カンネ「一級洗髪士への道」

カンネ「一級洗髪士への道」


事の始まりは本当にただの偶然だった


オイサーストの魔法協会にある図書館にて

オレンジに近い明るい茶色のショートカットで左右のお下げが可愛らしい少女、カンネが欲張って本を抱えすぎて本を何冊か落としてしまった

ところが、本が床に散らばる前に非常にボリュームのある亜麻色の長髪の小柄に見える女性、一級魔法使いの一人、ゼンゼが自らの髪を操りヒョイヒョイと拾い上げて事なきを得たのだった

「ありがとうございます!…ゼンゼ様」

抱えていた本をすぐ横の机に置いて、残りの本をゼンゼの髪から受け取りながらカンネがお礼を言う

「礼には及ばないよ」

「この後ラヴィーネと勉強会する予定でそれ用の資料を集めてたんです。しかしその髪…凄いですね」

「まぁね。よく言われるよ」

ゼンゼはそっけなくカンネの感想を返す。きっともう何度も何度も抱かれた感想なのだろう

「髪を洗うのも大変そうですね」

「…」

カンネの何気ない一言だったが、それでゼンゼの眠たげな瞳に少しだけ鋭さが宿る

自分の髪についての感想は色々あるが、『洗うのが大変』とすぐに言ってくる奴は大体その後に面白い事を言う傾向があった

故にゼンゼは会話を続けることにした

「まぁね、手入れは地獄だよ」

「そうなんですか?ゼンゼ様ならこう魔法でパーッっとやっちゃわないんですか?」

「多少ならできないこともないんだがね、この量となると…」

「へぇー。私でもそのくらいの量なら洗えるんだけどなあ」

「何を言っているんだ、君は全然普通の髪の量じゃないか」

「いえ、髪の量じゃなくて…

前にラヴィーネのお屋敷で晩餐会が連日開かれた時があったんです。

その時に大量の洗濯物が出て早く洗わなくちゃいけないって状況になって、私の【水を操る魔法】でこうバーっと一気に洗ったんです」

カンネは手を大きく振って当時の洗濯物の量を表現する

「…ほほう」

ゼンゼは視線をカンネから少し反らし、再び戻す

「…三級魔法使い カンネ」

「はいっ!?」

突然芯の入った声で、さらに階級付きで名を呼ばれ、カンネはビックリしながら返事をする

「君に頼みがある、このあと少しだけ時間を借りていいだろうか」

「…す、少しだけなら」

魔法協会の準トップである一級魔法使いにこうも直々に呼びつけられてはカンネには断れる度胸が無かった

「では、私の部屋にきたまえ。案内しよう」


ところ変わってゼンゼの部屋

広々とした部屋の窓側にある机を挟んで、ゼンゼが愛用の椅子に座り、反対側にはカンネが落ち着かない様子で立っていた

「さて、私からの頼みについてだが…率直に言おう、私の髪を洗ってほしい」

「ゼンゼ様の…髪をですか?」

「そうだ」

「床屋さんとかに頼まないんですか?時間はかかりそうですけど」

「ヤツらは髪を切れとしか言わん。この髪の価値を理解できない連中だ。あとまじめにやらせても一日で終わらなかった」

「そうなんですか…」

「まあそれはつまり自分でやってもいつまでたっても終わらないわけでね。最近ちゃんと洗わなくなって久しいんだ」

「えっ!それって…」

「不潔だといいたいのだろう?だがそこは魔法で誤魔化している」

「魔法」

「そう、髪のにおいを消す魔法。これで臭いを消す。元々隠密用でにおいからバレない様にと覚えたんだが、一石二鳥というやつだな。

次に髪の中のものを抑える魔法。髪から零れ落ちたもので証拠を残さない用だが、これも汚れを出さない用に常用している。

その他色々あるがそれは秘密だ」

「それって…それじゃあ今は凄く汚れてるんじゃ…」

「いやいやそんなことはないぞ、私なりに洗ってはいるんだ」

「ゼンゼ様なり…ですか」

「髪を水につけて動かして洗うんだ。それである程度は汚れがとれる」

「えっ、それだけ?」

「それだけ、とは?」

「洗い物って水も動かさないとダメですよ、洗う物だけ動かしてもあまりよく落ちませんよ」

「えぇ…そういうものなのか」

「ゼンゼ様…あまり洗濯とかしたことないんですか?」

ゼンゼはいつかあったような会話の流れになったのでちょっとムッとした表情になり、話を強引にすすめることにした

「まぁそんな訳で、君の出番ということなんだ、カンネ。私の髪をしっかり洗ってほしい。君ならできるはずさ」

「いやまあ多分大丈夫でしょうけど……」

「費用や物資は私が用意する。可能な限り揃えてみせよう。別途報酬も提示する」

「それならまぁ…」

段取りを構築しようと少し考え込むカンネ

「……そうだ、ゼンゼ様。あと一人、協力をお願いしたい人がいるんですが…」

「ほう、誰だい、それは?」


オイサースト街中の喫茶店のオープンテラス

「はぁ?何で私がそんなことに協力しなきゃならねぇんだよ」

ゼンゼからの依頼を、テラスの丸テーブルに向かい合って座るカンネから話された銀灰色の美しいストレートのロングヘアー少女、ラヴィーネはいつもの威勢のいい口調で突っ返した

