トリニティ編 6話
「…諦めて。話すつもりは無いわ。」
不当に拘束されていた正義実現委員会のツルギ委員長の解放作戦。
残存する自警団の総力を挙げた大博打の作戦で制圧された私は、
気が付くと椅子に縛り付けられた上、目隠しをされて尋問を受けていた。
聞かれているのは私たちの潜伏拠点と行動計画。
相手は恐らく菓子に狂った『正義実現委員会』だろう。
「どうしてもダメ、でしょうか?」
「気狂いに話すことなんて無い。」
ツルギ委員長とまともな正実メンバーは極力水以外の出される食事に
手をつけておらず、救出した際には衰弱していた。
ツルギ委員長だけは多少戦えていたがすぐに限界を迎え、
離脱するための時間稼ぎに私が殿を務めたのだ。
私一人の犠牲で済んでいるのであれば戦力的にも大成功だろう。
「ふむ、困りましたね…」
真っ暗な視界の先、声音から尋問官の弱った様子が伺える。
この調子で取り付く島も与えなければ、少なくとも時間稼ぎにはなるだろう。
時間さえ稼げれば、より勢力を増した仲間達の救助も望める。状況は悪くない。
「何度でも言うわ、諦めて。」
私が尋問されているということは、連中はまだ情報を掴めていないということ。
そして情報は鮮度と精度が命。不正確な情報では却って危険なのだ。
私の口に菓子を詰め込んで禁断症状で嵌めるという手もあるだろうが、
吐かせるまでに時間がかかりすぎる。
そう思うと気が楽になり、つい軽口まで叩く。
「私に構ってないで、もっと有意義なことに時間を使ったらどう?」
「それにこんなことしてるんだから、悪事実現委員会に改名しなさいな。」
「…そうですか。」
だが、私は見誤っていた。
「では聞くのは止めにしましょう♪」
「…は?」
この尋問に意味など無かったことを。
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「…紙一重の差だった。」
「はい!今回は本当に紙一重でした!アズサちゃん、すっごく惜しかったです…!」
『補習授業部』の合宿所にて。
第二次補習授業部模試の結果が返却され、その結果にヒフミも喜びの声をあげている。
ハナコは兎も角、コハルも大幅に点数を伸ばしていたため、なおのことだろう。
そんな時だった。
「…失礼いたします。」
何者かが合宿所に踏み入って来た。
「…侵入者か。」
これまでの人生からは想像出来ないほど穏やかで、代え難い、心落ち着く光景。
それを守るため、私は兵士としての自分を呼び起こした。
「──大丈夫、準備はできてる。」
自分にも言い聞かせるように補習授業部の面々に告げる。
こんな事もあろうかと、最早手癖とも言えるトラップ敷設は合宿開始と同時に着手していたのだ。
並大抵の相手であればトラップだけで対処できる自負がある。
だが、その余裕は轟音を伴う銃声にかき消された。
「何っ!?」
(この音はデザートイーグル!しかもこの発射間隔だと二丁持ち…!?)
(的確にトラップを撃ち抜かれてる…!マズい、抜けられる!)
訓練では感じ得ない危機感に、冷たい汗が吹き出る。
「アズサちゃん!?」
ヒフミの制止を振り切り、廊下を駆ける。
この侵入者は放っておけば確実に自分たちの下へ辿り着くだろう。
だがそうはさせない。
侵入者が立てる音から凡その位置を割り出し、
準備しておいた強襲用のワイヤーを使って階下の迎撃ポイントへ突入した。
「っ!!」
だが、そこには誰もいない。
自らの失敗を悟った時には天地は逆転し、廊下に叩きつけられ、腹を踏まれていた。
「がっ!?」
叩き付けられた拍子に開いてしまった口に何かを突き込まれた。
一拍置いて、それが先の銃声の発生源である事を認識する。
「手荒な歓迎ですね、びっくりしました。」
状況を打開しようと思考を巡らせる。
だが、侵入者の表情を見た瞬間、私は極度の緊張で硬直した。
「貴女…まだ、"救済"されていない方ですね?」
「───」
何を言っているのかはわからない。だが一つだけ理解した。
今私が感じているものの名は恐怖。そう、これは恐怖だ。
未知なる脅威に対する防衛本能。
このトリニティでは感じるはずが無かったもの。
「あら、マリーちゃんじゃないですか?」
「あ、ハナコさん。奇遇ですね。」
その状況を破ったのはハナコだった。
どうやら面識があったらしい。
「アズサちゃんを制圧するだなんて、見違えましたね。」
「…ところで、そこのアズサちゃんは私のお友達なんです。離してあげてくれませんか?」
「そうでしたか、これは大変失礼しました。」
ようやく口から銃口が抜かれて解放され、早鐘を打っていた心臓が徐々に落ち着く。
だが、心中は全く穏やかではない。
曰く、トリニティ生は訓練もロクに受けていない腑抜けた生徒ばかりだと。
曰く、一部の生徒を除けば多対一でも制圧することができる存在だと。
