スレッタ・グエル立場逆転2
※個人の解釈
※2~3話分
※書きたいとこだけ
パシンッ
衝撃の後、スレッタの頬はジワジワと熱を帯びていく。
「ジェターク家の人間が、ジェターク社のモビルスーツを使って負けただと?お前は会社の信用を潰す気か!」
「ご、ごめんなさぃ……」
父、ヴィム・ジェタークの怒りに触れてしまった。スレッタは強く怒鳴られ、弱々しく謝るしか出来ない。その丸い瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうだ。
「またお前は……なんだその言葉遣いは!ジェターク家の者として、社の人間を率いる立場だということを自覚しているのか!?」
「は、はいっ、すみません!」
再び怒鳴られたスレッタは頭を直角に下げ、謝罪を叫ぶ。続けてスレッタは「こ、今後はこのようなことが無いように…」と自分なりにジェターク家に相応しい者として反省を述べようとする。
しかし、ヴィムの口から出た深い溜め息に、スレッタはびくりと体を強ばらせ、それ以上言葉を紡ぐことが出来なくなってしまった。
「…今回の決闘は俺の方で無効にしてやる」
「…!」
「これ以上恥をかかせるな」
「………はい」
失礼します、とスレッタは社長室を後にする。父の重い溜め息、そして先程の父の言葉がスレッタの胸に重くのしかかる。
クールに何でも卒なくこなす腹違いの兄と違い、内気で泣き虫、鈍臭く辛うじて出来る運動以外はてんでダメと自認するスレッタだが、そんなスレッタが唯一兄よりも、いや、誰よりも自信を持っていたものがMSの操縦技術だった。実際、スレッタは2年生にして学園トップのホルダーの座に着くことに成功していた。どの決闘も正々堂々、相棒のディランザと自身の実力でもって打ち勝ってきた、そう自負していた。
しかし、遥か彼方、水星からやってきた謎の転校生グエル・マーキュリーによって、そんなスレッタのプライドはバキバキと打ち砕かれてしまった。
連勝に次ぐ連勝によって調子に乗っていたのかもしれない、完全に油断していたスレッタの失態であった。スレッタはこの結果を正面から受け止め、叱責を受けた後父へもう一度挽回のチャンスを願い出るつもりだった。
挽回のチャンスは与えられたのだろう。しかし、スレッタの敗北は父の手によって揉み消されることとなった。
父からすれば迷惑以外の何物でもない失態だ。当然スレッタも分かっている。しかしそれは、所詮MSでの決闘も父の力があればどうにでもなって、そこにスレッタの実力は関係ない、そう言われているようであった。
「~~~っ…!」
悔しさで目元が熱くなってくるのをスレッタは感じる。叩かれた頬も、蔑ろにされた心も、ジクジクと追い討ちをかけるようにスレッタを痛めつけた。
「すぅぅーー……はーー………」
乱れる心を落ち着けるように、スレッタは深呼吸をする。そして目元を手の甲で軽く拭い、俯いていた顔を上げる。
まだ折れる時じゃない。何であれ、挽回のチャンスは手に入れた。そこで今度こそ、スレッタの実力を証明し、父の役に立つのだ。
「…帰ろう」
スレッタは学園行きの艇に乗るため、ジェターク社内の廊下を歩きだした。それからすぐだった。
不気味なヘッドギアを付けた女性が、廊下の先に現れたのだ。ヒール込みとはいえ、女性の中でも長身なスレッタが見上げる程の身長と、その異様な出で立ちに、スレッタは思わず怖気付いてしまう。どうやら女性はスレッタの出てきた社長室へ向かっているらしい。
(お、お客さま…?)
女性は、不躾な視線を向けていたスレッタと目が合うと、真っ赤な唇に微笑みを浮かべ、軽く会釈をした。
スレッタも慌てて頭を下げ、小走りでその場を去る。
(誰だろう…?)
