トリニティ編 4話
『補習授業部』が発足して暫く。
いつの間にやらホワイトボードと黒板にモモフレンズが描かれ、環境に慣れ親しんだ頃。
「紙一重っていう点数じゃないですよ!?」
「コハルちゃんんんんっ!?」
「2点!!?!?!?!?」
ヒフミの絶叫が教室に木霊する。
第一次特別学力試験の結果が届き、私はその結果を読み上げていた。
元々成績不良ではなくテストをサボったために『補習授業部』に組み込まれた
ヒフミは難なく試験をパスしたが、他の三名は読み上げながら思わず顔が引き攣ってしまう。
紙一重だったと悔しさを滲ませるアズサ、32点。
実力を隠していただけと補習授業にもあまり意欲的でなかったコハル、11点。
自習中もアズサからの質問に正確かつ、明瞭に答えていたはずのハナコ、2点。
ここに、『補習授業部』の夏合宿が決定した。
教育者としては肩を落とさざるを得ない結果だ。
しかし、アズサとコハルはまだ良いが問題はハナコである。
「待ってください、ハナコちゃんものすごく勉強ができる感じでしたよね!?」
「確かに私、そういう雰囲気あるみたいですね。まあ成績は別なのですが。」
嘘だな、と表には出さないがハナコの発言を一蹴する。
人にものを教える者というのは、学ぶ者と比較してその何倍もの知識や経験を要するのだ。
つまるところ、彼女は理由こそわからないが最低限必要な"やる気"が無いのだろう。
「流石に無いと思っていましたが、留年が現実味を帯びてきました…」
「あうぅ…。」
"ヒフミ!しっかり…!"
「うぅ、こんなはずじゃなかったのに…ペロロ様グッズの購入資金のためのバイトもあるのに…」
「私、そんなに大それたことしましたかぁ…?」
「うふふっ、バイトしてるだなんて立派ですねヒフミちゃん♡」
遠い目をして乾いた笑いを浮かべるヒフミに、どこか他人事の様な態度のハナコ。
前途多難な夏合宿となりそうだ。
それはそれとして、ヒフミ。
大それた事をしまくっている立派な問題児であることは自覚しなさい。
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日が傾き空が茜色に染まる頃。
『補習授業部』の面々が解散し、トリニティに滞在している自分に宛がわれた部屋に戻った。上着をハンガーに掛け、一息つくと睡眠時間を確保するためにもすぐに書類作業に取り掛かる。
補習授業は終われども、シャーレの業務は停滞しているだけで消化されていないのだ。
"うん…?"
書類の中に一枚、見覚えのないものがあった。
"何だろうこれ…?"
手に取り内容を確認する。書式どころか差出人の記載も無い。
あるのは真っ白な紙の中央に書かれた僅か一文のメッセージだけだった。
『甘いものを食べないで』
"…?"
全く何のことかわからない。だが、警告文なのだろう。
情報が一文しか無いからか、心の中にしこりとして妙に残る。
首を傾げつつも気を取り直して書類作業に戻る。
シャーレからシロコに送ってもらった書類は経費や各種申請の確認のものが大半で
ハンコを押すだけで良いものばかりだった。
この分だとアヤネが電話で言っていた件の書類はまだ届いていない様だが、
シャーレの当番として処理できるものはシロコが粗方片付けてくれたのだろう。
…後でシロコにはモモトークで感謝を伝えておこう。
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同日の夜も更けてきた頃、扉がノックされた。
"どうぞ。"
「こんばんは、先生。」
来訪したのは桐藤ナギサだった。
"こんばんは。どうしたの?"
「少しお茶でもご一緒できればと。」
「今日はミカさんもセイアさんもお忙しい様で、少し寂しい夜だったのです。」
「…ご迷惑でしたでしょうか?」
"ううん、書類も切りの良いところまで片付いたから構わないよ。"
「ふふっ、ありがとうございます。」
ナギサは小悪魔的な笑みを浮かべる。
…狡い子だ。"寂しい"と来られれば私としては断り様が無かった。
そこから暫くは楽しい世間話が続いた。
トリニティの名産品や観光スポット、好きな紅茶の種類などの話題から話は広がっていく。
私からもシャーレとしての業務や、現在の『補習授業部』の状況などを話し、次第に交友関係の話になった。
"そういえば、ハナコとは仲が良かったね。"
"いつ頃から仲良くなったの?"
