ダルウィン2
「エリア、ここで良いか?」
荷物の入った籠を持ったダルクがエリアに声をかける。
「うん、良いよ! ありがとね」
先に薄暗い倉庫の中にいたエリアがダルクに声をかけた。
ダルクがエリア達と合流して数ヶ月が経ち、ダルクと彼女達の関係は概ね健全なものとなっていた。
生来の責任感の強さのせいか少し働きすぎるところはまだあるものの、以前までの病的に働こうとする様子はもう収まっていた。
「こっちでの生活はもう大丈夫そう?」
「ああ、おかげさまでだいぶ慣れてきた。他の皆も良くしてくれてるし」
ダルクからも他の霊使いとも関わるようになり、ヒータと一緒に運動したり、アウスの魔術研究に付き合ったり、こうしてエリアの作業を手伝ったりと共同生活に段々と馴染んできていた。
「ウィンとよく一緒に居るけど、振り回されてない? あの子結構独特だから……」
その中でも、一番ダルクと打ち解けているのはウィンだった。
ウィンは、エリア達が話し合いをしていた日のうちに、いつの間にかダルクと打ち解けてから、ダルクにくっつくように一緒に居る姿が多くなった。
「いや、特に気になってない。……むしろ、俺は自分から話すのが得意じゃないから、ありがたいと思ってる」
「そっか、それなら良かった」
ダルクの返事を聞いたエリアが優しく微笑む。
「俺の里にもエリア達の里の人も含めて、色んな人が復興の手伝いに来てくれてるみたいで、本当に感謝しても仕切れないよ」
「ああ、お手紙来たんだっけ。そんなこと気にしないで良いよ。私達が手伝いに行けてる訳じゃないし」
一度壊滅状態になったダルクの里から来た便りには、他派の霊使いの里からの助けを受けて少しずつ復旧している事が綴られていた。復興を手伝っている里の中にはエリア達が生まれた里もあった。
ダルクの言葉を聞いたエリアは少し恥ずかしそうに手を振った。
「それでも、ありがとう」
片腕しかない腕を胸に当てて、ダルクが頭を下げる。
「もー、まじめだなぁ」
頑なダルクにエリアが苦笑する。
それと同時に、こうも素直に感情を伝えてくるダルクに感慨深さを覚えていた。これもウィンのおかげなのだろう。
「まあ、それは置いといて。早く倉庫の整理終わらせちゃお?」
「ああ、わかった」
会話を一旦切り上げ、二人で倉庫の点検を進めていく。
元々エリアがこまめに整理している倉庫は片付けるような物も無く、記録してある数から減ったりしていないかを確認する程度だった。
「よし、こっちは特に問題なし! ダルク君、そっちはどう?」
自分の側の確認を終えたエリアがダルクに尋ねたが、ダルクは自分の分のリストを見て考え込んでいた。
「ん? どうかした?」
「エリア、松の実の包みが一袋分ないんだが」
「え、ほんと?」
エリアが箱の上に置かれたダルクの分のリスト表を覗き込む。
鉛筆でつけられたチェックは松の実のところだけ抜けていた。
「あ、ごめん、これ私のミスだ」
「そうなのか?」
松の実の数字を見たエリアが頬をかいた。
「うん、今朝ウィンがお菓子作りに使うって言ってた分を書き忘れちゃってた」
「お菓子……。クッキーか?」
ダルクは頭の中で浮かんだものをそのまま口に出した。
木の実を使ったクッキーはウィンとエリアの思い出のものだと聞いていた。
今日は二人の記念日か何かだったのだろうかと考える。
「ああ、いや、ウィンの故郷のお菓子なんだって」
「? ウィンの故郷ってことはエリア達の里のお菓子じゃないのか?」
エリアの言い方に疑問を覚えたダルクが尋ねる。
「あー、うん、ウィンはね、私達の里の生まれじゃないんだ」
「そう、だったのか」
エリアの答えにダルクは口ごもった。
ダルクは、ウィンはエリア達の里で育ったのだと思っていた。ダルクを除いた他の三人、特にエリアとは姉妹のように仲が良かったから、共に生まれ育ったのだろうと。
「何でかは、聞いても良いのか?」
「うーん……」
ダルクの問いにエリアが考え込む。
「どうだろ、私から話しておいた方がいいのか、ウィンから直接言うのが良いのか……」
「何か事情があるなら、言わなくていい。不躾だった」
エリアの様子を見たダルクが固い口調で言う。
思わず聞いてしまったが、ウィンの過去に土足で踏み入るような真似をしたいわけではなかった。
「そんなに深刻にならなくていいよ!?」
ダルクの様子にエリアが慌てたように顔の前で手を振った。