そんな疑問を頭に浮かべながらも、スレッタは学園への帰路を急いだ。
本社フロントの一室、薄暗いその部屋で、水星から学園へ遥々やって来た男、グエル・マーキュリーは軟禁状態になっていた。
長時間に及ぶ尋問は一旦休憩のようであるが、その中で奪われたグエルの気力体力は、確実にグエルの中の不安を増幅させていた。
「…母さん……」
助けを求めるようにボソリ母を呼ぶと、ふわりと体を無重力空間用のベットへ預ける。
(腹減ったな……)
水星では何もすることがない時、あちこち飛び回って体を動かし、時間を潰したものだが、疲れきった今の状態では何もする気が起きない。
一度眠ろう…、そう思って目を閉じた所だった。部屋のブザーが来客を知らせた。
「!?…は、はいっ!」
咄嗟に身を起こして返事をすると、1人の少年が部屋に入ってくる。
細身な体型、柔らかな薄緑の髪に、その間を揺れるタッセルピアス、涼やかな眼差しを含めて、まさに王子様といったような風貌の美少年だった。
彼は無重力空間の中を、グエルのもとへふわりと迷いなく近づくと、白手袋に包まれた手でプラスチック容器に包まれた食事を差し出す。
「えーっと…?」
「おなか、すいてない?」
「はぁ、まあ…」
確かにお腹は空いている。しかし明らかに職員とも違うその人物に、グエルは伺うような視線を向けるしかできない。
「エラン・ケレス。きみと同じアスティカシアの学生だ。係の人に代わってもらった」
目の前の彼──エランはそうさらりと言うと、もう一度食事を差し出す。
「食事、どうぞ」
「あ、ありがとうございます…」
戸惑いながらも、空腹には抗いきれないグエルは、食事のトレーを受け取る。
そして惣菜やパンの入った容器のフタを開けると「…いただきます」と食事に手をつけた。
不慣れな食器で惣菜を掬い、口に運ぶ。このフロントではありふれた食事だが、尋問に疲れきったグエルには染み渡るような食事だった。
(おいしい……あ、涙出てきた)
さすがに人前で泣くのは恥ずかしい。滲んできた涙を拭いながらグエルは最後にパックの水を飲み干す。
「っは~~……美味しかった、ありがとうございます」
気の緩めることの出来たグエルは、どこか血の気の通った顔に笑みを浮かべながら、エランに礼をする。
「どういたしまして」
エランは表情を変えないままそれだけ答える。
グエルが手を離しても落ちることのないプラスチックの空容器が、宙に浮いている。
「あの…それで、何か……?」
「君に興味があるんだ」
表情の変わらないエランに戸惑ったグエルが問いかけると、エランは間髪入れずにそう答えた。グエルは目を見開く。
「へ…?」
「グエル・マーキュリー……きみのことをもっと知りたい」
「ぅえぇ…?」
真っ直ぐな瞳でそんなことを言うエランに、グエルは変なうめき声をあげるしか無かった。
「結婚か退学の二択しかないのかよ~……」
そう嘆くのはグエル・マーキュリー。つい先程軟禁状態から解放されたばかりだ。
「うるっさいわね!ここは一緒に戦う流れでしょ!」
対して甲高い声でキレる少女はミオリネ・レンブラン。クソ親父に決闘の約束を取り付けてきた。
「そりゃあ退学は嫌だよ、せっかく学校通えるようになったのに……。でも結婚なんて…!まだ友達も、彼女も出来てないのに!!」
「ハァ~~、彼女?」
「そうだよ!俺まだ青春してな──痛っ!」
喚くグエルの額でミオリネが指を弾く。
「色ボケ」
「なにすんだよ!」
簡素な検査着のまま、更に喚くグエルにミオリネは辛辣だ。
しかしグエルの鼻先にビシッと指を突き出すと、目を丸くするグエルにハッキリと言い聞かせるように話す。
「勘違いしないで、私はあんたと結婚するつもりなんてないから」
「…?どういうことだ??」
「結婚できるのは17歳からでしょ、それまで結婚はお預け……そして、それまでに私はここを脱出して地球に行く」
「地球…」
オウムのように言葉を繰り返すグエルをよそに、ミオリネは続ける。
