トリニティ編 5話
カツン、カツンと靴が固い床を打つ音が木霊する。
正義実現委員会の所有する地下牢。その最下層へと続く階段を羽川ハスミは下りる。
最下層に着くとそこには派手に破壊された鉄格子と戦闘痕があった。
「…やはりこうなりましたか。」
「数じゃ自由になったツルギ先輩を止めるのは無理っすよ~。」
そう答えるのはハスミの後輩のイチカだ。
ツルギに吹き飛ばされ、壁にめり込まされていたせいかその姿はボロボロだった。
「経緯を説明してください。」
「…自警団の連中っすね。自爆覚悟で突っ込んで来られて押し込まれたっす。」
「それで人質として拘束していた反逆者達を解放され、ツルギが脱走したと。」
「そういうことっすね。マシロは潰れた空缶コース、あたしは見ての通りっす。」
「あ、殿してた自警団の子は牢屋がこれなんで『シスターフッド』に引き渡したっすよ。」
思わず溜息を吐く。頭では分かっていたのだ、彼女は絶対に屈さないと。
だが同時に、彼女さえ屈してくれればと切に願っている。
奥底にいる自分が"こうなった"ことも仕方が無いと納得してくれそうだったから。
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ある時、『ティーパーティー』から『正義実現委員会』に依頼が入った。
普段であればこの手の依頼は違法な武器の生産工場の摘発や、アウトロー集団の殲滅といった
中々骨の折れる任務が多かったため意気込んでいたのだが、妙に簡単な任務だったので正直拍子抜けだったことを覚えている。
そして依頼を無事に完遂した数日後のことだった。
「差し入れ、ですか?」
「はい。流石は『ティーパーティー』、中々太っ腹ですねぇ。」
配下のメンバーから差し出されたもの。
それは最近噂になっている、オープンしたばかりのスイーツ店の菓子の数々だった。
トリニティ自治区内にはまだ出店していないらしく、わざわざ遣いを送って取り寄せたと。
日々の任務と副委員長という立場もあり、自治区内から中々出る事が叶わない身。
元々甘いものがこの上無く好きな自分にとって、あまりにも魅力的な贈り物だった。
「…せっかくのご厚意です、頂きましょう。」
「どれになさいますか?かなりの量をくれたので全員2、3品は最低でも選べますよ!」
「ツルギはどれにしますか?」
高揚する心を抑えつつ、相方のツルギにも気を向ける。
しかし、返って来たのは意外な言葉だった。
「私は…いい。」
「何だか今は食べる気にならない。皆で食べるといい。」
そう言うとツルギは静かに部屋を出て行ってしまった。
彼女が遠慮する理由も無ければ、甘いものが苦手という認識もない。
体調なんて概念も無い程に丈夫で、入院レベルの怪我も一晩寝れば治るほどの
驚異的な生命力を持つというのにどうしたのだろうか?
疑念は尽きなかったが、"そういう日もあるのだろう"と解釈して自分を納得させる。
そしてツルギと警戒に出ていたメンバーを除く、私や正義実現委員会の構成員はその菓子を───
「何ですかこれは…!?美味しい…!!」
口にした。口にしてしまった。
瞬間、脳髄を駆け巡る多幸感。さながら空に浮く様な心持だった。
そのあまりの美味しさに手に持っていた菓子の残りを再度口に運ぶ。
堪らない、こんな美味しいものが、このキヴォトスにあっただなんて!