「うーん、まあ、どうしてウィンがこっちに来たかはみんな知ってるし、ダルク君にも言っておいていいかな」
エリアが少し考えた後、呟くように言った。
「ウィンはね、次元の歪みに巻き込まれて、私達の里に来たの」
「次元の、歪み」
ダルクにもその事象については知識としてある。
ごく稀に発生すると言われる空間の異常で、詳細は今だにわかっていない。巻き込まれると虚無に飲み込まれるとも、異世界に放り出されるとも言われている。
ウィンがその現象を体験した人物だとは夢にも思っていなかった。
「うん。里の外れで一人で泣いてるのを私が見つけて、それから里で一緒に暮らすようになったの」
「それは……。元の世界に戻れる方法は見つかってないのか?」
エリアが首を横に振る。
そもそもその方法が見つかっているなら、もうウィンはいないはずだと、ダルクは自分に苦笑した。
「本人も今は気にしてないように振る舞ってるけど……。たまに、今日みたいにふるさとのお菓子を作ったりしてるみたい」
「それは……」
それを聞いてダルクは黙り込んだ。
里が壊滅的な被害を受け、両親を亡くしたダルクだが、それでも故郷に物理的に帰れなくなったわけではないし、故郷に戻れば顔見知りが迎えてくれる。
もう二度と故郷の土を踏むことも、家族や知人と会うこともできないかもしれない。その喪失感はどれほどのものだろうか。
ダルクには想像もつかなかった。
「まあ、今はどうにもできないことだし、ウィンも楽しそうに過ごしてるから、ダルク君も今までどおりに過ごしてあげてほしいな」
「……わかった」
「さ、暗い話はおしまい! 確認も終わったし早く出よ?」
倉庫の物品リストを持ったエリアが薄暗い倉庫から出ていくのに、ダルクも黙ってついていく。
ダルクの心中には、明るく笑っている緑髪の少女の顔が浮かんでいた。
倉庫整理が終わったダルクは本を持って外に出ていた。
今日はよく晴れていて、日差しも暖かい。この雰囲気ならば、里の事件以来読めなかった魔物について書かれた本も読めるかと思ったからだ。
後ろからはダルクの杖を器用に持ったナポレオンが付いてきていた。
そのまま庭の共用のテーブルと椅子がある場所に向かう。
「お、ダルくんだぁ」
「ウィン? ここにいたのか」
庭には先客がいた。ウィンだ。
使い魔のプチリュウが膝の上で眠っている。
テーブルには水筒と袋が置かれ、ウィンは袋から何かを摘んでいた。
「ダルくんはどうしたのー?」
「本でも読もうかと。邪魔だったら別の場所に行く」
「えー、別に良いよ〜。一緒に居よ?」
「……それなら」
先程エリアから聞いた話を思い出してしまい、どのような対応をすればいいか一瞬悩んだダルクだったが、断る方が不自然だと思いなおし、ウィンの隣の椅子に座った。
ナポレオンはテーブルの上に乗っかり、ウィンの前にある袋をじっと見つめている。
「ダルくん、これあげる〜」
隣に座ったダルクに、ウィンが袋の中のものを一つ差し出す。
それは形容するなら丸い白っぽい塊だった。ところどころに木の実やドライフルーツのかけらが見えた。
これがウィンの故郷のお菓子なのだろう。
「ありがとう」
「は〜い。ナポレオンにも〜」
ダルクが本を置いてそれを受け取る。
そのまま手のひらの上で転がるような大きさのそれを口の中に入れた。
ナポレオンもお菓子を飲み込む。
「……これは、水が欲しいな」
「あはは、美味しくないでしょ〜」
「……正直に言うと」
砕いた木の実とドライフルーツを練った小麦粉で纏めて焼いたらしいこのお菓子は油分が少ないのか口の中の水気を急速に持っていった。また、砂糖などを一切使っていないのか、小麦粉の味の中にドライフルーツと木の実の味がほのかにする程度で、小麦粉の塊を食べているようだった。
ナポレオンは気にならないようで、ウィンに催促の声を上げた。
「おい、ナポレオン……」
ダルクが節操のない使い魔を嗜めようとする。
「あはは、別に良いよ〜。これ好き〜? プチリュウには不評だったけどね〜」
ウィンがナポレオンの前にいくつかお菓子を置くと、ナポレオンはがっつくように食べ始めた。
ただ、口の中の水分が奪われるのは同じだったのか、勢いの割にペースは遅い。
「私の生まれた所のお菓子なんだけど、甘い物とか全然なかったからこれでも立派なおやつだったんだ〜。はちみつとか入れるともうちょっと美味しくなるけどね」
「……なるほど」
ウィンの故郷の話が出て、ダルクの思考が鈍る。
