セイレーンと麦わら帽子⑲
「ゼェ…ゼェ…あと少しだ…!!」
より激しさを増すマリンフォードの戦場をルフィが駆けていく。
一度倒れたものの、再びイワンコフの力で立ち上がったルフィは、コビーを殴り飛ばし更に先に進んでいく。


海賊女帝の助力でパシフィスタを乗り越え、更に先に進むルフィ。
そのルフィの背中を狙う、"影"があった。
「キシシ…相変わらずしぶとさだけはいっちょ前だな麦わらァ…!!」
七武海ゲッコー・モリアが、己の影から生み出した蝙蝠達を構える。
その照準の先には、未だかけ続けるルフィの後頭部があった。
「あいつの頭、今度こそ食いちぎって死体にしてやる…"欠片蝙蝠"!!」
いくつもの球状のそれがルフィに迫り…横からの衝撃波に、かき消された。
「何ィ!?…テメェ!!」
激昂したドフラミンゴの視線の先には、片手で槍を持ち、もう片手で形だけの謝罪をするウタの姿があった。
「あーごめんねー、つい私の攻撃が当たっちゃった」
「ふざけんな!!わざとかてめェ!!」
「そんなわけないでしょ…それとも文句ある……ん?」
「このガキ…!!…あ?」
既に走り去るルフィを横目に睨み合う二人の間に、巨体が倒れ込んだ。
「くま…じゃねェな」
「…石」
頭部が石になって砕けたパシフィスタが倒れ伏す。
その前には、その犯人が詫びる様子もなく立っていた。
「ふん…妾の愛しき人に目を向けた罰じゃな」
「おい海賊女帝!!何考えてんだ!!」
横の男からの苦言もどこ吹く風のように再びパシフィスタを標的にせんとハンコックが向きを変える。
「…あそうだ、ねぇちょっと…」
ちょうどいいとウタがハンコックに話しかけようとしたとき…戦場に大きな"圧"が広がった。

「……は?」
「…今のは…ルフィの"覇王色"か」
「…ルフィの…!?」
その場の七武海三人の視界には、戦場をかけるるルフィと、その周りに倒れ伏せる海兵海賊が映っている。
「嘘だろ…あの野郎も使えたってのか!?」
「あの時よりもさらに強く…流石妾の夫じゃ…」
驚愕と関心と惚気の二人の中、ウタの中に思い返されたのはあの日のことだった。
「…やっぱり…覇王色だったんだ」
夢の中での勝負の中、音符の戦士以外の自分の仲間を震え上がらせたあの威圧感。
やはりあれは、片鱗ではあるが"覇王色の覇気"のようだ。
「…そっか…あんた持ってたんだ」
この海の強者が持ち合わせる"王の資質"を、たった今示してみせたルフィにウタが視線を寄せる。
現状ウタは覇王色があるのかすら分からない中、ルフィへの羨望と納得が湧き上がる。
「…やっぱりあんた、大きくなるよ」
海軍と海賊達が動揺を見せる中、ウタと同じくルフィへの期待を感じた男が号令をかけた。

白ひげの号令の元、ルフィの周辺で守るように海賊達が二人を囲んでいる。
「…凄い……」
新世界の大海賊に加え、あのクロコダイルすらも鷹の目を止めるために立ちはだかる光景にウタから声が漏れた。
今間違いなく、白ひげと並んでルフィがこの戦場の中心に立っていた。
「…っ…?」
胸の中に感じた謎の感情。
それをかき消すようにウタが槍を振るう。
その穂先に倒れたのは海賊ではなく、パシフィスタだった。
「は、おい!!なにてめェまでパシフィスタ壊してんだ!!お前ら"政府側"だろ!!」
抗議の声を上げる戦桃丸にするウタが何か言う前に、ハンコックが口を開いた。

「何だそりゃァ!?」
「何それ!?」
思わずツッコミを入れた戦桃丸とウタの声が重なる。
「…ところで時にそなた、妾に用があったのか?」
「あ…うん、ルフィのことなんだけど─」
言い終える前に轟音が走る。
「何……あ」
…そこから先の戦局は激変の連続だった。
"英雄"の陥落。
"仏"の顕現。
処刑台の崩壊。
そして…。

「…ほんとに…やったんだ…」
解放された火拳と共に進むルフィを見ながらウタが呟く。
この戦場の中、確かにルフィはやってのけた。
世界最強の海賊を味方につけ、海軍最高戦力すらもかわし、世界で最も堅固な守備の中処刑されようとした兄を救ってみせた。
「…こりゃ失態だなぁ、ほんと」
「その割には顔が綻んでおるぞ?」
後ろから話しかけられ振り向けば、ハンコックが立っていた。
「その様子…ルフィから聞いてしまったのかの…まぁ、ルフィが信頼した相手なら問題ないか」
「…安心して、政府には言わないでおくから…貸しね」
「フッ…小生意気な娘じゃな」
思わず釣られて笑ってしまうが、強い振動についふらついてしまう。
目的を達成した白ひげが、本気で遠慮なく戦場を破壊していく。
「…私もあと少し生き延びないと」
流石に今あれに近づくのはごめんだと視線を変える。
今ルフィはどこらへんだろうか、そう思って探そうとしたとき。
「……え…」
戦場に、灼熱のマグマが走った。

