『チームに新メンバーが加入するお話』
「なっ—何やってるの!?」
「え?……」
赤髪の少女が、その頭部に負けず劣らず頬を赤く染めて声を上げる。目は見開いて人差し指はビシリとこちらに突き出されていた
「ラップタイムの入力を手伝ってもらってて…」
「そうじゃない!その格好の方!」
「操作を教えてもらってたんです~。私、背がちっちゃいので」
膝に乗ったマリが彼女…ビューティアゲインへの返事を引き継いだ。まあ事実ではある
放課後のトレーナー室、もう練習も終わって日は傾き、生徒数も少なくなっている。そんな中で残業していたらマリがやってきて仕事を手伝いたいと言うので、簡単な作業を頼もうとしていたのだ
パソコンは不慣れなようなので一通り教えることにしたら彼女はごく自然に俺の膝に座った。部屋の鍵をかけ忘れていたか…いや、やましいことなどないが……ないぞ、断じて何もしてない
「にしても近すぎない?」
「好きで近づいてるんです~」
マリ…?なんか迫力が……
アゲインは言葉を失ってしまったようで、目を半分閉じてジトッとした視線を送ってきた
「トレーナーはそれでいいの?」
「いいも何も……」
膝の上でマリが微かに緊張したのを感じる。不安を感じて欲しくなどない。見られていなかったら抱きしめて安心させてあげたいところだがぐっと堪えた
「もういいわ…今度の対戦相手の資料、取りに来ただけだから。お邪魔しましたっ」
そう言い残して赤い髪が翻り部屋を出ていく。扉が閉まるのを待って、俺はマリに話しかけた
「見られちゃったな」
「遅いか早いか、ですよ」
「……仲悪かったり、する?」
「大丈夫です」
マリはきっぱりと言い切る。
「もうちょっと素直になってもらう必要はありそうですけど」
そう言うと彼女は一度背中を反らし、俺の胸に体重を預けた。顎先をマリの髪の毛がくすぐる。俺は反射的にその一房に指を走らせた
しばしの静寂ののち、俺の膝から降りた彼女はどうぞとでも言うように手で部屋の扉を指し示す
「いいのか?」
「行ってください」
諭すようにマリは言葉を発した
「私が同じように出て行ったら追いかけるでしょう?」
俺は彼女に礼を言ってから部屋を後にした
~~~~~~
最初はただ焦っていただけだと思う
いや、"ただ"じゃないか。凄く焦っていた
こう言っちゃなんだけど地元じゃ私はかなり速い方だった。トレセンに入学するときだって、鳴り物入りと言ったら大袈裟だけど、結構期待を浴びて送り出されたのを覚えている
身体はちょっと小さかったけどまだまだ成長は望めるはずだし、運動神経が良いって学校の先生も背中を押してくれた
入学して、能力テストを受けたときも結構感触は良かったと思う。ビューティちゃん速いね、そんな風に言ってくれるクラスメイトもいた。でもやっぱり、才能の集まる場所でそんなとんとん拍子に行くはずがなくて……
しばらくすると周囲の子たちが急に力をつけてきた。これが本格化の兆しというものらしい。そういう子と一緒に走っていても、身体のできていない者たちは距離を伸ばすほど次第に遅れていく。他にも……私が頑張ってもなかなか食べきれなかった量の食事をペロリと平らげて、その後も更に走り足りないとばかりに午後のトレーニングに向かうのだ
上手く言えないけどすれ違ったとき体格の厚みを感じる。歩いているだけ、いや立っているだけで存在感もどこか違う。きっと自信が湧き出ているんだ
彼女らは模擬レースに出て、トレーナーたちに自らをアピールし、次々と契約を勝ち取っていく。私もレースに混ざってみたけどやっぱり勝つのは難しくて、並んで競り合うと迫力に圧されてしまう
…気付けば入学してから全然身長も伸びてない。私の一歩はみんなの一歩より短いから、必死で動かさないとどんどん置いて行かれてしまう
前はこんなんじゃなかったのに。もう一度、もう一度。あの時の自由に走れる感覚を味わいたい。他の子と同じように走って——
……一番でゴールできると自分を信じながらレースを終えたい
取り残されていく恐怖の中で私は、焦っていた
