とある少女と少年の追想

 とある少女と少年の追想


 「シャディクさん見てください!こんなに水が沢山あります!これが海なんですね。初めて見ました……。」

 嬉しそうに波打ち際へ向かい走る赤毛の少女の背に向かい、声をかける。

 「水星ちゃんは、海を見るのは初めて?」

 「はい!コミックやアニメでしか見たことがなかったんですが、本当にこんなに沢山の水があるんですね!」

 嬉しそうにはしゃいでいる姿は、年齢よりも幼く見える。

 「シャディクさんは、海って見たことありますか?」

 「……子供の頃、義父さんに連れられて」

 引き取られた頃のことを思い出す。養父に、長い休みが取れたからと言って、ここのようにまだ汚染されていない海へ連れてこられた。

 今思えばあれは、まだ馴染めていない養子(息子)への養父なりの気遣いだったのだろう。

 「……。誘ってくれてありがとうございます」

 「どういたしまして。少しは元気になってくれて良かったよ」

 人工的に作られた砂浜は、余分な物が一切なく素足で歩いても傷をつけることはない。

 「そういえば、皆さんは?」

 「サビーナ達なら、ショッピングに行くって言って出掛けたよ。たぶん、夕食の頃には帰ってくるんじゃないかな」

 「シャディクさんは、行かなくて良かったんですか?」

 「そんな気分じゃなかったし、水星ちゃんを一人にする訳にはいかないだろう?」

 「えへへ。ありがとうございます」

 海辺には、照れたように笑う彼女と俺しかいない。

 「あ……」

 何かを見つけたのか、彼女が突然走り出す。

 「そんなに走ると転ぶよ」

 ゆっくりと後を追いかけるように歩く。

 「どうしたの。何か面白い物でも見つけた?」

 立ち止まった彼女が手に持っていたのは、固い甲羅から手足を出してばたばたとしているカメだった、。

 「これってカメですか?」

 「うん。カメだね」

 物珍し気にまじまじと見る少女に対し、カメは慌ただしく手足を動かし、首を伸ばして恨みがましげに此方を見ている。

 「可哀想だし、そろそろ戻してあげようか」

 「はい。ごめんねカメさん」

 体を下ろすとカメは、およそゆっくりとは言えない速度で海へ向かい進んでいった。

 「カメの甲羅って固いんですね。知りませんでした」

 「まあ、学園でも動物に触れる機会は殆んどなかったからね」

 「ティコさん達はいたんですけどね」

 今となっては昔の、学園での生活を思い出したのだろう。少しだけ、寂しげに笑う。

 「そういえば水星ちゃんは、海でやりたいこととかはないの?」

 「やりたいことですか。えっと……」

 少しだけ考えるように目を伏せ、こちらを見る。

 「釣り?というのをやってみたいです!」

 「釣りかあ。残念だけど、今日は道具を持ってきてないからな。明日借りて、みんなで行ってみようか?」

 「本当ですか!ありがとうございます!!」

 嬉しそうに顔を輝かせ、彼女はその場で跳び跳ねる。

 しかし、場所が悪かったのだろう。ちょうどやって来た波に足を取られ、手を差し出す間もなく倒れてしまう。

 「大丈夫?」

 「うぅ……。海の水が口に入りました。しょっぱいです……」

 立ち上がらせる為に差し出した手を握らず、彼女はそのまま海水を掬う。

 「海って、本当にしょっぱいんですね……知らなかった。……一緒に知りたかったな――」

 その言葉に、体が固まる。

 それは、此処にはいない誰かへ向けられた言葉。

 それは、もうかけることのできない言葉。


 ミオリネ・レンブランはもういない。

******

 別れというものはいつも唐突だ。

 昨日会った筈の人が、さっきまで話していた筈の人が、次の瞬間には物言わぬ屍に成り果てる。

 ミオリネの死を知らされたのは、彼女と会って数日後のことだった。


 理由は何てことのないただの事故だ。

 道路に飛び出た子供を助けたらしい。

