カミキヒカルは2児のパパ (脚本)
───舞台『東京ブレイド』・稽古3日目
舞台の稽古期間は大体1ヵ月程度設けられます。昼頃集合して夜に解散するので1日6~7時間、忙しい人も多いので全員集まる事もあまり無いです。
特に主演級は他の仕事も多くて稽古に参加出来ない事も多々あり、他の役者の稽古に支障が出るので、稽古場代役(スタンドイン)を雇うパターンも少なくありません。
でも
「遅れました」
「お疲れ様でーす」「おつでーす」
演劇人は演劇が好きなので夜だけでも参加しようという人も多いです。
「有馬、ちょっと良いか?」
「なに?」
今日もかなちゃん達は3人で練習してるみたいだ。顔合わせをした初日以来、姫川さんもかなちゃんの演技力を気に入ったようで、よく互いに相談してるのを見かける。
「ここなんて読むんだ?」
「『さきもり』」
「えっ、これ『ぼうじん』だと思ってた!有馬賢いな!」
「これくらい普通でしょ…演劇の人ってなんで漢字読めない人多いの……?もう少し本とか読んだらどう?」
あんまり演劇の人って括りで言わないでほしいなぁ。
「本とかちまちましてるのは苦手だ。俺は映像しか観ない」
「あー分かる、俺も本とか漫画しか読まねっす」
あんた達ね…と、かなちゃんが呆れている。メルトくん?の事は今回の顔合わせが初対面だからよく分からないけど、姫川さんは確かにそういうところあるなぁ。
「演劇馬鹿は良いけど、本当の馬鹿だと結局自分が困るのよ?お勧めの本何冊か持ってくるから読みなさいよ馬鹿」
「……分かった」
…………。
3日目ともなると、稽古場でグループが出来上がっています。
主演グループ。ララライグループに、ちょい役グループ。
それと……
「…………」
稽古場の壁際で、独り座り込んでるアクアくん。
(私の彼氏、孤立してるなぁ。あまり人と馴染むの得意じゃないのかな……溢れ出る陰のオーラが凄いもんなぁ…)
正直、今のアクアくんに親近感を覚えてしまったのは内緒の話。
「かなちゃんの事見てるの…?」
「ああ」
ああ、って……。私一応アクアくんの彼女なんだけどな…。あんまり他の女の子を見つめてほしくないっていうか…。
そんなちょっと重い事を考えていたのだけど、当のアクアくんは全く別の考えでかなちゃんを見つめていた事を知った。
「有馬は周囲のレベルに合わせて演技をする癖がある。それは過去、自己顕示の強い演技をし続けて仕事を失った有馬が、この業界で生き残る為に身に付けた戦略なのかもしれない。
今までパッとしない役者に囲まれてパッとしない演技をしてきた。だが今回側に居るのはララライの看板役者、『姫川大輝』。そのレベルに合わせてくるなら…。あかね…有馬に勝ちたいんだろ?」
そこまで言い終わったアクアくんは、神妙な面持ちで言葉を続ける。
「このままじゃ負けるぞ、大差でな」
……分かってる、そんな事は。私より凄い演技が出来る姫川さんと、それに合わせるだけの実力を持ってるかなちゃんの組み合わせに、今のままだと太刀打ち出来ない現実くらい。
でも例え事実だとしても、そんなにはっきりと言われたら私だって怒るんだよ?
「…!」プクーッ
「怒るなら怒れよ……感情表現子供か」
こ、子供って…そんな風に言わなくても良いじゃん!私怒り慣れてないんだから!
