トリニティ編 IF 夢心地の幸福 破
「遅れてすまない、サオリ。」
「構わない、所詮は形だけのものだ。」
ある夜、学外の廃墟でアズサは自らの師であるサオリに定期報告を行っていた。
この定期報告はアリウスからの指令をアズサに伝達する機会を設ける事が主な目的だ。
だがその指令は現状無いため、ただの近況報告をする形骸化したものとなっていた。
「…何か、いい事でもあったのか?」
「?」
「いや、なんでもない。」
サオリはアズサの面持ちを見て問いかける。
アリウスに居た頃のアズサは鉄面皮で、余程の事が無ければその感情を表に出す事は無かった。
だが、今のアズサは無表情ながらも雰囲気がどこか楽しげで、幸せそうに見えたのだ。
気にし過ぎかと頭を振る。アズサは不思議そうにサオリを見ながら報告を始めた。
「…これが今の状況。トリニティの中では上手くやれている…と思う。」
「特に指示が無ければ、当面は普通の生徒として過ごす方針でいいだろうか?」
「そうだな。」
聞く限り、アズサの置かれている環境は何の問題も無かった。
気になった事と言えば、”士気向上の為の嗜好品に甘味を”という話ぐらいだろうか。
これまで自分たちに心を閉ざしていたあのアズサが、その話題の時だけは気持ちの籠った語りをしていたのだ。
サオリはその話を受けて低コストかつ、足が付かない方法で購入出来るのであればあった方が良いかと一考し、資料作成を言い渡した。
「…だが油断するな。」
「トリニティは私達に飢えや寒さ、そして争いを齎した元凶だ。」
「万一、お前が排斥される様な動きがあればすぐに報告しろ。」
最後にアズサに忠言を送る。
いくらアリウスよりも良い環境とは言え、サオリにとってアズサが居るのは敵地だからだ。
「…サオリは…、」
「何だ?」
「…いや、何でもない。任務を遂行する。」
何かの言葉を吞み込み、アズサは再びトリニティに戻っていった。
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「おはようアーちゃん!」
「おはよう。」
「アズサさん、この間の実技ではありがとうございました!」
「うん、またわからなかったりしたら聞いてほしい。」
お茶会に参加したあの日から、私は学内に加速度的に馴染みを深めていた。
共にお茶会をした生徒達はクラス内でも顔が広い方だったらしく、会話の中で私の事を良く話してくれていたらしい。
そのおかげで私は誤解されることなく、彼女達以外の生徒とも親交を深めることが出来ていた。
また、アリウスで培った戦闘能力の高さや、少しずつできるようになってきた柔らかい表情もその一助となっているようだ。
「アズサちゃん!今日は放課後にお茶会するけど来る?」
「ああ、喜んで。」
そしてお茶会だが、最近は週三回程度参加するようになっていた。
ふとした瞬間、気がつくと妙にあのお茶会が恋しくなっているのだ。
我が事ながら、ここまで夢中になっていることに驚いている。
現状、入り浸り過ぎても良くないと抑えているものの、そんな理性を働かせなければずっとお茶会をしていたいほどだった。
「今日は私もとっておきの菓子を買ってきた。楽しみにしてて欲しい。」
「アズサちゃんチョイスの菓子!ちゃんとお腹空かせておくね!」
学友と共に学び、言葉を交わし、楽しさを分かち合う。あまりにも幸せな時間。
閉塞し、曇天の様な灰色一色だった私の世界には彩りが生まれていた。
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「そうそう、ちょっと面白い物が手に入りまして。」
待ちに待った放課後のお茶会。
皆が一通り気持ち良くなった頃、一人の生徒が懐から棒状のものを幾つか取り出す。
「面白い物?なにそれぇ?」
「ティーパーティーの少しヤンチャな先輩から頂いたものです。」
「ふふふ…内緒ですよ…?」
そう言うと彼女はガラス製のものを一つ取り出す。
そして受け皿らしき穴に粉末を入れると火を着け、中に煙が溜まっていく。
「はい、これで準備OKです。はい、アズサさん。」
「これは…どうすればいいんだ?」
手渡されたものの、使い方がまるでわからない。
