セイレーンと麦わら帽子㉘
〜凪の海〜
女ヶ島よりしばらく"偉大なる航路"を逆走する形で凪の海を進んだ先にある一つの島。
文字通り何もなく、また何故か海王類も近寄らないその島は、名前すらもない。
そんな島に、九蛇の船とウタの船、ジレーネ号が並んで停泊していた。
「うわぁ…ほんとになにもないねここ」
草木一つない乾いた大地に降り立ったウタが、辺りを興味深そうに見渡す。
その後ろでは、彼女のクルーである動物達が船からいくつかの木箱や樽の荷物をおろしていた。
「…ふむ、相変わらずつまらぬ島じゃな」
そして九蛇の船から、同じくハンコックと…もう一人、ある人物が降り立った。
それを船上から伺っていたニョン婆達に対し、ハンコックが指示を出していく。
「よいかニョン婆、そなた達はこの島の影が見える程度の場所にて待て…期限が来たら迎えに来い」
「うむ…そなたに限って万が一はないと信じるが、くれぐれも気をつけよ」
「姉様、ご武運を」
「うむ…そなたらもわらわの船と離れるな、海王類に狙われたくなければな」
そう声をかけた先のウタの船には既に戻った動物達と…そして、ゴードンが乗船していた。
「…ウタ、本当に、大丈夫なのか……?」
「私は大丈夫、ハンコックさん達もいるし…それに」
言いながら、ウタが懐から数枚の白い紙を取り出す。
その中には、ウタの手で書かれた…ある一曲の歌が記されていた。
「…私にとっても、必要なことだからね」
『Tot Musica』
ウタウタの実の能力者にとって大きな意味を持つその歌を、ウタは記憶を頼りに書き直していた。
「良いかウタ…これよりこの『何もない島』で、そなたにはその歌の力とやらと完璧にものにしてもらう」
魔王トットムジカ。
強大かつ邪悪なその力は、ウタウタの実の能力者が現実に干渉する数少ない手段であり、そこに"覚醒"に至る鍵もあるとウタは判断した。
それ故に一度は消した曲をもう一度復元し、この被害を出すことのない島にての"修行"をするに至ったのだった。
「一日の内半日はわらわ達と覇気と身体の修練…残り半日をその歌を用いた能力の制御に当てるぞ」
「うん、分かった」
「ただし、期限は3週間…それ以上は女ヶ島を空けられぬ故、修行は一度中断とする…ゆえに」
「それまでに必ず会得しろ…でしょ?」
力強く笑みを浮かべ、ウタは船にいるゴードンを見る。
「心配しないでゴードン!こんな所で終わる私じゃない…そうでしょ!?」
しばらく険しい顔をしていたゴードンも、やがて顔を上げた。
「分かった…君を信じ待っている…必ず無事に帰るんだ、ウタ」
「うん、任せて!」
その言葉を最後に、2席の船はゆっくりと島から距離を離していき…島には、3人だけが残った。
「…それじゃあ、よろしくお願いします、ふたりとも!」
「うむ…既に引退したそなたに頼むのもどうかと思いはしたが…よろしく頼むぞ」
ハンコックが己の隣に立つ、もうひとりの人物に視線を向ける。
「えぇ」
「でもそうね…折角のセイレーンのステージには、少し寂しいかしら…ねぇ、ウタちゃん」
黒髪の女性…シャクヤクはタバコを吹かしながら、愉快そうに笑みを浮かべた。