そこから更に数週間、クラスメイトの中にはトゥインクル・シリーズに挑み始める子たちも現れてきた。トレーナーが付いたとか、どこのチームに入ったとかの話題が聞こえてくる
友達の良い話は当然嬉しいし応援もする。でも私の悩みは解消されないままだ。パックの牛乳を潰してゴミ箱に放り込んでからトレーニングルームに足を運ぶ。どうにも一人になりたかった
「君、ちょっといいかな?」
その日。マシンに座っていたら声をかけられた。慎重で、少し緊張したような、男の人の声
「差し出がましいかもしれないけど、忠告させてくれ。その姿勢は……危ないんじゃないかな。怪我につながるかもしれない」
トレーナーバッジをつけたその人は私と位置を代わり、お手本となる動きを見せてから、もう一度私の介助をしてくれた。何度か言葉を交わし、私の動きを見てもう大丈夫だよと言い、今後は指導教官に教えてもらってから新しいトレーニングをするようにねとの言葉を残して去って行った。背筋を伸ばした、体格のいい人だった
……時間にして数分から十数分。ただのお節介なトレーナーがいただけだ。よくあること——かどうかは分からないけど、それより本当に怪我する前でよかったじゃないか
でも…直前まで一人になりたかったはずの私はその後なんだか急に心細くなり、ストレッチをして部屋に帰ってしまった。私にもトレーナーがついたらあんな風に付きっきりで指導してもらえるのだろうか
別の日の放課後。廊下を歩いていたら例のトレーナーを見かけた。意識してみると目立つ背格好をしている。あれはトラックに向かっているのか——偶然、丁度、同じ方向に用事があったので後を着いて行ってみる
何か話しかける理由は無いだろうか…そうだ、あの時のお礼を言うのを忘れていた。あとは…私にトレーナーがいないことはもう話しているし……彼は誰かと契約しているのだろうか?聞いてもいいかな?
我ながらストーカーみたいだ。うだうだしているうちにトラックに到着してしまい、彼の下にはウマ娘が近づいてくるのが遠目に見えた。あーあやっぱり、もう担当がいるよねそりゃ————
(いやデッッッッ!?)
近寄ってきた子はとっても"大き"かった。身長ではない。むしろそっちは私と大して変わらないと思う。だが…
…私は視線を下に移す。何も遮る物は無く、自分の腹部が見通せた。そして再び顔を上げると、恐らくは下から見上げたら顔が隠れるのではないかと思われるサイズを備える少女がいた
その子はにっこり笑い、上目遣いで自分のトレーナーと会話している。彼の顔はこちらからは見えない…そうこうしていたら他にもウマ娘が駆け寄ってきて…あっ、チームなんだ、じゃあトレーナーも複数なのかな?というか
(みんな大きくない・・・???)
明らかに大きい。凄く揺れてる。よく見るとトモも大層にボリューミーだ
私は改めて自分の身体を見返す——こ、こんなことって…けど私だって、ほ、本格化すればきっと……!
その日私は牛乳の量を増やすことに決め、ついでに謎の感情に支配されながら、時々そのチームに視線を送りつつ自主トレの走り込みを続けた。結果的にはそこそこ練習は捗ったのだった
~~~~~~
私は"悪女"になる
あのトレーナーについてその後ちょっと調べてみたところ、彼は結局5人ものウマ娘をチームとして管理しているらしい。まだ若いと言うのに、たった一人で
しかも驚くことに全員が勝ち上っており、オープンクラスのみならずGⅠレースで好走している子までいた
しかし更にびっくりしたのは彼女たちのレース映像を見たときだ。もう凄い、本当にすごいたっぷたっぷ…
ひょっとしてあのトレーナーの趣味かと思ったんだけど、練習後の風景を見ていると彼はチームメンバーの子たちからさりげなく距離を取ったりしているようだった。むしろチームの子たちの方が近づこうとするのを一生懸命躱しているいるような印象さえ受ける
もしかして、もしかしてだけど……
……ここに付け入る隙があるのかも…しれない?
あのトレーナーさん、チームの子たちの距離の近さに内心参っているのかも?でも困ってる人は放っておけないっぽいし、私から頼りに行けば話ぐらいは聞いてくれそう?
