クザン×ヒモ(性別不詳)
*
*
*
*
*
*
*
*
この国の路地は複雑に入り組んでいる。曲がる角を一つ手前に間違えただけで薄暗く、恐喝や暴行や密売といった、この世に存在する犯罪行為のどれかの場面に鉢合わせする。殺しの現場以上に都合が悪いのは力のある凶悪な組織の構成員たちの取引現場を目撃してしまうことで、人影に気づいた途端彼らは威嚇のため空に銃を撃つ。気が早い者は影がいる方向に発砲してくる。
そうした事故を避けたいのに道になれていないせいでそのような悲劇が頻繁に起こる。こないだはあのへんで巻き込まれたなァと、六階からごみごみとした建物の海に目を投げた。それらは子供が描いたアパートの絵画のようにガタガタとひしめいている。
ここは酷く狭い島だった。実は巨大な船の上に築かれたのだというような事実があってもすんなりと飲み込めてしまう程度には、狭い。そこにやや過剰な人数が暮らしている。マスクメロンの筋のように道はごちゃごちゃと通い、建物はいまも縦に増築をつづけ、その建物同士が渡り廊下で繋がっているのだからスラム街を立体的に築き上げたような様相を呈している。
王の住む城は流石に離れたところにあるけれど、地下の隠し通路が実は王城に繋がっているのだという噂が立つほどには地下にもまた葉脈が広がっていた。世界政府非加盟国であることに加えてそういった街並みをしているから裏取引の現場に選ばれやすいのだと思う。
今日の賭場は暮れから開かれることになっていた。内容は闘鶏である。賭け事そのものへの興味は薄いが、動物を見たくて通っていた。起床してシャワーを浴び、朝食を兼ねた昼食をとったあと、時間まで目で道筋の迷路を辿るという暇つぶしをしていたところ、耳がこの部屋の前の外廊下で立ち止まった気配を拾った。
ドアから聞こえてきた音に、後をつけられてたのか。どこかでつけられた因縁がぶり返したかと反射的に緊張したが、それが鍵をガチャガチャさせる律儀なものであることにややして気づいた。
鍵を開けて入ってきた男に、帰ってくるなら電伝虫で教えてくださいって。と、何度か繰り返している文句ともお願いともつかないことを言った。
「自分も出かけてるときあるんですよ」
「そんときは待つからいいよ」
「こんなとこに帰ってきて一発目に出迎えがなかったら自分だったらガッカリするんで」
海兵のなかには一人称が「自分」である者も少なくないらしい。それを面白がって、元海兵である男と話すときには一人称を「自分」にしているうちにそれが癖になっていた。
「ちゃんと食ってた?」
「クザンさんが前回置いてってくれたベリーがまだまだあるんで、優雅に暮らせてますよ。ここ物価安いし」
クザンとは別の国で出会った。そこはこの国やヒモの出身地とは違って世界政府加盟国だったが、海賊に追われてこの国に来たのだという新人を「非加盟国出身の自分でもわりと働けてるから慣れたらなんとかなるよ」と励ましたところ、それが店長の耳に入るところとなり、非加盟国出身なんて胡乱な身分のやつはうちでは雇えないと追い出されたのだ。裏切りを受けたという顔を店長はしていた。まさかこちらにそこまでの不信感を加盟国側の人間が持っているとは。自分のミスだ。世間知らずだった。……
そう思うが、とはいえ悲しかった。年単位で働いたやつをそんなあっさりと切り捨てるくらいに出身国で人格を見られるのかよ。こっちは非加盟国で生き抜けるほど強くないからこそここで勤勉に働いてたんだぞと、酒屋でやけ酒していたところ、目の端に色濃い影が映ったのだ。そこだけ酷く雨漏りしているのかと思った。――そうした印象を抱くくらい、そのときのクザンの雰囲気は陰鬱なものだった。眉間の皺は、不機嫌のためというより、懊悩の深さがそのまま表われたもののように感じられた。ヒモは酒に濡れた口を拭った。世界に保護されていない。それどころか爪弾きにされている。認められた存在ではないということを身につまされたことで、何をしたって罰されない。彼らの世界の外側を生きているのだという、無法者の覚えそうな放埒な気分になっていた。