「まぁまぁラヴィーネ。それでね、ラヴィーネには髪を洗うのに使う洗髪剤を紹介してほしいの」

「断る」

「どうしてさ」

「馬鹿馬鹿しいんだよ。なんで髪を洗うなんてことのためだけにお前が駆り出されるんだよ」

「いやまあ報酬出るし…面白そうだし…」

「お前はなぁ…」

ラヴィーネはかつての一級魔法使い試験の二次試験で、ゼンゼの複製体に奇襲され脱落した

その出来事が理由でゼンゼに良い印象をもっていないのはカンネも理解している

「だいたい私じゃなくて普通に化粧品屋にでもいきゃいいだろう」

「いやでも髪に詳しい人、ってパッ出てきたのがラヴィーネだったし」

「~~~ッ」

「実際髪綺麗じゃん」

ラヴィーネは何気なしに褒められて思わず首を曲げて顔を伏せる

ラヴィーネにとってカンネに頼られるのは悪くない、むしろ嬉しいイベントだ

しかし依頼主が依頼主でしかも自分は使い走りみたいな事をやらされる訳だから気分がいいはずがない

「……分かった」

少し考えて、ラヴィーネはカンネに答えた

「協力してもいい」

「ホント!?」

驚きと嬉しさが混ざったカンネの顔が眩しい

「ただし、4つ条件がある」

「4つも!?」

「まず、私を同席させろ。物だけ提供してはいサヨナラなんて納得できるか。私にも見させろ」

「まぁそれなら大丈夫だと思うけど…」

「次に、今度私の髪を洗いに来い」

「えー」

「えー、じゃねえよ。それくらいいいだろ」

「まぁ…そんくらいならいっか…」

「次に三つ目。私の身体も洗え」

「なに言いだすの!?」

「なんだよ昔は洗いっこしたことあるだろ」

「馬鹿じゃないの!?」

「じゃあ協力しない。他を当たれ」

「~~~~~もうっ!いいよもう、洗ってあげるから。で、最後は何?」

「お前の身体を洗わせろ」

呆れたカンネがラヴィーネの要求を呑むまで、そう時間はかからなかった


依頼当日

ゼンゼ、カンネ、ラヴィーネの三人はとある部屋に集合していた

石畳の広い部屋で、大半が水のプールになっていて、今も絶えず水が流し込まれては外に排出されている

その部屋の中央に、簡素なワンピースを身に付けたゼンゼが椅子にちょこんと座っている

いつもの外套とかは外して、表情も髪を洗われる気満々といったところだ

(一級魔法使いゼンゼ様のこんなお姿を拝見できるたぁ、この時点で正解だったぜ)

許可を得て同席することになったラヴィーネが早速の収穫にニヤついている

「ラヴィーネ、嬉しそうだね。君はそういう趣味があったのか」

確かに今のゼンゼはお人形というか幼女というか、そんな佇まいに見えない事もない

「は?馬鹿な事いってんじゃねえよ」

相手が一級魔法使いであっても物怖じしない幼馴染みにカンネはまたも呆れてしまう

「もう、ラヴィーネってば…。さぁ早速始めるよ」

「頼むぞ」

「…【水を操る魔法】…」

カンネが魔法を唱えると、プールの水の一部が持ち上がり、水球を形成する

「ええと…洗髪剤はこれとこれだね?ラヴィーネ」

「あぁ」

カンネは二つある瓶からラヴィーネが選んだ洗髪剤を同じく魔法で取り出して、水球に混ぜ込んだ

(ほぉ…洗髪剤って幾つか組み合わせて使う場合もあるのか)

