ドーナツの穴を覗く
※ホビ鰐ルート
※「きみにきめた!」の後の話。なにもかもが捏造
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鰐くんを片腕に抱え、仕事部屋の扉を押し開ける。窓から差し込む夕日が室内を赤く照らしていた。
私が鰐くんと運命的な出会いを果たしてから、数日が経過していた。本当は出会ったその日のうちにでもここへ連れてきたかったのだが、いろいろと事情や邪魔があって遅くなってしまった。
あの後知ったのだが、鰐くんはこのあたりではそれはそれは有名なワルだったそうだ。驚いて本人に確認すると、なんだ知らなかったのか、と当たり前のように返された。
おもちゃの法律(そういうものがあるらしい。知らなかった)を無視して暴れ回り、指名手配までされていたというのだから恐れ入る。あんなにふわふわで武器も左腕の金属パーツくらいしかないというのに。
ただ、その割には市民に嫌われているということはないようだ。むしろドレスローザ名物のひとつとして受け入れられている。私が鰐くんを連れて街中を歩いていても、受けるのは驚きの視線と好意的な声がけだけだった。
声をかけてきた人々は、二言目には決まってあの『“人喰い”ギュスターヴ』がねぇ、と口にした。それが鰐くんの通称だったらしい。もうひとつの名物らしい片足の兵隊との追いかけっこはもうしないのか、と残念そうに尋ねてきた人もいる。
鰐くんはなにを言われてもそっぽを向いてだんまりを決め込んでいたので、事情を知らない私が曖昧な笑みで誤魔化すしかなかった。
ちなみに、現在鰐くんの指名手配は解除されている。私が所有者、というか雇用主になったからだ。とはいえこれは言葉の上だけのもので、別に何か契約や取り決めをした訳ではない。鰐くんは最後まで嫌がっていたが、私が半ば無理矢理に押し通した。
指名手配解除のための交渉は非常に難航した。もう悪いことはしないので解除してください、と言ってはいわかりましたと頷いてくれるならそもそも指名手配などしていない。彼らを納得させるのには大変な労力と時間がかかった。
最終的に「おれが許可した」というドフィの鶴の一声でようやく向こう側も渋々ながら解除を認めてくれた。やはり持つべきものは親しい権力者だ。ただ、できればもう少し早めに介入してほしかった。
決着に至るまでに職務に忠実な警官くんたちが十数名ほど職務復帰できない身体になってしまっている。悲しい話だ。勤勉な人材は一日二日で生えてくるものではない。せめてもの償いに街の浄化活動は積極的に手伝ってあげよう、とこっそり心に決めた。
意志にそぐわないことを強制するのはかわいそうではあるが、合法的にいつでも一緒にいるためには多少の不自由は仕方のないことだ。嫌になったら枠組みごと破壊して島を出れば良い。二人一緒なら、きっとどこだって楽園だ。
それはさておき、今日ここへ鰐くんを連れてきたのは、彼の服を仕立てるためだった。
彼と会ってから、作りたい服のアイデアが溢れて仕方ないのだ。本人にそれを告げると、意外なことに乗り気な返事が返ってきた。
作業台の上に置かれた鰐くんは、所在なさそうに周囲を見回している。
「まぁ寛いでいてよ、今おやつを出すから」
作業場の隅に積み上げられた、カトラリーを構えた鰐のマークの入った木箱の山。それのひとつをえいやとこじ開ける。途端にふわりと甘い香りが部屋中に広がって、思わず頬が緩むのを止められない。
この鰐のマークは、私が贔屓にしている商社のシンボルだ。名前は、ええと、…………忘れてしまったけれど、とにかく品揃えが良いのが特徴で、頼めば大体のものは揃う。
その会社が最近始めたのが、このお菓子の定期便だ。月に一度、様々な島の名産のお菓子が木箱いっぱいに詰まって送られてくる。担当者のセンスがいいのか、今のところハズレを引いたことはない。
今月は万国の特集らしい。箱に詰められたお菓子に重なるように、シャーロット家の個性豊かなきょうだい達の顔が思い浮かぶ。
ふん、ふふん、と、遠い昔に聞いた童謡を口ずさみながら、どれにしようかな、と視線をうろつかせる。
鰐くんと出会って以来、他人から丸くなった、と言われることが増えた。体型的な問題ではなく、人格の話だ。あるいは明るくなっただとか、口の悪い相手だと人間味が増した、だとか。
ひどい話だ。私は幼い頃からなにも変わっていないというのに。
……まぁ、朝目覚めるのが楽しみになったのは事実ではあるが。
「鰐くんは何か食べるかい?」
今日はこれにしようか。五個入りのチョコレートドーナツを手に取る。歯が溶けそうに甘くて美味しいんだ、これ。
鰐くんにもなにか分けてあげたかったが、彼が食事をしているところはまだ見たことがない。好みがわかったら今後の参考にしよう。そう思って振り返って、私は目を見開いた。
「……あれ?」
鰐くんがいない。
たった数秒目を離した間に、作業台の上にいたはずの鰐くんの姿が消えていた。
「……鰐くん?」
どこへ行ったのだろう。なんとなく不安に思って、作業台に置いていた大振りの裁ち鋏に指を通す。