この少女の中で、帰れない故郷はどのような位置にあるのか、お世辞にも人の心の機微に聡いとは言えないダルクにはわからなかった。
「そういえば、私のふるさとのことってダルくんに言ってたっけ?」
思い出したようにウィンが言う。
ダルクは彼女の様子をうかがうが、特に変わらない、ふにゃりとした笑顔を浮かべていた。
「……ごめん。エリアから聞いた」
どう返答するか迷った末に、ダルクは正直に答えた。
「あ、そうなんだ。まあ、みんな知ってるしね。別に謝らなくてもいいよ〜」
ウィンが気楽にそう言う。
言葉通り、気にしてはいないようだった。
「そうか」
「うん、そう〜」
少しホッとしたようにダルクは息を吐いた。
そんなダルクを見て、ウィンがのんびりとした声で返した。
しばらく、二人の間に沈黙が流れる。
「ねぇ、ダルくん」
ウィンがダルクに声をかけた。
「どうした?」
「んー、ちょっと、お話ししてもいい?」
少し躊躇うような、悩むような声だった。
「……俺が、聞いていいことなら」
「ん、そっか、ありがと」
ウィンはいつも浮かべる笑みとは違う、小さな微笑みを見せた。
「私はね、ガスタっていう一族の生まれなんだ」
ウィンは遠い所を見つめていた。
膝の上のプチリュウをゆっくりと撫でる。
「その中でも私のおうちは神官の家で、神様の言葉を聞いて、みんなの相談をするのが役目だったの。お父さんとお姉ちゃんと一緒に暮らしてた。私は巫女の力が強かったらしくて、色んな声が聞こえてたの。いっぱいいる、目に見えないような精霊の声。お父さんはそれは巫女として優秀な証だって言ってたけど、私にはうるさくてしょうがなくて、お父さんとはよく喧嘩してたなぁ」
ウィンの顔からは柔らかな笑みは消え、ただ、静かだった。
「お姉ちゃんは優しくてね、頭が痛くなってた私の看病をしてくれたり、お菓子を分けてくれたりしてた。色々とあったみたいで、毎日お腹いっぱいご飯を食べれてたわけじゃないけど、それでもみんな仲が良くて、いい場所だったと思う」
ダルクはただ黙ってウィンの話を聞いていた。
ナポレオンの咀嚼音だけが聞こえる。
「でもね、ある日、突然精霊達がすごい騒ぎ出したの。今まで聞いたことないくらい。なんだか世界中が悲鳴をあげてるみたいで、私の頭も割れそうで、怖くなって、そのままそこに居たくなくて、走ったの。わかんないまま走ってたら、急に寒くなって、死んじゃうって思ってたら、この世界に居たの」
その時の記憶がまだ焼き付いているのか、ウィンの体が少し震える。
「まだ怖いのが抜けなくて、泣いてたらエリアちゃんが来て、それでエリアちゃんと一緒に霊使いの里に住むことになったの。霊使いの里で精霊との付き合いかたを学んで、うるさいとは思わなくなって、霊使いになって、エリアちゃん達と暮らして……。ガスタの里とおんなじくらい、もしかしたらもっと幸せかもしれない」
甘いお菓子も食べれるし、とウィンが冗談のように言う。
「でもね、たまに、お姉ちゃんのことを思い出すの。一緒に遊んだ秘密の場所とか、一緒におやつを食べた祭壇とか、そういう時に、このお菓子を作るんだ」
ウィンが袋の中のお菓子を摘み上げる。
それを見つめるウィンは静かな笑みを浮かべていた。
ウィンの中で、過去の大半はすでに穏やかな思い出に変えることができたのだろう。悲痛な悲しみや苦しみはその表情の中には無かった。
「……ダルくん?」
それでも、ダルクには少女があまりに寂しそうに見えて、いつの間にかその頭に優しく手を当てていた。
「あっ、……ごめん」
ダルクはウィンの頭の上にあった手を急いで戻した。
いくらなんでも、何のことわりもなく異性に触れるのは無遠慮だったと思ったからだ。
「んーん……。むしろ、もっと撫でて欲しいかも」
「そう、なのか?」
「うん」
そう言うと、ウィンはダルクの方に頭を傾けた。
ダルクがおずおずとウィンの頭を撫で始める。
「ダルくんの手、なんか、安心するね」
「そうか?」
「うん。……お兄ちゃんが居たら、こんな感じだったのかなぁ」
ウィンがそう呟く。
ダルクは何も言わずにウィンの頭を優しく撫でていた。
どこまでも無邪気で明るいウィンの脆く、弱い所を見た気がした。
実際はダルクの勝手な思い込みで、ウィンの中では既に少し疼く古い傷跡程度のものなのかもしれない。
(俺が、何かできるだろうか)
幼い、無垢なウィンの顔を見て、ダルクはそう思った。