トレオル(仮)
────私はオルフェーヴルにとってなんなんだろう?
金色の暴君の担当トレーナーになってからずっと疑問に考えていたこと。
考え続けてもう一年になるが、未だに答えは出ていない。
王様の考えなんて、誰にもわからないのだから。
「戻ったぞ」
とあるレース場で、一つのレースが終わった。観客は皆一様に高揚した様子で、さっきまでのレースの興奮やらを周りの者たちと分かち合っている。
そんな彼らの声の一切を遮断できるほどの防音性がある控え室にて。
騒ぎを誘発する台風の目となっていたウマ娘であり……そして私の担当ウマ娘であるオルフェーヴルが、レースから戻ってきていた。
仮にも2400mを走り当然のように1着になった後にも関わらず、彼女は特段疲労した様子を見せない。……もしくは、彼女にとってあれしきのレースなど、本気を出さなくてもそれこそ『当然のように』1着になれるのかもしれない。
ともかく、そんなオルフェーヴルの帰還を受けると……待っていた私が立ち上がるよりも早く、オルフェーヴルの元に向かうウマ娘が二人。
「オルフェーヴル様、お疲れ様です。こちらのタオルで汗を拭かせていただきます」
「今日も良き走りでございました。こちらはドリンクです。しっかり冷やしておきましたので」
「ああ」
私が担当となる前から、オルフェーヴルを慕っていた臣下のウマ娘たちだ。この二人はオルフェーヴルの派閥の中でも特に臣下歴が長いからか、謙虚さと積極さを兼ね備えテキパキと動いていく。……トレーナーの私より手慣れているかもしれない。
オルフェーヴルの方も慣れたものらしく、甲斐甲斐しく献身していく臣下のウマ娘たちに対してニコリともせず、仏頂面のまま汗を拭かせドリンクを飲んでいる。
……その態度にはもはや『献身させてやろう』という感情すら感じた。
ともすれば、傲慢な暴君。
が、この場において彼女のことを『傲慢だ』と評するものは一人もいないだろう。
実際にオルフェーヴルは何も強要などしていない。臣下のウマ娘たちはオルフェーヴルが何も言わずとも勝手に献身をしているだけであり、オルフェーヴルもただそれを受け入れているだけ。
彼女の異様なカリスマがそうさせるのか。異様なカリスマと実力を前にウマ娘たちは彼女に屈服し、従属し、献身し、それを喜びと感じてしまうのだ。
……健全な関係とは言えないと思うが、しかしこの場で嫌な思いをしている者は誰もいない。
なれば、外部から口を挟むのは野暮というものだろう。
時間にして三分程度か。
水分補給を終え汗も拭き取り、ウイニングライブ用の衣装への着替えも済ませた暴君。
その背後に、臣下の一人が回り込んだ。
「オルフェーヴル様、背中へ失礼。これからのライブにあたって、オルフェーヴル様のお姿をより映えさせるため、僭越ながら私が御髪を整えさせていただきます」
手に持っているのはウマ娘用の赤い櫛。
この時以外にも、彼女がオルフェーヴルの髪を整えていた場面は見たことがあった。きっと臣下たちの間では、彼女はオルフェーヴルの髪を整える『専門』なのだろう。
王の髪に触れたいと思う、触れられるウマ娘が臣下の中にそう何人もいるとは考えづらい。なればこれもまたいつも通りの光景なのだろう……と私は部外者なりに分析していたのだが。
「待て」
その言葉と共に、されるがままだったオルフェーヴルの瞳が初めてギョロリと動いた。
「は。どうなさいましたか、オルフェーヴル様」
本当にぴったりと動きを止めながら、臣下のウマ娘が問いかける。もう一人のウマ娘も小首を傾げるのを尻目に────オルフェーヴルは一人の人物へと指を指した。
「……髪を整えるのは貴様の役目だ」
……即ち、私へと。
「なっ……」とさすがに櫛を持ったウマ娘が驚くのを見ながら、なんとなく予想していた私はようやく室内で動き出す。
オルフェーヴルはその言葉から、また腕を下げて仏頂面に戻ってしまった。そんな彼女に臣下のウマ娘が顔を寄せる。
「……オルフェーヴル様、お言葉ですが何故彼女に?」
「理由を知る必要はない。貴様たちは会場に控えていろ。余の威光を目に焼き付け、語り継ぐのも貴様たちの役目だ」
「……わかりました」
抱いた不満の全てが解消されたわけではないだろう。しかし臣下のウマ娘たちは仰々しく礼をすると、素直に控え室から退出していく。
まさに臣下の鑑。オルフェーヴルが言えば、彼女たちはきっと白の物も躊躇なく黒と言うだろう。
「早くしろ」
「は、はいっ!」
分析している間に、オルフェーヴルの声が体に刺さる。私に尻尾が生えていればおそらく真っ直ぐになっていただろう。
床の埃を舞わせない程度に急ぎ、臣下のウマ娘が置いていった赤いウマ娘用の櫛を手に取る。
「……失礼します」
なんとなく、臣下のウマ娘の真似をしながら後ろに立つ。
たてがみのような髪の毛。私なんかが整える必要ないのではと思うぐらいキラキラとしている髪。同じ女として……いや、別のウマ娘風に言うならば、もはや嫉妬すらも追い付かない、ため息しか出ないような綺麗な髪だった。
心臓がバクバクとする。ちなみにだが私は理髪師だったりするわけではない。
姉妹もいないしで、他人の髪を整えた経験なんて片手で足りるほどしかない。
櫛を持つ手が震える。だがかといって動かないでいると王様にどやされるし、ライブにも間に合わなくなってしまう。
「…………」
震えを無理やり押さえつけて、私は櫛を彼女の髪に当てた。そのまま、割れ物を扱うようにゆっくりととかしていく。
