カミキヒカルは2児のパパ (心配)
歩道橋の手摺から飛び降りた私は、その短い人生に幕を下ろした───はずだった。
全身を浮遊感が包み、重力に身を任せ落下するだけだったはずの私は、背後からの強い力に引っ張られて引き戻された。
何者かが私を引っ張って自殺を妨げた事を理解するまでに時間は掛からず、私は楽になれなかった事実と合わせてパニックになった。
「…いやぁ!放して!わあぁ!」
「落ち着け!」
「!」
背後から聞こえたその声は、聞き覚えのある男の子の声だった。
「俺は敵じゃない。頼むから落ち着いてくれ」
同じ『今ガチ』の共演者、星野アクアくん。
「ア、アクア…くん…………?なんで……?」
「メムの奴が、台風の中お前が出かけたまま全然帰ってこないって捜し回ってんだよ。
だからコンビニまでのルート辿ってたら……」
「馬鹿野郎が……!」
「…うっ………あっ………」
既に枯れたはずの涙が、また少しずつ溢れてきた。死ねなかった事が悲しいのか、アクアくんが助けてくれて嬉しいのか。もう自分の感情が分からない。
歩道橋の階段からライトの光と共に、誰かが駆け寄って来た。
「ちょっと君達!危ないでしょあんな所に!何してんのさ!」
─────────。
「黒川あかね、バチボコに燃えてるわね~まぁあの内容なら当然なんだけど」
先輩がスマホを眺めながらそう呟いた。そういうのって人前に出るようになったら慣れるものだと思っていたので、先輩に尋ねてみる。
「多少はね。でも個人差があるから、慣れない人はずっと慣れないものよ」
ふーん、そういうものなのかな。
「私だってその日のメンタル次第では、本当に死んでやろうかって思う日もある。
ことさら、耐性の無い10代の少女が初めて罵詈雑言の集中砲火に晒される心境は、あんたには想像も出来ないでしょうね」
それは、『人生が終わったと錯覚する程』よと言い終わった先輩の顔は目に光が無く、嫌って程に実感の籠った表情だったので、背筋に寒気が走る。
「恋愛リアリティショー番組ってのは世界各国で人気だけどよ、今までに50人近くの自殺者を出してんだよ」
「そうね、それに国によっては法律で出演者のカウンセリングを義務付けている程よ」
壱護さんとミヤコさんの言葉に戦慄する。
恋愛リアリティショーがそんな怖いものだなんて知らなかった。実の兄が今まさにそれに出ているのだから、余計にでもそう感じる。
「50人が死んでるって事は、その10倍はギリギリ死ななかったけど死ぬ程の思いをした人が居るって考えた方が良いわよ。
リアリティショーは自分自身をさらけ出す番組……。叩かれるのは作品どうのじゃなくて自分自身、そりゃキツいわよ」
先輩の言葉に、この前のお兄ちゃんの言葉を思い出す。
「……お兄ちゃん言ってた、嘘は自分を守る最大の手段だって」
「言い得て妙ね。ある程度キャラ作ってたらまだマシなんだけど、素の自分で臨めば臨んだだけダメージは深い。
SNSは有名人への悪口の可視化。表現の自由と正義の名の下、毎日の様に誰かが過剰なリンチに遭ってる。皆自分だけは例外って思いながらしっかり人を追い込んでる、何の気無しな独り言が人を殺すの」
「……」
血を分けた兄の顔が頭に浮かぶ。お兄ちゃんは平気かなぁ…。
そんな事を考えていると、私のスマホに電話の着信を知らせるバイブが振動した。
発信者の名前を見ると、ママからだった。
「もしもし、ママ?どうしたの?」
『もしもしルビー!?大変なの!どうしよう…アクアがこの台風の中出て行っちゃったの!!』
取り乱した様子で涙声のママのセリフを聞いて、頭をハンマーで殴られたような衝撃が走る。
まさに今、その身の安否を心配したお兄ちゃんが、この荒れ狂う天候の中外に出たと。脳がそれを理解した瞬間、私は電話口で叫んでいた。
「なんで!?なんでお兄ちゃんこんな時に出ちゃったの!?」
『分かんない…。出て行く前に電話に出て血相変えてたから、誰かから何か話があったのかも…』
呼吸が荒くなる。嫌な汗が出て止まらない。したくもないのに、最悪の想像が脳裏を過る。
パニックになりかけたその時、電話口の向こうでママの泣き声が聞こえてきた。
『ごめんね…私、お母さんなのに……。アクアの事止められなかった……』
ごめんね、ごめんねと泣きながらも繰り返す。ここまで弱々しい母の声を聞いたのなんていつ以来だろう。
もうどうしたらいいか分からなくなっていると、今度は事務所の電話が鳴り響いた。
「はい、こちらいちごプロ……はい、そうですが……はい……はぁ!?」
電話を受けた壱護さんが突然大声を出して驚く。それを聞いた私達も驚き、みんなが壱護さんに注目する。
「そりゃ本当ですか!?はい……分かりました、直ぐに……」
