ケースファイルその5 スワンプマン?
「オレはちゃんと“扉間”を寄越したぜ?」前世の記憶というものの正体は人によって解釈が分かれるだろう。輪廻転生、生まれ変わりを信じる者からすれば、“前の自分”であるし、そういう類を信じない人間からすれば、精神及び脳の異常。或いは、自分の中に別の人格の記憶が生まれる病気の一種と捉えることも可能かもしれない。前世の記憶の実態がどうであれ、マダラは自分の頭の中に自分そっくりな男の記憶が存在していたのは事実だ。
自分そっくりな、というのはマダラの主観であり、仮に他者がマダラの頭の中を詳らかに覗けば、本人だと口を揃えて言うだろう。だが、この自分そっくりなという枕詞はマダラにとっては重要なことであった。スワンプマンという思考実験をご存知だろうか?端的に言えば、本人が死亡した後、本人と記憶から細胞レベルで同じ人間が生まれた場合それは“本人”であるのか、という問題である。今回は単なるたとえ話なので、雷によって死んだ“本人”の情報を持った泥から生まれた本人が如何なる存在で自己同一性とは何かを議論したいわけではない。重要なのはマダラの場合のスワンプマンは、前世の記憶だということ。自分から派生した存在なのか、尻尾に気が付いた猫の如く発見したのかは不明だが、どう否定しても自分の顔をした記憶が頭に潜んでいた。
本来の意味のスワンプマンの場合、死んだという情報がある時点で定義からは外れているが、ドッペルゲンガーというのも正しくない。しかし、マダラの頭の中にしかない、自分ではない、自分の記憶。己という存在の独立性を奪う記憶。前の自分の延長線上に生きていたのかもしれない不安を表すのは己の正体を知らされたスワンプマンというのが正しい。
だが、前世の記憶がマダラにもたらしたのは不幸ばかりではなかった。マダラには扉間という恋人が居る。出会いの話は本筋ではないので省略するが、二人は歩幅が合わないものの上手くやっていると断言していいカップルであった。前世というものを思い出すまでマダラが時折抱く原因不明の奇妙な殺意を除いて。心配した扉間にカウンセリングを勧められ通っていたが、当然現行の精神医学や、心理学が請け負う範囲から外れた事柄由来の感情など対処できなかった。それでも、マダラはある程度カウンセラーに対して敬意を持っていた。誠実であったこともだが、マダラが扉間に抱く殺意も愛も否定しなかったからだ。他にも理由はあるが。
だから、信用して前世の記憶についても話した。彼女は信じられない、という顔をしたが、マダラとしては予想通りであったし、特に傷付きはしなかった。それにマダラの主題は扉間が己のように、強制的に泥人形になることの方が恐ろしかった。いやこれは少しばかり見栄が混じっている。自分そっくりな男が憎んだ“扉間”には“夫”が居た。妹背の仲という言葉があるが、それを兄と弟でやっていた。扉間が記憶を取り戻したとして、その夫の元に帰ってしまわないか、というのがマダラの悩みの本体であった。
嫉妬でもあったし、見え隠れする“夫”の独占欲の強さへの警戒と、扉間という男へ前世で自らが行った仕打ち故の恐怖でもあった。そして、前世の記憶を取り戻したからこそ、気が付いたことがマダラにはあった。自らの家の血脈が祀っていた神。その正体。あれは、“柱間”であると。いや、正確には“柱間”の特徴を持った神だと気が付いたというべきだろうか。長い黒髪、日に焼けた肌、木々を操る力を持ち、白い髪と赤い瞳を持った“妻”か“弟”を持った神。不味い、とマダラは思った。“柱間”は随分と昔に“扉間”と人間の手によって強引に切り離されていた。不当に大事な存在を監禁した時点で確実に“柱間”の逆鱗に触れている。なにより、人間の“扉間”が危ないとマダラは思った。神の実在は自分に前世の記憶があるという時点で居ないと考える方が愚かだとマダラは思っていた。何か探し物をしているとしてそれと全く同じものがあるとしたら、人はどうするだろうか。いわんや神という人には計り知れない価値観を持つ存在は。
マダラは地元にある川のことを思い出していた。行方不明報告が定期的にあり、奇妙な噂がある川。川の噂が間違っていることをマダラは、マダラの家系は知っていた。川は“柱間”の居る森から流れてきている。この川に“扉間”に近しいものを流せば、マダラの扉間は助かるかもしれない。
完全に賭けだった。マダラは爪と髪と偶々手を切ったときに入手した血液を自分の血液を付着させた枝と共に瓶に詰め流した。翌日、扉間は高熱を出した。熱に浮かされた扉間は兄者、としきりに零した。その手をマダラは握り続けた。三日程して熱の下がった扉間にマダラはあることを問いかけた。扉間は不思議そうな顔をして、知らないな、と答えた。どうやら前世の扉間が連れていかれたらしかった。
マダラはカウンセラーに最後の挨拶として扉間と共に顔をだした。前世で“柱間”の孫であった彼女が若干心配だったのと、最終確認だ。思い出していたら、彼女に反応する可能性が高い。扉間は彼女に反応しなかった。それを確認して、マダラは前世の記憶の捨て方を“綱手”に教えた。必要かどうかも、出来るかどうかも知らない。単なるマダラなりの礼だ。