トリニティ編 2話
「お待ちしておりました、独立連邦捜査部シャーレの■■様。」
テラスから退出し、いくつかの扉を潜って来た道を戻っていると一人の生徒から声を掛けられる。
脇から進み出てきたその生徒の優美な立ち居振舞いには思わず見惚れてしまう程の品を感じた。
「ナギサ様から案内係を仰せつかりました、浦和ハナコと申します。」
「お気軽に『ハナコ』とお呼びください。以後、お見知り置きを。」
退出時にナギサから「友人に学内の案内係を頼んだ」という話は聞かされていたのでその子だろうと納得する。
また、「どの派閥にも属さず自分とは親密な間柄であるため、信頼の置ける人物である」とも。
"君がナギサの言っていた仲のいいお友達かな、よろしくね。"
「はい、ナギサちゃ…んんっ、ナギサ様とは懇意にして頂いております。」
"そんなに固くならないで。もっとフランクな感じでいいよ。"
「お気遣いありがとうございます。では、私からも『先生』とお呼びしますね♡」
つい先ほどのナギサとの会話では自分が固くなっていたというのに調子がいいものだ、と自虐して思わず頬が緩む。
どうやら普段は"ちゃん"付で呼んでいる程に仲は良いようだ。
信頼できるというのも本当らしい。
「事情は伺っております。まずはどの方からお会いになられますか?」
"うーん…"
"(まだ名簿には目を通していなかった)"
悩むフリをして名簿を開く。
するとそこには目を疑いたくなる名前が記載されているではないか。
"…一つ良いかな?"
「何でしょう?」
"学内に君と同姓同名の子はいる?"
「居りません♡」
"そっかぁ…"
「はい、まずは一人目には会えましたね♡」
してやられた…思わず窓から空を見上げる。嗚呼、突き抜ける様に綺麗な青空だ…。
今抱えてる書類仕事も、目の前の生徒が件の対象者である事実も、あの空の彼方にすっ飛んで行ってくれないものか…
少し気を遠くにやっている私の意識を引き戻したのはポケットから鳴り響く着信音だった。
"ごめん、少し電話するね。"
お構いなくと柔和に微笑むハナコに背を向け電話を取る。
相手はアビドスで出会った生徒、アヤネだった。
"もしもし?"
『もしもし、先生ですか?アヤネです。』
『少しお話がありまして…今、お時間よろしいでしょうか?』
"大丈夫だよ。どうしたの?"
『実は…』
アヤネは要件を語り始める。
どうやら主にアビドス自治区における問題への生徒会としての対策について助言が欲しい様だ。
彼女ら対策委員会はカイザー理事と黒服を退け、正式に生徒会となった。
その為、現在は自治区内を平定する義務が生じている。
借金の返済や校舎の維持などの対策委員会として行ってきた業務は問題無いだろう。
しかし、そこに急に生徒会としての業務を追加されれば対応に困るのも無理はない。
声色から察するに急を要するわけではなさそうだが、先生としては極力協力してあげたいところだ。
話は大きく三つだった。
一つ目が『治安維持』について。
近頃何故かブラックマーケットにほど近い場所や、廃墟や空き家が立ち並ぶような
『元々治安の悪かった場所』での事件発生率が大きく低下しているらしい。
これだけならば喜ばしいことなのだが、その逆に『治安の良かった場所』での事件発生率が増加傾向にあるとのこと。
しかもその事件を起こしているのが温厚で、対策委員会に対しても協力的だった住民ばかりらしい。
二つ目は『流行りのスイーツ店』について。
何故かアビドス自治区内でオープンしたスイーツ店がかなり繁盛しているそうだ。
広告も上手いのか口コミも上々、トリニティやゲヘナといった自治区からの客も絶え間無く訪れており、
間もなくオンライン注文も開始するとのこと。
アビドスとしてはこのスイーツ店目当てに来る人々をターゲットに、経済活動を活発化させたいがいい案が浮かばないらしい。
最後の三つ目は『ホシノ』について。
これはアヤネの個人的な話ではあったが、ホシノが先の二つの件でずっと忙しなく動き続けているのが心配らしい。
効率的な作業方法や、ホシノを手伝えないかと模索しているとのこと。
…思った以上に話が長くなってしまった。
もう少しじっくり話をしたいが、これ以上は控えているハナコに申し訳ない。
今は簡潔に回答し、後で腰を据えて話をすることにする。
"ごめん、今出先だから簡潔に答えるね。"
『あ、出先でしたか…話が長くなってしまってごめんなさい。』
"ううん、良いって言ったのは私だしね。それに…"
"こうして私を頼ってくれて嬉しいよ。"
一つ目の件についてはもう少し調査を進めて報告、もし戦力が必要ならシャーレに依頼をすること。
二つ目の件はアビドス砂漠の観光や観光客への支援による来る理由の補強。
三つ目の件はむしろ私が教えて欲しいくらいだが…昔読んだビジネス書に記載されていたことを少々。
また、ホシノの様子がおかしいと思ったならすぐに言う様に言い含めた。
"シャーレにシロコが当番で滞在してるはずだから、シロコ宛に書類も送ってくれてもいいよ。"
『お忙しいのに本当にありがとうございます…!』
アヤネからの感謝を程々に受け取り、通話を終える。
多分、電話しながら頭をペコペコ下げてたんだろうな…とアヤネの姿を想像していると――
「…」
"…ッ!"
――背筋に氷柱を差し込まれた様な悪寒が走った。
咄嗟に振り返って見てもそこには優し気に微笑むハナコの姿しかない。
驚いたものだから、静かな廊下であることも相まって自分の心臓の音が嫌によく聞こえる。
一体何だったのだろうか…。そういえば電話で話始める前よりもハナコが近くに来ている様な…。
いや気のせいだろう…。かぶりを振り、ちゃんとハナコに向き合わないと失礼だと自省する。
"…あっ、ごめんね。お待たせ。"
「ふふっ、いえいえ。では行きましょうか♡」
ハナコの案内に従い足を動かす。
この時の私の心は暑さを感じる季節だというのに、寒気を感じるほど先ほどの悪寒に支配されていた。
それこそ、アヤネからの話は頭の片隅に追いやられて意識しなければ思い出さない程に。
私はこの時の選択を、未来永劫、後悔することになる。