でもアクアくんが言ってる事は実際正しい、私自身が同じ事を考えてるわけだし。
「アクアくんだってこのままじゃ……」
「俺は勝とうとは思ってない。才能がある奴には簡単に勝てるわけがないしな」
そんな言い方…アクアくん、ちゃんと演技の才能あると思うんだけどなぁ……。
─────────。
あれから私もアクアくんもそれぞれ練習を開始し、私は自身が演じる『鞘姫』をイメージする。
「新宿の連中を……皆殺しにしてやりなさい……」
「あかね、そこの演技はもう少し強めに出て良い。ここは周りのテンションに合わせて」
「分かりました」
金田一さんから演技指導が入る。強め……強めの演技……こうかな…。
「新宿の連中を!皆殺しにしてやりなさい!」
「OK、その感じで行こう」
イメージする強めの演技をしてOKが出た。けど……今ので良いんだ……。
今回の舞台、私は立ち上がりが少し悪かった。
原因はこの脚本にある。私の演じる『鞘姫』は原作でもあまり出番が多くない。最初は『刀鬼』のヒロインとして登場したものの、その後は敵役だった『つるぎ』とのカップリング人気が上昇。結果として『刀鬼』の相方としての出番を食われる事になる。
いわゆる負けヒロインというやつだ。原作最新話では許嫁設定も殆ど死に設定になってる不遇のキャラクター。
「男の人は『つるぎ』みたいな表情豊かで生き生きした子が好きなんだよね…」
「そうだねー、原作でもそっちに舵切ってる感じあるよねー」
ポロッと溢した私のぼやきに、同じく『渋谷クラスタ』のキャラクターである『匁(もんめ)』を演じる鴨志田さんが反応した。
「……」
大人しくしてると、『つるぎ』みたいな子に全部持っていかれる。『鞘姫』の出番が少ないという事は、キャラ分析の素材が少ないという事。妄想で欠けたピースを補完して、自分の中でキャラを作り上げなきゃいけない。
ただ、『私のキャラ解釈』と『脚本の解釈』は大分食い違ってるようだった……。
(…というか!!原作と大分違う!めちゃくちゃ記号的なキャラにされてる!!)
本来、姫は内気で人を殺める事に葛藤を抱いた優しい子なのに、舞台の尺を省略する為にかなり戦いに前のめりになっている!これじゃ殺戮大好きなクレイジーだよ…。
漫画を演劇という違うメディアに落とし込むにあたって多少の変更は仕方ないとしても…あまりにも脚本家に便利な使われ方をしている。
不憫だよ『鞘姫』。原作でも不遇なのに、舞台でもこんな扱いだなんて…。私は好きだよ…。
(でもしょうがないよね……。原作の先生がこれでOK出したんだもん…)
これでやるしかないんだ。
◇◆◇◆◇◆
「かんぱーい!」
「先生、忙しい中来てくれてありがとうございます…」
私こと吉祥寺頼子は今、とある居酒屋の個室に居る。というのも、私のよく知る人物に相談したい事があると持ち掛けられたからだ。
「忙しいって言っても私は月間連載、締め切り付近じゃなきゃ大体ヒマだしぜんぜん」
「それでも私なんかの誘いに……」
「何言ってるのよ。元アシスタントとは言えもう鮫島さんは一端の作家、それどころか私なんてとっくに追い抜いて大作家でしょう」
一緒に仕事していた時から変わらないなぁこの子は。作家として一人立ちしてからちょっとはポジティブになったかと思ったんだけど。
「漫画もアニメも大大大ヒットの週間漫画家が直々に飲みに誘ってくれたんだもの。そりゃ来るってものでしょ」
現在舞台化も決定した大人気漫画『東京ブレイド』の作者、鮫島アビ子先生。
「それで、相談って?」
「先生はドラマ化経験ありますよね?私は今回が初めての実写化で何も分からなくて……。色々言いたい事はあるけど、どこまで言って良いのかも分からなくて……」
「あー……」
なるほどなぁ。多分、この手のメディア化を初めて持ち掛けられた作家全員が直面する悩みだろう。私にも覚えがある。
「今度『東京ブレイド』の劇があるんですが、ちょっと何か……
先生……劇の稽古見学、一緒についてきてくれませんか…?」
─────────。
「精算お願いしまーす」
やーそこそこ飲んだ飲んだ。ここの店は満足した為、会計を済ませる。
「すみません、ごちそうになってしまって」
「まぁこういうのは年上が払うものだから。勿論そっちの方が圧倒的に稼いでるのは分かってるけど、面子を立ててちょうだい」
結局飲みまくったのは私の方だし。さて、このまま2軒目に行きましょ!
