スターゲイザー
Name?──ある日の航海風景──
今日、わたしは一味の中で、初めての夜の船番だった。
船番と言えば、少し懐かしい。
甲板の上から、海を見渡しながら伸びをする。
だけど、あの時はまだ真昼間の船番だったっけ。シャンクスたちが他の海賊と小競り合いをするときなどは、よく船に残って船番を行っていたものだ。
思わず、懐かしさに笑みをこぼしてしまう。
空を見上げずとも、宵闇に染まった黒い水面が、空の星明りと月明かりをゆらゆらと写し出す。
こんなに星月がきれいな夜には、一曲でも口ずさみたくなってしまう。
息を一つ吸い込んで、止めた。
今は夜だし、もうみんなぐっすりと寝てしまっている。
いや、ゾロだけは今も船の後方で鍛錬をしたり酒を嗜んだりしているのだろう。
でも、起きているのはそれだけだ。
だから、歌って起こしてしまうわけにはいかない。わたしの力を使えば、もう一度眠らせるのは造作もないけれど、それとこれとは話が違うだろう。
代わりに、つま先をコツコツと鳴らしてリズムを取る。
こんな夜には、そうしていれば自然と新しい歌詞や曲のインスピレーションが降りてきそうだ。
と──。
コン。
わたしの耳が、小さな音を拾う。
船首の方ではない。
船尾の方でもない。
「上?」
上を見上げると、上から人が降ってきた。
「わ」
わたしが小さく声を上げるのと、その人物が甲板に落ちるのはほとんど同時だった。
彼は甲板をまりみたいに弾んで、止まってからしししと小さく笑った。
「悪ィ、びっくりさせたか?」
「びっくりと言うかなんと言うか。ねえルフィ、何やってるの?」
「それがよ」
曰く、マストの上に登ったら風が気持ちよくて眠ってしまったと。そして今起きて下を見たら、丁度わたしの姿が見えたから降りてきたと言うことだった。
「怪我したらどうするつもり……?」
呆れたわたしの言葉に、ルフィは笑いながら首を傾げた。
「おれはゴム人間だから、その程度でケガなんかしねェ」
「いや、わたしに当たってわたしが怪我をしたら」
「そしたら謝る」
あっけらかんと、しかしふざけている様子もない声色で、ルフィが言う。それに対して、わたしは、額を抑えて
「呆れた……」
としか言えなかった。
「ウタは何やってんだ?」
「今日は不寝番」
「あ、そうだったな」
ひょいと飛び起きて、ルフィはわたしの横に歩いて来た。
星屑の煌めく夜の海に目を向けて、ルフィが言う。
「なあウタ、お前、なんでシャンクスの船を降りたんだ?」
再会した時には、時間の余裕がなくて話せなかったんだっけ。
怒涛の日々に奔走して、話す余裕もなくとても時間が経ってしまったようにも思うが、まだ数日と経っていない。
話すタイミングとしては、丁度いいのかもしれない。
だが、さてどこから話せばいいものか。
「なんだ? 話したくないなら無理には──」
「なーに、いっちょ前に気を遣っちゃって。どこから話せばいいか考えてただけだよ」
「ならいいけどよ」
そうして、わたしはぽつぽつと話し始める。
「あの日、わたしたちはフーシャ村から音楽の国エレジアに向かったんだけど……」
そこで起こったことを、かいつまんで説明する。
わたしの歌声が、音楽の国でも認められたこと。
シャンクスから、エレジアに残る選択肢を提示され、それでもシャンクスたちといたいと言ったこと。
そして、音楽会の夜。
多くの楽曲を歌っていくうちに紛れ込んだ、災厄の楽譜のこと。
それを歌ったがために国が滅び、そしてシャンクスたちがわたしを庇うために、わたしを置いて出航していったこと。
「へェー、お前も大変だったんだなァ……」