そう教えられていた前提は脆くも崩れ去り、目の前の存在に手の震えが止まらなかった。
その後、後から追いついてきたヒフミとコハルに助け起こされ、互いに謝罪を交わす。
名を伊落マリー、『シスターフッド』所属の"一年生"らしい。
用件は、次週に聖堂で催す礼拝行事の通達だった。
「ではみなさん、お邪魔いたしました。」
「先生も、急に訪ねてきてしまってごめんなさい。」
"う、うん、気をつけてね…。"
先生も彼女の実力を始めて見たのだろうか、どこかぎこちなく見送る。
去っていく背中を見つめながら、私は古巣であるアリウスのサオリに連絡することを決意した。
アリウスがトリニティに対して早まったマネをしないように釘を刺しておきたかったのだ。
ロクな思い出が無い古巣だが、多少の情はある。
彼我の戦力差が想定よりも遥かに大きい可能性を知れば、行動にも躊躇いが出るだろう。
「ッ…」
伊落マリーの瞳を思い出し、思わず身震いする。
あの瞬間の穏やかな表情、薄く開かれた目の奥の瞳。
人の瞳は言葉こそ無いものの、その者の在り方を写す。
その一切が見えず、読めず、理解出来なかった。
あったのは不気味に蠢く黒い意志。
人はそれを"狂気"と呼ぶことを、私は後に身をもって学ぶことになる。
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伊落マリーは合宿所を離れた後、聖堂へと戻っていた。
聖堂内の『シスターフッド』の構成員でしか知り得ない、地下への秘密の階段を下りる。
そして重厚な扉を何枚も潜った先には歌住サクラコがいた。
「ただいま戻りました。」
「お帰りなさい、マリー。」
「そろそろ"仕上げ"の頃合いです。お願いできますか?」
「はい、お任せください。」
サクラコはその返事に微笑みをもって返す。
そしてサクラコの後ろにあった最後の扉が開かれた。
するとうわ言の様な掠れた嘆きが聞こえてくる。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
「もう二度と反抗しません、何でもします、だからもう痛くしないで…」
そこには哀れな玩具が居た。
何も問われず、何も求められないまま、ひたすらに嬲られ続けた肉人形。
初日はユスティナ聖徒会の遺した拷問器具をいろいろ試された。
玩具は怒り、叫んでいた。
二日目はヒナタが物を数えるのに玩具の指が使われた。
玩具は六十を超えた辺りから泣きながら最初に聞かれたことを叫んでいた。
三日目は菓子の切れた者が同室に押し込められ、ひたすらに叩かれた。
玩具は叫びすぎた喉が切れ、血の混じる咳をしていた。
そして四日目、今日は何もしていない。
玩具は壊れかけていた。
牢の中に入り、照明が自身の持つランプ一つになったことを確認する。
その確認が終わるとマリーは玩具にまるで急いで来たかの様に駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
玩具の目隠しを取り、顔に付着していた血や涙といった体液を暖かいおしぼりで優しく拭う。
この数日間、繰り返している行為だ。
「ぁ…マリー、さん…きてくれた…」
「こわかった…きょうは、なにされるか、わかんなくて、それで…」
「あぁ、怖かったでしょう。私は貴女の味方です。」
「私は貴女に酷いことなんてしません。」
真っ直ぐ玩具の目を見据えて、優しく笑いかける。
「今日も栄養剤は何とか持ち込めました。」
「何も食べないままでは、貴女のヘイローが壊れてしまいますからね。」
マリーは懐から錠剤ケースを取り出し、数粒の真っ白な塊を取り出す。
そして玩具の口にそれらを入れ、水を含ませる。
「…んっ、はぁ…ありがとう、マリーさん…」
「私にはこの程度のことしか出来ませんから…こんな私で良ければ、頼ってください。」
「あなたの為に祈ります。貴女も、自らへの救いを祈って下さい。」
「は、ぃ…」
玩具は目を瞑り、救いを願い、祈る。
「はぁ…ぁ…!」
玩具は祈りの先に何かを見たようだった。
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「いい仕事でしたよ。」
「サクラコ様、ありがとうございます。」
玩具のあった部屋から出て重厚な扉が閉まった後のこと、
サクラコはマリーを労っていた。
「これで敬虔なシスターがまた一人増えるでしょう。」
「はい、非常に喜ばしいことです。救いを知らずに生きることは可哀想なことですから。」
嬉しそうに笑うマリー。その心に"一切の悪意は無かった"。
「ええ、これからも精進して参りましょう。」
「救われぬ者に救いの手を。」
「例え何があろうとも、あらゆる手を使ってでも、我々はその歩みを止めてはなりません。」
後日、聖堂で行われた礼拝行事には見慣れないシスターが一人増えていた。