ゼンゼが関心していると、カンネから指示がとんできた

「ゼンゼ様。髪を少し動かして下さい。水球に混ぜ込みます」

水球はすでにゼンゼの後頭部のすぐ後ろまで迫っているのだが、浮いているため床に広がる分までは拾えない

「わかった」

ゼンゼが答えるとすぐにフワリと髪が持ち上がり、水球に巻き込まれる

「オッケーです。あとは待ってて下さいね」

カンネがいうと水球内で水がうごめき始め、ゼンゼの髪がその流れに巻き込まれていく

カンネのコントロールは見事なもので、バチャバチャ音はするものの飛沫がとんでくるということは無い

「やるじゃん」

ラヴィーネは幼馴染の技量の向上に自慢げだ

「おぉ…」

ゼンゼも不思議な表情であるが、まんざらでもない様子である


それから十数分後…

カンネとラヴィーネの顔は、引きつきまくって苦~い表情になっていた

それというのも、水球が髪の汚れを除いているのは成功しているのだが

あまりに汚れていたのか、水球はすっかり泥水の様な色になっていたのである

(いや汚ったねぇだろこれ!こんなのに私は刺されたのかよ!?)

(落ち着いてラヴィーネ。複製体はきっと綺麗な髪のはずだよ!汚れまでコピーなんてありえないって)

ボソボソと密談する二人に対し、ゼンゼは状況が分かっていないようだ

「まだおわらないのか、カンネ」

「えーとですね…汚れが予想以上のため、水を変えてもう一回洗いますね」

「そうか…やはりそれなりに時間がかかるんだな」

カンネは水球を髪から抜け出させ、部屋の空いているスペースに移動させる

「!!??」

ゼンゼがその濁った水球に気が付くと、口を引きつらせつつ、瞳をクワッと開いて驚愕していた

自分の髪隠れた汚れを見せつけられ、絶句してしまう

「…………」

「………えーと。どうしよう…」

「カンネ。私の魔法で凍らせておいてやるよ。捨てるのは後から考えようぜ」

「…そうだね。ありがとうラヴィーネ。いてくれてよかった」

(いちいち照れ臭い事をいうなよ)

とりあえず第一弾の水球を凍らせたラヴィーネを見届けながら、カンネは水球第二弾をゼンゼに近づけていた

第二弾の洗髪が始まったところで、カンネはある事に気が付き、ゼンゼに近寄って行った

「?どうした」

ゼンゼが聞くと、カンネは水をゼンゼの頭にぶっかけた

「?」

カンネからは殺気を感じないので、ゼンゼも不思議に思うだけで特に慌てる様子は見られない

「そういえば頭のところは洗えてなかったね。私が直接洗っちゃいますから目を閉じてもらえますか」

「!!はぁ!?」

水球の届かない、しかし普通の人が洗髪する部分を失念してた事に気づいたカンネのアドリブに真っ先に反応したのはラヴィーネである

「んなとこ、自分でやらせろよ!」

「まぁまぁいいじゃんラヴィーネ。逆にこんなことできるなんて滅多にないよ?」

「こんなこととは心外だが…お願いするよ」

「了解です♪」

爽やかに答えるカンネに目を閉じるゼンゼ

震える手を握りしめ私もじっくり洗って貰うからな!と悔しがるラヴィーネであるを尻目にカンネは手際よくわしわしとゼンゼの頭を洗い始めた


しばらくして

第二弾の水球もそこそこ汚れていたのでこれも凍結させ、第三弾…そして第四弾に入ったところで洗髪剤が底を尽きたが

幸い汚れも全然出てこなくなった

第三弾の内に直接頭部の洗髪を終えたカンネは開始時の位置に戻っている

「よーし、これで…終わりっ」

カンネ四つ目の水球を移動させ、ラヴィーネに凍らせてもらった

(結構な量の水だぞこりゃ)

「これで終わりか」

「洗髪自体は終わりですね。だけど、髪を乾かさないと…」

「けど結構な量だぞ、どうすんだ」

「まぁ見ててよ」

カンネは目を細めて集中すると、ゼンゼの大量の髪の中から水分を浮かび上がらせた

大小の水滴が抜き出されるとそれらは集結して小さい水球を成した

「全部水分をとばしちゃうとかさっかさになっちゃうからね、適度に湿らせとかないと…」

「へぇ…なかなか細かい芸当できるようになったんだな」

「えへへ、もっと褒めていいよ」

「調子に乗るなって」

褒められているはずのカンネより嬉しそうなラヴィーネ

「まぁ今はゼンゼ様が髪にかけてる魔法を解除してもらってるからね。そうでもなければできないよ」

「分かってるって」

その作業も終えると、カンネは大きく息を吐きだした

「…終わりましたよ、ゼンゼ様。どうです?洗いたての髪は?」

「おぉ…」

ゼンゼは早速髪を操作して先端部分を手繰り寄せて手のひらで撫でてみる

つやつやの照り返しに、なめらかな手触り、束になっても柔らかさが感じられ、ほんのわずか花の香りまでついている

「おぉ…おぉ…」

ゼンゼはよほど驚いているのか、同じ言葉しかでてこない

「おぉ…」

(いつまで喜んでんだこいつは…)

しばらく髪を撫でていたゼンゼだが、ようやく落ち着いたのかカンネを呼びつけた

こっちこい、と手でジェスチャーする

(なんだろ)

カンネが近寄ると、ゼンゼは椅子から立ち上がり、カンネの前に立った

意外にも二人の間に身長差はほとんど無い

そして、ゼンゼは右手を差し出した

(えっと…握手しろってことかな?)

