トプロさんに褒められるアヤベさんにそっくりな♀アヤトレの話

トプロさんに褒められるアヤベさんにそっくりな♀アヤトレの話


「あ、アヤベさんのトレーナーさん! こんばんは!」

「こんばんは、トプロさん。もしかして休憩中?」


 そろそろ太陽も沈みかけ、青かった空が紅色と紺色に移り変わる頃。

 書類仕事に忙殺された結果、自主練をお願いしていたアヤベさんの様子見に向かう途中、びっしょりの汗をタオルで拭うトプロさんと出会った。


「はい! さっきまでアヤベさんと並走してまして、今はオペラオーちゃんやドトウちゃんと一緒に走ってますね」

「そっか、付き合ってくれてありがとうね」

「いえいえ! 私も、アヤベさんと一緒に走れてすごく楽しいですから!」


 ぺかーっという擬音が似合いそうな笑顔と共に、そう話してくれるトプロさん。

 詳しく聞かずとも、その笑顔とブンブン振るわれた尻尾の動きを見れば、並走が楽しかったんだろうと伝わってくる。

 ……『あの日』より前までは、アヤベさんは私とマンツーマン、なんならアヤベさん個人による自主練も多かったくらい他の娘と繋がりを持つ機会が少なかった。

 それが、今こうして──アヤベさんから切り出したのか、相手が提案してくれたのかは分からないけど──率先して並走トレーニングに励んでくれるくらい、みんなに心を開いている。それが凄く嬉しかった。


「『あの日』以来、すごくすっごく強くなったアヤベさん! 私も、菊花賞では負けてしまいましたけど……次の有馬記念では勝つぞ! ってやる気にさせてくれるんです!」

「そっか……『あの日』は本当にありがとう、トプロさん。オペラオーさん、ドトウさん共々、皆さんが居なかったらどうなってしまっていたか」


 本当に、アヤベさんは善い友人に恵まれた。ぐいぐいと積極的に距離を縮めてくれたトプロさん、精神的な支柱となるようどっしりと構えてくれていたオペラオーさんに、臆病ながら寄り添い続けてくれたドトウさん。

 同室のカレンさんにも身近な存在としてサポートしてもらっていたし、誰か1人でも欠けていればアヤベさんは戻って来られなかったかもしれないと。

 偏に彼女の面倒見の良さと人徳が、彼女を救い上げてくれたというのだから、心温まる話だ。


「何を仰っているんですかトレーナーさん! アヤベさんを誰よりも大切にして、助けてあげたのは、他ならぬトレーナーさんじゃないですか!」


 ……だからこそ、彼女に付き纏う汚物の存在が、アドマイヤベガというウマ娘の価値を貶めている。

 その事実を突き立てられたが如く、私の心が、背筋が、スッと凍えていくのを感じた。


「私は、大したことなんて出来ていないから……」

「もう、謙遜し過ぎは却って毒ですよ! メイクデビューの前から、あんなに面倒見良く一緒に歩んできたじゃないですか!」


 そう、私は彼女と出会ってからずっと、彼女のことを思って、彼女の為に行動して……それが、『アドマイヤベガのため』では無かったと気付かされた。

 そこに在ったのは、ただ自分の未練を切り捨てられず、年端も行かぬ少女に押し付けていた醜悪なエゴだけ。『アドマイヤベガのため』にしていたことなんて、本当に在ったのか。

 一つボタンを掛け違えていれば、彼女という人格を否定したまま、私なんかの人形遊びに付き合わせていたのではないか、その貴重な生涯を食い潰させて。

 だというのに、こうして私は自分に都合よく言い訳を重ね、浅ましくも彼女のトレーナーとして振る舞い続けている。

 この悪行を、不義を、罪禍を、ひた隠しにしながら、なお。


「きっと、トレーナーさんが居なかったら、アヤベさんも今みたいには──」

「ごめんなさいッ!」


 ──だから、これ以上。私に、こんな愚かな大人に、そんなキラキラした笑顔を見せないで。私は、貴女が言うような、素晴らしい存在ではないのだから。




「と、トレーナーさん?」

「……ごめんなさい、会議の時間が間近なのを見落としてたの。せっかく楽しく話してくれていたのに、こんな形で打ち切っちゃってごめんなさい」

「そ、それはいいんですけど……」


 突然叫んでしまった私に、当然ながら驚きの視線を向けるトプロさん。言い訳に説得力を持たせるため腕時計を一瞥し、彼女へ背を向ける。


「アヤベさんと合流したら、私は今夜忙しいから先に帰って欲しいって伝えてもらえる?」

「わ、わかりました」


 承諾の言葉を確認して、その場から脱兎の如く駆け去る。尤も、私はただの人間だ。危機感を抱いたトプロさんに本気で追われれば、瞬く間に捕まってしまうだろう。幸いなことに、彼女が追いかけて来る様子はなかったが。

 トレーナー室に飛び込み、後ろ手に鍵を掛ける。凭れ掛かった背中がずるずると滑り落ち、そのまま床に座り込んだ。


「ごめんなさい……アヤベさん、ごめんなさい……」


 誰に届く訳でもない、無価値な謝罪を壊れたレコーダーのように繰り返し。次に立ち上がることが出来たのは、トレーナー室の窓越しに瞬く星空を認めた頃だった。

Report Page