〜〜
「…っ…あいつ…派手に暴れてもう…!」
振動の続く戦場を駆ける。
ウタの前方には蛇に乗って波に乗るように進むハンコックがいる。
火拳のエースが殺された後、ルフィを連れたジンベエを追おうとしたウタだったが、白ひげと赤犬の戦闘…そして、突如戦場に姿を見せ、白ひげを殺害し能力を奪った黒ひげとセンゴクの戦闘で混乱した戦場に影響され、遅れを取ってしまっていた。
「どうした、もう着いてこれぬか!?」
「舐めないで…それより急がないと…」
最後に見えたルフィの顔が脳裏に浮かぶ。
見たこともないような絶望の顔に唇を噛みしめる。
「…っ!!」
その時、彼方の港に一瞬それが映った。

「…っ!!ルフィ…!!」
その直後、どういうわけか砂嵐に吹き飛ばされた二人を"道化のバギー"が連れて行っているのまでは視野に入れられた。
「軍艦に乗せるつもりのようじゃ…同行するか上手くつけられればよいが…」
「それより早く追いつか…わっ!!」
進む海兵、倒れる海兵に押されながらも進んでいく。
白ひげも火拳も死んだ戦場は、しかし未だ勢いが止む気配を見せない。
むしろ追撃する海軍はより激しさを増すばかりだった。
「っ〜もう…!!」
小さく囁くようにリズムを口ずさみながら進んでいく。
ウタの周りの海兵がその場に眠るように倒れていく。
「…?そなた、一体それはなんの能力じゃ」
「いいでしょそれは…それより…もっ!!」
追いついたウタとハンコックが軍艦の一つに飛び乗り辺りを見る。
赤犬と白ひげ海賊団の戦闘が激化する中、二人は同じ姿を探していた。
「…あそこ!……あれって…」
「なんじゃあれは…潜水艦か?」
ウタとハンコックの視線の先には、バギーから投げつけられた二人を乗せる潜水艦があった。
「あれ、"死の外科医"…!?なんであいつが…」
死の外科医トラファルガー・ロー。
ルフィと同じく近年名を挙げた億超えの若きルーキーのはずだ。
「って、それより黄猿…!!」
黄猿の攻撃を妨害しようとウタが槍を構えようとしたときだった。
激しくなるばかりの戦場に、一つの声が響いた。

「…?誰じゃあの海兵は」
「…馬鹿…よりによってあの大将に向かい合ってる…」
徹底的な正義の苛烈さは海軍ではなくても政府に身をおいていればよく分かるはず。
それでも海兵は己の訴えを続けていた。
ウタ自身もその主張は反対よりむしろ肯定したいものだったが…。
「…あ」
やはり、大将は"無駄な数秒"を作った海兵の言葉などに耳を貸さなかった。
マグマの滾る拳が海兵に迫るのを戦場すべてが見守り、そして
その男が、現れた。

「……え…」
「あれは…確か"赤髪"じゃったか…何故また四皇が…おぬし、どうした?」
ハンコックの言葉すら届かぬほど、ウタの視線がそこに注目される。
眼下で麦わら帽子を拾い、男が声を上げる。

そこにいたのは紛れもない、四皇の一角である大海賊。
そして、ルフィの尊敬する海賊でもあるウタの父…
"赤髪のシャンクス"だった。
ウタが何も言葉にできずただ見つめる先で、シャンクスがバギーに帽子を託す。
ローに帽子を送り届けるシャンクスを見送り、赤犬に視線を戻すシャンクスと…一瞬、視線が重なり、すぐに切れた。
それを認識したウタが目を見開いた後、槍を握る拳に力を入れた。
「……っ…」
今、確かに視線があった。
一瞬、ほんの一瞬、しかし確かにシャンクスはこちらを認識した。
…そして、すぐに切り離した。
10年ぶりの娘にあった反応がそれなのか?
それとも既に娘だと思ってもいない?
何の感慨も湧くことがないのか?
横のハンコックに声をかけられたのすら意識が向かず、頭の中で様々な考えが巡っては消えていく。
徐々に思考がドロドロと黒く染まっていく。
やがて脳裏が完全に黒く染まるのではというほどになったときだった。
ウタの脳裏を照らすように、あの日の光景が浮かび上がった。
『でも、いつかは行くよ!それでシャンクスに会って───』
『シシシ!そりゃシャンクス効きそうだな!』
─巡り巡った思考の中で最後に残ったのは、
あの輝かしい朝、大事な友と交わした「約束」だった。