ココロノキズ

ココロノキズ


「おー、まぶしい!」パチパチパチ

「いやだから瞬きするなって!瞳孔反応がわかんねーから!」

「ごめんね!瞬きするって感覚もなんか楽しいの!ずっと開きっぱなしだったから!そもそも瞼なかったんだけど!」

「人形ジョークもキツイわ!!」


人間に戻ってから、ウタは定期的にチョッパーの定期診断を受けている。

12年間の人形生活が体内時計を狂わせているのに加えて、幼少期に能力が与えた睡眠リズムが今どんな風に影響を与えているのか、思春期をすっとばしたホルモンバランスがどうなっているか。経過観察は欠かせない。

ましてや、今度の戦いでウタはWCI以上にウタウタの力を酷使した。

今も寝込むルフィやゾロほどではないが、ウタもまた激戦の影響で1日中ダウンしていた。

比較対象がおかしいだけで、決して看過すべきダメージではないだろう。


「よし、正常だ。昼飯食ったらあとはもう自由にしてていいぞ」

「ありがとー。ねえ、ルフィとゾロは大丈夫?」

「大丈夫じゃねェけど、問題はない。今まで診てきた反応と一緒だ、身体と精神の消耗を回復させるために寝てるだけだぞ」

「じゃあ、今日から午後はルフィとゾロの看護をしておくね」

「おう、頼んだぞ看護師(ナース)!」


チョッパーの激励に、ウタがビシリとサムズアップ。人形時代ほど無法じみたシフトは任せられないが、それでも多少でも医学知識がある仲間に任せられるというのは、チョッパーにとって幸いだった。

同じく成長期をすっとばしたモモの助や、氷鬼から回復したサムライと海賊たちの経過観察もある。今はとにかく人手が欲しい。


「それとウタ、時間があるときで構わないから、おれがいなかったときの仲間の看護記録を作っておいてくれるか?」

「いなかったときってことは‥‥ドラム島より前ってこと?」

「絶対じゃないが、知っておいて損はないからな、頼めるか?」

「んー‥‥」


ウタは難しい顔で悩んだ。

人形だった頃の拙い処置を、世界最高峰の船医に診てもらうことに気恥ずかしさがないでもなかったが、仲間のためならばそんな恥など捨てても構わない。

むしろ、その"仲間のため"というのが厄介だった。


「無理そうか?」

「できるかぎりはやってみるけど、覚えてるかどうかはわからないよ?ヘンな記録になったら、むしろそっちのほうが危ないでしょ?」

「あー‥‥すまん、ウタ」


今度はチョッパーが難しい顔で天をあおいだ。


「お前が"見せちゃダメだ"と判断したものは、記録しておくだけでいい。緊急時以外はおれも見ねェ、"患者のプライバシー"ってヤツだからな」

「‥‥ごめんね。でも何でわかったの?見せたくない記録もある、って」


ウタは昔から嘘は得意だった。ヤソップにダマシの技術として──今思えば血生臭くない護身術訓練だったのだろう──色々教えてもらったことがあったから。

幸か不幸か、ウタが自分の心を誤魔化し続けるのにも、12年ものあいだ役立ってきた。

やはり、超一流の医者は観察眼も超一流なのだろうか。


「お前が軽々しく"覚えてるかどうかわからない"なんて口にするはずねェからな」


淀みなく、それこそ日常会話のように、チョッパーがサラリと言ってのけ、「じゃあ往診に行ってくるよ」とウタの部屋を去った。

技術でもなんでもなく、それは誰かを想う心。

チョッパーが、最初に"父"から学んだことだった。


「‥‥良かったね、チョッパーにもいいお父さんがいて」


届かない独り言は、果たして誰に向けた言葉だろうか。

ウタは、"見せるべきではない"記憶を思い出していた。


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ドラム島に到着する8時間と少し前、雪降る深夜。

普段の冒険なら、深夜の宴や食料泥棒との死闘があってもおかしくないが、メリー号の環境は現在絶対安静を敷く厳戒態勢。


「う‥‥ぁ‥‥ァ‥‥」

「キィ」


音らしい音は、高熱にうなされるナミの呻き声と、ナミに誰かいることを伝えるウタの軋む声。

ペラリ

そして、ウタの本をめくる音と衣擦れの静音だけだった。


「キィ」


決して、看病の暇つぶしで読書をしているわけではない。むしろ、必死に治療の痕跡を探している。

過去の船乗りたちが書き記した冒険譚に同じ病気の対処が載っていないか、治せないまでも症状を緩和する方法があれば。暗闇でも"見える"ようになってきたボタンの眼を必死に使い、読みふける。

だが‥‥。


「キィ‥‥」


この本も空振りだった。

無念がのしかかるかのように肩を落とし、トストスと静かに歩いて本棚に戻す。

ガープに貰った海軍本部でも使う訓練用の医学書を、ウタは隅から隅まで読み尽くした。

止血・気道確保・嘔吐下痢の処理、壊血病の対応に始まる基礎栄養学まで。知識をためこむのみならず、フーシャ村にいた頃から無茶をしたがるルフィに付き合ってたこともあり、実践経験も十分。