「まあ、それはそれで大変だったんだけどさ。一番つらかったのは、自分が歌った曲のせいで国が滅びたことを、わたしが認識してなかったこと。……だから、だいぶ長い間、シャンクスたちへの想いに苦しんだりしててさ」
あの時の自分の心理状況を振り返って、情けないやら恥ずかしいやらで、話していて心なしか口角が上がってしまった気がする。
「……今はそんなことはなさそうだな」
わたしの表情を見てか、ルフィが言った。
まあね、とわたしは話を続ける。
「わたし、ずうっと島に閉じこもってたんだけど、二年前に、転機が訪れだんだよ。いつも通りいろいろ考え事をしている時に、空から骨が降って来たんだ」
「骨ェ?」
「ブルック」
「ああ!」
ルフィが右手を左手に当てて、なるほどと笑った。
「ブルックかァー! あいつ、見た目は骨だけど、いい奴だろ! そうかそれで一緒にライブしてたのか!」
嬉しそうにルフィが言う。
ブルックが褒められて、わたしもなんだか嬉しい気分になる。
「本当にね。最初はブルックがルフィの船に乗ってるなんてしらなかったし、向こうも私がルフィの幼馴染なんて知らなかったのにさ。海賊も嫌いになっていて、邪険に扱ってたわたしのことも気にかけてくれて……、いろいろと教えてもらったんだ、ブルックに」
本当に彼には頭が上がらない。
ししし、とルフィが笑う。
少しだけ考えてから、わたしはルフィの方を向いた。
「ルフィ、あんたもだからね」
「? 何が?」
ルフィが何もわかっていないように、首を傾げた。
──うん、やっぱり照れくさい。
ルフィとの約束があったから、配信電伝虫を拾うまでの苦しい日々を乗り越えられた。
そして、ルフィがブルックを助けたから、ブルックはわたしと逢った。
そうでなかったら、わたしは今頃、どうなっていただろうか。
お礼をただ言うのは簡単だけど、だが、相手はあのルフィだ。今更、そうかしこまってお礼を言うのは、なんだかむず痒い。
「へへへ、内緒!」
「なんだよー、気になるなァ」
ルフィが眉に皺を寄せる。
その顔がおかしくって、わたしは小さく笑った。
ルフィはバカにされたと思ったのか、小さく口を尖らせる。
うん。
人間関係っていうのは、変化するものだ。
ルフィはわたしの幼馴染だったけど、今では恩人でもあり、そして船長だ。
だけど、変化したとしても、わたしたちが幼馴染なことに変わりはない。
その距離感が、とても温かく、心地いい。
草原で日向ぼっこをしたような、懐かしい香りのするような、そんな心地よさ。
「ふふ。ルフィ、ありがとね」
ようやく言えた、心からの言葉に、しかしルフィは首を傾げたままだった。
まったく、らしいとしか言いようがない。
「おれ、何かウタにしたか?」
「さあね! でも、珍しくわたしが素直にお礼を言ってるんだから、受け取っておいた方がお得なんじゃないの?」
「そういうもん……か……?」
首をひねりっぱなしのルフィに、わたしは「あはは」と笑う。
うん、サービスタイムはこれで終了。
そういえば、と言って話題を変える。
「ルフィ、これってシャンクスのだよね? どうしたの?」
ルフィの被る麦わら帽子の端を軽く引っ張りながら尋ねる。
ああ、とズレた麦わら帽子を右手で被り直す。
「預かってる。立派な海賊になったら返しに来いって言われてるんだ」
ニッ、と歯を見せて笑う。
「じゃ、シャンクスたちに会いに行くんだ?」
おう、とルフィは当たり前だと言わんばかりに、力強く頷いた。
「久しぶりにいろいろと話したいし、仲間も自慢したいしな! ……ウタはシャンクスに会ったらどうするんだ?」
ルフィの質問に、わたしは左拳をグッと固めて突き出した。