「いつ頃だったか…すみません、正確な時期はわかりませんね。」
"気が付いたら仲良くなってたって感じだね、わかるよ。"
「ええ、そんな感じです。一緒にアクセサリーを買いに行ったりもするんですよ。」
「アクセサリーの類で言えば確か、ミカさんもお好きだったはずですね。」
「彼女は私と幼馴染なんですよ。もし彼女に贈り物でもするんでしたら、アクセサリーの類が良いかもしれません。」
そう話すナギサは一人の為政者ではなく、年相応の少女に見えた。
不意にナギサは側仕えの生徒に目を向ける。
「少し、小腹が空いて来ましたね、お茶菓子をお出ししましょう。」
側仕えの生徒が紅茶を注ぎ足し、私の前にクッキーやビスケットといった茶菓子を置く。
しかし、先の書類の中にあった警告文が気になりやんわりと辞退する。
"ごめんね、さっき夕飯はしっかり食べちゃって…"
「…そうでしたか。ではそちらのお茶菓子はお包みしましょう。」
「生ものはありませんので、お好きな時にお食べください。」
その後、程なくしてナギサは退室していった。
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「自警団か…それともツルギシンパの正実残党辺りでしょうか…全く忌々しいっ…!!!」
桐藤ナギサは苛立ちを隠さず、親指を噛みながら廊下を早歩きで歩く。その姿は普段の彼女の気品ある立ち居振舞いを想えばまるで別人の様だった。
先生が夕食をまだ摂っていないことは把握していた。
食べられない苦手な物、アレルギーも情報部の調査で確認済み。
それで勧めた茶菓子を満腹を理由に拒否されたということは、そう言う事だった。
しかしその苛立ちはとある部屋の前に着いた時、一呼吸置くと同時に霧散した。
ノックをして入室する。
「失礼します。」
「あらあら、上手くいかなかったようですね。」
薄暗い部屋。肺を満たす甘ったるい香り。
ここは本来、セイアの部屋だ。
側仕えはおらず、部屋の中にはベッドに腰掛けてセイアを膝枕する者がいた。
その表情は暗さ故に判別することができないため、声色でしか機嫌を伺えない。
ナギサを含めた三人だけの空間。
「すみません、自分のいたらなさを恥じ入るばかりです…」
「先生が警戒されています…何者かが動いたと見て良いでしょう。」
「そうですか、では手口を変えていきましょう。」
「貴女のおかげで時間などいくらでも作れることですし。」
「そう思いませんか、小狐ちゃん♡」
「ふあぁ、そう、だねぇ…」
「ふふっ、えらいえらい♡」
蕩け切った声色で返事をするセイア。そこには知性をまるで感じられない。
頭を優しく撫でられながら角砂糖の様な白い直方体を口に運ばれるたび、
更に幸せそうに顔を蕩けさせている。
「ああ、そうそう。子猫ちゃんにもご褒美をあげないと、ですねぇ。」
「よ・だ・れ、垂れちゃってますよ?」
話相手が自分に戻って来たことに一瞬遅れて反応するナギサ。
指摘された通り彼女の口の端からは透明な液体が滴り落ちていた。
「よ、よろしいのですか!?まだ先生を堕とせていませんが…」
「あら?では完遂するまでは遠慮しておきます?」
「い、いえっ!ください!今欲しいですっ!!」
プライドや品位など全てをかなぐり捨てて足元に縋りつく。
今すぐセイアが口に運ばれているものが欲しくて欲しくて堪らない。
アレ無しでの人生なんて、もう考えられない。
他の何を差し置いてでも手に入れたい。
「まあ、可愛らしい。素直な子は大好きですよ♡」
「口と手、どちらがいいですか?」
「く、口で!口でお願い致します!」
「しょうがないですねぇ、はー…むっ」
ナギサに見せつけるように白い直方体が口に含まれる。
それも一度に三つ。
「ほら、ひらっひゃい(ほら、いらっしゃい)。」
「は、はいぃ…!」
嗚呼、この幸福を得られるのであれば他のことなんてドウデモイイ。
ナギサの自意識は泥のように溶けていった。