すると彼女は口元に持っていくようジェスチャーで指示をした。
恐る恐る指示通りにそれを口元に持っていく。
「手元を咥えて、ゆっくり、小さく吸って下さい。」
見ると手元に吸入用と思われる穴があった。
指示通りにその煙を吸い込む。煙はとても甘くて良い味だった。
「ッ!?」
菓子を食べた後のあの快楽が脳を満たす。
食べた時と比べると刺激が少しもの足りないが、それでも十分に心地良い。
「…フゥー…。あぁ…美味しい…。」
「私も一口頂戴!」
隣のせがんできた子に渡す。
もっと吸っていたかったが、独占するわけにもいかないので仕方ない。
「ちょっともの足りないご様子ですね。ではこちらはどうですか?」
だがそんな私を見抜いたのか、彼女は新たに別のものを取り出した。
それはトリニティのマークが刻印された切手サイズの紙だった。
「…さっきのよりわからない。」
「ですよね。これは舌に載せるのです。」
「・・・ほぉ?」
「そうです。後は口を閉じて、唾液を含ませて・・・」
「紙は呑まずに唾液だけを飲んじゃって下さい♪」
指示通りに紙に唾液を染み込ませる。
そして唾液を飲み込むと───
「・・・オ”ッ!?これ、すごぉ・・・!」
「ふふっ、そうでしょうそうでしょう?」
「目の前がキラキラしてる・・・!」
「私が、椅子でぇ・・・、地面、も、私ぃ・・・」
「あぁっ・・・私がぁ・・・広がっていくぅ・・・!」
全てが輝いて、美しく見える。
全身の細胞から髪の一本までを知覚し、力が漲るのを感じる。
自分の身体と他の物の境界線があやふやになって、全てが自分になる。
「はい、ここで紅茶を一口どうぞ。」
「ん・・・、ッ!キ、クぅぅぅぅぅ…!!!」
「ふふっ、お気に召して頂けた様で何よりです♪」
あぁ・・・気持ちいい・・・楽しい・・・また知らなかったことを知れた・・・!
この世界にはこんなに幸せになれるものがあるんだ・・・!
全ては虚しいという教義を作った人は、この感覚を味わったことがあるのだろうか?
いや、違う。教義は間違っていないのだろう。
あの教義は、これに出会う為にあったものに違いない。
だって、これに出会う前の人生なんて、虚しいものでしかなかったから!
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「定刻通りだな、サオリ。」
「…ああ。先にこれは渡しておく。」
「了解した、私からもこれを渡しておく。」
持ち回りの順が一巡し、サオリは定期報告に久しく訪れていた。
だが以前と違うことがあった。一つは今手渡しで交換したマダムとの機密文書でのやり取りだ。
「開封時刻と場所の指定は無いな?」
「指示は受けていない。」
そう言うとアズサは文書をその場で開封する。
そして読み終わると、機密保持の為に持っていたライターで文書を燃やす。
「はぁ・・・無理難題を言う。」
そうぼやくアズサ。
そんなアズサにサオリは気になっていた事を尋ねる。
「最近、アリウス内で”栄養剤”と呼ばれるものが支給される様になっている。」
「ミサキやヒヨリにはすぐに打つ様に指示があったが、私と姫は何故か厳禁だった。」
「マダムに聞けば、トリニティから密輸入したものだと聞いたが、何か知っているか?」
対するアズサはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに頬を緩ませ、得意気に語りだす。
「ああ、私が購入したものをアリウスに送っている。」
「変装して購入を繰り返して、名義も適当なものだから足もつかないだろう。」
「二人が禁止なのはよくわからないが、あれはとても良いものだ。」
サオリは”栄養剤”を打った二人の事を思い出す。
ヒヨリは普段のネガティブな発言が大幅に減り、狙撃訓練の成績も向上していた。
ミサキに至っては最もその恩恵が出ているだろう。希死念慮は鳴りを潜め、任務にも意欲的になったのだ。
彼女の自殺を幾度となく止めてきたサオリからすれば、とても良いことだった。
一番聞きたかった事はアズサも知らないということから諦め、サオリは最後にもう一つの変化について尋ねた。
「アズサ…よく笑うようになったな。」
「む、そうか?普段通りだと思うが。」