「あんたはそれまで花婿でいて。これは取引よ」
そう言って目を合わせるミオリネは、あっけにとられたままのグエルに小指を差し出した。
ジェターク社の格納庫、そこに収められたダリルバルテの周囲では、多くのメカニックがメンテナンスやオペレーションの準備を進めている。
そんな真っ赤な機体のコックピットから、パイロット──スレッタ・ジェタークが出てくる。
「お疲れさまです……いかがです?ダリルバルテは」
コックピットハッチ付近でスレッタを出迎えたメカニックはどこか誇らしげに問いかける。
しかし、ヘルメットを脱いだスレッタはどこか浮かない表情だ。
「あ、あの、この子……何か、様子が…」
「?……ああ、第五世代の意志拡張AIのことですかね。ベータ版ですが、今までの戦闘データから複合ベイズ予測で──」
「あ、ああ、あのっ!!!」
ヘルメットをぎゅうと抱きしめたスレッタがメカニックの言葉を遮る。緊張に顔をしかめながら、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「わ、わたしっ!あのっ…!わたし、これじゃなくって…!わた、わたしに、私のっ、力でっ!!」
「スレッタ!!」
「…ッ、ひっ……!」
しかしスレッタの言葉は、鋭く名を呼ぶその声に止められてしまった。
「お、おとうさん……」
怯えるスレッタが振り返ればそこには自身の父、ヴィム・ジェタークが鬼の形相で立っている。
「このスタッフもダリルバルテも、お前を勝たせるために俺が集めたものだ」
ヴィムは大きく手を広げ、辺りを指し示す。
「子どものプライドが入る余地はない。大人扱いして欲しければ、勝ってホルダーを取り戻せ!」
「……は、はい…お父さん……」
スレッタは弱々しく返事する他ない。ジェターク社の為になること、それが全てなのだ。
軟禁明け、というそうそう無い状況の中、グエルが学園に登校してみれば、辺りにいる生徒達は皆グエルの噂に夢中であった。中にはわざと聞こえるように話している生徒らもおり、グエルは居心地の悪さに、その大きな身体を小さく縮こまらせるしかない。
そんな中、グエルに明るい声がかけられる。
「グエル・マーキュリーさん、おはよ!」
数少ない学園での知り合いのひとり、ニカだ。さわやかな青メッシュは朝の空気に似合っている。
「お、おはようございます、ニカ・ナナウラさん……この前はありがとうございました」
前の決闘で助けられたのだ。グエルはさっと頭を下げる。しかしニカはお礼よりも興味の惹かれることがあるらしい。
「見てたよ!すっごいね、あなたのモビルスーツ!」
「えっ?」
「群体制御にはどんな階層構造を使っているの?従来の構造?それとも同時的空間コンセプト?」
怒涛の如く投げかけられる質問に、グエルはしどろもどろと答えていく。
「えー……母さんが確か、継起的空間と併用って…」
「そっか、確かにそれならあの概念統合スキーマの意味は分かるわ。あれで統合荷重の摩擦を──」
ニカの話はますますヒートアップしていく。しかし、グエルはそれに戸惑いながらも、先程までの居心地の悪さからは遠ざけられ、どこか安心していた。
そのとき、グエルの背後から、高くもどこかドスの効かせた声が飛んできた。
「おい、水星男!」
振り向いてみれば、声の主はジェターク寮のフェルシー・ロロ。ペトラと並んでこちらにやってくる。気の強そうな2人の登場に、グエルは少し及び腰だ。
緊張した面持ちのグエル、その目の前に立ちふさがる2人だったが、そこでペトラが「ほら、言ってやんな」と背後にいる人物に促す。
すると、2人の間から赤毛の少女が姿を見せた。スレッタ・ジェタークだ。
「…この前、の、決闘は、む、無効です……なので、つ、つぎ、は、私が…かっ、勝ちます!」
スレッタは懸命に顔を顰めながら、グエルに宣戦布告する。
「じゃあ、決闘の相手って…」
「わ、わたし、ですっ!」
「ふーん、そうか」