「あっ、その前に歯磨き良いですか?私、何か食べた後はすぐ磨かないと気持ち悪くて」
「ああ、そうだったわね」
漫画業界は、比較的変人と呼ばれる類いの人間が数多く存在する。そんな変人揃いの業界中でも、アビ子先生は中々癖が強い方…。
最悪1人でも漫画は描けるけど、メディア化は多くの人が関わる分コミュ力が問われる。現場に任せっきりだと好き勝手やられがちなのは事実としてあるものの、原作者が変に出張って現場が混乱するなんて話もそこら中で耳にする。だからある程度の押し引きが必要なわけで……。
「私もトイレ行こ」
その点アビ子先生は……。
「……」シャコシャコシャコシャコシャコシャコ
癖が強すぎる。
「えっ何してるの?」
「ダブル歯磨きです。歯ブラシ2つ使えば2倍の速度で磨けるじゃないですか。先生を待たせるワケにはいかないので、倍速でやってます」
そっか……言う程そうか……?
(やっぱり変人だ…)
『東ブレ』舞台…モメないと良いなぁ……
◇◆◇◆◇◆
「やっほ、来ましたよっと」
「GOAさん、お疲れ様です。調子の方はどうですか?」
「どうもカミキさん、金田一さん。別件の脚本スケジュールがガタガタでね、朝までに修正寄越せとか言われて大変だったよ。眠い眠い」
「そりゃ気の毒だったな」
珍しいな、最初の顔合わせ以外で脚本のGOAさんが顔を出すなんて。っと、そういえば今日は12時から原作者の鮫島アビ子先生が来るんだったか。挨拶がてらといったところか。
「……ねぇ、この脚本てどう思う…?」
そんな事を考えていると、あかねが台本を見ながら不意に尋ねてきた。
「ん?」
「ちょっと原作とは違うでしょ?」
「ああ、でも割と原作に準拠した脚本だと思うぞ」
漫画原作の作品がメディア化するに当たり、細部が変更される事や一部ストーリーのカット、オリジナル展開が追加されるというのはままある話だ。それこそ……
「俺が前に出たドラマの脚本に比べたら90倍はマシ」
「『今日あま』はひどかったもんね……」
丁度GOAさんが来てるんだし気になる所があるなら直接聞いたらどうだと言ってみるも、あかねは少し焦りながら拒否をした。
「演技の指導は演出家から受けるもの、そこの指揮系統を崩したら駄目なの。
多くの人にあーだこーだ言われたら役者も混乱するでしょ?演技指導を受ける相手は1人に絞った方が良いの。他の役者と演技の駄目出しし合うのも金田一さんは良しとしてない位だし……」
まだるっこしいな。本物の役者にはそれなりの考えや気遣いってものが確かにあるんだろうがそこはそれ、役者崩れの俺には関係無い。
実際こういうのは聞いた方が圧倒的に早いうえに確実だ。あかねから言えないなら俺から言うか。
「すみません、黒川が脚本について質問があるみたいなのですが。演出の金田一さんの意見も踏まえてお伺い出来たら…」
「ちょっとアクアくん…!」
GOAさんだけに聞くのが問題なら、金田一さんにも同時に聞けばあかねが言うような問題も無い。現に2人とも、話を聞く意思を示してくれている。
「言ってみろ黒川」
「あの……『鞘姫』のキャラクターなのですが、なんて言うか……。脚本からだとキャラが少し理解出来なくて、この意図を知りたいと言うか……」
今回の脚本における『鞘姫』は、原作よりだいぶ好戦的な性格になっている。本来はその内気な性格から戦いに葛藤が見られるのだが、それを演劇というメディアに変換した際には尺をやや取り過ぎになるらしい。
GOAさん曰く、漫画では表情一つで語ることが出来た心情を舞台上から遠い席の客に伝えるには、それなりに長時間の演技が必要となる。
そしてその尺というのは基本的には2時間前後、内容はそれなりにシンプルなものへと整理する必要がある。でないと全てのシーンが散漫になり、客に伝わらなかったり分かりづらかったりする作品となってしまうとの事。
「全て原作通りにするなら脚本家という職業は要らない。盛り上げる所をしっかり定めて、その為に要素を取捨選択していく。
…といっても演じるのは黒川さんだから、引っ掛かってる部分があるなら今からでも直すよ?」
「役者を甘やかすな。俺も最初の何巻かは原作を読んだが、ここで『鞘姫』の心情を入れれば間違いなくノイズになる。
この舞台においてお前の役割は人物の深さを魅せる事じゃない、人物同士の対立を分かりやすく明示する舞台装置としての説得力なんじゃないか?」
当然の事だが、脚本の内容はしっかりと考えられている。GOAさん自身が原作のファンらしくあまり手は入れたくなかったが、観る側の事を考えた結果の仕方ない変更らしかった。
「金田一さんもGOAさんも熟考した末の内容なんだけど…どうかな黒川さん、分かってもらえるかな?」
「カミキさん…………はい」
理解は出来たがあまり納得はいってないといった様子だな。しかしこればかりは仕方ないかもしれない、自分の中で折り合いをつけるしかないだろう。
相談が終わるのと同時に、稽古場の扉が開いて雷田さんの声が響く。
「はーいおつかれー!今日はスペシャルゲストがお越しですー!」
「あ……えと……こんにちは……」
「『東京ブレイド』作者のアビ子先生!