「まずは一発ブン殴る!」
「いきなりか!?」
珍しく驚いたように、ルフィが言う。
思ったよりもルフィの反応が愉快で、わたしは自然とニヤリと笑ってしまう。
「だってさ、庇ってくれたとはいっても、愛娘を十二年も放置だよ? 少しぐらい許されるでしょ。ほら、ルフィのおじいさんも良く言ってたって言う……」
「あー、愛ある拳?」
「そう、それ」
「シャンクスの言ってた愛の鞭じゃダメだったのか?」
「だって殴るし」
「ならやっぱ拳だな」
一発殴った後は、思いっきり甘えてやる。
十二年の恨みは深いんだから。
こういう、中身のない会話も楽しいものだ。
ふと、何かに気が付いたように、ルフィがずいと身を乗り出してきた。
「何?」
「いや、ウタ、お前このマーク」
「あ」
慌てて隠すが、もう遅い。さっき思い切り見せつけるみたいに拳を握り締めちゃったし。
このマークを心の拠り所にしていた期間が長すぎて、身に着けるのが習慣になってしまっているのだ。
過去を乗り越えて、もう一度“新時代”を目指すことを決意した時点で、もう心の拠り所としての役割は終えたと言うのに。
ルフィに見つかれば、それを指摘されることはわかりきっていた事ではあるが、そもそも身に着けることが習慣になってしまっては、『それが見つかったら』なんて思考にまず行きつかない。
あはは、と誤魔化してみるが、ルフィはそれを気にせずに言う。
「それ、おれの描いた麦わら帽子だろ! なっつかしいなァー! お前、あの時『ヘタ』って冷たかったのに、まだ持っててくれたのか!」
「あ、あんたがわたしたちの“新時代”の誓いって言ったんでしょ!」
「そうだったなァー! ウタもよく覚えてるんだな! それにしても、そうやって身に着けてるとは……」
「“歌姫”としてのトレードマークとして使わせてもらったからね! もう身に着けるのが習慣なの、習慣!」
パンパン、と小さく手を叩いて、「この話はお終い」と話を切る。
次はさ、とわたしは切り出した。
「ルフィの冒険の話、聞かせてよ。どう過ごしていたのかとかさ」
「おれの話かー……」
ルフィが少し難しい顔をする。
「……何か、話したくないことでもあった?」
「いやァ、どこから話せばいいかって……。そういえばお前、おれの兄ちゃんたちのことは知らなかったよな?」
うん!?
まったく聞いた事のない話が出てきて、わたしは目を白黒させた。
兄? ルフィに?
「ああ、兄と言っても義理だけどな! シャンクスがフーシャ村から出て行ったあとで──」
夜空の下で、ルフィは語り出す。
幼いころに亡くなった兄と。
つい先日、助けることのできなかった兄の話を。
それから、話はルフィの冒険譚に移り──。
ピカッ──!
世界が一瞬、真っ白になったかと思うと、遅れて聞こえるゴロゴロという音。
ふと空を見上げれば、満天に出ていた星空が見えない。
「ねえルフィ、これ、嵐だよね?」
「ああ、そうだな!」
「ナミ、起こした方がいいよね」
「ああ、そうだな!」
まったく、この“偉大なる航路”後半の“新世界”は、天候が崩れやすくてかなわない。
急いで船首の方から女子部屋へと走り出す。
ルフィには、男性部屋へ走ってもらっている。
「ナミ、ロビン! 嵐が来るよ!」
声をかけると、さすがは海賊として海で暮らしてきただけあってか、すぐに二人とも起き上がった。
「嵐!? 方角は!?」
「えっと、二時の方向から雷と分厚い雲が」
「オーケー! 対処していくわよ!」
「ふふ、うちの航海師は頼りになるわね」
昼も夜も関係なく、船の上では自然との闘いを繰り広げなければならない。
穏やかな夜は、まだ、夢のまた夢──。