さりげなくやる気と素質をアピールして、どこかで模擬レースを見に来て下さいってお願いするのだ。それで勝てたらあなたのおかげですって言いに行こう。飛びつくようなのじゃなくしおらしい方がいいかもしれない
他のトレーナーたちにも声をかけておくといいかもしれない。もしかしたら見学席で私の名前が出て、より意識してくれるかも
そうなると悪い噂が流れちゃダメだ、真面目で、努力家だと思ってもらえるように、相談する内容もちゃんと具体性を持たせて—
はて、悪女ってこれでいいのか?よくわからなくなりながらも、チームの中に自分を割り込ませることを考えながら私は戦略を練っていくのだった
~~~~~
力任せに廊下を歩く。勢い余ってトレーナー室を飛び出したはいいが行先のことを何も考えていなかった……資料を持ったまま走りに行くわけにもいかない。方向転換して自室に向かおうか…足の向きに迷っていたら聞き覚えのある声が追いかけてきた
「アゲイン!」
「…………」
見つかってしまった、——というかなんだ、追ってきていたのか。振り返りざまに言葉を投げ返す
「マリさんはほったらかし?」
嫌味ったらしくなってしまう。でもさっきまであんなにくっついていたのに、私なんかの方を構っていて大丈夫なのだろうか
「ほったらかしじゃないよ。一人でできるだけやってみるってさ」
「ふ~ん…」
余裕ってやつ?なんて、流石にひねくれ過ぎな気がする。単純に私を気遣ってくれたのだろう。感情に振り回されている自分が矮小に見えた
「ごめんな、トレーナー室であんな…でも決してふざけてるわけじゃないんだ」
目をまっすぐ見られて思わず視線を逸らしてしまう
「——別にいい。頼まれたんでしょ?」
「ん…ああ、まあ」
トレーナーは微妙な顔をする。遠目に見ていた時も思ったけどこの人は結構表情豊かだ、隠し事のできないタイプって感じ
「何?」
「いや、誰に言われてもあんなことするわけじゃないって言うか……その」
——————ああ
そういうこと。へぇ~~~誰でもよくはないんだぁ~~~………"ふざけてるわけじゃない"っていうのはつまり真剣ってことね。また謎のもやつきが胸の中に去来してくる。つくづくどうして私なんて追いかけてきたのか
…………大体!なんか思ってたのと違う!!てっきりチームのメンバーのスキンシップにたじろいでいると思ったこのトレーナーは、人目のないところでは結構みんなに好きにさせているらしかった。甘ったるい声や態度も適当に相手をしながら・・・いや、やっぱりちょくちょく圧倒はされてるみたいだけど、それでも避けたりはしないで受け入れている。あと勘だけど結局おっきいのも好きっぽい
特にツヴァイさんとマリさんはアピールが強い。トレーナーのこと、どう思ってるのかな……と思っていたらさっきの光景だ。今の発言も合わせればいくら私でも察してしまう
(特別なんだ……)
きっとそう。誰でも膝に乗せるわけじゃない、気を許した相手だけ。特別な相手だけ……
……なんでこんなにむなしくなるんだろう。劣等感、なのだろうか。私はひっそりと視線を下げる。そこには微かに凹凸を主張するようになった自分の身体があった
「ねぇ。折角だしさ、ちょっとこの資料、一緒に見てよ」
「!ああもちろん、いいぞ。じゃあトレーナー室に戻って…」
「待って」
振り返ろうとする彼の手首を掴み、呼び止める。まだ…まだ、帰らないで。いいじゃんもう少しだけ
「そこの教室。誰もいないから」
「えっと、じゃあ」
トレーナーは付いてきてくれた。そして窓際の席に並んで座り、一緒にページをめくる。膝に乗せてって言う勇気は無いけど、椅子を動かしてきて膝突合せて、私の耳の先っぽが彼の髪の毛にちょっと当たる、それぐらいの距離感で。これぐらいなら…いいよね?
「——この子、メイクデビューはダートだったんだね」
「ああ。ちょっと足元に不安があったらしいんだ」
「ふーん…」
トレーナーの説明は分かりやすい。そういえばヴェナさんとかは勉強も教えてもらってると言っていた。面倒見がいいんだろう。ページをめくりめくりデータを見ていたらふと気になる記述があった
「追い抜かれるときのクセ?こんなのよく気づいたね」
「俺じゃないよ」
その口調の柔らかさに思わず顔を上げると、彼のとても嬉しそうな表情が目に飛び込んで来た
「クレイだったかな?何度か彼女と一緒に併走したことがあって、その時のことを覚えててくれたんだ」
チームのみんなで共有出来たら役立つよねってさ——
まるで自分のことのように語る彼を見て、少しだけ理解した。ああこの人は……本当の"お人よし"というやつだ。自分の身近な子が何か…勝利に限らなくても、何か頑張って、何かを成そうとしていると、それを誇らしく感じてしまう人なんだろう。そしてそういった努力に協力することに何の疑問も抱かない。褒めるし、自慢する。まるで我がことのように
「ねぇトレーナー。マリさんが今まとめてるのって、こういうデータ?」
「ん?そうだな…こういう対戦相手もだけど、自分たちのトレーニングのデータとかも打ち込んでもらってるよ」
「私のも?」
「……そう、君のもだ」
私は少し考えてから、資料を閉じた。そして立ち上がる
「ありがとうトレーナー。やっぱりトレーナー室に行って読むことにする」
彼は一瞬面食らったようだけど、そうか、とだけ言って、動かした椅子を片付けてから教室の出口に向かって歩き出した