ゲヘナ編 2.5話

ゲヘナ編 2.5話


「ブラックマーケットの新しいスイーツ店?」


「ええ、かなりの安価なのに高級スイーツ店を上回るほど美味しいと。」

「美食研究会としては行かない手はありません!」

「というわけで、ジュンコさんも如何ですか?」


目を輝かせて語るハルナ。

趣味であるグルメ巡りのためにバイトまでしているのだ。

私にとって非常に魅力的な話で、行かない手は無かった。


「しかも食べ放題まであるという話です。」

「在庫を全部平らげてしまいましょう☆」


「私も行く~!」

「あ、こないだまた私を見捨てて逃げたんだから奢ってよね!」


続くアカリとイズミ。二人も実に楽しみにしている様だ。

特にアカリは食べ放題の情報でより気合が入っていた。

大抵の食べ放題は材料費や手間のかからない、言ってしまえば低品質のものが並ぶ。

それが元々値が張りやすいスイーツな上、前評判で高級店並と謳われているのだ。

健啖家のアカリからすれば堪らないだろう。


話は弾み、期待はドンドン膨らむ。

だが、私は苦虫を嚙み潰したような表情で告げた。


「うぐぐ…行きたいけど今日家に水道屋さんが来るから行けない…」


私は不運で食べ物にありつけないことが多い。

だからだろうか、この時もそうだった。

前日に自宅の水道管が近所の銃撃戦の流れ弾で破損し、その修理の立ち合いがあった。


「あら、残念ですわね。美味しければお土産は買ってきますわ。」


同行出来ないことを惜しみながらも柔らかく微笑むハルナ。

なんてことの無い、いつもと同じ美食研究会での会話だった。


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「あ、イズミ!こないだの店はどうだったの?」


数日後、イズミを見つけて声を掛ける。

しかしその反応は良くはなかった。


「あー…あれね。会長とアカリは気に入ってたんだけど…」

「なんか砂っぽくてこっそり吐き出しちゃった。」


「ふーん…。そう言えば二人は?」

「私もせめてお土産食べたいんだけど…」


ゲテモノ食いのイズミに気に入られないとは珍しいと驚く。

しかし、少し面食らいながらも私は土産の心配をしていた。

食べる量は敵わないが、食い意地では負けるつもりは無いからだ。


「今日も朝一からあの店に行くって言ってたよ。」


「え…?」


二人がこんな短期間で再度同じ店に行くと聞き驚く。

彼女らは自分たちの中でも美食に対する意識が高い。

仮に最高の美食を見つけたからと言って、そこで立ち止まる様な輩ではないのだ。

あの二人なら次なる美食を探しに行くか、見つけた美食を更に良いものにするために行動するだろう。

だが、イズミの反応を見ると考えられる解は一つだった。


「吹っ飛ばす感じ?​」


「さあ?まあ私としてはあの店なら別にいいかなーって。」


気に入らなかった店の顛末等どうでもいいと語るイズミに、美食研究会らしい倫理観の無さだと呆れる。

しかし、迸る閃光と立ち上る爆炎を想像すると少し面白く思えてくる。

あの二人が吹っ飛ばしたのならその程度だったということだ。

無駄金を使わずに済んだとどこか安心までしていた。


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「やっと見つけた…!」


「…何ですかジュンコさん。私たちは先を急ぐのですが?」


「どうもこうもないわよ!」


イズミと話してから一週間。

ハルナとアカリは私たちの前に全く姿を見せていなかった。

流石におかしいと思い、二人を探していたのだ。


「最近どこに行ってたのよ!全く姿が見えないし…!」


荒ぶる感情のままに吼える。

見れば二人ともが顔色が悪く、目の下に薄らと隈をこさえている。

そしてどこか苛立った様子だった。


「以前お伝えしていた、ブラックマーケットのスイーツ店です☆」

「長話はまた今度でお願いします。」


「早くあの店のスイーツを堪能したいのです。」

「話なら帰って来てから聞きますので…。」


何かに急かされるかの様に会話を終わらせようとする二人。

やはり異常だ。これまで味わったことの無い並々ならぬ悪い予感を感じる。

このまま放置すれば大変な事になるという、確信めいた予感だった。


「…その店、行くのやめなさい。」


声の震えを必死に抑えて言葉を紡ぐ。


「…はい?」


「何をおっしゃって…?」


「行くなって言ってんの!」


空気が張り詰め、凍りつく。

静寂の時間はその実数秒にも満たないはずであるのに、私にはとても長く感じた。

そしてその静寂を破ったのはハルナだった。


「…私達の邪魔をする、ということでよろしいでしょうか?」


ゆっくりと、だが確実に怒気と殺意を纏った言葉を聞き、私の思考は完全に停止する。

ハルナの表情は感情が抜け落ちた能面の如き真顔になっていた。

アカリに至っては既に愛銃の引き金に指を掛けている。

今、目の前にいる二人は本当に私の知る二人なのかがわからなくなった。

姿形は見知ったものでも、その中身が得体の知れないものに思えてならないのだ。


「───」


もう、声が出なかった。そうだ。私は怖気づいたのだ。

冷や汗が止まらず、頭が荒波に揉まれているかのように揺れる感覚を覚える。

学内でも間違いなく強者の部類に入る二人からの敵意が、

こんなにも恐ろしいものだとは思っていなかった。


「…今の発言は聞かなかったことに致しましょう。」

「肝に銘じなさい。」

「私の道を阻むのであれは、誰であろうと容赦は致しません。」