 誰かに狙われたわけでもなく、突然の病気にかかった訳でもない。

 彼女らしいと言えば彼女らしいのかもしれない。

 棺の中で眠る彼女は美しく、声をかけたら今にも動きだしそうだった。

 彼女を囲う白い花の中に一輪だけ添えられた赤い花は、かつての花婿の物だろう。


 彼女は、花婿という名前(役割)を変えて、今もミオリネの傍にいた。


 ……さん

 「シャディクさん」

 名前を呼ばれて、はっとする。昔を思い出しぼうっとしていた。

 「大丈夫ですか?」

 いつの間にか立ち上がっていた少女が、心配そうにこちらを覗き込む。

 「大丈夫だいじょうぶ。それより、服も濡れちゃったし、風邪をひく前に戻ろうか。そろそろ暗くなる」

 いつの間にか、海はオレンジ色に照らされている。

 「そうですね。戻りましょう」

 夕日に照らされたせいだろうか。それとも、あの日のことを思い出したせいだろうか。前を歩く少女の隣に、一瞬だけ彼女の姿を見る。

 幻の様に消えてしまったそれに、思わず声が出そうになったのを必死で食い止める。

 そうか

 まだこんなにも――


 「ねえ。水星ちゃん」


 少女が振り向く。 


 「俺は、君のことが嫌いだよ」


 彼女はもう何処にもいない


 それは、自分でも驚くほどに穏やかな声だった。

 「俺は、ミオリネの隣にいる君のことがずっと嫌いだった」

 「知っています」

 その声は静かだった。

 「知っていました。だって、ずっとミオリネさんの隣にいましたから」

 「そういう所が、本当に嫌いだよ」

 なんの躊躇いもなく、そう言える所が。

 結局、最後には迷いなく彼女(ミオリネ)の手をとることができる所が。

 ああ、でも――彼女は笑う。

 「でも私は、シャディクさんのこと嫌いじゃありませんでしたよ」

 「はあ。結局、ミオリネも君も俺を置いて行っちゃうんだね」

 溜め息と共に出たそれには答えずに、彼女は静かに困ったように笑う。

 本当にズルい。

 「水星ちゃん。もし、向こうでミオリネに会ったら伝えてくれないかな?」

 悔しいけれど、あの時伝えられなかった想いを、彼女に託す。

 「君の隣に立ちたかった。って」

 「それは、自分で伝えるべきだと思います」

 その言葉に、流石の彼女も呆れた様にこちらも見る。お人好しな様に見えて、そういう所は優しくない。

 「それも、そうだね。何時になるかは分からないけど、その時は自分から伝えるよ」

 「ゆっくり来て下さいね」

 「はは。考えておくよ」

 波の音だけが聞こえる。

 海はすでに赤く染まっている。

 「水星ちゃんは一人で帰れる?俺は、もう少しだけ歩いてから帰るよ」

 「大丈夫です!じゃあ、シャディクさん。また、後で」

 お互いに背を向け歩き出す。

 後ろは、振り向かなかった。


━━━━━━━


 あの日からしばらくして、彼女が亡くなったという報せを受けた。最期はとても、安らかだったという。

 彼女の亡骸は、かつての花嫁の隣に埋葬されたそうだ。

 全て伝聞なのも仕方がない。葬儀には行かなかったのだから。

 自分と彼女の別れはあれでいい。同じ一人の少女を愛した者同士、交わす言葉はあれ以上何もない。

 引き出しに入れていた、白銀の髪の少女と一緒に写る古い写真を取り出しふと思う。

 彼女と自分の違いはなんだろうと。隣に立とうとしなかった者と、隣に立ち続けた者だろうか。

 こんなことを考えても、今となっては何も意味がないというのに。

 そろそろ時間だ。この立場に就くために、色々な物を犠牲にした。

 これを成し遂げるために、色々な物を捨て去った。

 今さら後戻りはできない。

 写真を伏せ、引き出しの奥深くにしまう。

 もう、振り返りはしない。


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