そう言うとグエルは居住まいを正し、スレッタの目を真っ直ぐ見つめた。その青い双眸に、スレッタは少し気圧されてしまう。
「悪いが、あんたには一度勝っている。次も勝つのは俺だ」
「グ、グエルさん!?」
「っ……!」
正々堂々とそんなことを言うものだから、傍で様子を見ていたニカも驚きに思わずグエルの名を呼んでしまう。
対するスレッタは、元々口の上手くないこともあって二の句が継げなくなってしまい、悔しさに顔を歪ませるしかない。しかし、そんなことを言われて黙っていられないのが取り巻きの2人だ。
「てめぇ…!調子に乗んなよ、田舎者が!」
「うぉっ…」
フェルシーがグエルに食ってかかる。小柄な女子相手とはいえ、その迫力にはグエルも気圧される。
そこでちょうど始業のチャイムが鳴った。それを耳にしたグエルは「やべっ…」と声を漏らす。
「先、失礼します!」
そう言うと軽く頭を下げ、すれ違い様ニカに軽く手を振ったグエルは、さっさとその場を走り去ってしまう。
「くっそ~…ムカつくっ!」
「スレッタ、あんな奴とっととぶちのめしてやんな!」
フェルシーとペトラがそう言ってくれる中、スレッタは、グエルの走っていった先を睨むことしか出来なかった。
放課後、ミオリネは温室で、スレッタとのゴタゴタで壊れた物品を確認して回る。どうやら全て修復されているようだ。相変わらず可愛い妹のこととなれば、スピーディーに動く奴だ。
「…よし」
まだ青いトマトの実にはミオリネの微笑みが写っている。
そんなミオリネに、入口から声がかかった。グエルだ。
「肥料、ここ置いとくぞ」
「持ってきて」
「…いいのか?」
以前入るなと強く言われたグエルは、ミオリネに確認する。
「いいよ」
ミオリネはことも無さげだ。その言葉を聞いたグエルは、肥料を持っていそいそと温室に足を踏み入れる。
「ふ~ん、そうか~、なるほどな~」
「……何?」
ニヤニヤと笑うグエルに、ミオリネは睨みをきかす。しかしグエルにはそれほど効いていないようだ。
「ははは、照れんなって!分かってるぞ、俺は」
「はあ!?」
馴れ馴れしく肩を叩くグエルに、ミオリネは青筋を浮かべる。ミオリネはとりあえずグエルの手を叩き落とすと、咳払いをして、空気を改めるように口を開く。
「とにかく、あんたが決闘に勝たなきゃ、ふたりとも終わりなんだからね」
分かってんでしょうね、とミオリネが念押しすると、グエルは自身の篭った瞳で、ミオリネを真っ直ぐ見返す。
「おう、任せてくれ」
そう笑って胸を叩くグエルに、ミオリネはふん、と鼻を鳴らすと、植物の手入れに戻っていった。
「グエル・マーキュリー」
そこに突如、涼やかな声がかけられる。
「…!エランさん?」
温室を出てグエルはエランを出迎える。既に知り合っている様子の2人を、ミオリネは疑問に思いながら聞き耳を立てる。
「あの、この間は……」
「きみを呼びに来た。決闘委員会に」
「委員、会…?」
簡潔すぎるエランの言葉に、グエルは垂れがちな目を見開き、きょとんとしてしまう。
「学園の決闘を取り仕切るのが決闘委員会。で、そいつはそのメンバー」
ミオリネがグエルの背後から、スコップ片手に補足する。ああ、と納得のいった様子のグエルに、エランが続ける。
「連絡先わからなかったから」
そのままエランは自身のポケットから生徒手帳を取り出す。
「交換、いいかな?」
「は、はいっ」
グエルも慌てて生徒手帳を取り出し、連絡先を交換する。
「あの…エランさん」
交換し終えたグエルが、新たにエランの連絡先が入った生徒手帳を両手で握りしめる。そして首を微かに傾げ、上目遣いでエランに問いかけた。
「これ、俺たち…もう友達ってことでいいんですよね?」
「ぶっ!」
キラキラと瞳を輝かせてそんなことを言うグエルに、ミオリネは思わず吹き出す。コイツ友達いないせいで距離感バグってる、ミオリネは思った。
「うん…まぁ、構わないよ」
エランも無表情のまま了承するので、ミオリネは大きくため息をつくしかない。
