ゲヘナ編 6話

ゲヘナ編 6話


「誰です…!?」


突如現れた乱入者にいち早く反応し、銃口を向けるジュリ。

しかしアルは全く動じず、余裕をもってジュリに言葉を投げかける。


「やめておきなさい。貴女、実戦経験も殆ど無い素人でしょ。」

「構え方、身のこなし、状況判断…どれを取っても三流以下よ。」


「…貴女は私の敵ですか?」


「半分は正解といったところかしら?」


アルの返事を聞いたジュリは逡巡することも無くそのトリガーを引く。

普段の心優しい彼女をよく知るフウカからすれば、有り得ないことだった。


「ハルカ、」


アルが一声呼びかけると同時に、彼女の前に黒い陰が突如として躍り出る。

そして既に放たれていた弾丸は黒い陰に轟音と共に着弾した。

先程フウカを吹き飛ばした実績もある高威力のショットガン。

その銃弾は黒い陰諸共に乱入者たちを容易く吹き飛ばす、はずだった。


「嘘…!?」


黒い陰こと、伊草ハルカは顔色一つ変えずに平然とそこに立っていた。

その身だけで弾丸を弾き、殺意の籠った鋭い眼光をジュリに向けている。

いくら神秘を持つキヴォトスの人間と言えど、他と一線を画す異質な頑強さだった。

ジュリはその頑強さへの驚愕と自らに向いた殺意に硬直し、致命的な隙を晒す。

その隙をみすみす見逃すハルカではなかった。


「…!」


ハルカは距離を詰めるべくジュリに駆け出す。

ジュリは慌てて三連装の最後の一発を放つべく、ショットガンを構え直した。


「づっ!?」


だが放つことは叶わなかった。

アルがそのスナイパーライフルをもってジュリの手の甲を撃ち抜いたのだ。

その隙に目の前まで接近していたハルカは、ジュリのショットガンを掴み手前に引く。

銃を握りしめ直していたジュリは体勢を崩され、ハルカは無防備となったその胴に膝蹴りを叩き込んだ。


「かはぁ…っ!!!」


肺の空気を全て吐き出して呻くジュリ。だが、ハルカの手は止まらない。

ジュリのショットガンを奪い取った勢いのまま投げ捨て、ジュリの背後に回り込む。

そのままジュリの頭を抱え込む様に両手でしっかりと掴み、回転させるように力を込め──


「やめなさい。」


アルが待ったをかける。先程の呼びかけは行動を起こさせるためのものではない。

いつも”やりすぎて”しまうハルカを制御するためのものだ。

あのまま放置していれば、ハルカはジュリの首の骨をへし折っていただろう。

止められたハルカはジュリの膝裏を蹴りつけ、その場に跪かせる。

そして乱雑に前髪を掴み、ジュリの顔を上げさせた。


「い”っ!?」


「ハルカ。」


「…いいんですか?」


ハルカの中では凄まじい怒気が渦巻いていた。

敬愛するアルに銃口を向けた挙句、引鉄を引くなど言語道断。

ましてや、自由にさせるなどあり得ないと。

承服し難い命令に、アルの顔色を伺う。


「…。」


アルはハルカの目を見ていた。

その視線は特段変わったものではなく、感情が籠ったものでもない。

ただそこにはハルカに対する信頼と、強い意志だけがあった。


「…わかりました。」


渋々といった様子でジュリの前髪から手を放すハルカ。

アルはため息を一つ吐き、目を白黒させているジュリに再度語りかける。


「少し、お話をしましょうか。私は陸八魔アル。」

「貴女は牛牧ジュリさん…だったかしら?」


アルが目配せをすると、後ろで控えていた鬼方カヨコが小さく頷く。

その隣で退屈そうにしていた浅黄ムツキは、ジュリに歩み寄りながら口を開いた。


「そして私達は『便利屋68』。」

「今日は~、そこのアルちゃんが”気に入らないモノ”をぶっ潰しに来たの♪」

「その前に腹ごなしでも、と思って寄ったんだけどぉ…」


ムツキは跪くジュリの横に立つと、嗜虐心に満ちた様子で見下ろす。

そして漸く落ち着きを取り戻してきたジュリの耳元で囁いた。


「まさかその、”砂漠の砂糖”を使ってるなんて、ねぇ?」


「ッ!」


ムツキの言葉にジュリの心臓が跳ねる。これは遠回しな脅迫だ。

先程の攻防で彼我の実力差は明確化された。その上での敵対宣言。

それが意味するところは、一方的な蹂躙に他ならない。

