トリニティ編 IF 夢心地の幸福 序
「和解?呆れるほど純真無垢な発想ですね。罠でなければおかしいくらいです。」
トリニティから持ち掛けられた和解の話。
錠前サオリは自分たちの主である”マダム”と呼ばれる大人の女、ベアトリーチェと言葉を交わす。
アリウス分校を統治するベアトリーチェは、この様な夢物語など一蹴するかに思えた。
「ですが…丁度いい機会ですね。」
だが、彼女は少し考え込むとサオリの予想に反する指示を下す。
「送り込む者は貴女とアツコ以外のスクワッドから一人、貴女が選出なさい。」
「それはこの話に乗るという…事ですか?」
「ええ。そのように指示をしたつもりです。」
思わず聞き返してしまったサオリに、返される素っ気ない肯定。
ベアトリーチェは鼻で笑いながら続けた。
「言うまでもありませんが、和解などという寝言は信じていませんよ。」
「彼女は、トリニティの情報を得る為に最大限利用して差し上げましょう。」
「わかりました、マダム。」
「よろしい、では行きなさい。」
促されるがままに部屋から退出するサオリ。
サオリの気配が遠のき、周囲に誰もいなくなった空間でベアトリーチェは一人ほくそ笑む。
「この頃、私達の内でも議題に上がる”砂漠の砂糖”なる麻薬…」
「排するにせよ、活用するにせよ、まずは如何なるものか見定めなくては。」
「カナリアが骸になったとて、それを火種に憎悪を煽れば良いだけのこと。」
「ふふっ、どう転んでも悪い様にはなりませんね。」
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「ご、ご機嫌よう。」
「歓談中すまない、次の授業の教室はどこだっただろうか?」
穏やかな陽気に包まれたトリニティ総合学園の庭園。
私、白洲アズサはお茶会を楽しんでいた数人の生徒にぎこちない挨拶をしていた。
トリニティ総合学園に招かれる形でアリウス分校から転入して僅か数日。
古巣とはあまりにも勝手が違う環境故に、移動教室の場所がわからないでいたからだ。
「あら、貴女は確か同じクラスで転入生の白州アズサ様…で合っていましたでしょうか?」
「ああ。合ってい、ます。」
環境に馴染めるよう慣れない言葉遣いで話そうとするも、自分でも分かるほどたどたどしい。
その上表情は元々仏頂面気味だが、初対面の相手ということも相まってかなり強ばっている始末。
気弱な者であれば萎縮してしまうのではないかと思うほどだった。
だが、彼女達は柔和な態度を全く崩さず、微笑みをもって私を会話に迎え入れてくれた。
「ふふっ、可愛らしいお方ですね。そう固くならなくても宜しいのですよ?」
「様付けが良くなかったのかな?アズサちゃんって呼んでもいい?」
「いきなり距離詰めすぎじゃない?白州さん辺りが妥当かも。」
「好きに呼んでもらって構わない、です…。」
各々が私の来訪に反応を示す。だがそこに拒絶的なものは一切無い。
皆が一様に同輩として私を歓迎してくれていた。
「ではアズサさん、と。あと口調も無理なさらなくても結構ですよ。」
「私達もこんな感じだし。」
「そうね〜。」
「…ありがとう。普段通り話させてもらう。」
好奇心混じりではあるが自らに向けられる好意はとても暖かく、心地よいものであった。
気がつけば緊張もある程度解れている。
これまでの人生において、初対面の相手では一度も無かった穏やかな会話。
ここでは命のやり取りは無く、飢えや傷病で蹲ったままヘイローが浮かばなくなる者も居ない。
それ故に生まれる彼女らの余裕に私は困惑しながらも理解する。
自らが今までと全く異なる環境に身を置いていること、そして、ここではこれが当たり前なのだと。
「ええと、次の授業の場所だっけ?」
「三階の理科室ですね。時間はまだそれなりにありますが、もう行かれるのですか?」
「いや、急ぐ用事も無いから…暇だな。」
「それは重畳。折角ですから、一緒にお茶しませんか?」
「お茶もお菓子もいっぱいあるよ!どうかな!?」
「同じクラスだから一緒に行けるしね。」
私に時間的猶予があると知るや否や、生徒達はやや食い気味にお茶会へと勧誘する。
小柄な犬耳の生徒に至っては高揚感を隠しきれず、尻尾を千切れんばかりに振っていた。
か、かわいい…。
「…わかった。相伴にあずかろう。」
僅かな逡巡の後、私はその招待を受ける事にした。
理屈で言えば警戒を怠らずに断るべきだと思う。
私には彼女らの歓迎を断りたくないという心があった。
今まで好き好んで過酷な環境に居た訳では無い。
故に人に好意をもって接せられることが、とても嬉しかったのだ。
そこに、警戒心をむき出しにしている自身がここでは異質である自覚が後押しした。