「やった…!へっへへ…もう男の友達できちゃったぜ」
「友達やら彼女やら……あんたの言ってた『セイシュン』ってコレ?」
エランの答えを受けてニヤニヤと鼻の下を擦るグエルに、ミオリネが呆れ返って問いかける。
「いや、それだけじゃないぞ!昼休みにバトミントンしたり、学校終わりにポテトとナゲット食べたり、休みの日にゲームセンター行ったり……」
ミオリネの問いかけに、グエルは瞳を閉じ、水星で練った理想の青春を指折りながらウキウキと答える。そんなグエルを、エランはじっと見つめていた。
「やりたいこと…」
「ん?」
「──たくさん、できるといいね」
パネルに再現された青空をバックに学園を見渡せる、決闘委員会のラウンジへ、エランに連れられグエルは初めて足を踏み入れた。
「ようこそ、決闘委員会のラウンジへ」
そんなグエルをうやうやしく、あるいはわざとらしく出迎え、一礼するのはラフな着こなしと長い金髪が特徴的な男だ。
「僕はシャディク・ゼネリっていう。よろしくね、水星くん」
自然な流れで名乗り、手を差し出すシャディク、そして豪奢なラウンジの雰囲気に圧倒されながら、グエルは握手に応える。
「よ、よろしくお願いします。グエル・マーキュリーです」
手を離したあと、つい興味に引かれてキョロキョロと周囲を見渡すと、奥のソファに見覚えのある赤毛が見える。
「あ…」
グエルはこちらを見ていたスレッタと目が合うが、しかめっ面の彼女にすぐ逸らされてしまった。
そんな様子を気にもとめず、エランは淡々と話を進める。
「じゃあ始めようか」
しかし何をするのか分からないグエルは置いてけぼりだ。
「えっと、何を…?」
「宣誓だよ。決闘のね」
シャディクがそう笑顔で言うのと同時に、ラウンジの大きな窓にスモークがかかり、学園の紋章が浮かび上がった。
窓が変化したそのスクリーンの前、エランに促され、グエルとスレッタは向かい合って立つ。
「双方、魂の代償を天秤(リーブラ)に。決闘者はスレッタ・ジェタークとグエル・マーキュリー。場所は戦術試験区域7番。一体一の個人戦を採用。異論はない?」
「はい」スレッタは慣れたように答える。
「は、はい…」グエルも追って答える。
「スレッタ・ジェターク、君はこの決闘に何を懸ける?」
エランは手のひらをスレッタに向けて問いかける。
「前と同じでいいです」
スレッタはやはりスムーズに答える。前回同様、つまりグエルの退学だ。
「グエル・マーキュリー。君はこの決闘に何を懸ける?」
「あ…え、えーと、俺も、前と同じで、大丈夫です…」
なんと答えればいいかよく分からなかったグエルは目を泳がせながら、とりあえずスレッタの真似をして答えてみる。
「前って?」
しかし、そう簡単に流されてくれなかったシャディクが、グエルに問いかける。前回は決闘委員会での宣誓は行われていなかった。
「ぅえ!?…えー、ミオリネとの、仲直り…?」
シャディクに向け、グエルはしどろもどろに答えるが、ホルダーと婚約者の制度を知ったあとではよく分からない内容だ。
(まぁ、喧嘩したままよりはいいだろ…)
グエルは自分の中でそう結論付け、スレッタに向き直る。
エランはさほど気にもとめずに進行する。両の手のひらを天に向け、ぱん、と軽く胸の前で組んだ。
「賽は投げられた(アーレア・ヤクタ・エスト)。決闘を承認する」
これで宣誓は完了した。窓のスモークが解除され、外の光がラウンジ内に入る。
ふぅ、とグエルがひとつ息を吐いていると、ソファに身を預けた褐色肌の女子生徒が、唐突に話し始める。
「いいっすよねぇ、スレッタお嬢様は。親が偉いと、決闘の負けも無効にしてもらえて」
嘲りを含んだその言葉に、スレッタはぐっと唇を噛み締め、俯いてしまう。
「今度負けたら言い訳できませんよ~、やめといた方がいいと思うけどなぁ」
いつもはラウダやフェルシーが代わりに怒ってくれるが、今日は決闘の準備でスレッタひとりだ。
(私がちゃんとしなきゃ…!)