「ジュンコさん、頭冷やしてくださいね?」


そう告げると二人は踵を返した。

私は二人の背に手を伸ばしきる事も出来ず、その場に立ち尽くしていた。

この瞬間を、二人を止める最後の機会を、逃す手は無かったというのに。


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そして、あの日───


「アカリッ!大丈、夫…?」


幽鬼の様に薄汚い路地にもたれながらふらふらと歩くアカリを見つける。

流石のイズミも心配になり、二人で手分けしてハルナとアカリをもう一度探していたのだ。

だが、様子が以前見た時より一層おかしかった。

アカリは潔癖症だ。それも普段から手袋を嵌め、衣類も未開封品をいつも所持する徹底的な。

そんな彼女がこんな汚い場所で、しかも壁に体をこすりつける様に歩くなどあり得ないのだ。

その理由は振り返ったアカリの顔を見た瞬間に理解した。


「ッ!?」


その瞳は何も映さず、常時揺れ動いていた。焦点が定まっていないのだ。

ロクに寝ていないのか目の隈も濃く、鼻からは血をダラダラと垂れ流す。

口はだらしなく半開きのまま、涎が端から垂れていた。


「ぁはあ…♪」


「ッ!?痛ァ"!!」


あまりにも酷いその姿に絶句しているとアカリは私の腕に嚙みついてきた。

理解できない。何が起きているのか。どうしてアカリがこんなことになっているのか。

何もかもが理解できなかった。理解できるのは嚙まれている腕から伝わる激痛だけだ。


「アカリィッ!やめてッ痛い痛い!ああ"っ!」


堪らずアカリの鼻っ柱を殴りつけ、腕から離す。

するとアカリはこちらを敵と認識したのか、アサルトライフルを乱射し始めた。


「うぐうううあああああああああ!!!」


「アカリ!暴れないでっアカリィ!!!」


破壊を齎す鉄と爆炎の荒らしが一帯を襲う。

屈みながら腕で致命打を防ぎ、鈍痛を耐えていると突如弾幕が止んだ。

その事に気づいた時にはもう、遅かった。


「きひィ…!」


顔を上げた目と鼻の先に、アカリの顔があった。


「ごっ…!!!」


アカリの膝蹴りが顔にクリーンヒットする。

カチ上げられた頭の勢いそのままに、仰向けに押し倒される。

背中に倒れた際の衝撃を感じたのと同時に、首元にアカリの指が這っていた。

そして───


「カッ…!!!ケヘッ…ア…!!!」


ギリギリと絞められる細めの首。呼吸の一切が出来ず、頭が窒息感に満たされる。

同時に骨がミシミシと軋む音まで聞こえてくる。どう考えても普段のアカリが出せる力ではなかった。

あまりの苦しさに涙がボロボロと流れ落ちる。

窒息が先か、首の骨が砕けるのが先か。どちらにせよ、明確に迫るものがあった。


「…シ…タ…イ…‼」


それはヘイローの破壊、即ち"死"だった。それを認識した瞬間、私は完全に恐慌状態へと陥っていた。

嫌だ!死にたくない!まだやりたいことも、食べたいものもたくさんあるのに!

そんな心の叫びを表現する余裕は、今直面している現実のどこにも存在しなかった。

視界に映るアカリの顔に理性は欠片も存在していない。

彼女がこの手を止めてくれる可能性は万に一つも無いだろう。

自身の終わりを悟り、意識が朦朧としてきたその瞬間だった。


「ジュンコッ!!!」


聞こえた自分の名を呼ぶ声。

アカリの側頭部に機関銃が棍棒の様に打ち据えられ、その身体が吹っ飛ばされるのが見えた。

鬼気迫る表情でそこにいたのは、別行動中だったイズミだった。


「がはっごほっごほっげぇっ…!」


「大丈夫ジュンコ!?ここは私に任せて逃げて!」


機関銃を構えたまま、倒れ伏している私に声を掛ける。

吹っ飛ばされたアカリはいつの間にやらアサルトライフルを構えて立ち上がっていた。

ギラギラとした笑顔が、今まで見たどんなものよりも恐ろしかった。

場をイズミに任せて這う這うの体で離れる。後ろからは銃声と爆音が轟いていた。


「ひぐっ…ぐすっ…!」


泣きじゃくりながら母校に続く薄暗い路地を小走りで一人駆ける。

このキヴォトスという場所で感じる事がほぼ無いはずの"死"の恐怖。

あまりにも強烈なそれは、未成熟な心に大きな罅割れを起こすには十分だった。

そんな時に幸か不幸か見つけてしまった。美食研究会の会長である黒舘ハルナ、その人を。


「ハ、ハルナぁっ!アカリが、アカリがぁ…!」


喉の痛みを堪えて振り絞った声。

それが届くと同時に一瞬でスナイパーライフルの銃口が私に向くのが見えた。


「…えっ!?」


マズルフラッシュの奥、そこにはアカリと同じ瞳があった。


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「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…!!!」


「ジュンコ!大丈夫、大丈夫だから!」


「過呼吸…!?落ち着いて!息を吐くことを意識してください!」


胸が痛い。息苦しい。心音がやけに早く、大きく聞こえる。

周りから声らしき音が聞こえるが、構う余裕なんてない。

ここはどこだろう?『ゲヘナ風紀委員会』本部内にいたはず。

イズミがいて、チナツがいたはずなのに。

目が回って自分がどこにいて、どっちを向いているのか、

何をしているのかすらわからない。

あと、とてもきもちがわる──


「う"ぇっ、ええええ…」


あぁ、吐いてしまった。でももう片付け出来る力も残ってない。

私の意識は暗闇に沈んでいった。


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