シュライグとデスピアン人形

シュライグとデスピアン人形

阿刀田酒瓶クラッシャー  

  今日はステーキだ。

 残念ながらミキサーは壊れてしまった。買いに行くのも億劫でそのままにしている。

 包丁で細かくする。段々と腕が疲れてきて、動きは乱雑に刃で叩くようになった。

 指が切れた。血が流れる。

 彼女が待っている。食事の時間は少し過ぎてしまいそうだ。

 スプーンでステーキを掬った。彼女の口に入れる。ゆっくりと喉に詰まらせないように注いで行く。

 一滴の血液が彼女の口に入った。

 そして彼女はまた目に光を宿した。



 シュライグから送られてきた手紙は少し要領を得ないものだった。キットは何度か読み直して、その手紙が招待状だということに気がついた。

(シュライグとリズ姉は砦に住んでいるんだ)

 かつての鉄獣戦線がある部族から譲り受けた小さめの城だ。二人はそこに住んでいて、リズ姉の調子が良くなったから来てほしいということだ。

 キットは手紙の返事を書いて出かける準備をした。


 人里離れた場所にその砦はある。山道を進むにはベアブルムの積載量を計算する必要があった。荷物をあまり持って行くことが出来なかった。

 ようやく砦が見えてくるとシュライグとリズ姉が入口で待っているようだった。

「シュライグ!」

 キットの声にシュライグは手を振った。リズ姉は椅子に座ったまま身動きをしていない。

(リズ姉、やっぱり体調悪いのかな?)

 キットはベアブルムを降りて台車にお土産を移した。

「久しぶりだな。よく来てくれた」

 近くで見るとシュライグは少しやつれているように見えた。目の焦点が少しあっていない。キットはそんなシュライグを知らなかった。

「シュライグ、ちゃんと食べてる?」

「ああ、もちろんだ。最近のフェリジットは調子がいいみたいだ。一緒に食事を食べるようになったんだ」

(そうなの?)

 キットはリズ姉に視線を移す。デスピアから救出出来た時のまま、デスピアの仮面をつけて人形のように微動だにしなかった。

 そのリズ姉がキットの視線に気が付き微笑んだ。

「リズ姉!リズ姉が私の方を見て微笑んだよ!」

「ああ、すごいだろう。療養がうまく行ったんだ」

 シュライグはフェリジットに近づいて耳元で囁いた。

「フェリジット、キットが来たぞ」

 フェリジットのような人形が動作を始めた。

 リズ姉にそっくりな彼女は、キットの姿を見ると高速で表情を動かした。デスピアの仮面の光が点滅をする。それは機械が動作しているように見えた。

「あら、お客様ね。ようこそ」

 フェリジットの声でキットにそう言った。


 シュライグはキットを部屋に通した。長旅で疲れただろうと言っていた。荷物を広げずにキットはベッドにダイブした。

「フェリジットが他人行儀なのは、まだ意識を取り戻してそんなに時間が経ってないからなんだ。気を悪くしないで欲しい」

 キットはシュライグになにも言うことが出来なかった。シュライグの表情はそれを本気で信じているように見えたからだ。

(あれ、明らかにリズ姉じゃないよ)

 キットはシャワーを浴びることにした。モヤモヤした気分が少しは晴れるような気がした。


 食事の時間になった。

 キットは食卓に座る。大きな長いテーブルだったが隅に固まって食べるようだ。

 フェリジットはすでにキットの向かいの席に座っていた。シュライグは食事を運んできた。

「キット、ステーキは好きだったよな」

「う、うん」

 美味しそうな匂いがする。しかしキットの頭の中は目の前で微動だにしないリズ姉のことでいっぱいだった。

 行儀よく座るフェリジットには瞬きも体の揺れもなかった。人形が赤いドレスを着て座っているかのように見えた。

(でもリズ姉の音はするんだよね…)

 キットの耳は姉の音を覚えていた。リズ姉からするリズムは昔と同じだった。心臓の音、呼吸のリズム。それがリズ姉であるという証明になった。

(でもリズ姉がステーキ食べる時にはもっとテンション高いよね)

 皿が全員分置かれた。

「フェリジット、食事だ」

「あら、あなた。美味しそうね」

 フェリジットは機械のような無駄のない動きで食事を取る。マナーもリズ姉と違って完璧だった。

 キットは全部食べたが、すぐに部屋に戻ることにした。


 真夜中になった。

 キットがベッドで寝ていると、廊下でなにかを引き摺るような音がした。距離はかなり遠くだ。流石に起きることはなかったが、その音はこちらに近づいてくると分かった。

(えっ、なに?)

