デバッグ

デバッグ

天童ウラキ、吶喊します!

イヤーマフから聞こえる、換気扇の動く音。

「今日も異常なし…」

暗がりの部屋で淡く輝くモニターの前で、眼鏡に光を反射させながら呟く少女がいた。

彼女は音瀬コタマ。ミレニアムサイエンススクールの3年生であり、ヴェリタスというハッカー集団に所属している。

今日も今日とて趣味の盗聴を楽しんでいる訳だ。

廊下や教室、果てや少し遠方のシャーレの事務室まで…彼女はとても耳ざとい。

カチカチとチャンネルを切り替えている中で、ある疑問が頭に浮かぶ。

「そういえば、最近ハレを見ないような…」

ハレが副部長にお使いを頼まれてから4日が経った。

2日前から、彼女の姿を見ることが少なくなった気がするのだ。

いや、厳密にはオフの日に会うことが少なくなった、と言うべきか。

部室に彼女が来ることはちゃんとある。最近は作業の能率が上がっていて、なんだかパソコンの前で楽しそうにしている。

机に積み重なった空き缶の墓場はそのままだが、その量も増えていない。

エナドリを飲まないハレの姿に慣れるのはまだ時間がかかりそうだ、とも思った。

実は1回だけオフの日のハレとすれ違ったことがあるのだが、その時のハレはなんだか上の空だったように見える。

私にしてくれた挨拶も、呂律が怪しかった気がした。

盗聴ばかりしているからそういう所に違和感を覚えられるようになったのかも分からないが、とにかくハレは変わっていた。

そんな思考も一瞬に、次の盗聴器へとチャンネルを変える。

カチカチと切り替えた先は、空き教室。

暇つぶしに仕掛けただけの、特に何も音を拾わないはずの空間だった。

今回もきっと、虚しく稼働する換気扇の音だけが聞こえるだろう。

よってさっさとチャンネルを切り替えようとした……その指は動かなかった。

「え…?」

ドアが動く、軽い音のせいで。


紛れもない異常。この部屋から響くことの無い音。

「き、聞かないと……」

使われてない棟の、誰も寄り付かないはずの教室。

そこに今、思わぬ来訪者が立っている。

音量を上げ、念の為録音アプリを起動。

さあ、何か音を立ててみるといい。

万全の構えで、来訪者の一挙手一投足を聴き逃さないようにして。

カサカサと薄いプラスチックが擦れる音が数秒ほど響いた後。

『う、ゔえ゛ぇっ』

「へ?」

聞こえてきたのは、くぐもった水音。

『げぼ、ゔお゛ぇぇ…』

「だ、誰?誰が、なんで?」

理解出来ずに焦り始める脳内を置いて、来訪者は続ける。

『げほ、げほ……何となく分かってたけど、ドラッグだったか…』

ドラッグ。この学園で聞こえてはならない単語に、眉を顰める。

「……なんで、ドラッグなんか…ハレ…?」

声の主は、紛れもなくハレだ。

『まあ、もう仕方ないよね…禁断症状も、まだ軽い方なのかな…』

淡々と言葉を紡ぐ彼女に、余裕は無いように聞こえる。

カサカサとさっきとは違う音が数秒響く。

『少なくなってきた…』

多分、ドラッグの事だ。

混乱する脳に、次々と音が叩き込まれてくる。

『ん、ん………あは…あはは…っ』

少し静かな時間があって…ハレが笑い始める、とても楽しそうに。

『ね、聞こえてるんでしょ?コタマ先輩。』

「っ!」

『コタマ先輩もきっと気に入るから…ね?』

「…ね、じゃないよ…」

ハレからの問いかけに返せる答えを、私は持ってない。

ハレは間違ってしまったんだろう。ドラッグになんて手を染めて、空っぽな笑い声を響かせている彼女が、正常とはとても思えない。

「……ヴェリタスのみんな…デバッグを、始めましょう」

私のあまり声を張っていない呼びかけにも、みんなは気づいてくれて。

「エラーを正す…ハレを正常に戻すよ」

もうなんの音もしなくなったイヤーマフを頭から外して、その場に立つ。

さあ、3年生として後輩の間違いを修正しよう。

ヴェリタスは、『砂糖』に向けて足を動かし始めた。


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