そう感じているのは私だけではなかった。
「美味しいぃぃぃ…!」
「ヤバい、いくらでも食べれるよこれ!」
「もう一個!もう一個頂戴!」
マシロやイチカも一心不乱に菓子を頬張っている。
皆が幸せそうに顔を綻ばせていた。
中には体ごと溶けるのではと思うほどに蕩けた表情をしている者までいる。
それ故に、皆が食していないメンバーのことを忘れ、残る菓子に手を付け始めた。
あれだけあった菓子はあっという間に無くなっていた。
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「…あの菓子が食べたい。」
数日後、誰かがそう言い出した。その気持ちは痛い程よくわかる。
あの菓子は"美味しすぎた"のだ。今まで喫茶店などで食していた甘味のいずれもが
どこか物足りなく感じてしまっている。
そのせいか最近は私も含めた皆の苛立ちが酷い。
不良生徒を制圧している際、いつも聞き流していた罵詈雑言が非常に癪に障る。
それを晴らすためにいつもより多めにバイタルパートに弾丸を撃ちこむ。
地に伏した後も念入りに、手足を撃ち確実に起き上がれないよう痛めつける。
マシロも同じようで、普段しないような格闘戦を行っていた。
不良生徒の側頭部を蹴り飛ばし、喉を足の裏で踏みつける。
そして、着用していたヘルメットが原型を失うまで対物ライフルをゼロ距離射撃していた。
イチカは乗って来ていたクルセイダーで拘束した不良生徒を足から背中に向けてゆっくりと轢いている。
あまりに喚くものだから喚く度にハンドガンで背中を撃っていた。
しかし、こんなゴミ共をいくら嬲ったところで私達の気は晴れない。
それにぐったりとして動いていないはずのゴミ共からまだ罵詈雑言が聞こえるし、頭が痛い。
そうだ、あの菓子だ。あの菓子を食べたい。
ツルギや菓子を食べれなかった子達が何か言っているが、知ったことではない。
立ちはだかる者を銃底で殴りつけてどかせる。
ナギサ様にどこで手に入るかを聞いてみよう。
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ナギサ様から菓子を頂いた。しかも大量に。
でも貰う時に約束をした。
「なるべく多くの方に、そして、初めての方に優先的に渡してください。」
「そうしてくれたら、ハスミさんにはもっと濃厚で、美味しいものをご用意致しますよ。」
「もしもの話ですが…独占などされてしまいましたら」
「今後お渡しできなくなってしまうかもしれませんね…。」
やった!ようやく菓子にありつけた!
約束通り菓子をいろんな方に配った。
まだ全部は配り終えていないけれど、一つくらい食べても良いでしょう。
では自分へのご褒美に一つ、頂きます。
「はぁぁっ…!」
とても、とても美味しい。
これを食べるために生きてきたのかもしれない。
苛立ちや頭痛が溶けて消えていく。意識がクリアになる。
そして───
「っ!?!?!?!?」
───己が罪を、自覚した。
「うあああああぁぁぁあああぁぁぁぁあああ!?!?!?!」
喉が張り裂けんばかりに絶叫する。
私は、私は一体何を!?正義を司るはずの正義実現委員会。
トリニティ自治区の治安を護る組織。その副委員長であるはずの私は!?
違う、こんなの、私じゃない!私である、ハズがない!
…鏡に映るお前は誰だ。それを見る私は誰だ。
悪逆の徒は討たねばならない。そうだ、お前は私がここで討つ。
悪逆の徒は私と全く同じ動きで拳を振りかざす。
互いの拳がぶつかり、よくわからないが罅が入り、砕けて消えた。
良かった、悪は、悪は…。
───雨が降っていた。
服はずっしりと重く、髪が顔に張り付き、酷く不快だった。
ブラックマーケットに程近いトリニティ自治区の郊外。
何も持たないまま、裸足のままで人気の無い通りを歩く。
「オイあれ!正実の副委員長じゃね?しかも手ぶら!」
「今ならノせるんじゃねぇの!?やっちまおうぜ!」
すると、いつも暴力沙汰を起こして自分たちが追いかけまわしていた不良生徒達がいた。
私は振り返るとそのまま膝を突き───
「お願いです…私のヘイローを…壊してください…」
「「…えっ?」」
「お願い…しますっ…!」
私が私である内の、終わりを望んだ。
「お、おい…なんかやべぇよコイツ…」
「行こうぜ、気味悪ぃ…」
だが、その望みは叶わない。冷えた身体に現実が重くのしかかる。
こんな状況なのに、まだあの菓子が欲しいと身体が訴えかけてくる。
(仕方が無かったのです。あなた<私>は悪くない。)
そんな訳は無い。あるはずがない。
内から聞こえる自らの声に反論する。
(これからどうするのです?こんなあなた<私>を、先生ですら見放すでしょう。)
それは…その通りだと思う。
(ではこうしましょう。あなた<私>は眠りなさい。私<あなた>があなた<私>になりましょう。)
…お願いします…もう、何も、考えたくありませんから…
羽川ハスミは、自らの奥底に眠る。