 流石に三部屋隣まで近づけば、キットは飛び起きる。

 引き摺る音が、また近づいてくる。なにか重いものだ。人を引きずる音だと気がついたのはニ部屋隣まで近づいた時だった。

 キットは壁に耳を当てた。どちらが引き摺っているのか分からないが、二人の正体がシュライグとフェリジットだと分かった。


 少し悩んでから、キットはベッドサイドの明かりをつけて本を読むことにした。

 見知らぬ人の館に泊まってこんなことになれば窓から逃げる。だが相手は姉と友人だ。

(流石に変なことにならないと信じたいよね)

 武器になりそうなものは空いた酒瓶しかない。やつれたといえどもシュライグにはダメージが通らないだろう。

(酒瓶で殴るのは無謀だよ) 


 扉がギイと開いた。シュライグが顔を覗かせる。

「キット、起きていたのか」

「ちょっとシュライグ。乙女の部屋にノックもなしに入ってくるなんてどうしたの?リズ姉が怒っちゃうよ」

「ああ、そうだな。ちょっと話があって」

 シュライグは部屋に入ってくる。フェリジットを背負っていたが、足が床について引き摺っている。

 シュライグはフェリジットを椅子に座らせる。乱れた髪や服を慣れた手付きで整えていった。

「フェリジットが良くなるキッカケがあったんだ」

 シュライグは手を止めず話し始めた。

「フェリジットは物も食べられなかったことは知っているよな」

「覚えているよ」

 救出された後、デスピアの仮面をつけたままのリズ姉は食事すら食べることが出来なかった。流動食の用意や口の端から溢れるものを拭く手伝いをしたことがあった。

 キットが姉のことに掛かりっきりになるのは良くないと、シュライグは言っていた。そして二人でどこかに移り住んだ。

 それに甘えてキットは今までフェリジットから目を逸らしてした。色んな発明をしたかったし、まだ学びたいことだって色々あった。

「俺が指を怪我したまま、フェリジットと食事をしたんだ。深く指を切ってね。血が一滴、フェリジットの口の中に入ったんだ」

 キットは想像できた。慣れない料理をするシュライグ。そしてスプーンを伝って血がフェリジットの口の中に入る。そして人形は起動した。

 その後のシュライグの提案は想像通りのものだった。


「多分もっといい方法があるよ」

 キットは酒瓶を見た。



 フェリジットは目を開けた。見知らぬ天井、ベッドの上、怪我はしてない。

「あれ、ここ。シュライグの城だっけ?」

 ここに来た記憶はない。確か、デスピアに包囲されて、意識を失った。

「助けてくれたのかな」

 シュライグの顔、キットの顔、鉄獣戦線のみんなの顔。そんなものがフェリジットの脳内に過ぎ去った。

「誰か来たら聞いてみよう」

 コンコンと扉が叩かれて、フェリジットは返事をした。シュライグが顔を覗かせる。少し顔がやつれていた。

「おはよ。シュライグ」

 シュライグが泣いた理由をフェリジットは理解できなかった。


 結論から言えばキットの試みは失敗した。リズ姉を救うには手遅れだった。


「キットの血よりもか?」

「うん。人体には無害だよ(多分)」

 酒瓶に詰めたのは『キット印のスプライトの出汁』であった。修復能力においてはキットの発明品の中で最高の出来だ。

「シュライグの血液で起動したのはデスピア仮面のおかげなんだよ。これってエネルギーを与えれば起動するっていう仕掛けなんだよね」

「エネルギーってなにかあったか?」

「うん。シュライグの血液に含まれるスプライトだよ。ずっと使ってたでしょ」

 これはキットの仮説だ。でも多分正しい。デスピアに変貌した人たちを元に戻すために色々研究していた。

 人体実験と言えばそうだ。だけどキットを責める人はいなかった。元に戻った人から感謝された。だけどキットが救った数より救えなかった数の方が多い。

 リズ姉のために誰かを犠牲にしようとしたシュライグを責めるつもりはない。自分はもっと悪いことをしているとキットは考えた。

 鉄獣戦線のメンバーの血液はもう調べてある。スプライトの力を使うことで体内に蓄積されたエネルギーは生きている限り循環する。

「そんな便利なものがあったのか。知らなかった」

「ずっと連絡してなかったでしょ。シュライグはもっと頻繁に連絡取ろうよ」

 ゆっくりと、フェリジットの口にスプライトを飲ませていった。そしてフェリジットをベッドに寝かせる。

「じゃあ、私は部屋を移るから。シュライグ、案内して」

「ああ、分かった」

 シュライグは少し救われた顔をした。


(欺瞞だよ。流石に)

 キットは自分のしたことを振り返る。ベッドに寝転んで頭を掻いた。

(死んだ人を生き返らせることなんて出来ない。リズ姉らしくない人形が、リズ姉っぽく振る舞えるようになっただけじゃん)

 救出された時点でフェリジットは死んでいた。そのことを発見したのは何体ものデスピアンを研究してからのことだった。

 スプライトエネルギーは烙印に有効なことが分かっていた。軽症者の烙印を剥がすことは簡単にできた。しかし、元に戻らないデスピアンも多かった。

(何もわからない中での研究だったな)

 元に戻らないデスピアンに致死量に近いスプライトエネルギーを与えた。

 そして一晩が経った。正確には8時間14分。

 死体が動いている。助手の一人が言った言葉が今も耳に残っている。けれどその死体は鉄獣の仲間だった。何度話しても鉄獣の仲間のように振る舞っていた。ちょっとだけキットも救われた。

(それにスプライトのエネルギーが尽きればリズ姉はまた動かなくなる)

 何年先か、キットはまだ十分に研究できてない。短い人は三ヶ月だった。

 それを知ったら、シュライグは何度もリズ姉の面影を延命するだろう。多分、シュライグが死ぬまで。その前にリズ姉が拒否して終わるかもしれない。

 それでもシュライグの追い詰められた姿を見たくなかった。今のシュライグには救いが必要だ。

(シュライグには言えないよね。私だけがモヤモヤしていればいい)



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