スレッタは負けないように必死で言葉を紡ぐ。
「も、文句が、あるなら…け、決闘で、言ってくださいっ…!」
「やだなぁアドバイスですよ。これ以上、スレッタちゃんの市場価値が下がらないようにって。あ、でももう底値か」
「う、うぅ…」
ありとあらゆる人間を煽って回っているセセリアが相手では、スレッタはあまりに無力だった。制服の裾を握りしめ、完全に俯いてしまう。なんなら少し涙目かもしれない。
その時だった。
「おい、あんた」
グエルが声を上げる。その今までの態度と違う低い声に、ラウンジにいる委員会みんながグエルに注目していた。
「逃げない人を、進む人を、笑うな」
そう言うグエルは眉間に皺を寄せ、ソファに座るセセリアを鋭く睨みつけていた。
決闘委員会の面々が目を丸くしてグエルを見つめる。
そんなグエルを、スレッタは目を見開いて、ただ見ていた。
「……どうして、ですか?」
帰りのエレベーター、スレッタは一緒になったグエルに問いかける。
「え?」
「あなたも、私のこと、笑いたいんじゃ、ないんですか」
その言葉に、グエルはスレッタの方を振り返ると、微笑んで、答えた。
「…逃げたら一つ、だからです」
「…?」
エレベーターの扉が開く。2人が降りたフロアには、黄金色の夕日が射し込んでいた。
「たとえば、すごく強い敵がいたとする。逃げれば当然、安全、安心が手に入ります」
「…私は、逃げないです。みんなを、守らないと」
「でも、戦ったら負けちゃうかも?」
「私は…負けません」
スレッタは確かな意志で、そう答える。でも直ぐに視線を明後日の方向にやる。
「……前回のは油断しただけですから」
「つまり、負けたんだよな?」
「……」
からかうような声色のグエルを、スレッタは唇を尖らせてじとりと睨む。
しかしそんなスレッタに対して、グエルは優しい眼差しを向け、柔らかな声色で言葉を続けた。
「でも、大丈夫ですよ」
「何が…です?」
「逃げずに進んだら、逃げなかった自分とか、経験とか、認められたりとか…逃げるよりいっぱい手に入るんだ」
そう言いながら、グエルは数歩前に進む。スレッタはじっと、それを見つめていた。
「だから、『逃げたら一つ、進めば二つ』って……母さんが、教えてくれたんです」
グエルのはねた栗色の髪に夕日が透けて、きらきらと光っているようだった。
「まぁ、だから、なんというか…あれは俺が勝手に許せなかっただけです」
そうグエルは話を締めた。黙って聞いていたスレッタは、いつのまにか、遠い眼差しで父に叩かれた左頬に指を添えていた。
「いいお母さん、なんですね」
呟くようなその言葉に、グエルは嬉しくなって声を弾ませ振り返る。
「はいっ!俺の自慢の母さんで──って」
その時にはもうスレッタは、すたすたと向こうに歩き去ってしまっていた。
「あれ…?」
グエルはぽかんとしたまま、その背中を見送るしか出来なかった。
決闘に向けた準備の進むジェターク寮の格納庫、その進捗を見守る寮長──ラウダ・ジェタークの表情は固かった。
