クロスギルド襲来
※クロスギルド時空ですが鰐と駱駝しかいません
※急に始まって終わります
※メルニキ構文
「チャオ、クロはちゃんとご飯食べてる?」
「……」
クロコダイルを“会議室”で待ち構えていたのは、バギーでもミホークでもなく、ここにいないはずの兄だった。二脚しかない椅子の一つに我が物顔で腰掛け、手招きして弟を残りの一つに座らせる。
何故いる、という言葉も出なかった。キャメルはそういう存在だからだ。理由もなく現れてはぎこちない笑みを浮かべ、クロコダイルのテリトリーに侵入している。会議室という名の拷問部屋。足を踏み入れるのはバギーとミホークだけが許されていたというのに、慣れというのは恐ろしい。それでも予期せぬ訪問者自体に、クロコダイルの眉間には皺が寄る。
「新聞見たよ。ふふ、面白いことになっているね」
「アニキは参加するなよ」
クロスギルドによる海兵懸賞金制度。じわじわと社会を蝕み治安の悪化を狙うものだ。それで利を得る闇の組織とスポンサー契約を結び成立させたシステムである。愚民と海兵を疲弊させる、クロコダイル発案の破滅の一手だ。
目の前でロリポップを口に含む男が動けば、混乱と混沌渦巻く間もなく海軍基地がいくつか更地になるだろう。それを分かっていて牽制しないクロコダイルではない。
キャメルは不機嫌だった。ただでさえ、弟に手を貸すことを禁じられているのに、弟の手柄はよくわからない道化師に取られている現状があまり愉快ではないのだ。今すぐクロスギルドを抜けて、私と手を組もうと提案したい。クロコダイルもそれを分かっていて、現状で抜ければ自分の顔に泥を塗るだけだと先手を打っていた。
キャメルは机に足を投げ出す。足が長いのは勿論だが、ただ机が体格に対して小さい為、その仕草すら窮屈に見えた。
『いいかいクロ。机に足を乗せてはいけないよ。品性を疑われてしまう。特に私達みたいな若者は舐められてしまうからね。マナーと礼節を忘れてはだめだよ』かつて、クロコダイルと二人で生活していた頃、キャメルはそう言っていた。15にも満たない少年が、悪党との交渉の場に立つ上で身につけた処世術だった。
幼少の頃から叩き込まれた礼節は実際のところ、大いに役立った。ビジネスにおいて、信用を勝ち取ることの意義は大きい。
当の本人は、『まあ、私は暴力で解決するけれど』などと言い放ち、幼少の自分の目の前で悪党に斬りかかっていたのだが。
「バギーが邪魔になったらいつでも言ってね」
「別に、自分の手で消せる」
そうクロコダイルがぶっきらぼうに口にすれば、またもや不器用な笑顔を浮かべていた。クロコダイルは、やっぱり兄のことがよく分からない。確かに、バギーはキャメルが戦いたがるような強者ではない。ただ、基本的に人の好き嫌いが希薄な男だ。ドフラミンゴ程ではないが、好きではないことを全面に出している時点で他とは違う。何が気に食わないのだろう。いや、おれ自身バギーに対して腹立たしい部分は両手でカウントできない程あるのだが。
そこまで考えて、兄の行動に理由などないのだと自分を抑えた。考えるだけ無駄だ。
「それにしても、この部屋誰の趣味? 鷹の目かい?」
「都合がいいからここに置いているだけだよ。おれも鷹の目も、そんな趣味はねぇ。まあ……使わねぇとも言わねぇが」
「ああ、実用的ではないから不思議だったけれど、確かに置いてあるだけで怖いもんね。クロは頭がいい」
壁にかかっていたはずの海楼石の手錠を手遊びでくるくると回す。能力者の弟は反射的に眉根を寄せた。兄に悪意がないことだけは確かだが、気分のいいものではない。
「さて、すっかり目的を忘れていた。鷹の目はどこ?」
箱の入った紙袋を持ち上げる。キャラメル色のショップバックに金の刻印。クロコダイルにとっても見慣れたものだ。キャメルの本業、テーラーのものだった。
