが。
「……なんだよ。」
どこか皮肉っぽく、影から現れたトキにネルが投げかけた笑みは、彼女の姿が徐々に露わになるにつれて、消えていった。続いてぼそりと吐いた乾いた声音に混ざっていたのは、失望と現状に対する怒りであろうか。
「お前もかよ。」
睨みつけながら、少し掠れた声で吐き出された声に、トキは答えを返さず、いつもの冷たい表情で、ただネルを見下していた。
その格好は、アスナと同じくバニー衣装に包まれており、その口元には甘い棒付きの飴が。そして、右腕には新生アビドスの腕章がしっかりと巻き付けられていた。
「どうも、ネル先輩。まだ無様にも抗っていらっしゃったのですね。褒めて差し上げます、パチパチパチ。」
「はっ…!煽ってんじゃねぇよ。くだらねぇ。アスナでダメだったから次はオマエってか?誰がこようと、あたしは変わりゃしねぇ!さっさと諦めるこったな!」
C&Cが己を残して、既にアビドスに堕ちている。その事実はネルの心を揺れ動かしはした。だが、折れない。その程度のことで、この先輩は折れたりはしない。
「アスナ先輩は失敗なさったようですね。少しも削れてはいないではないですか。まったく、仕方がない先輩です。オシオキはアレでは足りないでしょう。」
「あぁ?あ~…そうかよ、テメェがアイツの頭をおかしくしやがったってわけか!いや、それ以前にテメェをアビドスがおかしくしやがったのか………ふざけんなよ…!!!」
ミシリ。一瞬、部屋が軋んだような感覚がトキの身体を襲う。目の前のネルは椅子から抜け出せたわけではない。だが、彼女のその立ち上がろうとする意志と力が、椅子ごと部屋を揺らしているかのような錯覚をこちらに与えたのだ。
ネルの顔に浮かぶのは笑み。獰猛で、狂暴で、万感の怒りが籠った獣のような笑み。
その怒りは、アビドスに、それ以上に己に向いているのだろう。
実に恐ろしいことだ。これほどの責め苦を受けて尚折れない心。意志。まさに勝利の象徴。
「ふふ。」
普段からほぼ感情を浮かべないトキの顔がわずかにほころぶ。
だが、その微笑から感じられるものは、どこまでも邪悪な意志だった。
目の前で猛る獣を、これからどうなぶろうか、殺そうか。そう考えている邪悪。
勝利の象徴を堕とす。その妄想に浸る悦楽の微笑。
その微笑をギリリと睨みつけるネルの前に、トキはふわりとドローンを浮かべた。すぐさま画面が投影され、そこに映し出される映像に、ネルの目がくわりと見開かれる。
「…チビ共。」
モモイ、ミドリ、ユズ。ネルとも知らない仲ではない、ゲーム開発部のメンバー達が、ネルと同じように椅子に捉えられて、目隠しをされていた。
彼女たちがこの後、どのような運命をたどるのか、ネルは己の身にされたことを思い返し、歯を噛み締める。無理だ。彼女たちは同じことをされたら、確実に壊れてしまう。
「ゲームをしましょうか、ネル先輩。」
「…なんだと。」
冷たく、淡々とトキは言う。もはや空気が歪んでいると錯覚するほどに怒りを燃やしているネルのそれを、無駄なことだとわかりきっているかのように。
「勝てたらその度にゲーム開発部の皆さんが楽になります。負けたらその度に、こちらを差し上げましょう。」
先ほどのアスナが持っていた、安価そうなラムネ菓子とは明らかに違う、丁寧にパッケージされた瓶飲料は、非にならないほどの砂糖が使われているのだろう。
「はっ、アタシが負けると思ってんのか?」
「えぇ、負けますよ。」
それを見て尚、ネルの心は折れない。当然だ、彼女に恐れはないのだから。
だからこそ。
「あなたは、今日、敗北の味を知るのですから。」
相変わらずトキの表情に変化はなく。気炎をはくネルに近寄った。ずいとのぞき込んでくるその瞳に広がる暗澹は、どこか不安な影をネルの心に落とすのだった…。