父から届いた決闘への作戦指示、それらの手段を採ってでも勝つべきなのは分かるが、それは何より大事な妹を傷つけるであろうということも、ラウダは理解していた。
そんな兄の心もつゆ知らず、スレッタが格納庫にやってくる。
「スレッター!」
「おかえり~!」
フェルシーとペトラが真っ先に駆け寄る。同い年の3人はとても仲が良い。その他にも寮生が次々スレッタのもとへ駆け寄っていく。
少々内気なきらいがあるものの、その卓越したパイロット技能と優しい性格から、スレッタは多くの寮生に好かれていた。
「機体の準備、出来てるよ!」
「あんな田舎者、ボッコボコにしてやんな!」
一際騒ぐ過激なフェルシーに苦笑で答えるスレッタ。そんな妹のもとに、ラウダは近寄る。
「スレッタ、これはお前だけの決闘じゃない──ドミニコス入ってうちのモビルスーツ、宣伝してくれるんだろう?」
「…はい!絶対、勝ちます!」
兄の言葉にスレッタは力をもらう。すっかり自信は戻ってきたようだった。
「……っ!ダメっ!止まっちゃ…!!」
誘導に気づいたスレッタは声を上げるが、当然AIには届かない。
次の瞬間、グエルの作戦の通り、ダリルバルデはガンビットに狙い撃たれ、シールドドローンと右肩アーマーを失うこととなった。
爆発の光がカメラアイを通してコックピットのスレッタを照らす。
「あんなのにひっかかるなんて……!」
スレッタが操縦していれば、受けることの無かったダメージだった。スレッタは悔しさに顔を歪ませる。
(このまま負けるの…?)
『──スレッタ!』
「…!!」
突然サブモニターに現れた父に、スレッタは驚愕するしかない。
『スレッタ、何をやっている!さっさとカタをつけろ!!』
「お父さん…?どうして……」
父の怒鳴り声に怯えながらも、通常いるはずのない父の存在に、スレッタの頭の中で1本の糸が繋がった。
「さっきの排熱処理って……!お父さん、どうして私のこと信じてくれないの…?」
悔しさを通り越した悲しさは、スレッタの瞳に涙を浮かばせた。しかしそんな気持ちはヴィムには届かない。
『信じて欲しければ、ガンダムを潰せ!!』
「こんなっ…!こんなやり方で勝ったって意味ないよ!」
『それが子どもだと言うんだ。大事なのは結果だ!』
父娘が言い争う間にも決闘は続いている。衝撃がコックピットのスレッタを襲う。
「っ、…!!」
『スレッタ、話は後で!今は戦いに──』
窘めようとしてくるラウダに、とうとうスレッタの涙は決壊する。
「兄さんだってお父さんの味方のくせに!!」
そう叫ぶとスレッタは両手で顔を覆ってしまう。ぽろぽろと涙が次々ヘルメットの中に落ちていく。スレッタの頭はジクジクと熱をもって、噛み締めた唇からは鉄の味がした。
『お前だけの決闘じゃないということがなぜ分からん!?』
負ける、このままじゃ。くやしい。ドカン。負けたくない。私にはこれだけなのに。ピカリ。『次も勝つのは俺だ』。勝ちたい。ビュン。嫌だ。いやだイヤだ嫌だ。負けたくない!