一味の中では、ウタは現時点で最も医学知識のある船員といってよかった。

だが、やはり応急処置の域を出ることはない。超一流のコックが手を尽くして食事療法を施し、それでも治らない。

ならば"医者"の知識が要る。


『ウタ、頼んだぞ。なんとかナミを医者に診せるまでもたせてくれ』


ルフィにかけられた期待が、ウタに重くのしかかる。


「ぅ‥‥はぁ、はぁ‥‥あつぃ‥‥」


祈るような気持ちでナミのベッドに潜り込み、彼女の脇から体温計を取り出してみたが‥‥表示されていた体温は、とうとう40℃を示すまでになっていた。

もたせるどころではない、悪化し続けている。


「キィ‥‥」


ヒトであれば、オモチャでなければ。医者としてナミやみんなの役に立てたのだろうか。


「キィ」


考えても意味がない。そんな弱音を吐く暇があるのなら、人形だろうと今できることをすべきだ。

今一番弱音を吐きたいのは、ナミなのだから。

上がってしまった熱を冷ますために、額のタオルを取り換えようとすると、虚ろな目をぼんやり見開くナミと眼があった。


「ぁ‥‥」

「キィ」


大丈夫、寝てて。

そう伝えるように元気よく頷き、ナミも空元気の笑顔をみせた‥‥ように、みえた。


「ベルメールさん‥‥おもちゃ、かってくれたんだ‥‥」

「キィ?!」

「ノジコのおさがりじゃない‥‥でも、うれしがっちゃダメだよね‥‥びょうきだもん‥‥」

「キィッ!!」


ナミが抑揚のない声と涎を垂らして、瞳の中がゆらゆらと揺れている。

両方の手で抱きしめてこようとする仕草は、まさしくかつてルフィに名付けてもらったときのような、子供独特の優しさ。

ウタは心の血相を変えた。

仲間にオモチャ扱いされたことではない、"仲間のことがわからなくなるまで意識が混濁している"と思しき病態に、恐怖が止まらない。


「キィ!キィ!!」


お願い、眼を覚まして。

ぺしぺしと布の手でナミの頬を叩く。


「あれ‥‥?このオモチャ‥‥うごく‥‥?ふし、ぎ‥‥」

「キィ‥‥!!」


お願いだから、正気に戻って。

ナミの意識に気付けするためなのか、自分のトラウマから逃げるためなのか、もはや区別がつかない。

必死に、心を守るために、仲間へうったえかける。


「キィ!!」

「ウ‥‥タ‥‥‥?」


想いが通じたか、それともいつもお手入れしていた布の感触が記憶を呼び戻したのか。

少しだけ、ナミの瞳の揺れがおさまった。


「キィ」


そうだよ、ウタだよ。


「まだ、朝、じゃない……?‥‥ぁ‥‥ごめんね、抱っこしたままじゃ、タオル、取り替えられないよね‥‥」

「‥‥キィ」


何事もなかったかのように、ナミはここ最近よくみせる申し訳なさそうな苦笑いを浮かべていた。

ナミに合わせるかのように、ウタも「大丈夫、病気だから仕方ないよ」という風に首をふるふると振る。


「キィ」

「うん‥‥わかった……寝てる……」


「まだ寝てて」。

かつてシャンクスにやってもらったような手の動きで頭を撫でると、ナミは少しだけ気が緩んだ笑顔をみせて、高熱で眠り切れない苦しみに沈んでいく。

寝入ろうとするのを確認して、様子がおかしくなってないのをしばし観察してから、ウタはひとまず女子部屋をあとにした。


「‥‥さびしい‥‥ウタ、ビビ……ぉ、ねがぃ‥‥ルフィ‥‥‥‥ごめ、ん……」


「キィ」

ナミが漏らしてしまった呟き。きっと誰にも聞かせるつもりはなかったろう。

けれど鋭敏になってきたウタの感覚が、ナミの寂しさと心細さを拾った。拾ってしまった。

心が引き裂かれそうな共感でウタは足が止まりそうになりながら、ウタはなんとか冷やしタオルを用意していた──。


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(わからないんだよね、結局。私のことがわからなかったの、ねぼけてたのか、病気のせいなのか)


ウタはドラム島出国後にケスチアの症状を調べてみたが、幻覚が見えるということは書いてはいなかった。

しかし、高熱でうなされて記憶が混濁するのは、熱病であれば共通したことといえる。深夜で寝ぼけていたのなら、なおのこと人形姿だったウタを認識できなくなっていても、おかしくはない。

おかしくはないけれど、病気だろうがなんだろうが、絶対に自分のことを忘れてほしくない。

だから、ゾウで再会したときにウタはナミへ洗いざらいブチまけて「忘れないで」とワガママをいうことだってできたし、

なんだったら今からでもチョッパーに確定診断をあおぐことができた……できたのだが。


(寂しそうだったもん、あのときのナミ)


母を「ベルメールさん」と呼び、孤独のなかでルフィたちに縋るナミの心細さが、痛いほど心に刻まれている。

誰よりもウタがその寂しさを知るからこそ、結果的にナミを責めることになるかもしれない真似はできなかった。

いたずらに、お互いの心を傷つけるだけだ。

いつもルフィがやっている気遣いが、少し変わったもの。

話したくないことは無理に聞き出さないのと同じく、話すべきではないことは無理して話すべきではない。


「くれはさん風にいうなら‥‥この病気(ハッピー)、忘れないよってカンジだね」


麦わらの一味の通信士にして、非常勤看護師・ウタ。

彼女の中には、海の底までもっていく秘密と決意が眠っている。

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