ゲヘナ学園風紀委員会一年生アーミヤ
威圧的な軍服の女の向かい、小柄な少女がソファの上で背筋を伸ばしている。
剣呑な視線を真っ直ぐに見つめ返す少女の頭にはウサギの耳が伸びており、禍々しい王冠のようなヘイローが浮かんでいる。
「マコト議長、先日の正義実現委員会とのトラブルの件ですが……」
「はっ、アレはおぞましい巨大兵器を持ち込んだあちら側の落ち度だ!」
「……報告によると正義実現委員会の副委員長は体型に関する侮辱を受けたそうです。事実でしょうか?」
「キキキ……言うだろう。正義実現委員会のトップである剣先ツルギはトリニティの戦略兵器だと。名は体を表す、そう扱ってやったまでのことだ」
「…………つまり、人違いの上意味不明な難癖をつけて追い返したと。条約の調印直前のこの時期に。そういうことですね」
「むっ……ヒナのお気に入りだか知らんが細かいことを……ええい! イロハ!」
「やめた方がいいですよ、マコト先輩。だって───」
「今の時間なら風紀委員長が要請から3分以内にはここに到着できます。そうなっても良いのであれば受けて立ちますが」
「ほら」
「ぐっ……!」
「……正義実現委員会に関してはこちらで正式に謝罪のメッセージとお詫びの品を送っておきます。受け取っていただけるかは分かりませんが、あちらも今の時期に不用意に事を荒立てることはないでしょう」
少女───ゲヘナ学園風紀委員会一年、アーミヤは席を立ち、にっこりと笑う。それはぞっとするほどに温度のない、議論を打ち切る為の笑みだ。マコトの反応をものともせず、つかつかと歩き扉に手をかける。
「それでは……引き続き、よろしくお願いしますね。マコト議長」
閉じた重い扉に寄りかかりながら、アーミヤはゆっくりと息を吐いた。
たとえるならランタンを片手に火薬庫の点検をするような……そういう感覚。強気な進行をしつつも主導権を握れなかったことを悔やんだ。本来であれば先ほどの件に合わせて不正な支出に関する糾弾を行うか、もしくは───ミレニアム風に表現するのであれば超能力に近い───アーミヤの能力によって秘密裏に尋問を行うつもりだった。しかし裏表のない羽沼マコトが感情的になっている状況で、アーミヤの精神干渉はうまく作用しない。結果的に言えば、これは煙に巻かれたようなもの。
「……一人で乗り込むのはやめなさいと。言ったでしょう、アーミヤ」
廊下の窓際から呆れ混じりの声がかかる。
アーミヤが目を向ければ、そこには白い髪をたなびかせたゲヘナの風紀委員長……空崎ヒナが立っていた。兎耳の少女はぴんと背筋と耳を正し、向き直る。
「っ、ヒナ委員長!? ……今は校外の治安維持活動に出ている筈では?」
「アコから報告を受けたのよ。だから手早く終わらせて、急いで戻ってきた」
「……すみません。手を煩わせてしまって」
「いいの。……本来ならアレの扱い方を知ってる私がやっておく仕事なんだし。それよりも自分の身を大事にしなさい」
「お気遣いありがとうございます。でも……委員長一人に頼っていては、ゲヘナ学園が抱える問題の根本的な解決は出来ません」
「……あなたの青春を過ごす時間を、治安維持の仕事にばかり費やすわけにはいかないわ」
「でも、それはヒナ委員長も───」
ヒナの端末が鳴る。アーミヤは口を噤んで、どうぞ、と目配せした。画面の通知を確認したヒナが、眉根を寄せて嘆息する。
「何か?」
「シャーレの先生から連絡があった。トリニティ自治区内で騒ぎを起こした美食研究会を引き取ってほしいって」
「……私が行きましょうか?」
「駄目。こういうことこそ私の仕事。拘束されているとはいえ、あの団体の戦闘力は侮れない……本当、忙しないわね。調印式も近いのに」
「でも……大変なのは締結した後です。ETOの運用に関しても実質的に風紀委員会が深く関わることになります。そこで不備があればトリニティ側に意思決定の基準が傾くことにもなりかねませんから」
「……ふふっ、そう。そうね。あなたの言葉、忘れてないわ。調印式がゴールなわけじゃない」
アーミヤが口籠るのに対して、ヒナは柔らかく笑った。……条約の締結によるETOの結成は、言ってしまえば責任の丸投げではないのかと。エデン条約を推進するヒナに対して、アーミヤはそう意見したことがあった。勿論、ヒナの卒業後の風紀委員会を思えばそういった対策を打っておくことは必要であり、アーミヤは後に思い直しヒナの仕事を肩代わりしながら学園内の諸問題の解決に奔走しているのだが……ヒナ自身にとっては、自分の本音に触れるアーミヤの指摘は、むしろ心地いいものだった。だからこそ、こうして重用しながら庇護し、執心しながら───後悔もしている。
「……何もかも落ち着いたら、またあなたのバイオリンが聴きたいわ」
アーミヤは驚いたように目を見開いて、それから困ったように笑う。それからさっと背中側に、指を隠した。見えなくなる寸前、ヒナはその指が書類仕事のせいなのか銃を握っているせいなのか腫れているのに気付いて、ちくりと胸に刺すような痛みを感じた。
「バイオリンは……もう、しばらく弾いてないので。でも、また練習しておきます」
「……楽しみにしてる。ところで、以前伝えたい話は考えてくれた?」
「調印式に出席する件ですよね? ……ヒナ委員長の付き人が、私でいいんでしょうか」
「構わない。いっそ万魔殿に用意されてる席に代わりに座って欲しいくらいね」
「ヒナ委員長、それは……」
「冗談。……私らしくない?」
「……いいと思います」
「ティーパーティーの桐藤ナギサにね、あなたを紹介しておきたいの。彼女もあなたを気に入ると思うし」
「……! は、はい、是非ついて行かせてください!」
先ほどよりもずっと煌びやかなアーミヤの瞳の輝きに、ヒナは言葉を幾つも飲み込んで背を向けた。「……今日はもう戻って休みなさい」と言ってひらひらと手を振る。アーミヤはその背に深々と頭を下げた。お互いの足音が聞こえないほど遠ざかってから、ヒナは窓に映る自分の顔を見つめた。ひどい顔、と、その映り込んだ輪郭に触れる。
角有りではない特殊なゲヘナ生であるアーミヤは、トリニティへの使者として適役だろう。厳格さと詳細さを重視する性格と、まだ一年生という身分もあのティーパーティーのホストには好印象のはずだ。きっとうまくいく。……そうなればもう、アーミヤは自分の立ち位置から降りることができなくなる。自分がやっていることはアーミヤの責任感に付け込んで、自分のような学生の再生産を行うことに他ならない。
ヒナは少しの間端末の画面を見つめて、それから足早に歩き出す。
……私は間違えていないよね、先生?