テーブルの上に置かれている茶菓子やティーポットから注がれる紅茶は彼女らが食している事に加え、話しかけたのはこちらからであることから毒の心配も無い。
このお茶会にはメリットしかないのだ、と自分の理性に言い訳をする。
「まあ嬉しい!こちらへどうぞ♪」
私は導かれるがままに同じ卓を囲む椅子に着席した。
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「なにこれ…!?おいしい…!」
「おかわりもあるよ〜!」
会話を始めてから五分程経った頃、私は口をつけた紅茶と茶菓子に甚く感動していた。
紅茶からは茶葉と入れた砂糖の混じった香り高い湯気が立ち昇り、茶菓子を口に入れれば口の中で蕩け、芳醇な甘味がいっぱいに広がる。
トリニティに来てからというものの、初めての体験は数多くあった。
戦闘を微塵も想定していない可愛らしい服や、柔らかいベッドに隙間風の入らない部屋、温かくて土が混じっていない食事など、枚挙に遑がない。
今までとの格差が酷く、何にでも喜ぶ勢いだったがこの紅茶と菓子はまた別格だった。
「なんだか、食べる度に心が…満たされていく…!」
「ふふっ、そうでしょう?最近流行りのスイーツ店のものなんです。」
「こんなに美味しいのに他店に比べるととても安価なんですよ?」
答えた生徒は紅茶を一口啜る。
「…っはぁ…。」
そして顔を蕩けさせながら幸せそうに息を吐き出していた。
他の生徒達も同様だ。紅茶と菓子を食する度に幸せそうにその表情を綻ばせている。
卓を囲む全員が、同じ幸福を噛みしめていた。
「…こうしていると、以前が嘘みたいね。」
「どういうこと?」
ふと一人の生徒がしみじみと呟く。
軽快だった会話の質が変わったことに気づいたアズサは思わず尋ねる。
「私たち、前までお互いにいがみ合ってたんだよぉ~。」
「そうなのか…?てっきり旧知の仲だと…」
「わたくしはパテル、アズサさんの右隣はフィリウス、左隣はヨハネとそれぞれ派閥が違ったんですよ。」
ここまで楽しげに茶会をしていたメンバーが敵対していた事が信じられず、面食らう。
アリウスだと喧嘩が一度起きれば、数ヶ月内にどちらかが蒸発してしまう事すらあったのに。
「…どうやって、今の様になれたんだ?」
踏み込んで良い話なのかはわからなかったが、思わず尋ねてしまう。
不和など、無い方が良いに決まっている。
その解決方法があるのであれば、知っておきたかった。
「何故、と聞かれると少し困るね。気づいたらこうなってた感じ?」
「…強いて言うなら、この菓子やお茶に入っている砂糖のおかげかもしれません。」
「これで幸せな気分になってると、派閥間の諍いとかしがらみとかがどうでも良くなってたんだよねぇ~。」
「パテルまで”ゲヘナとかどうでもいい”って言い出した時は槍でも降るのかと思ったわよ。」
いがみ合っていた過去があれど、互いに思い思いの言葉を紡ぎ、笑いあう。
私にはこの光景が、とても得難く、尊いものに思えていた。
トリニティへの憎悪は何度も教えられた。
だが、教えられただけだ。その憎悪は私のものではない。
だからこそ思わずにはいられなかった。
いつの日か、アリウスとトリニティがこの様な関係になれればいいのに、と。
「あ、そろそろ来るかな。」
そう思いを馳せていると、一人が不意に妙な事を言い出した。
「何が来るの?」
「所謂、夢見心地というものです。きっと気に入りますよ。」
「最初は目を閉じて、自分の内に意識を向けるとわかりやすいかなぁ~。」
彼女達の言う事は今一つ抽象的で、よくわからなかった。
「ふむ…わかった、やってみる。」
わからないなりに、取り敢えずは言われた通りにやってみる。
目を閉じ、自らの内に意識を向ける。すると一分と経たない内に彼女らの言う何かが私の中に到来した。
「…うぁあ!?あっ…あ、あぁ…は、へ、あぁ…!!!」
あまりにも衝撃的な感覚だった。パチパチと何かが弾ける様な不思議な快感が脳を駆け巡る。
次いで、まるで暖かいお湯の中にいるかの様な浮遊感を感じ、最後に今までに感じたことの無い多幸感を感じた。
「ぁに…これぇ…きもひ、いぃ…!」
「うふふっ、やはり初めての方はこうなりますね。」
「良いでしょこの感覚。私たちももう病みつきなのよ。」
「慣れてくるともっと面白いトび方もあるよぉ~。」
しばらくするとその感覚は徐々に引いていった。
なるほど、実際に感じてみてわかったが素晴らしい体験だった。
確かにこの幸福感があれば、多種多様な悩みや諍いなどどうでも良くなるというのも頷ける。
程なくして、お茶会は授業のためにお開きとなった。
その際、彼女らから今後とも是非、と次回のお茶会にも招待された。
私は、参加を快諾した。