事ここに至って漸く、ジュリは己が命運が目の前のアルと呼ばれた少女の手中にある事を悟ったのだ。

そして背後にいるハルカからは未だに殺気をぶつけられており、真横にいるムツキもまた微笑を浮かべてはいるが、その目は一切笑っていない。

状況を把握するほど、ジュリは全身から血の気が引いていく感覚を覚えていた。


「すごいよね~”砂漠の砂糖”。どんなものでも美味しいしか言わなくなる魔法の粉!」

「ブラックマーケットでも、アレのおかげでシノギを失った連中がわんさかいたよ~。」

「あんなのをばら撒くなんて私達よりワルじゃん♪アウトローの才能あるよ?」


「ムツキ、話が進まなくなるから挑発しないで。」


おどける様にジュリを挑発するムツキをカヨコが諌める。

ムツキはつまらなそうに生返事をすると挑発を止め、ジュリを見下ろしながら告げた。


「で、どうオトシマエつけるの?」


「ぇ…」


先ほどとは打って変わった低いトーンの声が脳を揺らす。

走った怖気で思わずムツキの顔を見上げる。そこには先程までの微笑はどこにもない。

感情の一切を削ぎ落とした様な無表情で、ムツキはジュリを見ていた。

ジュリは青ざめ、震えていた。

自らの責を問う重圧は、さながら粘度の高い液体の中にいるかの様に途方も無く重く、纏わりつく様に感じる。

否が応でも、自らの凄惨な終わりを想起させられていた。


「待って…!待って下さい!」


その緊張を破ったのはこの上無く聞き覚えのある声だった。

そう、先程自らが痛めつけた先輩であるフウカだ。


「罰なら、私が受けます…!私は給食部の部長です!監督責任は、私にあるはずっ!」


フウカは肩で息をしながら、よろよろと立ち上がっていた。

その表情はしかめ面で、全身至る所に走る痛みを堪えているのだろう。

満身創痍という言葉がしっくりとくる様子だが、フウカは声を張り上げる。


「ジュリは、本当は優しい子なんですっ…!」

「”砂漠の砂糖”に手を出してしまったのも、私がちゃんと見てあげれてなかったからで…!」

「赦してくれとは言いません…!ですが、私の首で手打ちにしてもらえませんか!?」


フウカの悲壮な覚悟が場の空気を吹き飛ばし、支配していた。

重圧を放っていたムツキは面食らった様子でキョトンとしている。


「…ふふっ、いいわね貴女。ウチに欲しいくらい。」


アルは、フウカの覇気に笑みをもって応えた。

だがその表情を険しいものに戻し、ジュリを見やる。


「でも、私達には確かめなければならないことがある。」

「貴女も隣で聞いていなさい。」


「っ…。」


フウカの願いは聞き入れられなかった。

だが、問答無用で処される訳ではないと知り、一度引き下がる。


「…さて、牛牧ジュリさん。何故、”あんなモノ”に手を出したのかしら?」

「私には、貴女がそんな短絡的な人間には見えない。」


アルが端的に尋ねる。

それに対しジュリはフウカの庇い立てに対する気持ちがあったが、敵愾心が勝り悪態をついてしまう。


「…貴女に私の何がわかるんですか?」


「全てはわからないわ。私は貴女じゃないもの。」


ジュリの問いにアルは素っ気なく返す。

だが、フウカを一瞥すると確信を抱いている声音で更に告げた。


「でも、貴女が貴女の在り方から外れてしまっている事だけは、わかる。」

「貴女は今、心から望んでこの状況にいるのかしら?」


その強い意志の籠る言葉を聞き観念したのか、ジュリはぽつりぽつりと話し始めた。


「最初は…藁にも縋る思いでした。」

「味見がてらに失敗作に振りかけてみたんです。そうしたら、とても美味しくなって…」

「何度か試してみたら砂糖を入れたものだけが、美味しく出来上がっていたんです…」


「…貴女自身も食しているのなら、依存性にはすぐに気づいたはず。」

「何故やめなかったの?」


続く問答で、ジュリの声に次第に熱が籠り始める。


「”美味しい”と…生まれて初めて心から言って貰えたからです…」

「何度やっても…分量から時間まで、レシピ通りにやっても!」

「私が!何か手を入れた瞬間に料理は変質してしまう!」


更にその声が涙声に変わる。


「試行を重ねていく内に、何度もその理不尽な結論に行き当たるようになった!」