そのあとで自分は、クザンの背中に手を回しながら声をかけて、出自のせいで職場を追い出されたことから自らの非力さ、身の上話をして自身の無害さをアピールしたうえで「そんな人間より頼りなく見えるからあなたのことを拾ってやるよ」といったようなことを口にした――らしい。このあたりのことは後からクザンに聞かされた。
目に余るほど危なっかしかったと言われて、危なく見えていた人間にすらそのように思われるほどの絡み方をしたことがすぐに謝罪の言葉が口をついたほど忍びなかった。
拾ったとして面倒見るだけの金はあるの、という問いかけに、ない。明日からどうしよう、と答えたらしい。――結果、クザンは家賃が払えなくなってしまうだろうヒモのアパートまでヒモを送ってくれて、契約更新の時期までそこを宿代わりにしていたが、家賃やヒモの生活費などはすべてクザンが持っていた。以降、ヒモは自身を「ヒモ」と認識するようになった。資金は海兵をしていたころのものが多少あるらしい。貯金していたのではなく、金のかかる趣味がなかったからだとクザンは言った。世界政府非加盟国では監獄の存在は教えても自分たちを助けてくれる存在ではない海軍については等閑で、ヒモにニュースを見るような習慣は身についてなかったから、クザンが三大将の一人だったことは彼のヒモになってから――彼が黒ひげ海賊団に所属する際についでのように教えられた。
彼の、膝をまるく撫でる。
海軍を抜けるときの戦いで彼は左足を半分失ったらしい。はじめて氷の義足を見たとき、ヒエヒエの実の存在とその能力者であればそうしたことができるということを知らなかったヒモは、永久凍土のような土地で彼は大けがの治療を受けたのだとばかり思っていた。氷の義足しかないような場所で。
つめたいから、もし身体に問題がなかったら能力をといて。そのぶんの動きは自分がするから。――そう訴えたことをおぼえている。
シーツのうえでは能力を抑えてくれていたから安心して深く、ヒモは素肌で寄り添うことができた。
「――それで、今回はまた突然でしたね」
先程はクザンの連絡に対する不手際を訴えたが、実のところ定期的にクザンは電伝虫に連絡をくれる。ヒモが電伝虫を持っているのはそのためだった。
連絡がなかったということは、この近場に用があったのか。あるいは。
緊急性のある用事がこの国ないしはヒモにあったのか。
「あんたがここにいることが外に漏れた」
「ああ……。取引現場を見ちゃったとき、クザンさんの名前出して逃げてたから……」
はったりと思われて電伝虫で連絡させられたこともあり、成り行きで一度はいまの彼の船長であるティーチが喋った。巨大ハムスターを見たかっただけの外出の際の出来事だったので、小人閑居して不善をなすという慣用句に犬も歩けば棒に当たるを混ぜ込んだような事態になったなと思った。……今日は、自主的な逼塞を終えて、久々に外出するつもりだったのだ。
「その割にゆっくりしてしまいましたが」
「合流できたらあとはもう何てことねェしな」
抱き留めるだけで相手を芯から氷づけにできる男は欠伸を噛み殺しつつ呟いた。
海上に一筋の道ができる。そこを走る自転車の荷台に、進行方向の逆を向く格好でヒモは座っていた。天球は青く、それを反射する海はどこまでも深い。キャメルも心なしか心地よさそうだった。
「次の島についたらラーメン食べたいです」
「好きだったっけ」
「生きてるって感じするんですよ。事後に汗かきながら食べる濃い味のラーメン」
「そう」
「ぴんときてますか」
「わからん」
ガションガションというペダルの音を聞きながらヒモはサイズの大きなハット越しに空を見上げる。クザンといる場合に限り、晴天こそが逃亡日和だった。