そう、あのアズサが笑っていた。
アズサはサオリの顔を見ても愛想笑いも浮かべず、無表情のまま淡々と接していた。
言動から互いに憎からず思っていることはわかっていたが、元々の感情表現の乏しさから愛想笑いの一つも無かったのだ。
そんなアズサが、サオリの顔を見た時に笑っていた。これは明確な変化だった。
「・・・何度も言っているが、Vanitas vanitatum…全ては虚しいものだ。」
「いくら馴染んでも、私達とトリニティは生きる世界が違う。お前の居場所はアリウスだ。」
アズサに重々しく言い含めるサオリ。それはまるで、自身に言い聞かせている様だった。
だが返って来たのは予想だにしていない反応だった。
「・・・チッ、わかっている。」
「アズサ・・・?」
舌打ちされたことに驚くサオリに構わず、アズサは口を開く。
「もう用は済んだはずだ、帰るぞ。」
「あまり長時間居ると怪しまれる可能性がある。」
踵を返して去るアズサの背に手を伸ばすも、その手は空を切る。
この時、サオリは無意識の内に不安を感じていた。
自身が送り出したアズサが、手の届かない所に行ってしまうのではないかという漠然とした不安を。
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「すみません、白洲アズサさん。少しよろしいでしょうか?」
教室で談笑中、いつかの自分と違って凛とした声で話掛けてきた生徒がいた。
腰まで伸びる桃色の長く美しい髪を揺らす、気品のある佇まいの生徒だった。
アツコの様な”姫”という感じではないが、人を統べる側の気風を感じる。
「何だろうか。えっと、貴女は…」
「私はティーパーティーのナギサ様から言伝を頼まれた者です。」
「ナギサ様が、貴女と話がしたいのでお茶しませんか、と。」
「えっ、ナギサ様直々の招待ってこと!?」
「羨ましい〜!…でも急になんで?」
「もしかしてアズサちゃん、何か粗相を…!?」
「えっ!?いや、直接何かした覚えは、無いのだけれど…」
心当たりはあるにはあった。
アズサも足繫く通う様になった例のスイーツ店のトリニティ支店。
その店を、何故か破壊しようとした連中がいたのだ。
連中は『正義実現委員会』を騙る者や、『トリニティ自警団』を名乗る者で構成されていた。
その上、”砂糖はダメだ”とか、”人の心を破壊する毒だ”等と妄言を宣う暴挙。
そんな訳があるかと一蹴して制圧し、近くにいた『シスターフッド』の生徒に引渡したのだ。
全く、とんでもない連中だった。事もあろうか、和解と幸福の足掛かりとなる砂糖を侮辱するなんて。
…まさか手緩かったのだろうか?もう少し痛めつけるべきだったか?
内心で慌てふためいている私を見て、その生徒は小さく笑いながら詳細を述べる。
「うふふ♡心配なさらないでください。」
「ナギサ様からは、”スイーツ店襲撃犯撃退の件の礼”と伺っています。」
「また、”その優秀さを見込んで、お願いしたい事がある”とも仰っていましたよ。」
「良かった…。」
私はその生徒に連れられ、ティーパーティーのホスト達の居るテラスに案内された。
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「初めまして、白洲アズサさん。私はティーパーティーの桐藤ナギサと申します。」
「お初にお目にかかります、ナギサ様。お招きにあずかり、光栄に存じます。」
環境が人を作るという言葉の通り、言葉遣いにも慣れてきていた。
以前の私のたどたどしさを思えば、立派になったものだと内心で胸を張る。
「例のスイーツ店ですが、このトリニティも出資している支店でもあったのです。」
「代表してお礼申し上げます。」
「いえいえ、当然のことをしたまでです。」
「私もあの店にはよくお世話になっていて、運良く現場に居合わせたものですから。」
そうして始まったお茶会。
互いに心ゆくまで紅茶と茶菓子を共に会話を楽しむ。
ナギサ様はとても話し易い方だった。
私の話を聞き、適度な相槌を打ちながらコロコロと表情を変え、程よく自分の話もしてくれる。
おすすめの紅茶と茶菓子の組み合わせ等も教わり、とても有意義な時間を過ごすことができた。