「回数が増える度に、その理不尽を否定する材料が無くなって怖くなった!」

「もう私は生涯、まともに料理を作れないのだと絶望しかけていた時、”砂漠の砂糖”に出会ったんです…!」


遂には、嗚咽が混じり始めた。


「だからもう…これしかないと、グスッ、思ったんです…」

「依存性があれど…私が…厨房に立つ者で、あり続けるには…こうするしかないのだと…!」


それはほんの小さな切なる願いを否定され続けた少女の悲痛な叫びだった。

そこに垂らされた一本の救いに見せかけた糸。

その糸の続く先が冥府だと知らず、少女はその糸を掴んでしまっただけだったのだ。


「…本当に知らないのね。」

「貴女には悪いけど、現実を見てもらうわ。」


アルはどこか悲し気に告げるとカヨコを見やる。するとカヨコはジュリに資料を手渡した。

その資料とはカヨコがまとめた”砂漠の砂糖”の作用、及び、副作用についてだった。

ジュリは涙を拭いながらその資料に目を通していく。

そしてその場に放心状態で完全にへたり込んでしまった。


「貴女は”砂漠の砂糖”を供給する側だったから、不足無く服用できて心身が安定していた。」

「故に、”砂漠の砂糖”の依存性しか認識していなかった。」

「だけどこの”砂漠の砂糖”は、一度服用した者がある程度服用を絶つと、”禁断症状”が生じるのよ。」

「その様子は…そこの部長さんに聞いた方が早いでしょうね。」


「わ、たしは…なんて、ことを…!」


「…私は”砂漠の砂糖”が、心底気に入らない。だから潰すと決めたの。」

「そのためには情報が必要。貴女が知っていること…教えてくれるかしら?」


「はい…」


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「ありがとう、おかげで情報が全て出揃ったわ。」


ジュリは洗いざらい仕入先や作ったスイーツの納品先などの知っていることを話した。

カヨコの表情を見るに、ジュリの持っていた情報は十分に有益だったらしい。


「…良い先輩に恵まれたわね、大切になさい。」


アルが最後にそう言い残し、『便利屋68』は撤収していった。

その後ろ姿が見えなくなった途端、ジュリは大粒の涙をぼろぼろと零し始める。

先ほどまでの激情では無く、強い自責の念からくる後悔の涙だ。 

その痛ましい姿を見かねたフウカが、ジュリをそっと抱き寄せる。


「ジュリ…」


「ごめんなさい…ごめんなさい、ごめんなさい…!」


「…皆に謝って、もう一度頑張りましょう?私も側にいるから…」


フウカの胸を借り、ジュリは泣き続けた。


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「…まるで正義の味方みたいだったけど、あれで良かったの?アルちゃん。」


幼馴染であるムツキはアルに尋ねる。

ムツキの知る陸八魔アルという少女は変にアウトローに憧れているのだ。

だというのに、今回の立ち回りは正義の味方そのもの。だからこそ良かったのかと問う。

そしてその問いにアルは答える。


「正義の味方?まさか。私は、私の信条に従ってこれからまた暴れに行くだけよ。」

「信じるが儘に行動出来ないアウトローなんて、情けないことこの上無いわ。」

「それに…」


「それに?」


一呼吸置いてアルがムツキに笑いかけながら語る。


「こういう時に動かないのが、ムツキの中の私なのかしら?」


──ああ、やっぱりこの子はこうだから、共に居て楽しいのだ。

ムツキは改めてそう感じ、笑みをもって返す。


「ううん、アルちゃんはそうでないとね!」


「…まぁ、社長らしくていいんじゃない?」


「はい、アル様は最高です…!」


カヨコとハルカも続く。

そう、彼女だからこそその先にどんな苦難があろうとも皆が付いていくのだ。


「さあ、ここからが本番よ。」

「いつも追いかけ回されてるヒナに、こっちから会いに行ってあげましょう!」


アルは死地への進撃を軽快に、そして声高に告げる。

『便利屋68』の面々は、皆一様にその目に覚悟を宿していた。


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