誰からの電話だったんだろう。「ど、どうしたの壱護…?」とミヤコさんが尋ねると、壱護さんが神妙な面持ちで私達の方に向き直った。
「……アクアの奴が、警察の御厄介になったみてぇだ……」
え
「「「ええーーーー!?」」」
◇◆◇◆◇◆
───警視庁・渋谷警察署
「うっ…ぅあっ……うああああ…!わあああぁぁぁあっ!」
「娘から、番組は観ないでと言われていて。私はネットにも疎く……
こんな事になっていたとは……どうして話してくれなかったの…?」
「だっで…ヒック…心゙配゙がげだぐながっだがら……!うあぁっ……!」
───取調室外
あれから俺達は警察に保護された。丁度あかねが手摺から飛び降りようとした所を目撃されたので、それぞれ個別で話を聞かれる事になった。
俺の方の聴取が終わり、今行われているあかねの聴取が終わるのを待っていると、壱護さんとミヤコさんがやってきた。大方、警察の人間が連絡を入れたのだろう。
「ったく…呼ばれた時は肝が冷えたし色々覚悟したぞ、この馬鹿。ルビーから聞いたが、アイの奴大泣きしてたらしいぞ?」
「でもよくやったわアクア、誇らしいわよ。他人に興味無さそうにして、ちゃんと見てたのね」
別にそんなんじゃない。確かに突然家を飛び出して心配かけたのは悪かったと思ってるし、申し訳無い気持ちもある。
だが…
「…人は簡単に死ぬ。誰かが悲鳴を上げたら、直ぐ動かなきゃ手遅れになる」
俺の脳裏に、2人の人間の記憶がフラッシュバックする。
救う事が叶わずに、この手から命が溢れ落ちてしまった少女の記憶と、無力な自分だけでは救い切れなかった、血溜まりに沈む父親の記憶。
(…………)
そうこうしている内にあかねの聴取が終わったようで、取調室の扉が開いた。それとタイミングを同じくして、俺からのメッセージを見た今ガチメンバーが到着した。
「あかねっ!」
ゆきがあかねの名を呼びながら、頬を叩いた。
突然の事に驚いたあかねが見つめるゆきの目には、涙が浮かんでいる。怒りと、それ以上の心配の籠った表情をしていた。
「何でこんな心配させて……グスッ…何でよもぉぉ……うぅっ…相談してよぉ……!」
「ごめ……」
ゆきが泣きながらあかねに抱きつく。余程心配したのだろう、止めどなく涙を流しながら声を上げて泣き続けた。
「あかね」
不意に俺があかねの名を呼ぶ。彼女には確認しなければならない事があるから。
「お前、これからどうしたい?」
「どうって…」
「このまま番組を降りるって選択肢もあるって事だ」
「でも契約とか…」
確かにノブが気にする事ももっともだ。だがもはや事態は、そんな単純な話で収まる範疇を超えてしまっている。
「これは番組側が未成年者を扱う上での監督責任を問われる問題だ。こういう状況になった以上、辞めるって言われてもとやかく言わないだろ。
『黒川あかね』っていう本名晒して活動してるんだ、引き時はちゃんと自分で見極めろよ」
続けるか辞めるかの判断は本人の意思次第、周りの人間が決めることじゃない。一応の忠告と共にあかね自身の判断を仰ぐ。
「……私、もっと有名な女優になって、これからも演技続けていくために頑張ってきた。
皆にもいっぱい助けてもらって…でもこんな事になっちゃって…」
「あかね…」
「怖いけど…すごく怖いけど……………続ける。
このまま辞めたくないっ」
「……分かった」
前を向く覚悟を決めたか。ならば俺達から言うことは何もない。
「だってさ、問題ないよな?」
「当たり前だろ」
「最初からそう言ってるんだけどなぁ」
ノブとケンゴも、あかねがこのまま続行する事に賛成した。
…薄々分かってはいたが、良い奴等だな、みんな。
「仲が良い現場なのね」
「まぁ同年代だけの現場だからな。多分皆で協力して、色々言われながらも番組やりきるんだろうよ」
…………。
「でも、このままってのは気分悪いよな」
発端は確かにあかねのミスだ、それは覆しようがない事実。
だが、女優とはいえまだ17歳の少女をここまで追い詰めたのは誰か。死を選びたくなる程の恐怖と苦痛を与えたのは誰か。
ここまでの事態にしておいて自分は無関係だと知らぬ存ぜぬを決め込もうとする連中は、誰か。
「煽った番組サイドも、好き勝手言うネットの奴等にも」
腹が立ってしょうがないんだよ。
◇◆◇◆◇◆
今、俺はルビーと一緒にミヤコさんが運転する車の中に居る。
あれから警察署を出た後、雨も弱まったという事でルビーと有馬を家に送り届ける為、迎えに行った。それのついでに俺も乗せてもらっている。
有馬は半べそ、ルビーは大泣きしながら俺に対して心配したと怒っていた。まぁ警察の厄介になったと聞いたら気が気じゃないよな。2人を宥めるのには苦労した。
有馬を家まで送った後、ルビーはまだ俺に抱きついて泣いている。ここまで心配を掛けたのが少し申し訳なかったので、ここまでずっとルビーの頭を撫でてやってる。