……と、付き添いの吉祥寺と申します」
気付けばもう12時になっていたようで、原作者の鮫島アビ子先生がいらっしゃった。それだけではなく、以前有馬のヘルプで出演したドラマ『今日あま』の吉祥寺先生も一緒のようだ。
「お久しぶりです吉祥寺先生!」キャッキャッ
「有馬さん!『今日あま』の打ち上げ以来ですね!」キャッキャッ
やっぱり仲良いなあの2人、まぁあの撮影で一番頑張ってて苦労してたのは間違いなく有馬だもんな。
「アクアさんも、またお会いできて嬉しいです」
「光栄です」
「先生、おひさっす」
そういやメルトも『今日あま』メンバーだった。あの頃はまだ演技がアレだったが仮にも主人公役、先生も流石に挨拶を
「あっ、ども……」
…今一瞬で目のハイライト消えたか?おまけに表情も声色も暗かったぞ。有馬との談笑に戻ったらさっきの事が嘘みたいな笑顔に戻ってるし。役者かよ。
「分かっちゃいるけど、やや塩対応だな……」
「まぁお前、『今日あま』ではちょっとアレだったからな。原作者からしたら仇みたいなもんなんだろ」
「……まぁな」
ちょっとショボくれてるな。だが今日までの練習を見ていると、あれからしっかり勉強をしていたのが見て取れる。少しは自信を出せれば化けると思うんだがな。
「先生、初めまして」
姫川さんと一緒に来たあかねがアビ子先生に挨拶をする。が、その当人であるアビ子先生の姿が消えた。よく見ると吉祥寺先生の後ろに身を隠している。
「ほら先生、ちゃんと挨拶して」ヒソヒソ
「無理……イケメンと美少女は目を合わせただけでテンパる……」ヒソヒソ
「「?」」
「ま、まぁゆっくり見学なさってください」
「ありがとうございます」
雷田さんが吉祥寺先生とアビ子先生の為の席を用意し、稽古の見学を促す。俺達もそれぞれの持ち場に戻り、稽古を再開する事にした。
─────────。
あれからアクア達は挨拶にいらっしゃった鮫島先生の見学の為も兼ねて、稽古を再開した。
「───。──?」
「───っ─────」
「───!───」
「どうですか?先生」
「……皆演技上手、良い舞台になると思う」
「そりゃララライは一流の役者しか居ませんから!」
「きっと皆、沢山練習してくれてるんですよね……」
どうやら先生は演技の技量に満足されているようだ。今回の舞台には様々な人の期待が込められている、その上で彼等彼女等は全力を投じて稽古に集中しているのだ。
それは現場を見た人にしか分からない。
「先生、舞台の時は練習じゃなくて稽古って言った方が良いですよ」
「そうなんですか?すみません、私何も知らなくて……。
すごいな…私には出来ない……」
(良かった…アビ子先生も気に入ってくれてるみたい。これならきっと上手く……)
「だからこそあれですよね…私が言わなきゃですよね…」
鮫島先生の発言に、吉祥寺先生の体が固まった。先生が何を思って何を考えているのだろうと案じていると、次の瞬間には雷田さんにまさかの注文をしていた。これまで僕達は想像もしていなかった。
「脚本て今からでも直してもらえますか?」
「んんっ!も、勿論ですが……どの辺を……」
まさか…
「どの辺て言うか、その
全部?」
───皆が今まさに稽古している脚本が、白紙になるだなんて事は。