クロスギルドを設立するにあたって、見栄えの良い衣装をクロコダイルから依頼したものだ。ミホークとの二枚看板に内心ご満悦の弟の頼みを、負けず劣らずご機嫌に引き受けてからさほど時間が経っていない。仕事が早いのはひとえに愛のなせる技だ。デザイナーを強面の鉄仮面で焚き付け、針子の仕事を自ら買って出ていた。
「デザインは鷹の目の趣味寄りだけど、クロ好みの生地で仕立てたから、二人で並ぶと絵になると思うよ」
「それはありがたいな。見目が良ければそれだけ箔が付く」
「そうなんだよ! クロの横に立つんだから、二人のシルエットを加味してお互いのスタイルがよく見えるようにしたんだ。鷹の目は細身な分、タイトになり過ぎないよう形にして……。クロに仕立てた、この間の新作と合わせればピッタリだよ」
熱く語るキャメル。強者との戦いと甘い物の他に、仕事に対しても熱量を注いでいる様は、クロコダイルに安心をもたらす。相変わらず極端なほど、弟に天秤が傾いてはいるのだが、ここまでの人生で少しずつでも自分に必要な欠片を集めて来られたようだ。兄の人生を狂わせた負い目を持つ身としては、その欠片によって許されたように感じる。
流石に箱は開けなかったが、シフォンだのツイードだの生地のこだわりを語る兄は、ふと気が付いたように会話を止めた。
「……バギーのも仕立てた方がいいのかな」
苦虫を噛み潰すような顔をして重苦しいため息をつく。頭痛の種の話題である。クロコダイルとしてもそんなもんはいらねぇ、と切り捨てたかったが、現状言い切れない。服の話だというのに、積み重なった問題が頭をよぎってやたらと低い声が出た。
「必要になったときに、声をかける」
「あんまり無理しないでね。私はクロが一番大事なんだから」
キャメルは凝り固まった表情筋でどうにか微笑みを浮かべる。彼なりに弟の立場を心配していることは間違いないのだ。キャメルはつい、向かい合った弟の頭に手を伸ばしていたが、慌てて引っ込め代わりに照れ隠しで笑い飛ばした。
「なんて、ちょっと鬱陶しいかな」
「別に。どうせアニキは大事な時にいつもいない」
そう寂しそうにクロコダイルが呟いたところで、彼には伝わらないだろう。クロコダイルは兄のそういうところが嫌いだった。いつでも弟を優先するくせに、本当にいて欲しいときには自分の横には居なかった。期待のルーキー、“正義”の海賊、砂漠の英雄、監獄の逃亡者。神を殺したあの日から、キャメルとクロコダイルの人生は交わらなくなった。甘えるな、と言われればそれまでだ。とうにお互いかなりの歳を重ねている。
それでも思うところはあるのだ。キャメルに『お前が大切だ』と語られる度、心の弱い所を掻き混ぜられているように感じる。その度にクロコダイルはもしも、という感情を取りこぼしてしまうようだった。
「……ところでクロ、人は皆時に間違えることもあるよね。その時どう許すかでその人の器がわかると思うんだ。優しすぎるのも良くないし、そこのラインは人によって違うけど。一般的に挽回の機会をあげた方が、お互い得なことも多いとされているよね」
「おいアニキ」
「私は今から道化師を撃ち殺す」
本日一番自然に笑ってみせたキャメルの手には1枚の紙切れ。クロコダイルがこの部屋で握りつぶしたまま、放置してしまったものだ。それはバギーの言葉で失った光を取り戻した海賊達による手記だ。バギーとクロコダイル、ミホークの関係を正確に知るキャメルが内容を読めば、バギーが何をしでかしたのか、ありありと想像できる。
「一理あることはあるけれど、計画にタダ乗りするピエロには誰の弟が腰抜けなのか、目を見て言ってもらおうと思ってね」
「待て!てめぇは手加減出来ねぇだろうが!」
海楼石の手錠片手に立ち上がり、部屋を颯爽と後にするキャメルの表情は皆がよく見る無感情なものだ。しかしその後ろを大股で歩き、青筋立てながら引き留めるクロコダイルの姿は、クロスギルドの下々が見たことのないものであった。