私のテリトリーに土足で踏み込んでくるなどという命知らずは今はもうほとんどいないはずだが、運の悪いコソ泥というのは実在する。私のお菓子を盗もうとした妖精どもを吊るして奪い返した記憶もまだ新しい。
あるいは承知の上で行動に出たというなら、こちらもその覚悟に応える必要がある。具体的に言うと限りなく液体に近付いてもらう。ああでもまず鰐くんを奪い返さなくては。血液は布に染み込むと落とすのが大変なんだ。
「───鰐くん? どこにいるんだい?」
かり、かり、かり。
裁ち鋏の先端を手近なものに触れさせながら、ゆっくりと室内を見て回る。本当は刃が痛むからあまりやるべきではないのだけれど。
こつ、こつ、こつ。
見通しの良いところから、奥まったところまで。物陰に隠れていないか、端から丁寧に。
ぎし、ぎし、ぎし。
鰐くんへ呼びかける。なるべく優しい声で、怯えさせないように。実はただのかくれんぼでした、となった時に笑い話にできるように。
……結論から言うと、鰐くんはすぐに見つかった。
アトリエの隅の方。一台のマネキンの前で、ぼんやりと立ち尽くしていた。
「良かった、そこに居たんだね」
ほ、と安堵に胸を撫で下ろす。小走りに駆け寄って抱き上げると、そのまま後頭部のあたりに顔を埋めた。肺いっぱいに息を吸い込む。少しだけ埃っぽい、雨の日の匂いがした。
どれだけ洗っても、鰐くんからこの匂いが消えることはなかった。不満に思っていたのは最初のうちだけで、今ではもうこの匂いがしないとなんだか物足りないような気持ちになる。
抱きあげられる度にびたびたと全身で暴れていた鰐くんも、最近は大人しく私の腕の中に納まってくれるようになった。諦めたように私に身体を預けて脱力する様子が可愛らしくて、たまに意味もなく抱き上げては頬ずりをしてしまう。
ただ、今日の鰐くんは、少し様子が違った。
抱き上げられても撫でられても吸われても反応がない。ただ、目の前のマネキンを眺めている。その様子に小さく笑みが零れた。
「気になるかい?これ」
近くで見られるよう、鰐くんを抱えたままマネキンに一歩近付く。ほう、と感嘆の息を吐く鰐くんに嬉しくなって、自然と声が弾んだ。
「ふふ、よく出来てるだろう?」
マネキンには、私が仕立てた服が着せてある。
身体のラインが一番美しく見えるシルエットにこだわったダブルブレストのラペルド・ベストと、揃いのスラックス。それを引き立たせるロングコートにはファーを付けてボリュームとゴージャス感を出す。全体的に暗色系でまとめたので、タイ代わりのスカーフとシャツの彩度を高めにして差し色に。
見れば見るほど笑みが浮かぶ。ドレスローザに来てからの私が仕立てた服の中でも最高傑作だと自負している。皮肉屋の鰐くんも、そうだな、と珍しく素直に頷いた。小さな手で生地の手触りを楽しむかのように撫でている。
「いい趣味だ」
「だろう? ……ただねぇ、これ、ひとつだけ問題があって」
問題? と腕の中の鰐くんが訝しげな声を上げた。マネキンと私の間で視線を往復させて、首を傾げる。
「……見たところ、どこにも問題があるようには見えねェが」
「見た目じゃあないんだ。中身……というか、根本的な問題なんだけど」
そこで言葉を切って、天井を見る。この不可思議な話をなんと言えば伝わるか、少しだけ悩んで、結局ありのままを口にした。
「ここ、オーダーメイド専門のテーラーだろう?」
「そうだな」
「……オーダーした人が、わからないんだよ」
そう。オーダーメイド専門店のはずなのに、肝心の注文主がわからないのだ。
腕の中の鰐くんは難しい顔をしている。わかるよ。私もこの事実に最初に気付いた時から理解できずにいる。
「……オーダーシートはねェのか」
「うーん……ない、と言うか、あると言えばある、というか……」
煮え切らない返事をする私を、鰐くんは怪訝そうな顔で見上げた。懐から取り出した手帳を開いて、腕の中の鰐くんに見せる。
アイデアスケッチや生地の特性についての覚書きがびっしりと書き込まれたページの中央付近に、殊更丁寧な文字でいくつかの数字が書き連ねてある。
知らない人から見れば意味の無い数字の羅列だろうが、私には意味がわかる。
「これね、多分、このオーダー主の採寸メモなんだ」
測ってみたところ、宛先不明のスーツはこのメモの寸法通りに作られていた。店で使用しているフォーマットのオーダーシートは存在しないが、一応はこれがあの服のオーダーシート、という扱いになる、のだろうか。
ぱらぱらと手帳を捲れば、似たような書き込みが顔を出す。
「前のページにもね、多分同じ人のメモが残ってて……結構な数があるから、かなりのご贔屓様だったと思うんだけど」
薄情なことにまったく思い出せないんだな、これが。
過去の、それこそ私がドレスローザにやってくる以前からのオーダーシートとも突き合わせてみたりもしたが、一致する顧客はいなかった。
それぞれのメモに添えられた日付と名前もしくは愛称と思しき文字列が唯一の手掛かりだが、文字列の方は読むことができない。と言うよりも、読んでも意味のある文字だと認識できないのだ。暗号の類いだろうか?
