ゲヘナ編 2話

ゲヘナ編 2話


「…これで終わり?」


「はい、そのはずです。」


高温と白煙を上げる機関銃を小柄な体躯で軽々と振り回し、並み居る不良を薙ぎ払う。

そんな芸当を日々熟せる人を私、甘雨アコはキヴォトス広しと言えど一人しか知らない。

敬愛する『ゲヘナ学園風紀委員会』の委員長、空崎ヒナだ。


「お疲れ様でした、では戻りましょうか。」


最近の委員長は絶好調だ。浴びせられる銃弾をものともせず、不良達を殲滅している。

その上書類の処理速度も上がり、理由はよくわからないが万魔殿からの嫌がらせも減っていた。

おかげでかつてないほどに私達の睡眠時間は確保できるようになり、委員長の顔色も良好だった。

元気な委員長の姿を見れて、私も非常に気分が良い。


「ええ。…アコ、甘めのコーヒーが飲みたいわ。淹れてくれる?」


委員長が私に給仕を頼む。実はこれが最近の密かな喜びだ。

以前、温泉開発部のカスミが独房から脱走する際に、給湯室が爆破される憂き目に遭った。

冷蔵庫やシンクは全損。コーヒーメーカーから調味料に至るまで全て新調するハメに…。

万魔殿に予算を減らされていたこともあり、安物で新調したのだがこれが意外にも良かった。

委員長は新調後のコーヒーを甚く気に入り、飲んだ際には笑顔までくれる様になったのだ。

だからこそ私はその依頼を快諾する。


「はい、喜んで♪」


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「アコ、もう一杯コーヒーを淹れてくれる?」


「ふふっ、寝付けなくてもなっても知りませんよ?」


執務室に戻って書類が粗方片付いた頃、穏やかな時間が流れていた。

自分の淹れたコーヒーを委員長が幸せそうに飲む。

夢のような時間。私は幸福の絶頂にいた。

普段の激務でしかめっ面が多い委員長の幸せに自分が貢献出来ているのだ。

日中の疲れなど吹き飛ぶというものだ。

そんな時、執務室のドアがノックされる。


「委員長、行政官。報告と御相談が…」


「どうぞ。」


いつも通りイオリが報告に訪れた。しかし何やら険しい表情をしている。

その理由は報告の内容で明らかになった。


「美食研究会が壊滅状態!?…どういう事です?」


「それが…」


黒舘ハルナと鰐渕アカリの両名が意識不明の重体。

残るメンバーの獅子堂イズミは健在。

しかし、赤司ジュンコのメンタル面に重大な問題が発生しており、

イズミが付き添っているとの事だった。


「…何かの間違いでは?」


「私が現場に居合わせました。間違いないです。」


思わずその真偽を問うてしまう。

何度叩き潰しても何食わぬ顔でテロ活動を続けていた連中なだけに、素直に受け入れられなかった。

少し呆けているとイオリの言う相談内容が告げられた。


「…それで御相談なのですが、第二校舎の生徒を中心に事情聴取という形で調査を行いたいです。」


これは最近の第二校舎の生徒の事件率の件だ。

美食研究会の壊滅の件と関連性があるとイオリは考えているのだろう、と思考を巡らせる。

しかし、委員長はイオリの提案をあっさりと却下した。


「不許可よ。」


「な、何故です!?」


思わずイオリは食ってかかる。気持ちは少し理解出来る。

これは静観を指示している事と同義だからだ。

イオリからすればもどかしい事この上ないだろう。

そんなイオリに委員長は粛々と問いを投げかける。


「イオリ。」


「は、はい…」


「私たちは"何"?」


「…『ゲヘナ学園風紀委員会』です。」


「貴女は何?」


「その実働部隊です。」


委員長は満足気に頷き、優しく諭す様に告げる。


「わかってるじゃない。実働部隊の仕事は風紀を乱す者を取り締まる事。」

「ただでさえ処理する件数が多いのだから、調査は情報部から上がって来るものを待ちなさい。」


「ですが…」


イオリの気持ちはわかる。だがそれは実働部隊員としての気持ちだ。

『ゲヘナ風紀委員会』として見れば些か問題がある。

しかしイオリはそんなに物分りの良い方では無いが故に、小さく反発した。

瞬間、委員長から怒気が滲み出る。


「分かり難かった?"仕事を増やさないで"って言ってるの。」

「貴女が最優先で行うべきは、発生した事件の鎮圧と処理。」

「恨みを買うことが日常茶飯事の私たちが、下手に動いて刺激するべきじゃない。…違う?」


「…いいえ。」


やや早口に捲し立てられ、イオリは意気消沈してしまった。

その様子を見ると委員長はその怒気を沈め、再び柔らかな態度でイオリの退室を促した。


「分かってくれて嬉しいわ。」

「お疲れ様。古巣だし情報部には私から言っておくから。」


イオリの退室を見送った後、私は驚愕していた。

委員長の論は正しかった。私としても行政官としてその意見に賛同する。

しかし一考の余地はあるにも関わらず、委員長の判断はあまりにも早かった。

それに、ここまで強く言う委員長は初めて見たかもしれない。


「…何か情報部時代にお嫌な事でもありましたか?」


野暮だとわかっていても思わず尋ねてしまう。

しかし委員長はコーヒーを一口飲むと何てことの無い様に返した。


「いいえ?イオリにはちゃんと役割を全うしてもらいたい、それだけよ。」


「…そうですか。」


その心はわからず仕舞いだった。まあそういう日もあるのだろうと納得する。


「ふふっ。しかし、良いこともあるものね。」


「…え?」


不意に微笑む委員長。普段、その微笑みは私の心を癒す。

だが今の状況では違和感があり、思考が一瞬停止する。

そして続いた言葉に私は戦慄した。


「美食研究会の壊滅よ。これで仕事も減るし謝罪行脚も減る。」

「いい気味だわ。ふふふっ、アコも嬉しいでしょ?」


いくら相手が美食研究会だとは言え、委員長はこんな風に"嗤う"人だっただろうか。


「っ、そ、そうですね…!」


私は引き攣った笑顔をもって返すしかなかった。


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