俺が本当に怖いのは、この後なんだけどな。
─────────。
◇◆◇◆◇◆
時は少し遡る──────
「外凄い雨と風だねー。ルビー達大丈夫かなぁ」
「いちごプロの事務所に居るってミヤコさんから連絡貰ってるから、雨が弱まったら迎えに行こうか。はい、コーヒー」
「ありがとヒカル」
俺達3人は今、自宅のリビングで寛いでいる。母さんは本来、今日は屋外でのロケがあったのだがこの悪天候のために中止。マネージャーとして付き添っていた父さん共々、そのまま直帰して大丈夫との事だったので帰って来た。今は2人でコーヒーブレイクを楽しんでいる。
俺は前世の習慣が中々抜けないのか1人で医学療養雑誌を読んでいたのだが、突然スマホから電話の着信を知らせる音楽が鳴る。相手はメムだ。
「もしもし、メムか。どうした?」
『アクたん!?良かった繋がった…。大変なの!あかねがこの台風の中ご飯買いに行くって連絡したっきり、まだ帰ってきてないの!』
「なんだと?」
『今あかねん家の前に居るんだけど、まだ帰ってくる気配もなくて…。お願いアクたん、一緒にあかね捜すの手伝って!』
「分かった、直ぐに出る」
この台風の中出ていくなど自殺行為に等しい。俺やメムはともかく、今のあかねは炎上騒動で憔悴しきっている状態。万が一の事が起こってからでは遅過ぎる。
急いでレインコートを引っ張り出して玄関を出ようとすると、母さんが俺を呼び止めた。
「アクアどこ行くの!?こんな時に出ちゃ危ないよ!」
「……母さん、ごめん。心配させるのは分かってる。だけど行かなきゃ手遅れになるかもしれないんだ。…すぐ戻るから」
「アクア!ダメぇ!」
「ダメだ戻ってきなさい!アクア!」
俺は父さんと母さんの制止を振り切って外へ出る。
(どこに向かったんだ。飯買いに出たってなら、コンビニか?)
あかねの家からコンビニまでのルートを調べて走り出す。
頼む、間に合ってくれ……!
◇◆◇◆◇◆
───星野家
家に着いてミヤコさんにお礼を言い、車を降りる。ルビーは泣き疲れて寝てしまったので、ルビーを背負ってから玄関の鍵を開けて入る。
「アクア!」
家に入るのと同時に、母さんが俺に飛び付いてきた。その顔は涙を流し、目元は既に泣き腫らして赤くなっていた。
「心配したんだよ!?あんな酷い天気なのに外へ出ちゃダメだよ、戻ってこれるかも…分かんないのに……!お願いだから…グスッ……もうあんな、危ない事しないで……ヒッ、グ……」
「っ」
今になって、軽率な行動だったと思い至った。
前世・雨宮吾郎の時も同じように外へ出て、そして2度と帰って来れなかった。もしかしたらアイは、その時の記憶が思い起こされたのかもしれない。
(……大馬鹿者だな、俺は。同じ事を繰り返すつもりか)
「本当にごめん、母さん。心配かけた」
母さんの頭を優しく撫でる。すると少し落ち着いて来たのか、母さんの嗚咽が止んだ。
「アクア」
俺が心配をかけたもう1人の人物が、俺の名を呼ぶ。
今まで殆ど見たことなどなかったが、少し怒っているようだ。当然と言えば当然だが。
「ちょっとこっちに来なさい」
抱きついていた母さんにルビーを預け、父さんの所に向かう。
目の前近くまで来た辺りで、頭に小さな痛みが走った。どうやらデコピンをされたようだ。
「社長とミヤコさんから話は聞いたよ、黒川さんの命を助けたんだってね。それは親としてとても誇らしいし、称賛されるべき事だと思ってる。
でも、それと同時に色んな人に心配を掛けたのは分かってるね?」
「…ああ」
「…アクア。お願いだから、もっと自分の事を大事にしてほしい。それが僕の、父親としての我が子に対する願いだよ」
父さんが俺を抱きしめる。その体は少し震えており、目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
まさかあの時とは真逆の格好で叱られるとはな。
(…ははっ。俺も、人の事をとやかく言えないな…)
「それから、ありがとうアクア。黒川さんを…同じララライの仲間を助けてくれて」
「───っ!」
…………そうか、俺は。今度こそ俺は、誰かを助けることが出来たのか。救えたはずの命を取り零す事も、自分の無力さを嘆く事も無く、この手で救えたのか。
「……ああ、助けられて良かった」
「でも本当に心配したんだよ?僕もアイも」
「ミヤコさんから電話が来た時には私気絶しそうになっちゃったよ…」
「本当に悪かった。もうあんな真似はしない」
「「本当に?」」
「……ああ」フイッ
「…どうやらまだお説教が必要なようだね。アイ、ルビーは僕が寝かせてくるからアクアを頼めるかい?」
「うん、お願いね。アクア、こっちにいらっしゃい」
「……はい」
ああ、まだ今夜は長そうだな……。