黄金色ともたとえられる髪を、赤い櫛が滑っていく。
一回動かすごとに心臓が高鳴った。こちらからオルフェーヴルの表情は見えない。
それは救いでもあり恐怖でもある。
「……貴様」
そんな中で不意にオルフェーヴルが声を発した。
「はひっ!な、なんでしょう?」
「一々驚くな。耳障りだ」
「す、すみません……それで、なんでしょうか?」
「……少しは腕を磨いたか」
「え?」
「以前よりは上達している。今後も研鑽を重ねろ」
「えっ、あ……あ、ありがとう、です……」
もしかして褒められたのか。ついこちらがお礼を言ってしまう。
……現在進行形でブラッシングをしている最中でなければ、もっと喜べただろう。
それでもあのオルフェーヴルから褒められるだなんて、なんだかすごく嬉しくなってしまった。
……この流れで言うのもなんだが。
オルフェーヴルの髪を整えるのは、何も今日が初めてではない。どころか最近は、ずっと私にその役割を任されていた。
理由はわからない。ただ、途中から臣下を押し退けてまで私が任されるようになった。
臣下のウマ娘からはそれなりに睨まれることもあったけど、私は特にそれを喜びに感じたことはなかった。むしろプレッシャーでしかない。なんなら返してあげたいぐらいだ。
けど、暴君がそう命じたのならば仕方ない。臣下のウマ娘に代わって、私が御髪を整えなければならない。
(……無防備だな)
整えながら、ついそう思う。
髪は女の命。そんな俗説がオルフェーヴルにも当てはまるのかはともかくとして、仮にも他人に背後を取られてるというのに、オルフェーヴルは酷く冷静だった。
顔が見えないからわからないが、なんなら目だって閉じているかもしれない。
本当に、随分と無防備だ。
今私が刃物なんかを隠し持っていたら、文字通りいくらでも寝首を掻けてしまうだろうに。
……そんなことはしないと信頼してくれているのか、それとも臣下ごときの、それもニンゲンの女の不意打ちなど恐れるに足りずとするか。
……こうなると、また気になってしまう。
(────私は、オルフェーヴルにとってなんなんだろう?)
王を名乗り、あらゆる分野で上に立とうとする彼女にとって、トレーナーなど臣下とさして変わらないだろうと思っていた。現に、少し前までは私も他の臣下と同じ扱いだっただろう。
それが最近は、こうして臣下に代わりブラッシングなどの役割を命じられることが多くなった。
……結局私は、なんなのだ?オルフェーヴルにとって。
他と同じ臣下という扱いなのか、それとも────
「…………っ」
考え事をしながらだと手元がブレる。手元がブレたら取り返しのつかないことになる可能性がある。取り返しがつかなくなってからはもう遅い。
手を止め、心の中で五まで数えた。
「……ねぇ、オルフェーヴル」
「なんだ」
「……オルフェーヴルにとって、私はなんなの?」
私は思いきって、問いかけてみた。トレーナー試験受験の時以上の緊張が体を襲う。
だがここでやはりやめたというわけにはいかない。
髪をすく手が止まったからか、オルフェーヴルがようやく私の方を向く。その瞳に吸い込まれながら、
「私は……あなたにとって『トレーナー』なの?『臣下』なの?それとも……別の何かなの?」
私の言葉を受けたオルフェーヴルは、しばし無言だった。パチリと、一回の瞬き。
……実際の間にすれば、数秒ほどだろうか。しかし私には、一時間にも思えた時間だった。
その末に、オルフェーヴルは口を開く。
「そんなものは、まだ余にもわからぬに決まっておろう」
「……へ?」
暴君の口から思わぬ言葉が出て、私は思わず呆けてしまった。それに対し暴君は当然というように腕を組む。
「余の覇道はまだ終わっておらぬ。たかだか三冠と有マを取った程度。これで終わりではなく、まだまだ覇道は続いていく。続けていかねばならん」
「…………」
「そして、貴様とて同じであろう。貴様のトレーナーとしての道も、まだ終わっておらぬ。まだ終わってもいないものに評価をつけるのは記者の役目だ」
ガタ、とそこでオルフェーヴルは席を立った。
何かあったのかと思ったが、いつの間にやら壁にある時計はライブが開始する時間を指していた。
しまった、結局ほとんど整えることができなかったと慌てる私を、オルフェーヴルは真正面から見つめる。
「未来がどうなるかは、王にすら決めることはできぬ。決める権利があるのは当人の選択のみ。貴様と余の道が終わるとき……そこまでの貴様の選択によって初めて、余は評価をつけてやろう」
「……終わる、その時」
「果たして貴様は、余に忠義を尽くし従い続けた『忠臣』となるか、余に仇をなす『逆賊』となるか────」
そこでオルフェーヴルは……口の片側だけを上げた。それは暴君らしからぬ……どこかニヒルな笑みだった。
「この王である余と対等に肩を並べる『同士』となるか……。余が貴様に爵位を与えるその日まで……励めよ」
そう言い残すと、オルフェーヴルは長い髪をマントのように靡かせ、部屋を後にしてしまった。
残されたのは、赤い櫛を持った私だけ。
……さっきまでのオルフェーヴル言葉を、ゆっくりと租借していく。租借する内に、私は無意識に目元を手で覆っていた。
「……やっぱり、王様の考えなんてわからないや」
苦笑いしか出てこない。結局答えは出てないようなものだし。
だが、今辛うじてわかったことといえば────
「少なくとも、これから一緒に歩む人、ぐらいには思ってくれてるのかな」