『子どもは親の言うことを聞いていればいいんだ!』
「──嫌っ!!!」
スレッタはコックピットに接続された生徒手帳を叩き壊した。同時に、モニターも音声もシャットダウンされる。
「意志拡張AI、停止」
「バカ娘が!」
オペレーターからの報告に、ヴィムは大きく悪態をつく。
立ち上がろうとしていたダリルバルデは、岩山の側、カメラアイの光を失い、ガクン、と脱力した。
しかしすぐ、ダリルバルデのアイサイトに光が戻る。
ビームサーベルで切りかかるエアリアルに、ダリルバルデも腕部から引き抜いたビームサーベルで応戦する。
反発するビームがバチバチと大きな音を立てた。
「…!」
グエルはダリルバルデの先程までと違う動きに、僅かに目を見開く。
「これは……!私の戦い……!」
スレッタの両手は、今度こそしっかりと操縦桿を握っていた。ダリルバルデは、徐々にエアリアルを押し込んでいく。
「私の……!私、だけのっ……!!」
「ハァッ……ハァッ……」
ヘルメットのバイザーにぽたぽたと汗が流れ落ちる。肩で息をするグエルが顔を上げると、サブモニターにメッセージが表示された。
『Congratulations!』
エランからのメッセージだ。グエルは嬉しさに頬を緩める。
しかしエランからのメッセージは、後から後から送られてくるメッセージに、あっという間に押し流されてしまった。
「え?え?」
そのときちょうどミオリネから連絡がくる。画面に触れ、通話を繋ぐ。
「なぁミオリネ、これ、なんか文字いっぱい流れてくるんだが……」
「なんでメッセージ開放してんのよ。登録した人のだけ表示して」
「わ、わかった」
生徒手帳をポチポチと操作し、グエルはなんとかエランのメッセージだけを表示することが出来た。
「ふぅー……」
「勝ったよ、私たち」
弾むような声色で、ミオリネは言う。
「ああ」
「あんたの退学はナシ!」
「ああ!…お前も、エアリアルも、セーーフ!」
グエルはコックピットの中で両手を水平に広げて笑う。
「そう!ざまーみろ、クソ親父!」
ミオリネはこれまでにないほどご機嫌だ。グエルもなんだか嬉しくなって、大口を空けて笑ってしまう。
「……っと…?」
ふとモニターの向こう、地に伏せたダリルバルデからスレッタが這い出てくるのが見える。
もぞもぞと這い出たスレッタは、そのままダリルバルデを見上げる形で座り込んでしまった。
それを見たグエルは、コックピットハッチを開き、スレッタのもとへ向かっていた。
雨上がりのような空。作りもののそれに照らされるのは、ボロボロになって地に伏した赤い巨人。
(ああ…負けちゃった)
その実感がじわじわとスレッタの心を蝕んでいく。
体は座り込んだ姿勢のまま、全く力が入らない。俯いたスレッタの暗くなった瞳に、どんどん涙が溜まっていく。
負けてしまったスレッタに、きっと価値は無い。この力も、プライドも。
敗北感、それが絶望へと次第に変わっていく。
その時だった。
スレッタの側に、誰か降り立った。その足音にスレッタはびくりと肩を震わせ、更に俯く。分かっていても、意地悪は言われたくなかった。
しかし、彼が発したのはスレッタの予想外の言葉だった。
「この間は、ごめん!」
スレッタは再び肩を震わせる、今度は驚きで。
「あんたのこと…見くびってた……。あんたは、すげぇ強かったよ」
俯いていたスレッタの視界の端に、大きな手が差し出される。その腕を辿って顔を上げれば、さっきまで戦っていた彼──グエルの、空よりも鮮やかな瞳が、真っ直ぐ、ただ真っ直ぐスレッタを射抜いていた。
スレッタの灰色で埋まっていた視界に、次々光が入って、世界に色が着いていく。雲の隙間から差す柔らかな光が、空から降り注いでいた。
スレッタは差し出された手を、勢いよく両手で握りしめる。その力強さにグエルは「うおっ」と声を漏らした。
座り込んだまま、しかしキラキラと光を受けた瞳で、スレッタは夢をみるように、あるいは祈るように、口を開く。
「グエル・マーキュリーさん。私と、お友達に、なってください……」
その青い双眸をゆっくりと見開いたグエルの右手、それをスレッタは縋るように強く握っていた。まるで天から降りた蜘蛛の糸を握るように。
ややあって、グエルは答えた。
「ああ、もちろん!」
その瞬間、スレッタの身体は強く引き上げられた。
高くなった視界の更に上、立ち上がったスレッタへ、朝日のような笑顔を向けながら、グエルは口を開く。
「また、やろうな!」
そうしてスレッタの肩を叩くグエルに、スレッタは頬を赤く染めながら、大きな声で応えた。
「…っ、はい!」