「そういえばお困り事や欲しい物などはありませんか?」
「襲撃事件の礼として、体面上で何かしらの礼を出す必要があるのです。」
「多少の願い事程度なら叶えられると思うのですが・・・」
「よ、よろしいのですか?」
「ええ、むしろ何か具体的な事を言って下さる方が助かります。」
ふと、ナギサ様は私に願いを尋ねてきた。
欲を言えば先日堪能した砂糖入りの煙草や、アシッドペーパーが欲しいのだが、そんな事は口が裂けても言えない。
他に無いかと思考を巡らせる。すると程よく一つ、悩みの種があった。
「・・・大口で、砂糖を購入する方法はありませんでしょうか?」
「・・・ほう。何故その様なものが欲しいのですか?」
ナギサ様は目を細めて私に尋ねる。
対する私は理由をある程度伏せて正直に伝えることにした。
「前にいた学校の人から、砂糖が欲しいと言われたのです。」
「何でも、生徒向けの嗜好品が欲しいけど予算が少ないとのことで・・・」
「まあ、そう言う事でしたか。」
ナギサ様は紅茶を一口啜ると笑顔で私に答えた。
「ええ、構いませんよ。・・・ハナコさん?」
ハナコと呼ばれた生徒がこちらに歩み寄ってくる。
その生徒は私をこの場に案内してくれた生徒だった。
ハナコはナギサ様に一枚の紙を差し出す。
「こちらが、仕入先の連絡先です。」
「仕入先の方も新しい販路を探していたところだったのですよ。」
「運が良かったですね、アズサさん。」
何という幸運だろう。
本来なら幾ら頼み込んでもそういう機会は訪れないものだ。
それがこうも易々と手に入るとは。
やはり砂糖は私にとって幸せの象徴と言えるだろう。
だがその時、私は一つの事を思い出して一気に冷静になった。
「・・・そう言えば、私に頼みたい事があるとか。」
万が一、アリウスの所在を教えろ等の要求であれば即座にこの場から離脱しなければならないだろう。
出された報酬が大きい分、その対価も大きいはずだと身構える。
だが、返ってきたのはあまりにも拍子抜けな内容だった。
「いえ、そう大したことではないのです。」
「実は、私の友人のハナコさんはどこの派閥や組織にも所属しておりませんでして・・・」
「組織絡みの人間に頼みにくい事を時々お願いしているのです。」
「私の立場上、ハナコさんが暴徒に襲われる可能性があります。」
「そこで、護衛として組織に所属していない方で腕の立つ方を探していたのです。」
ハナコを見遣ると彼女は私の視線に微笑みをもって返す。
なるほど、確かに立ち振舞いを見る限り戦闘は得意では無いのだろう。
「・・・それだけで、よろしいのですか?」
「ええ、もちろん。装備品等も言って頂ければ手配致します。」
「アズサさんの様な方が着いてくれるのであれば、私も安心できるというものです。」
装備まで支給されるとなれば何の心配も無い。むしろ、自信すらある。
だから私はその頼みを気軽に承諾した。
「わかりました。必ずや、彼女は護りましょう。」
その後、和やかな雰囲気のまま続いていたお茶会は暫くしてお開きとなった。
テラスから出た際、偶然にもティーパーティーの長の一人、聖園ミカ様とお会いした。
何も言わないのも失礼だと思い、挨拶と自己紹介をする。
するとミカ様は目を見開き、酷く動揺した真っ青な顔で壁に寄り掛かられていた。
ただの眩暈だと仰っていたが、大丈夫だろうか・・・?
私は喜びと心配を胸中に抱いたまま帰路に着いた。
「・・・よろしかったのですか?」
「ええ、もちろん。」
「あれはどれだけ高く見積もっても、道具としての運用しか考えていませんよ。」
「それに正実の残党と自警団をたった一人で制圧できるあの戦闘力を思えば、タダも同然です。」
「そ・れ・よ・り・もぉ・・・」
「ひゃぁん!?み、耳を嚙まれると・・・はうぅっ・・・♡」
「ちゃぁんとお仕事できましたね、偉いですよ子猫ちゃん。」
「良い子には、ご褒美をあげちゃいます。ほら、舌を出してくださいねぇ~・・・」
「は、はひ・・・!」
「とっても甘ぁ~いシロップを、私の手で、舌にぬりぬりしてあげます。」
「今は誰もいませんし、気持ち良くてお漏らししちゃっても、良いですよ・・・♡」
「ほ、ほへがいひまふぅ・・・♡」