カンネは同じく右手を差し出すと、ゼンゼはギュッと握り

ブンブンと嬉しそうに上下に振り出した

(子供かよ!)

ラヴィーネの心のツッコミもよそにしばらく続いた豪快な握手が終わると

ゼンゼは切り出した

「ありがとうカンネ。実に晴れ晴れとした気持ちだ」

「それは…どうも」

「そうだカンネ。『様』付けはしなくていいぞ。君は私の大切な人の一人となったのだからね」

(いきなり何ほざくんだこの髪の毛お化けは!)

「えっ?へっ?…それは光栄?ですね…そ、それじゃあ……ゼンゼ…さん?でいいんですか」

「まぁ丁寧語も必要はないが…それは任せよう」

「ど、どうもゼンゼさん」

(あのヤロー。カンネに馴れ馴れしくしやがって…)

ラヴィーネの非難の視線もどこ吹く風、ゼンゼは話をすすめていく

「次は…そうだな。一か月後でどうだ」

謝辞から流れる様に次回の予約を提案されたカンネだが

「いい加減にしろ。カンネはアンタの床屋じゃねえんだよ」

キレるのは当然ラヴィーネである

「君の床屋でもあるまい」

「そーゆー問題じゃねえよ!」

「まぁまぁラヴィーネ。でも一か月後は近すぎます」

「じゃあ、二か月後はどうだ」

「う~ん。でも準備と実際の作業に時間がかかるし…」

「よし、ならばその日の午前中は君と手合わせをしてあげよう」

「えっ」

「いずれ来る一級試験に向けて少しでも経験を積みたいと思うなら悪い話ではないがどうだ?」

「確かに…いいですよ。お願いします」

「待った。私も参加させろ、いいだろ?」

「ふむ…まぁ君にも世話になったからいいだろう」

「よっしゃ」

「交渉成立だな」

「ああ」

「それじゃあ二か月後と…四か月後、半年後の予定を空けといてくれたまえよ」

「「えっ」」

(それって二か月後じゃなくて…)

(二か月毎って言うんだよ!)

二人が揃って突っ込もうとしたその時────


「ほぉ、面白い事をしているじゃないか、ゼンゼ」

「「「!!」」」

いつの間にか、部屋の入り口には前髪を切りそろえた鮮やかな金髪のロングヘアーの主、大陸魔法協会創始者のゼーリエがそこにいた

「ゼーリエ様…」

「珍しく休暇を取ったと思ったら。こんなところで身だしなみを整えているとは、可愛いところがあるじゃないか」

「………」

(休暇とってたんだ…じゃなくて、やっぱりこの人は底知れない…)

(こいつがゼーリエ…カンネ…やっぱまだビビっちまうのか…そして私も…まだまだだな…)

三級魔法使い二人がしり込みしているが、そんなのは知らんとばかりにゼーリエは近づいてくる

ゼーリエはゼンゼの傍にたつと、洗いたての髪のひと房をつまみ、指ざわりを確かめる

「…ふむ。ゼンゼ。よかったじゃないか、お前のここまで綺麗な状態の髪はいつごろ以来かな」

「さあ…分かりません。それに、ここまで綺麗になったのは初めてかもしれません」

「ふっ。…さて、カンネとやら」

「はっはい!」

急にゼーリエに指名されて直立不動になって返事をしてしまうカンネ

さらにカンネに近づくゼーリエ

意味もなく身構えてしまうラヴィーネを一瞥してゼーリエは口を開く

「いい仕事じゃあないか。魔法を使っての洗髪、見事なものだ」

「ど、どうも…」

あの時とは異なり、なんとかゼーリエから視線を逸らさず答えるカンネ

「さて…」

ゼーリエは自分の白い服の端をつまんで言った


「…私の服も洗ってくれないか。

フェルンのヤツに特権で魔法を譲渡してから他の魔法でなんとか汚れを誤魔化してたが限界だ。

他の連中は私を畏れてかどいつもこいつもやってくれないんだ」


その言葉にカンネとラヴィーネの思考は一時停止した


END

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