「鰐くんはこれ、読めたりする?」
「…………いや、さっぱりだ」
そっかあ。溜め息を吐いて手帳を閉じる。鰐くんならもしかして、と思ったんだけどなぁ。
しかし、謎は深まるばかりだ。
オーダーシートを作成せずに採寸して仕立てに入るなんて、まずありえない話だ。よほど親しい相手ならまぁ可能性はなくはないかもしれないが、私の知人にこのサイズ感の人間も魚人もいなかったはずだ。
他に考えられるとすれば親族の類いだが、それこそありえない。幼い頃になんとなく両親を殺して以来、私は天涯孤独、いや、ショコラちゃんがいるから孤独ではなかったね。一人と一頭で生きてきた。
……そういえば、ショコラちゃんとはどういう経緯で出会ったんだったかな。いつの間にか一緒にいたからすっかり忘れてしまった。元気にしているかな、ショコラちゃん。今はワノ国で百獣海賊団の人たちに可愛がってもらっているはずだ。鰐くんにも早く会わせてあげたいな。きっとすぐ仲良くなれると思う。
「あぁそうそう、という訳でね、この服、今は店の方に出しているんだ。ぴったりサイズが合う人がいたら無料で差し上げます、って銘打ってるんだけど、なかなかね……」
「そうか。……見つかると、いいな」
「そうだねぇ」
その声が少しだけさみしそうに聞こえて、抱きしめる力を強くする。
本当に、鰐くんはいい子だ。優しく頭を撫でてあげると、やめろ、と鬱陶しげに振り払われてしまう。
「さ、それより早く打ち合わせに入ろう! 鰐くんはおやつ何にする? 私のオススメはねぇ、」
「いらねェ」
「好き嫌いは良くないよ、鰐くん。大きくなれないよ」
「好き嫌い以前にそもそもおれはぬいぐるみなんだが」
おや? と首を傾げる。鰐くんも同じように首を傾げた。なんだか話が嚙み合っていないような気がする。
鰐くんの発言を反芻して、一つの可能性に思い至った。
「もしかして……ぬいぐるみってごはん食べないのかい!?」
「なんで今気付いたみてェな顔してんだよ……」
なんてことだ、と頭を抱える私を見て、鰐くんは呆れたように頭を振った。
だって、動いて喋って意思の疎通ができるなら人間と大して変わりはないだろう。それなら食事も可能なのかと思うじゃないか。そう訴えるが、鰐くんはこいつはなにを言っているんだ? という顔を崩さなかった。悲しい。
「そんな……じゃああの鍋いっぱいの義務煮込みは私が一人で片づけないといけないのか……」
「食えねェならなんで作ったんだよそんなモン……」
なんでって、それは。答えようとして口を開いたが、出てきたのは意味のない吐息だけだった。
「……なんでだったかな?」
はて、と首を傾げる私を見て、鰐くんは知るか、と不機嫌そうにそっぽを向いた。
「……いらなきゃ放っておけば妖精どもが持っていくだろ」
「うーん……どうかな……一回おやつを取られかけて吊るしたことがあるからな……もう来ないかも……」
「なにやってんだてめェ……」
はぁ、と呆れたように溜め息を吐いた鰐くんは、そんなことより、と私の方を向いた。
「するんだろ。打ち合わせ」
「もちろん! アイデアはね、山ほどあるんだ!」
作業台の上に、せっせと書き溜めたスケッチを広げる。どれどれ、と覗き込んだ鰐くんに片端からデザインのコンセプトや詳細を説明する。
鰐くんはそれをうんうんと黙って聞いて、それならここはこうした方が見栄えがいい、とか、逆にこれだと動きづらくないか、とか、いろいろな意見をくれた。スケッチに直接修正案を書き込んで、時々鰐くんに直接布を巻きつけて動きを見る。
窓の外では太陽がたっぷりと時間をかけて海に沈み、やせ細った月が頭上を通り過ぎて地面に落下しようとしている。明日は大変だろうなぁ、と頭の片隅で思いながら、それでも手と頭は止まらない。
狭い作業台の上、二人で額を突き合わせて言葉を交わすのがこんなにも楽しいとは思わなかった。肚の底からふつふつと楽しい気持ちが湧き上がってきて、思わず踊り出したくなってきた。
あぁ、このままずっとこの時間が続けばいいのに!